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伝書鳩の夏休み 第六回

 六 ジニア荘にて


 ――その通り。通称の由来は、前庭の寄せ植えにジニアが大量に使われていることに因む。でもね、冬から春は? その間はサイネリアがバトンを継ぐけど、サイネリア荘には変更されない。なぜか? ――ほら、見てご覧。赤、紫、白、黄、ピンク、橙のジニアが、自分の地味な葉っぱを覆い隠すようにしているだろう。この光景を目の当たりにした者の記憶にこびりついて離れないのさ。ぎらつく太陽光を我先に浴びんと押し合い犇めき合うこいつらの乱痴気騒ぎが! これは、とても、品行方正なサイネリアには真似のできない醜態だ。あっはっは。――

 歩きながら火芝君は語った。彼の歪んだ植物観察はともかくとして、入り口の一点だけを空けて建物のぐるりを囲んでいる花壇は、生育旺盛なジニアでいっぱいだった。

 この屋敷の特徴のもうひとつは、時に退廃的なまでの唯美的装飾が内と外を埋め尽くしていることだ。

 内装は白、金、薄紅、淡香の硬質素材で統一されており、太陽の陽がまっすぐに差し込んでくると、調度品が目に染みるほど光を反射させて室内に氾濫した。

 一階。エントランス・ホールから直接、食堂、応接室、調度室に行くことが可能で、あと二つの扉はそれぞれ廊下に繋がっている。北側には台所や風呂へ繋がる廊下、西側には客室が並ぶ廊下。僕たち学生組はこの客室に入った。

 二階。存在する部屋のほとんどが客室に充てられていたが、北東の広い一室だけは書庫として使われていた。その部屋の大きな窓からは遠く円山川(まるやまがわ)が見えた。

 通いの者も含めて、執事のO、メイドのS、N、E、運転手のA、コックのT、介助人のD、庭師のYなど(重要ではないのでアルファベットで失礼。)が働いており、知鶴さんは山奥での生活に不便や寂しさを感じてはいないようだった。

 火芝君が先頭に立ってドアノックを鳴らすと、右の扉だけがきいっと軋みながら開かれた。瞬間、炎天下をうんうん歩いてきた僕たちの躯体に、エントランス・ホールの冷気がぶつかってきた。

 その中央に、こちらを青白い顔で見つめる、フランス人形のような女性がいた。彼女が、火芝知鶴さんだった。大きな瞳に涙を溜めて呟いた。「大変なこと。」

「叔母さん、もう知ってたんだね。」火芝君が沈んだ声で言った。

 僕たちは、入り口に立って項垂れた……

 到着した時、時刻はまだ正午を回っていなかった。僕たちは、すでに友情などでは繋がっていないことの判明している同窓生組から距離を取るようにして、海水浴に出かけた。

 円山川に沿って北上し港橋を渡ると、ほどなくして磯の匂いが鼻孔を刺激した。バス内の他の乗客たちも色めき出して、荷物の取っ手に手をかけたりしだした。

 気比の浜は、円山川の河口と繋がる津居山(ついやま)湾に面していた。遠浅の海は穏やかで、山ばかりの内陸県から来た旅人たちを抱きとめてくれる。

 僕たちは、陰惨な事件のことなどすっかり忘れて遊び惚けた。活良木君だけは、海水に足を浸して不機嫌そうにばしゃばしゃ蹴り上げたきりで、それからはずっと真っ白いパラソルの下のビーチチェアで寝入っていたが、泳ぎのできる火芝君は米粒ほどに見えるくらい遠くへ泳いで往復したり、山郷君は岩石をひっくり返してイソガニを探したり、僕は相沢に海藻を張り付けられたりして、おおよそ楽しく数時間が過ぎた。

「入道雲が近いね。」山郷君が、砂浜で仰向けになり、目を閉じたまま言った。首から下は、相沢によって埋め立てられていた。

「雨になったら帰らないといけなくなるな。」相沢は、手のひらの砂を払った。「砂浜もぐちゃぐちゃだ。」

 それに賛同しつつも、誰もが帰り支度を惜しがった。まだまだ、遊んでいたかった。

「帰ろう。」と誰ともなく言い始めたのは、いよいよ空に暗雲が立ち込めてきてからだった。荷物をまとめて更衣室から出ると、案の定もう遅く、砂浜に濃いしみがいくつも出来ていた。僕たちは傘を持っていなかった。いつか、相沢が傘を持ってこないことを叱ったが、僕も人のことをとやかく言える身分では無くなってしまった。

 走ってバス停へ急いだが間に合わず、遠くに停車していたバスは無情にも行ってしまった。時刻表によると次の便は二時間後――僕たちは、より早くジニア荘に戻れる方法を選んだ。体の強い活良木君と火芝君が全員の荷物を引き受け、僕たちは激しさを増す風雨の中をうんうん歩いて行った。

 ずぶ濡れになった僕たちを見て、知鶴さんは危うく階段から転げ落ちそうになった。彼女に、昼食の支度はとうに出来ていると急き立てられた僕たちは、肌着と着物を取り換えて食堂へ向かった。髪の毛のべたつく感触が何とも言えず不快だった。

 レースのテーブルクロスが敷かれたダイニングテーブルに並べられた、装飾的な銀のトレー。そこに、白米、味噌汁、焼き魚、かぶら漬けというのは実に不調和ではないか? 薄紅色のクッションが張られた猫足の肘掛椅子を居心地悪く思いながら、僕は味噌汁をすすった。

 結局、相沢が風邪をひいて二階の二人部屋に隔離された。

 火芝君が知鶴さんに怒られた。

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