引きこもり王子は全てを手にする
「ルーサ様、頭を打ち付けるのはお止め下さい」
私は、王宮の柱にゴツゴツと頭を打ち付ける王子に、何度目になるかわからない注意をしながら「失礼致します」と、そっとその額に手の平を押し当てガードした。
周りの者は、既に見慣れたその光景に、何の感情も動かさない。
まるで、私とルーサ様が透明人間であるかの様に。
***
私がお仕えするルーサ様は、この国の第3王子にあたる。
私は女性騎士として元々恩のあった第3王妃であるルーサ様のお母様に仕えていたが、王妃様が亡くなったと同時にルーサ様付きとなった。
ルーサ様は、幼い頃からとても聡明で賢く、王位継承権が3番目であるのは惜しい、と日々有権者から言われていた。
ところが、ある日……ルーサ様が8歳になられた日、王宮内であるにも関わらず、毒物を摂取してしまった。
ルーサ様の利発さに、王位を危ぶんだ第1王子か第2王子、もしくはその母親である第1王妃か第2王妃の仕業であろうと誰もが思ったが証拠がなく、捕まった犯人は獄中で直ぐに死亡した為、真相は闇に葬られた。
毒を摂取し、高熱に一週間うかされたルーサ様は、奇跡的になんとか一命をとりとめたが……目を覚ましたルーサ様は、それまでのルーサ様とは全くの別人になっていた。
知恵遅れ……差別用語ではあるが、白痴になっていたのである。
柱を見れば、頭を打ち付ける。
同じ事を、何度も聞く。
文字が書けない、読めない。
外で全裸になろうとする──などなど。
全てが以前のルーサ様ではあり得ない行動に、国王や王妃、他の王子王女は気味悪がって近付く事がなくなった。
更に一年二年経っても回復の兆しが見えないご様子だった為、他の護衛騎士や側仕えしていた侍女達が、本人達の希望でルーサ様以外の王族に仕えるようになった。
第1王妃様の子供は、第1王子と第2王女。
第2王妃様の子供は、第2王子と第1王女、第3王女。
第3王妃様の子供は、第3王子のルーサ様だけだった。
ルーサ様が変わられてしまい、王位継承権争いは実質第1王子と第2王子で繰り広げられた。
私は、賢く利発なルーサ様も好ましく思っていたが、変わられた後のルーサ様も実は好きだった。
ルーサ様の奇行と呼べる行動は、人目が多ければ多い程出ていたから、二人きりの時間はのんびりしたものだった。
川に小石を投げたり、木の幹に体当たりして夜露を落としたり。
本を読む事がなくなり、その為に出来た時間を使って、子供の様に泥だらけで力一杯遊ぶ毎日。
命が狙われる事ももうなく、ついに護衛は私一人となり、長年勤めていた侍女も退職する事になって、身の回りのお世話も私がする事となった。
家庭教師は早々に来なくなったので、家庭教師の真似事も、恐れ多い事だが私が代わりをしていた。
私は孤児の生まれだった為、読み書きや計算は苦手で、地理や歴史、マナーや社交界についてもそれまでは全くわかっていなかった。
だから家庭教師と言うより、紙をぴらぴらさせて退屈そうなルーサ様の横で、ルーサ様に与える問題を解くのに頭を抱えて悩み、図書館へ調べに行ってやっと答えらしきものにたどり着き、ルーサ様にお伝えしてはパチパチと拍手をおくられる、という非常に問題だらけのやり方であった。
しかし、いつかルーサ様に知識欲が芽生えた時の参考になればと、無駄に思えるこうした行動も止めることが出来なかった。
この国の国王は、賢王と呼ばれた前王が若くして亡くなった為に、母親の血筋貴族から傀儡の様に育てられた、たった一人の王だった。
政治には興味がなく、享楽主義。
けれども貴族の力が強くなる事だけは恐れ、貴族間の婚姻には人一倍臆病で、権力が巨大になりそうな縁談は片っ端から潰していく。
唯一幸いしたのが、母親の反対を押し切り、第2王妃様と第3王妃様を娶った事。
第1王妃様だけは母親の血筋の貴族であり、他のお二人は全く関係ない。
国王の政治的思惑等はなく、無類の女好きという、ただそれだけで美人と名高い二人を捕まえた事は誰もが知っている。
前王に忠誠を誓って何とか水面下で派閥争いを抑えていた頼れる将軍が、とうとう現国王に見切りをつけたのか、43歳という若さで将軍職を辞して、どこかの田舎に引っ越し、隠居生活を楽しんでいるという。
将軍さえ残ってくれていれば、もしかしたらルーサ様の暗殺未遂事件は未然に防げたかもしれないが、それは起きた後でどうこう言っても仕方のない事である。
ただ、将軍は前王にそっくりな容姿のルーサ様をとても可愛がっていたから、逆に今のルーサ様の状態が耳に入らない事はある意味良かったのかもしれない。
***
そんなルーサ様も、10歳までは王宮にいた。しかし、それも終わりを告げた。私が20歳の時である。
……それは突然の様でいて、当然だったのかもしれない。
きっかけは、ルーサ様の質問だった。
「ね、るでぃあ。るでぃあなんで剣?」
「ルーサ様。私が剣とは?」
ルーサ様の質問は、少し分かりにくい。けれども、ルーサ様が聞く意欲を削がない様に、丁寧にわかるまでこちらも聞く事にしていた。
「るでぃあなんで剣?もってる?」
「元々騎士だからです」
つい、笑ってしまう。元々も何も、私は昔も今も、騎士だ。
ただ、業務内容が他の騎士とは大きく異なり、侍女の仕事も教師の真似事も出来るようになっただけで。
「剣、聞いた?」
「聞いた?」
「るでぃあ、誰、剣、聞いた?」
「あぁ……そうですね、私は騎士団所属なので、先輩方に色々剣の扱い方を教わりました」
「誰?」
「今はおりませんが、元将軍だったカッシード様とかですね」
カッシード将軍の他に、今は亡き、大変お世話になった女性騎士の美しい顔が頭を過って少し胸が痛んだ。
「カッシード?」
首を傾げる姿に、再び胸が痛む。
8歳になる前、カッシード様が現役だった頃は、よく剣の稽古を付けて頂いていた。ルーサ様もカッシード様にとてもなついていた。
「カッシード、どこ?」
「カッシード様は、田舎にお引っ越しされました」
「あいたいな」
その時、ノックもされずにルーサ様の私室のドアが開いた。
「……それは丁度良いじゃないか。ルーサもこう言っているんだ、そろそろ王宮からこの阿呆をつまみ出してくれよ」
「……ルドルフ様」
私はルーサ様の部屋の隅に移動して片膝をおり、反対の手を胸にあて、深く頭を下げる。
「王には既に許可は頂いた。ただし、住みかと食うに困らない程度の金は配分してやれって言われたからさ、何処に行きたいか一応聞きにきてやったんだ」
王も俺も本当に心が広いよな、と続ける第1王子に、私は何を言う事もする事も出来ない。
第1王子のルドルフ様は私と同い年の20歳。
食べる事が大好きで、鍛える事もしない為にお腹が大分出てきたのを最近になって気にし出したらしい。
頭を深く下げてルドルフの体型に思いを馳せていると、私の視界に靴が入ってきた。と同時に、髪を掴まれ顔をあげさせられる。
「……っ」
「お前の名前、なんつったっけ……?お前もさ、俺のところで可愛がってやってもいいんだぜ?」
ニヤニヤ笑いながら、私の身体を上から下まで舐め回す様に見た。
「ぼくも、かわいがって~」
空気の読めないルーサ様が、ルドルフ様にしがみついたので焦る。
「!!触るなっっ!!」
「ルーサ様!!」
ルドルフ様が、ルーサ様の身体を手で思いっきり払ったので、私は髪の毛がブチブチと切れるのも構わず、咄嗟にルーサ様の腕を掴んで転がる前に引き上げ、腕の中に抱き締めた。
……地味に、頭が痛い。
しかし、胸はもっと痛い。
まだ10歳と幼い弟なのに。この方は。
「有難いお話です。……しかし、私は第3王妃様に、ルーサ様を頼まれておりますので……残念ですが」
「……ふん、お前みたいな行き遅れの、やたら筋肉ついて抱き心地の悪そうな女、相手にしねーから安心しろよ」
「は、失礼致しました」
「ルーサ、お前何処に行きたい?」
「ぼくねぇ、カッシードのところ~」
「…わかった、王に話して手配する。二度と戻ってくるなよ?」
「はーい!」
こうして、ルーサ様は王宮を追い出される事となった。
***
ルーサ様と、王から手配された住まいに簡単な……本当に簡単な荷物だけを持って、引っ越しをした。
初めてそれを見た時、目眩がした。これが、仮にも王子に与えられる住まいなのかと。
屋敷では決してない。掘っ立て小屋とまではいかないが、普通の民家である。
私は元々孤児だから気にしないが、ルーサ様が不憫でならなかった。
「わあ!これからここがぼくの城!!」
ルーサ様は、無邪気に喜んでいる。
私は軽く家を調べて回った。
衝撃的な問題があった。
私は、ルーサ様を守る為に一緒に暮らす予定だった。
当然、使用人室位は備え付けられていると思っていたからだ。
しかし、誂えられた家は
「一部屋……」
まさか、である。
広さはそこそこあるが、見事に一部屋しかない。
トイレ、お風呂は別と言えば別だが、ダイニング兼寝室兼居室が一つしかないのだ。
これには流石に頭を悩ませた。
近くに掘っ立て小屋を作る能力もなければ、金もない。
二人で二部屋以上の家に引っ越しするにも、やはり金がない。
「困った……」
「るでぃあ、どうしたの?」
「……いえ……」
野宿だろうか?
金がたまるまで、テントだけ購入して、私が外で暮らせば問題ない。そうと決まれば、簡易テントを買いに行かなければ。
「ルーサ様、大変申し訳ございません。少しご一緒に、テントを買いにお付き合いして頂けないでしょうか?」
「なんで?」
「私の、家を」
「なんで?ここ、一緒に住も」
「それは……」
「るでぃあ、一緒、いい。ひとり、さみしい」
「……」
結局、私はルーサ様の泣き落としと自傷行為をやめさせる為に、テントの代わりに天井につけるレールと、部屋を仕切るカーテンを買いに行ったのだった。
***
それから、早いもので5年。
ルーサ様は、この田舎に来てからというもの、毎日カッシード様の家に入り浸っていた。
そして、私はルーサ様の送迎時間以外は街へ働きに出ている。
王から配分されるお金は、毎月なんとか送金されはするものの、本当に二人分の(贅沢をしないレベルの)食事代のみの金額だった。
しばらくは私の貯蓄を切り崩して生計を遣り繰りしていたが、このままではルーサ様に新しい服すら買ってあげられない。
私は恥をしのんで、カッシード様にルーサ様を預かって下さる様にお願いしたら、快く引き受けて下さったのだ。
カッシード様は、ルーサ様をよく外に連れ出して下さる様で、私が自警団の仕事で外回りをすれば、たまにルーサ様を見かける事があった。
私と一緒にいると、まだまだ幼いご様子のルーサ様だが、何故かカッシード様と一緒にいる時のルーサ様は、年相応の……いや、年以上に大人びた表情をしていたので非常に驚いた。
そして、そんなルーサ様にも反抗期?というものがきたらしい……
「やだ、やだ、なんでそんな事いうの?ぼくの事、るでぃあ、嫌いになったの?」
ルーサ様は、この5年で随分流暢にお話が出来るようになっていた。とても嬉しい成長だ。
「違いますよ。ルーサ様も、もう15歳になられるのです。いつまでも私と一緒にお風呂には入れませんし、私と一緒のベッドで寝る事も出来ません」
「やだ、なんで?」
「ルーサ様は男性、私は女だからです」
「違ったら、だめなの?」
「……結婚してなかったり、お付き合いをしていない男女がする事ではございません」
「じゃ、結婚する」
「……無理です」
「やだ、結婚する」
「無理です」
「やだ、ぼくの事、るでぃあ、嫌いになったの?」
延々とこの会話を繰り返している。
8歳の頃のルーサ様は、自分の身体を洗う事も出来なかったが、田舎に引っ越してきてから、色々と出来るようになってきた。
今では、問題行動を起こす様な事もなく、簡単な食事を作る事すら出来るのだ。
私は元々口下手な方なので、面倒な言いあいをするより折れる事の方が多い。
しかし、流石に私も折れる訳にはいかなかった。
「ルーサ様は、もう立派な男性なのです。……この前、あの……朝に……」
ルーサ様に、とうとう精通が訪れた。
とは言っても、私が知らなかっただけで、本当はもっと前かららしいのだが。
ともかく、一緒のベッドですやすや寝ていたら、子供だと思っていたルーサ様の元気なナニが手に当たって私は朝っぱらから悲鳴をあげた。
処女ではないが、数える位しか経験がない経験不足の女には荷が重すぎる。
子供だと思っていた息子の部屋でエロ本を見つけた母親の気持ちと同じような大打撃を食らったのは間違いない。
ともかく、第3王妃様の墓前で切腹しなくちゃいけないんじゃないかと思った。
切腹する前に、カッシード様にルーサ様の性の悩み相談をしに行き、「私に任せなさい。ルディアのせいでは決してない」と慰めて頂いた為に、まだ命は繋いでいるのだが。
「と、とにかく!!もうダメですっっ!!」
私が購入してきた簡易ベッドへさっさと逃げ込めば、ルーサ様がするりと私の後ろのスペースに入り込み、後ろからギュッと抱き締めてきた。
狭い。身動きひとつ取れない。
「ルーサ様っ!!ダメだと言いましたよね!?」
「ぼく、うんって言ってないよっ」
ルーサ様も、可愛らしく頬っぺたを膨らませて「ぷりぷり」を表現している。
我が子ながら(我が子ではないが)、15にもなるのに可愛くて笑ってしまいそうになるのを、自分で叱咤した。
ここで流されてはいけない。
けれども、口が達者とは程遠い私は途方に暮れる。
どう言えば、ルーサ様の心を傷付けることなくわかって貰えるのだろうか。
「ルーサ様……」
「ぼく、今日、カッシードから色々聞いた。けど、まだ結婚出来ないから、もうちょっと待っててね」
何を待つのだろうか。
「ルーサ様。一緒にお風呂入れなくなっても、一緒のベッドで寝られなくなっても、私はルーサ様から勝手に離れたりは致しません。ルーサ様がご結婚されるまで、ご結婚された後も、ルーサ様が望めばお仕え致します」
私がルーサ様に抱く感情は、手間のかかる弟の様な、唯一無二の存在だ。
ずっとずっと守ってきた、大切なお方。
湯船に浸かった時も、初めは私が後ろからルーサ様を見ていたのに、いつの間にかルーサ様が後ろになった。
気付けば、ルーサ様から見下ろされる様になった。
ぷにぷにと柔らかかった手のひらは、ゴツゴツと剣だこが出来るようになった。
足の脛毛は目立つ様になったし、これからは髭もはえてくる事だろう。
中身は幼くても、外身は変わっていく。
それはルーサ様が無事に何事もなく成長した証として嬉しい事だが、同時に寂しくも感じるのは何故だろうか。
「あと、さんねん、待ってね」
ルーサ様は、私のうなじにキスをした。
***
それから3年が経過し、ルーサ様の18歳の、誕生日。
一足先に28歳の誕生日を迎えた私は、当然の様に恋人もなく家族もなく過ごしていたが、それでも幸せに暮らしていた。
28歳………大変お世話になった、シュリー部隊長が交通事故で亡くなった年だ。
カッシード様が養子に貰ったという子供達と最近会う機会があったが、シュリー部隊長にそっくりで驚いた。
私はもう、あの頃のシュリー部隊長の年になってしまったのだな、と思う。
「ルディア、お待たせ」
「ルーサ、様……?」
今日は自警団の仕事を休み、朝からカッシード様の家に向かったルーサ様を見送ってから、誕生日祝いの飾り付けやらご馳走作り、ケーキ作りに励んでいた。
しっかり準備を終えた18時きっかりに、ルーサ様がご帰宅される。
もう、私が送迎などしなくてよい程に、ルーサ様は成長していた。
ルーサ様の笑顔に、違和感を覚える。
「はー、長かった。やっとカッシードからOK出たよ」
「……はぁ。え?ルーサ様?」
「ルディア、今日はお祝いありがとう。丁寧な飾りつけに、ゴージャスな食事。多分冷蔵庫にケーキだよね?そしてプレゼントも用意してくれてるんだってわかってる」
「え?え?ルーサ様ですよね?」
「うん、そう。今日は張り切って準備してくれたんだとわかってるんだけどさ、俺、もう、我慢の限界」
俺!?
俺!?
ルーサ様じゃ、ないのかしら??
「ルディア、いい加減食べさせて」
そう言って、ルーサ様の偽物?は私を抱き抱えてベッドに放り投げた。
「わっ……!!あなた、誰ですかっ!?」
「だから、ルーサだよ。間違いない。……ルディア、まさか……処女じゃ、ない?」
「あ、はい。経験は少ないですが、一応……あぅっ!!」
「……くそっ、俺が知らない間に奪われやがって……まぁ、いい。これから嫌でも俺に馴染ませてやる」
わ、私の、天使の様な微笑みのルーサ様はいづこへ!!
目の前の、小悪魔的な笑みを浮かべる口の悪い男は誰ですかっっ!!
私が唖然呆然としている中、ルーサ様?は、私の上から覆い被さりながら、興奮した様子で私の着衣を易々と脱がせた。
「ルーサ、様……っ!」
知らない男に組み敷かれている様で、ぞわりと鳥肌がたつ。
それと同時に、明らかに欲情している彼がこの国の王子だということを思い出す。
「ルーサ様、私なんかで処理をしては……!!」
「ルディア。俺が抱きたいのは、昔からルディアだけだ。長かった……やっとこの手で……」
「ルーサ様、あなたは王子です……おやめ下さい」
間違っても、王族であるルーサ様の子種が孤児の私なんかに撒かれる様な事があってはならない。
「なんで?夫婦ならいいんだろ?」
18歳のルーサ様は、15歳の時と同じ様に言った。
口調は違うけれども、間違いなくルーサ様だと安心して、つい微笑んだ。
微笑んだ私を見て、それを是と勘違いしたのか……ルーサ様も微笑み、そのまま行動を起こした。
私が騎士で、下手に体力があったのもいけないかもしれない。
空がしらむまで付き合った私は、次の日ほぼまる1日眠っていたらしい。
夜、起きると。
ルーサ様は、いなかった。
***
しばらくルーサ様の帰宅を待ったが、ルーサ様が戻る様子はなかった。
冷めきった前日のディナーは、ルーサ様は食してくれたのか、きっちり私の分だけが冷蔵庫におさまっていた。
夜分に失礼だとはわかっていたが、焦りからガクガク震える足腰に鞭を打ち、たどり着いたカッシード様のお屋敷には、カッシード様もルーサ様も、いなかった。
……代わりに、会いたくて、けど二度と会えないと思っていたお方に会う事が出来た。
シュリー部隊長だ。
「ルディア、今まで会えなくて……力になれなくて、すまなかった……」
深く頭を下げたシュリー部隊長は、死亡した事になっているが、実はカッシード様の奥様であるという。
色々事情があったらしい。
恐らく、今の王が巨大な権力を持ちそうな貴族間の婚姻を許可しないことと関係あるのだろう。
「今、カッシード様はルーサ様と……他の仲間達と共に、王宮へ向かっている」
「え!?」
「ルディアは、ルーサ様にとって、アキレス腱なんだ。……心配するだろうし……何故自分を連れて行ってくれないんだ、という憤りも私にはよくわかる。だが、今回だけは……ルーサ様と、国の為に我慢してくれないか?」
シュリー部隊長……シュリー様は、そうおっしゃって、再び頭を下げた。
大変お世話になったシュリー様にそう言われてしまっては、私は何も言えない。
「……わかりました」
そう、答えるしかなかった。
それから、3ヶ月後。
ルーサ様と、カッシード様が戻られた。
ルーサ様は、無血で王位をもぎ取ってきたらしい。
後援者として、カッシード様がお供したとの事だった。
第1王子だったルドルフ様が既に実質国を回している状態で王位を継ぐ予定だったが、実に腐敗しきっていた政治が更に悪化し、不平不満が国民にも広がり、各地で今にもクーデターや一揆が起こりそうな状態であった。
そこに、皆から慕われ賢王と呼ばれた前王そっくりなルーサ様がカッシード様を引き連れて登場した為、貴族達はあっさりとルーサ様に寝返った。
元々、カッシード様がルーサ様を連れて、主要な貴族には根回しをしていたという。
牢に入れられていた第2王妃様と第2王子を救い出して恩を売り、かわりに第1王子を悪政を敷いた罪で牢に入れた。
無血と言われたが、実は無血ではなかったらしい。
ルドルフ様と対峙したルーサ様は、一番に
「そういや、8年前にルディアの髪を掴んだよな?俺の女に触ったその腕、寄越せ」
と言って、ルドルフ王の右手を手首から切り落としたという。
賢くない貴族は、それで戦意喪失して寝返った。
ルドルフ様も、似たようなものだったという。
カッシード様がいた時点で、近衛隊すらルーサ様側についたというから、どうにもならないと諦めも早かったのだと思う。
「お、順調に育ってるな~♪」
久々にお会いしたルーサ様は、私のお腹を撫でながらニコニコと笑った。
妊娠3ヶ月。
まんまとあの一日で出来た子だ。
すくすくと育つルーサ様のお子を、私なんかがどうこうする事も出来なかった。
ルーサ様は、ルーサ王となった。
私の可愛くて守ってあげたいお方は、何処にもいない。
いや、元々いなかったのだ。
8歳で、命を狙われたルーサ王子は、自分が今後狙われない様にする為に、役者顔負けの演技でどうにか生きのびた。
人が多くいる場所でこそ、「奇行」をしたのだ。
10歳でカッシード様のお屋敷に通える様になってからは、着々と剣技に帝王学に色々学んだという。
よくカッシード様に連れ出して頂いては、カッシード様のツテで足場固めを行った。
私の前では、必ずルドルフ様からの斥候が見に来るだろうと踏んで、変わらず白痴を演じ続けた。
「10歳の身体では、20歳の兄には勝てなかったからな。剣技的にも体格的にも、問題なく勝てる歳。カッシードに言われたそれが、18歳だったんだ」
ルーサ王は、王宮への馬車の中で、嬉しそうに私の髪に顔を埋めた。
「ルディアは、俺のたった一人の妻だ」
「……え?妾では!?」
「ははは、そんな訳がない」
「私は、孤児です」
「そうだな。一度、カッシードに頼んで貴族にしてもらう必要はあるかもしれんが。ルディアが孤児である事は、貴族受けは最悪でも、国民受けは良いと俺は思うんだがな。外交するのにルディアが嫌な思いをしても良いのかとカッシードに言われたからな」
「……ルーサ様」
「ん?なんだ、ルディア」
「私、もう28歳なのですが」
この国では、行き遅れもよいところである。
「そうだな」
「もっと若い妻を、娶って下さい」
「うーん……ルディアにこれから頑張って貰って、無理だったら考えるとするよ」
別に血筋なんて気にしないし、こうでも言わないと私が素直に首を縦に振らないだろう、とルーサ王が考えていたなんて知ることもなく、ははは、と朗らかに笑うルーサ様を私は見る。
「利発で賢いルーサ様」が成長したらこんな感じだろうなと不思議に思った。
「……私は、どちらのルーサ様も好きでした」
「知ってる。だから私には、ルディアしかいない」
「少し寂しく感じますが、今のルーサ様も、直ぐに好きになってしまうのだとは思います」
「そうだな。ルディアにも、私しかいない」
「ふふふ、そうですね」
「さて、無事に夫婦になったのだから、これからは風呂もベッドも一緒だぞ」
というルーサ王に、私は笑って応えた。
こうして田舎に引きこもっていた王子は、王座も、愛する女も、その子供達も……全て手に入れたという。
いつもブクマ、ご評価、大変励みになっております。
また、誤字脱字も助かっております。
数ある作品の中から発掘&お読み頂き、ありがとうございました。