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伝書鳩の夏休み 第八回

 八 相沢、悪態をつく


 グラスを打ち合わせる音が単調に鳴った。「乾杯。」

「青山はまったく伏せてしまったようだな。」戸黒氏は、わずかに上方を見ながら誰にというわけでもなく言った。

「恋女房が死んじまったからな。」水口氏が他人事らしく嘲って、オールドファッションドをぐいと飲んだ。「哀れなもんだ。」

 青山氏は夕食の間も姿を現さなかった。知鶴さんが扉越しに声をかけても、力無い返事を一度したきりだったそうだ。

「今はそっとしてあげるのが一番よ。明日から、忙しくなるんだから。」緑野氏がそう言うと、水口氏が意地の悪いことを言った。

「随分労わるじゃねえか。やっぱりまだ情が残ってるのかな。」

「子供の前でそういう話はやめて。」緑野氏は鋭く制した。

 僕は居心地悪く思ったが、火芝君はサイダーのグラスを回して微笑した。

 談話室の二つのテーブルを、大人五人と子供四人に分かれて囲んでいた。僕たちのテーブルの上には、トランプカードが、ババ抜きで僕が負けた形のまま放置されていた。

「キレイに別れたってのは事実なのかな。」水口氏は、なおも同じ話題に固執した。「赤沢に寝取られたんじゃねえのかなあ。」

「水口、いい加減にしろ。」今度は戸黒氏が窘めた。知鶴さんが俯いてしまったから?

 そうしてやっと水口氏は話題を変えて、しばらくは乾いた世間話が続いた。しかし、皆の関心事が赤沢氏の死に向いていることは明らかで、知鶴さんが来客のために談話室から一時退出すると、シームレスに話題は逆戻りし始めた。

「資産家の葬式ってのは、そりゃあもう派手にやるんだろうな。何せ大財閥の生き残りの一人娘だ。俺たちも、取材班に追いかけ回されて忙しくなるぜ。」

「さっそく今日の夕刊に出ていたわ。けれど、まさか山登りをしてまで取材に来るかしら。」

「新聞各社の商売魂を舐めちゃあいけねえ。舞台が満員の大人気列車というついで付きだ。そりゃあ派手に出すに決まってる。」

「――青山君、大丈夫かしら。」緑野氏がまた心配した。

 その時、突然、隅っこで背中を丸めてカルーアを啜っていた白灘氏が、癇癪声を出した。「青山は被害者なんかじゃない! 保険金欲しさに林檎さんを殺したんだ!」そして、がばと立ち上がり、近くの食器棚に掴みかかった。しまわれている食器が、がしゃんと大きな音を立てた。どうやら、かなり酔いが回っているらしい。

 保険金。だが、青山氏は〈赤沢グループ〉の婿養子だ。どうして金に困ることがあるのだろう。

 白灘氏の支離滅裂な妄想、その時はそう思った。

 やがて知鶴さんが戻ってきた。彼女は、白灘氏が男性二人に押さえつけられているのを見てひっくり返っていたが、緑野氏から事情を聞かされ平静に戻っていった。

 僕たちは火芝君の “参っちゃうよ” と言いたげな目くばせを合図に、トランプだけを回収して、こっそりとエントランス・ホールへ撤収した。

 時刻は午後九時過ぎ。

 僕は相沢の様子を見に行くために三人と別れた。

 やつは悪態をついた。

 それで結局、あの夜はあんなことになったのだ――


「んああああいっ。」ノックをすると、やけっぱちな返事が返ってきた。

 どうせ、遊びに参加できなかったのでしょぼくれているんだろうと思っていたが、意外にも平気な様子で、布団の中でカステラを貪っていた。

「なあんだ、野崎かよ。カステラのオカワリかと期待したのに。」早速そんなことを言って最後の一切れを口に押し込み、あっという間に飲み込んでしまうと仰向けに寝転がった。口からあぶれたざらめが枕に落ちて転がった。

「危ないから座れ。」僕が先ほどまでの体勢に戻そうと枕元に膝をつくと、突然、相沢が体を起こしてぴたりと抱き着いた。

「なんでもっと早く来なかったの。」

 あっ、と思った。弱っているな、と思った。「悪かった。つい遊ぶことに夢中になってしまった。」

「のざきの『の』は、のろまの『の』だ。」

 相沢の絹の寝間着の貝ボタンを外し、机の上にあった体温計を脇の下に差し込んだ。計測している間に、相沢は不機嫌な声で恨み言を言い連ねた。「火芝がカステラを持ってきた時に煽ってきやがった。お前ら、楽しそうに温泉なんか行っちゃってさ。こっちはうんうんうなされてるっていうのに、気を遣うって発想が無いわけ? いちばん最悪なのはお前だよ。お前っ。あほのじゃきっ。俺が火芝のこと大嫌いなの知ってるくせにいちゃつきやがって、この尻軽野郎、偽善者めっ。野崎なんか嫌いだもん。」そして、ついぞぽろぽろ泣き出した。「どうせ、お前もいつか俺を見捨てるんだ。分かってんだよ。俺は悪人だもん。俺は……もう要らない子なんだ……」 

 ……三十八度……三十八・五度……

「見捨てないさ。そばにいる。」

「でもこんな時間まで一度も来なかったじゃん。明日は一度も来ない!」

「来るさ。約束する。それから、偽善も何も俺は善人じゃない。」

「意味分かんないこと言うな。善人じゃないならやっぱり来ないんじゃん。」

「人間誰しも生まれついての悪だってことだ。懸命に生きて、学んでいくことで善に近付くのさ。――相沢、大切なことだからよくよく聞いてくれ。過去は変えられないし取り消せない。だから、これからだ。これから改善していけばいいんだ。俺は、明日も、必ず来る。」

 ……三十九・一度。高熱だ。

「どんな人間でも、人間である限り善人になれるっていうのか。」

「そう信じている。」

 相沢はもじもじしていたが、そろそろとブランケットを被り、僕に背中を向けた。「変なヤツ。」

「俺も今日はここで寝る。」

 相沢はわずかに頷いたきり、じっと動かなくなった。

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