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伝書鳩の夏休み 第五回

 五 事情聴取


(一)

 火芝君のエシカルな仮面は、ここに来て角からめくれ上がりつつあった。「気の毒だね。」と同情したかと思うと、寝台にうつ伏せに転がって「あーあ、喉渇いちゃったなあ。もう少し待ってくれればよかったのに。」と赤沢夫人が倒れたタイミングを呪った。

「健康そうに見えたのにね。」と僕がつぶやいた折には、大金持ちの一人娘の死亡記事として最も “面白い” 見出しは何かと、甚だ相沢じみたことを談じ始めたので、僕は悲しいのやら寂しいのやら分からなくなってしまった。

 扉にノックがあって山郷君が入室許可を求めた。僕がどうぞと返すその前に相沢が無遠慮に入ってきたので、いつものことながら閉口した。

 火芝君は、エシカルの仮面を再び貼り直して「退屈してしまったのかい?」

 あの顔は僕にだけ見せてくれたのだ。それはそれで、別種の幸福感を僕の胸に与えた。

 相沢は「間抜け面のお前らに提案しに来たんだよ。」と、僕の寝台に勝手に上がって鷹揚に語り出した。「お前らもこの殺人事件の真相が気になるだろ? おいおい、いかにも健康体のご婦人がいきなり心臓発作を起こしたと思ってるなら、お前は今日から隕石が頭に落ちてきてもいいように防空頭巾を被って生活しろ。」

「なんだとっ。」

「あれはどう考えても毒で殺されたんだよ。だからさ、関係者が何を話すのか気にならない?」そう言ってにちゃついて僕の顔を覗き込んだ。こいつは、やかましいくせに斥候の真似事が大好きだった。

 最初に賛成したのは火芝君だった。その口調は子供のごっこ遊びに付き合う母親のように穏やかだったが、内心は下世話な好奇心が働いているに違いなかった。山郷君は、話の真意が読み取れないようで「入れてくれるかなあ。」と無垢なことを言った。

「それで、風紀委員長はどうすんだ?」と問われ、僕は黙って首を縦に振った。

 関係者というのは、つまり同窓生五名とバーのスタッフを指す。相沢曰く、事情聴取をするなら食堂。三号車へ向かってみると、はたせるかな、食堂の扉前には警察官が立ちはだかっていた。車両間の通路は狭く、どこにも身を潜められそうなところは無かった。反対側の二号車に回ろうにも、現在列車の扉は固く締められており、外に出ることはできなかった。斥候ごっこは諦めることになった。

 しかし、食堂へは意外な形で入り込むことができた。もっとも、入れたのは僕一人だが。

 北府と名乗ったその女性刑事は言った。「あなたが介助人の野崎建男さんね。嶌津三蔵さんに、例外的だけど、捜査の協力をしてもらえることになったから、あなたも同伴してくれるかしら。」

「介助人? 嶌津さんには連れがいますよ。」

 すると北府刑事は肩をすくめて「あの青年はすっかり酔っ払っていて使い物にならないの。」

 かくして、僕は友人たちの羨望やら冷やかしやらを背中に受けて、恐々と食堂へ足を踏み入れた。

 嶌津さんは過去に二回、殺人事件を解決した経験があった。その情報が、どこからか警察内部にもたらされたのだろう。この血のように真っ赤な目をした書道家の美青年は、その頭脳と出自の割りにずっと横柄な態度でビロードのソファを占領して煙草を吸っていた。

 僕は近くの椅子を引いた。

 北府刑事は、黄色いミュールを鳴らしてつかつかと嶌津さんの前まで歩み寄ると「あなたのことは、奈良県警の阿瀬戸君から聞いています。どうか、その類稀なる頭脳で、この難事件を解き明かしてくださいね。」と爽やかに言い、一枚の書類を差し出した。しかし、嶌津さんは受け取らずに差し出された形のまま目を通し始め、次第に北府刑事はそわそわし始めた。見かねた僕が代わりに受け取り、肩を並べて読み始めた。秘密保持とか、そんな何かの契約書であったが僕にはよく分からなかった。

 ――字は、その人の心を表すという。彼がその右手で以て、一切の乱れ無き字で紙面を汚す度、僕は、彼の外見と内面の差異に一種のざわめきを覚えるのだが、それを的確に表す表現をまだ見つけられないでいる。

 北府刑事と共に聴取を担当した満願警部は、名前から想像した通り、大黒様のような中年男性だった。黄色いミュールの若い女性と大変縁起の良さそうな中年男性という取り合わせに、思わず気が抜けてしまいそうになった。

 まず呼ばれたのは、〈BARカワカゼ〉の店長だった。彼は、この空間で唯一の緊迫をまとった人物に見えた。

「お忙しいところすみません。いくつか確認させていただきたく思いまして。」と満願警部は柔らかく言った。「例の催しで提供されたカクテルは三杯で間違いありませんか。」

「ええ、間違いありません。」

「どのテーブルから配るというのは決まっていたのですか。」

「ウェイトレスごとに担当のテーブル番号が決まっているのみで、順番に決まりはありません。全席に、時間差無く提供できるように努めております。」

「当日、何を提供するかというのを客が事前に知ることは可能でしょうか。」

「正確には不可能でしょう。ですが、なるべく馴染みのあるものを作るように決めているので、予想することは可能でしょうね。」

「そうですか。」満願警部は頷いて質問を続けた。「どのくらいの間隔を開けた後、次の一杯に進むのでしょうか。」

「おおよそ十分です。テイスティングの材料となる最初の一杯――試酒(こころみしゅ)本酒(ほんしゅ)を合わせて計四杯。ゲームの説明や結果発表等も含めて1時間ほどです。」

「催しの最中はあなたも店内におられたのですね。」

「ええ。」

「何か気付いたこと――例えば、怪しい客などはいませんでしたか。」

「多くの人の出入りがありましたから」店長は首を捻っていたが、何かを思い出したようで「そういえば」とつぶやいた。「何回も席を移っていた男性がいましたね。亡くなった女性を気にしていたようでした。私が見た限り、話しかけたり近寄ったりということはなかったようですが。」

「その男の特徴は?」と北府刑事が身を乗り出して聞いた。白い万年筆の金のクリップが光った。

「横に大きくて、ベージュのシャツを着ていました。年は四十前後か、ひょっとするともっと若いかもしれませんが――実際に見ればすぐにこの人と指さすことができるでしょう。」


(二)

 店長が退出したあと、僕は満願警部たちに言った。「さっき話に挙がっていた怪しい男に心当たりがあります。おそらく、赤沢さんの同級生の白灘氏のことではないでしょうか。」

「知り合いなの?」と北府刑事が聞いた。

「ええ、少し。――赤沢氏も白灘氏も、僕のクラスメイトの叔母さんの同窓生なんです。」

 僕は白灘氏のことが、あまり好きでなかった。些細な脅迫で血相を変える臆病も含めて醜悪を感じていた。

 北府刑事に連れられて入室した白灘氏は、待ち構える二人の尋問官の顔を盗み見るようにしながら差し出された席に座った。壁際の僕たちには、気が付いていないようだった。

 満願警部はさっきと同じく穏やかに始めた。「あなたが白灘さんですね。」

 対する白灘氏は、小さくくぐもった声で途切れ途切れに話すのが特徴的だった。「ええ、そうですが……なんでしょう。」

「質問の前に、白灘さんの氏名と住所、職業をお教えください。」

 白灘氏は身分を名乗ったようだったが、その声はあまりにも小さく僕の耳までは届かなかった。

「亡くなられた赤沢林檎さんとのご関係を教えていただけますか。」満願警部が質問を続けた。

 白灘氏は「……なんで、なんで。」と、つぶやき出したかと思うと突然顔をあげて「僕は殺してなんかいませんよ!」

 そして、僕と嶌津さんの存在に気が付いたようでその威勢は急速にしぼんでいった。僕は、彼が何に対して恐れを抱いているのか分からなかった。

「落ち着いてください、白灘さん。形式的な質問ですよ。」満願警部が宥めた。

 アリバイを尋ねられて不快な気持ちになるというのはままあると思うが、関係性を尋ねられてこのように激昂するというのは、あからさまに普通ではない間柄であることの証明だった。

 しばらくして、白灘氏はぼつぼつ話し始めた。「僕や青山、戸黒、水口の担任で、その後、緑野さん、赤沢さん、火芝さんの通っていた女学校に転勤した中須という教師が、一年前に脊椎カリエスで亡くなったので、葬式に出席しました。赤沢さんたちとはその時に初めて会いました。……その時にはもう、青山と婚約していたそうですが。赤沢さんとは、それきり会っていませんでした。」白灘氏は俯いて両目をぎょろぎょろさせた。

「そうでしたか。ところで、バーで、あなたが被害者の近くで頻繁に席を移っていたという話がありましてね。一体、何をなさっていたのです?」満願警部は聞いた。

「なんでも、なんでもありません。ただ、涼しい場所を探していただけです。」

「涼しい場所は見つかりましたか?」

「……ええ、まあ。」

「結構ですな。では、今回のご旅行に際して、赤沢さんに変わった様子はありませんでしたか? 例えば、何かに悩んでいたとか、反対にやけに明るかったとか。」

 満願警部は、自殺の線も考えているようだった。

 白灘氏は、この質問にも怯えていた。「さあ、普段を知りませんから、何とも。」

 満願警部から退出許可が出た。北府刑事は “納得いかないわ” という表情を浮かべながらも戸を引いた。

 相談の結果、最も精神的ダメージを受けていると思われる夫の青山氏を最後にして、事件当時最も被害者の近くにいた緑野氏に話を聞くことになった。


(三)

「何でも聞いてくださいな。」と気丈なことを言うものの、緑野氏の顔色はあまり良くなかった。やや指先が震えていた。

 白灘氏と同じように身分を名乗ったあと質問が始まった。

「まず、事件当時の状況を確認させてください。バーに入店してから、あなたはずっと赤沢さんの隣に座っていた。間違いありませんね。」

「ええ、そうです。ねえ、警部さん、やっぱり殺人事件なのかしら。」緑野氏が感情の読めない声色で聞き返した。

「現状では自殺の可能性も否めませんが――」

「それはあり得ないわ。絶対に。」緑野氏は即座に否定した。「あの子は『釈迦を金でひっぱたいて蜘蛛の糸を銅のワイヤーに挿げ替えさせるような女』 よ。」

 奇妙な例えだったが、警部は気にせずに話を前へ進めた。

「自殺の動機は何も無いということですか。」

「ええ、当然、金銭的困窮なんて無いし、失恋や病気で気を病むような性格でも無かったから。けれど、殺されそうな理由ならいくらでも思いつくわ。」

「ほう、その点を詳しくお話いただけますかな?」警部は驚きの色を乗せて言った。北府刑事もぐっと身を乗り出した。

 緑野氏は躊躇する様子も見せずに、一気呵成に話した。「ほとんどは、世間の想像通りですわ。私とあの子は女学校時代からの付き合いだけど、彼女は私たちとは天と地の差。もちろん経済力の話。それで、誰も彼女のわがままに逆らえなくってね。毎日のように、誰かが彼女の犠牲になっていたわ。退学した生徒や消息を絶った可哀そうな子たちも何人かいるわ。だから、まず同じ学校の生徒から恨まれていたのは間違いないでしょうね。大人になってからも、一度目の結婚相手を蔑ろにしたまま余所で遊びまわって、『婿入りしてきた身分だから、絶対に手を噛んだりはしない』のだと本人がよく言ってたわ。まあ、結局離婚ということになって “世間” から灸を据えられたわね。ええ、世間から。両親からじゃないわ。あの二人は甘やかすことしか知らないのね。とにかく、そんな性格だったから男の人からも恨まれていたのは間違いないわ。謙譲ということが毛頭ない身勝手な態度! つまるところ、会う人みんなに恨まれるような性格をしていたのよ。だから、計画殺人だとも限らなくってよ。」

 話は、事件当時の状況整理に戻った。

「あなたが被害者の異変に気が付いたのはいつごろのことでしょう。」

「二杯目の、たしかポロネーズというサクランボのお酒を飲んで、少し経った頃に『口の中がひりひりする』と言い出したの。あの子は舌がお子様で、おおかたアルコールの刺激のせいだろうと、その時は思った。――結局、三杯目のスクリュードライバーが出る頃には、マトモな状態じゃなくなって――必死に呼びかけたけど、意識は戻らなかった。」

 緑野氏が退出したあと、僕は嶌津さんに耳打ちした。「自殺の動機も無ければ、事故の可能性も低い。残されたのは衆人環視の中での毒殺のみ。しかも、どのグラスがどこへ行くかは誰にも分からないので、特定の人間を狙うことは困難――嶌津さんはどう思われます? まさか、バーテンダーとウェイトレスが共犯なんでしょうか。」

 僕が回答を求めると、彼はゆっくりと懐紙を取り出し{バーテンダーに不審な動きは無かった。}と書いた。

「ずっと見ていたのですか?」

 彼は小さく頷いた。

「そうか、早く飲みたくて仕方が無かったのですね?」

 彼は二度頷いた。

 ややかわいいと思った。

 そんなことは、どうでもいい!


(四)

 いかにも軽薄といった雰囲気の水口奏介という人物も、被害者の自殺の線を真っ向から否定した。入室するや否や「殺されたんだろ。」と笑いながら言うので、僕は不快の念を禁じえなかった。

「事件当時、あなたもバーにいらっしゃったのですか。」北府刑事が軽蔑を見え隠れさせる横でも、満願警部の朗らかな口調は変わらなかった。

「ああ、そうだ。あそこは値段の割に美味い酒を飲ますことで有名だし、祭りの後にゃタダ同然で酒が飲める。行かないヤツは馬鹿だね。」

「催しの最中、怪しい人物などは見かけませんでしたか。」

「さあねえ、俺はゲームに一生懸命だったんで、まわりがどんなだったかは知らないな。ただ、お嬢らの近くのカウンター席に座ってたんで、緑野がお嬢を呼ぶ声は聞こえてたぜ。そんで、犯人は白灘か? 緑野か? まさか青山か。」水口氏は露悪的に言った。

「まだ殺人と決まったわけではありませんよ。」警部は落ち着かせるようにして言った。「それにしても、その方たちには動機があるとお考えなのですか?」

 すると、水口氏は身を乗り出し、ぐっと声のトーンを落として話し始めた。それが囁き合うような格好で、僕にはちょっとした物音さえ問題になった。

「二年前、白灘は赤沢に惨めったらしく捨てられたんだよ。それまで散々良いように扱われて、とうとうあいつは犯罪者になった。それが、青山と再婚した時に警察に引き払われてサヨナラさ。」

「二年前?」と北府刑事が聞き返した。確かに白灘氏は「一年前に初めて被害者と会った」と言った。しかし、水口氏は言い間違いをしたわけでは無いと言って、さらに情報を付け加えた。

「赤沢の地獄耳が青山を通じて白灘のことを捕まえたんだろう。醜悪なせいで女が近寄らない哀れな男がいるってな。噂によりゃぁ、一年間は赤沢の奴隷だったらしい。」

「そうでしたか。では、そのまま教えてください。緑野さんや青山さんの動機とは何でしょう?」満願警部は、相手が話したがっていることを全て引き出す作戦に出た。

「緑野は、表向きは赤沢の親友だが、その実態は赤沢が問題を起こすたびに尻拭いに駆けずり回る小間使いのひとりさ。離れようと思えばいつでもできそうな立場にありながら、それをしないってのは、ありゃぁ何か弱みでも握られてんじゃなかろうかね。」

 僕は、赤沢氏の素行を非難する緑野氏の様子を思い返していた。そこには確かに、嫌悪や憎悪が込められていた。

「青山は男のくせに気の小せぇヤツで、妻に黙って飯を食いに行くこともできない軟弱野郎さ。日頃の恨みが限界に達してついぞ殺しちまったって可能性も無きにしも非ずなぁ。」そうしてまた、露悪的にけたけた笑った。

 水口氏と入れ替わりに入室した戸黒氏は、僕の見立てでは同窓生たちの中で一番まともな人だ。しかし、証人としての重要度は低そうに思われた。

 戸黒氏は黒縁のスクエア眼鏡を押し上げて、極めて単調な話し方をした。「私は、北方から復員してすぐ東北の生家へ帰りました。他の五人とは、中学時代の教師の葬式で久々に会って以来、会う機会もありませんでした。」

「それでも、今回の同窓会には招待されたのはなぜでしょう。」満願警部が聞いた。

「さあ、実は私にもよく分からんのですよ。」戸黒氏はあっさり言った。

 自殺説に関しても「有り得ないことでもないでしょう。能天気に見えて、人一倍心配性な女性を見たことがあります。」と、ありきたりな一般論を答えた。

「事件当時どこにいましたか?」

「バーの奥の方の一人掛け椅子です。」

 最後に、夫の青山氏が呼ばれたが、その証言は精神的ショックからか支離滅裂を極めたので、僕の方で整理しておく。

 青山氏は〈赤沢グループ〉の傘下企業の跡取りで、被害者と面識を持ったのは三年前で、婚約したのが二年前……

 事件当時は現場にいなかった……


 ――今、ようやく列車が運行を再開した。

 満願警部たちと別れて最初に食堂を出ると、待ち構えていた相沢たちの質問攻めに遭った。僕は、海で遊ぶ前にすっかり草臥れてしまった。

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