伝書鳩の夏休み 序幕〜第一回
十二月一日
ショウニノウビョウイン。めがさめたらこんなとこ。さいきんエンピツがもてるようになった。
ぼくはノウミソがいけないらしいけど、ひとのコとおなじあじがするはずだよ。
にいさん、ねえさん、ごしょうみあれ。
十二月四日
ジュンカイのカンゴフに、ナンデこんなてあしがいたいのかともんくをいったら、それはウデもアシもポッキリおれてしまったのだからあたりまえですわといった。ぼくも、なんだかおかしくて、そうだったねとわらった。
ヒトデナシ、イッピキ、コウシャのオクジョウから、ひらり。
ヒトゴトみたいなきがする。
十二月十四日
むかしむかし。ガッコウからかえると、ゲンカンマエにねえさんが立っていて、ホタルをみにいきましょと言った。かあさんにいさんも行ってきなさいといった。みんなのかおがヘンな気がしたけど、ねえさんがぼくをずるずる引きずってサホガワの方にあるいてったから、それきり何もかんがえなかった。ねえさん、ホタルなんかいなかったね。ぼんやり立ってたら、ねえさんがぼくをだきしめた。そのよる、にいさんはとおさんをころした.。
十二月二十日
ケッキョク、ぼくはひとりだった。キョウハンシャ。でもそいつらもサイゴにはぼくをうらぎった。ヒコクミンはハクガイしろとおしえたのはセケンサマなのに、いざそのヒコクミンがしんだらうらぎんだ。ぼくだって、ソエカワにあんなひどいことまではしなかった。ひらり、そのまえにぼくはしんでたんだ。
十二月二十四日
いつ出られんのかダレもおしえてくれない。ヒトゴロシのドウメイにぼくもサンカしたはずなのに、シンゾクダレもここにはこない。
サツジンはいきおいがダイジなんだ。むしころもひところもかわりないんだ。みんなもそうだったんでしょ。ぼくにはちゃんとわかってます。にいさんはヨゴレヤクをかってでたんだ。オマワリもトナリキンジョもみんなきづいていてしらないふりしてくれたんだ。そのときからずっといままで、ぼくは、ドウメイのブガイシャだったのかな。みすてられた? まさか、ねえ?
いまはただだれかにあいたい。かんごふはおとといからなぜかこない。きょうはゆきがふりました。でも、はなからここにはだれもこない。
にいさん、ねえさん、さようなら。ぼくのノウミソは、きっと、人の子とはちがう味がする。
嶌津三蔵…………………………書道家
野崎建男…………………………風ノ森高校一年生
相沢嶺二…………………………野崎の同級生
火芝星造…………………………知鶴の甥
活良木潑之介…………………星造の幼馴染
山郷岳雄…………………………眼鏡の男子
火芝知鶴…………………………ジニア荘の女主人
赤沢林檎…………………………富豪の一人娘
青山克海…………………………赤沢の夫
緑野千草…………………………赤沢の親友
水口奏介…………………………青山の友人
戸黒耀一…………………………理科教師
白灘久光…………………………陰険な男
北府…………………………………刑事
満願…………………………………警部
一 夏休みの予定
プラットホームに雨が降った。屋根と地面の間から、陽光を反射した雨粒が風に巻かれて着地した。
僕はノートから顔を上げてその光景に眺め入った。先々月からこのノートにこっそりと書き連ねている小説に、この神秘的な光景を登場させたいと思った。
――先月、朝鮮半島で戦争が起こった。もちろん、現地はすさまじい緊迫感で満たされていることだろうけれど、早くも邦内は二十六年前の欧州大戦のときのような好景気がまたやってくるのではないかと色めきだしていた。戦争が始まって喜ぶなんておかしなことだけれど、関東の建築事務所に勤めていた僕の父さんが、起業のために(僕には、こわいような気がしているけれど)関西に戻ってきて、そうしてまた一緒に暮らせるようになったのは、間違いなく予想される好景気のおかげなのだ。
叔母さんも入れて家族四人。貧しいけれど、楽しく過ごしている。
兄さんは、まだ帰らない。
心が沈みかけたとき、背後から、僕の名前を呼ぶ相沢の甲高い声が聞こえたこの同級の友は、未だ変声期を迎えていなかった。「おはようさん、野崎。「急に雨が降ってきて、びしょびしょになっちまったぜ。」
相沢は、制服の上着を脱いで空を睨んだ。王寺駅は、僕にとっては最寄り駅だが、相沢にとっては徒歩を要する乗り換え駅なのだ。その徒歩の間に雨に降られたのだろう。比較的濡れていない腿の裏で鞄の雨粒を拭いはじめた。
「おい、やめないか。」僕は、ズボンのポケットからハンケチを取り出し、鞄と相沢自身を拭いてやりながら叱った。「こういうことがあるから、朝刊の天気予報くらいは確認しておけと、常日頃言っているだろう。」
「降ったら降ったで俺は構わないんだよ。」そう言って変な調子で囃した。
僕の老婆心も相沢には届かない。それでも世話を焼くことをやめられないのは、僕の宿命のようなものか。
まあ、それは大げさだとしても。
風ノ森高等学校へは五條駅から徒歩十分ほど。相沢を僕の傘に入れてやったのだが、あまりにもふらふらと離れたりくっついたりを繰り返すので、僕も腕を伸ばしたり縮めたり、今度はすっかり僕が雨を被ってしまった。
「俺に構うからそうなるんだ。」相沢はせせら笑った。
「その破滅思想はいいかげん止めた方がいい。」僕は予備の靴下に履き替えながら諭した。
昼食が終わり、昼休みの時間。今日は夜まで雨の予報で、普段は校庭でスポーツなどをしている活発なクラスメイトたちは、不服そうな面持ちで体育館へと出かけて行った。
僕の席に寄って来た相沢と小説の話などをしていると、学級長の火芝君に声をかけられた。腕を後ろで組み、こころもち顎をしゃくって立つ癖のある火芝君には、さながらオーストリアの貴公子のような気品が漂っている。
僕は、彼のことを心から好いていた。別世界の人間でいながら、彼はこちらへ降りてくることを厭わない。「本当の貴族」というのは、こういう人のことを言うのだと僕は思っている。
「今、いいかな。夏季休業の過ごし方について提案があるのだけど、聞いてくれるかな?」
丁寧な火芝君に対して、相沢は顔も見ずに無礼を働いた。「失せろ、ブルジョア風紀委員め。」
彼は相沢の悪態に構わず、微笑したまま話を続けた。「実は、城崎の別荘にいる叔母さんから、この夏は友達を連れて遊びにらっしゃいと手紙が来たんだ。」
思いもがけない地名に、僕と相沢は顔を見合わせた。
「どうやら叔母さんは、自分が企画した同窓会に大して人数が集まらなかったことが不満らしい。――まあ、僕たちはそんなしょっぱい同窓会とは離れて遊ぼうよ。」
――さて、今回の事件を語るにあたって、いささか唐突ではあるが、僕の友人たちを先に紹介しておきたい。みんな個性的な人物なので、初登場の度に語っていては話の腰を何度も折らなくてはならなくなるからだ。
――朝からずっと一緒にいる相沢とは、小学生の時からの付き合いで、三年生の終わりごろに僕の通っていた小学校に転校してきた。しかし、僕は、それとは知らずに以前から相沢のことを知っていたのだ。――戦時中、家族と離れ離れになった僕は映画館を営んでいた隣組の家庭へ預けられた。彼らの映画館に時々客としてやってくる「天川君」という同い年の男の子から、天川君の通う小学校で「相沢」という不良生徒が、クラスメイトを使って「添川君」という生徒をひどくいじめることについて相談を受けたことがあったのだ。
僕は同情の言葉をかける他、何も言ってやることができなかった。それがいけなかったのだろうか。その日を境に天川君は姿を見せなくなった。僕が天川君の失踪をそれとなく口にしたとき、確かに館主の顔色が険しくなった。僕にとって、後悔している出来事のひとつである。
相沢は、転校してきてすぐに学校中の人気者になった。小鳥のように跳ね回り、愛嬌いっぱいで人懐っこい、この「相沢」の正体が、まさか指嗾するような凶悪な人間だとは夢にも思わなかった。ひとり教室に残る相沢と他愛無い会話をしていたとき、不意に天川君と添川君の話をしてしまった。途端に相沢は、それまでのコロコロした笑顔を消して僕を睨んだ。
その豹変ぶりに、彼が転校してきた理由を見つけたような気がした。
しかし、中学校は男子校であったがゆえに、騙され甘やかしてくれるような女の子たちに恵まれず、段々と例のかわいいふりは鳴りを潜め、他の生徒たちの平和を脅かす不良生徒の本性を現すようになっていった。それは、高校に上がっても変わらないどころか完成されつつあるようにさえ思える。
僕も、まさか過去の罪業を言いふらしたりはしないし、むしろ何とか更生させようと努めているが、今のところ、それは徒労に終わっている。
馬の耳に念仏、相沢の心に善意? いいや、まだまだ。
――火芝君は、一挙手一投足から西洋絵画に描かれるような気品が漂ってくる。すらりと流れるような躯体は六尺近くあり、緩くパーマのかかった黒髪は細くつややか、少し長い前髪から覗く目元はどこか物憂げで、月光の下では不思議にブラジリアナイトに輝く。
名家の一人息子で、彼のお父上は大蔵省の官僚であられる。
彼の人並み勝れた点は容姿や出自だけではない。すべての教科において成績最優秀、それすなわち文武両道。彼にとっては、学校の授業や先生の説教は退屈極まりないのではなかろうか? スポーツでもいつも素晴らしい結果を残すので、彼のいない方のチームはそれだけで士気が下がってしまうことも珍しくなかった。そんな彼だけれども、常に謙虚で驕ったところはひとつも無く、ボランティア活動での地域貢献も欠かさない模範生なので、生徒や教師のみならず保護者からも厚く信頼されている――とそういった具合なので、この間の学級会にて、全会一致で学級長に選ばれたのは当然のことであった。
――山郷君は素敵な子である。身長は相沢よりもさらに低く、坊主頭に丸眼鏡、そうしていつもにこやかにクラスメイトたちを見守っている。「お地蔵さん」というあだ名を付けられている。実際、彼のそばに寄ると、心がぽかぽかしてくる。朝の湖のように深く澄んだ瞳で見つめられると、それだけで心が洗われていく。
相沢ら不良生徒たちも、山郷君には簡単にやっつけられてしまう。
そんな不良生徒たちの一人――活良木君は “札付きの不良” である。簡単に制圧せられる小悪党の相沢たちと違い、活良木君は警察沙汰を起こす、非常に暴力的な人物らしい。
僕が彼を見たのは、入学式で一回、そして先週のテストで一回の計二回だけ。初めて会話をしたのは、そのテスト後の休み時間のことだった。その日の朝、あるゴシップ好きのクラスメイトが、活良木君が上級生を病院送りにしたという報告を幼馴染の火芝君にもたらし、火芝君はそれを僕にもたらした。火芝君は「いつものことだ。」と言って軽く受け流してしまったが、僕には活良木君のこれからが心配で、おせっかいだとは重々承知しつつも言葉をかけずにはいられなかった。テストの終了と共にさっさと教室を出て行ってしまった活良木君に声をかけ、どうして喧嘩なんかをするのかと聞いた。彼は、僕の言葉に立ち止まってちらと振り返ったものの、すぐにまた歩き出したので、僕はもう一歩踏み込んで「僕は君が心配だ。」と伝えると、彼は立ち止まった。そして踵を返し、僕のところまでやって来た――かと思うと、唐突に僕の襟首を掴んで硬い廊下の壁に押し付けた。痩せて防御の弱い肩甲骨が痛んだ。
「お前なんかに心配されるほど、俺は弱っちゃいねえんだ。」握りこまれた右の拳が僕の左頬に宛てがわれた。
勇ましいテノールに混じる微かな震え声――の、そのまた奥に存在する諦めの色を僕は素早く探し当てた。
「ひとつ殴られて君を忘れられるほど、僕は君のことを軽く思ってはいないんだ。」真っ直ぐ、目を見て言った。
すると、彼は、幽霊でも見たというように驚いて乱暴に僕を解放し逃げていった。
――「海水浴に行こうよ。」火芝君は、媚びるように僕と目線を合わせた。
「本当に、僕たちでいいのかい。や、光栄だな。」
僕が本音を言うと、相沢が「ブルジョア野郎とヨロシク旅行なんか誰が行くもんか。」と吐き捨てて、悪友たちの元へ出かけていった。
「野崎君は、ご参加いただけるということでよろしいね?」
火芝君が僕を見ている。
「ああ。とても楽しみにしているよ。」僕は、頭の中で様々な光景や会話を想像して胸が踊った。それは、旅程を教わっているうちに段階的に高まっていった。
昼休み終了のチャイムが鳴った時、相沢が戻ってきて出し抜けに嘴を容れた。「俺も行く。」
「なんだ、気が変わったのか。――火芝君、相沢も連れて行っていいかな?」
「ああ、もちろん。人数は多い方が楽しいからね。」そう言った火芝君の表情は、奇妙に引きつっていた。




