答える必要はない
グリフィン商会の本部へ帰っていく馬車の中で、百合花はずっと考えていた。
どうすれば勝てただろうか、どういう鍛錬をすれば彼――アンドレイアを倒せるだろうか。
生まれ持った肉体の機能がそもそも違う、異質な強さだった。
「百合花さん、逆鱗を返してもらえてよかったですね」
「……ん? うん、そうだね」
仲間のひとりが、気の緩みからか、そう発言する。
返してもらえた、という言い方はあまり良くない。
それに、まだ商会へは帰りついていない以上、仕事は終わっていない。
「ケリィはクビらしいって噂ですよ。普通の鱗と逆鱗を間違えて発送してしまうなんて、会長が許すはずありませんから」
「あの人はそこまで厳しくないよ。まあ、逆鱗が戻って来なかったらクビになってただろうけど、こうして取り戻したわけだしね」
「百合花さんがそう言うなら、きっとそうなんでしょうね。俺も会ってみたいなあ、会長」
「ははっ、もっと手柄を立てて地位が上がったら会えるんじゃないか?」
「難しいですね」
彼は自嘲気味に笑う。
「それにしても、今回は危なかったんじゃないですか? 俺が彼らに逆鱗のことを伝えていなかったらどうなっていたか……」
その言葉に、百合花は眉をひそめる。
「――どういうこと?」
「あの店の従業員だって男が来て、鱗のこと聞いてきたんですよ。事情があるなら協力したいと。そこで逆鱗のことを教えたら、いらないから返すって」
彼の軽率な行動に呆れながらも、なぜあれほど簡潔に事が進んだのか、納得がいった。
元よりこうして借りを作るつもりだったのだ。
「……それって、僕が戦った金髪の彼じゃないよね?」
「銀色の髪でした。ここら辺じゃあまり見ない人相でしたね」
「それで、どうした? どんな話をした?」
「逆鱗のことくらいですよ。あとは世間話くらいで……」
「世間話の内容を話せ」
百合花の意外な食いつきに、彼は面食らっていた。
その瞬間、彼の首筋にナイフが突き刺さり、血が吹き出す。
完全に意識の外にいた、もうひとりの仲間が、緊張の面持ちで彼の口を封じたのだ。
「……これは、何だ?」
「すみません、百合花さん。俺たち、グリフィン商会、抜けます」
「たち?」
彼は胸に刺繍されている、商会のエンブレムを剥がした。
その下には、オオカミの絵が描かれている新たなエンブレムがあった。
さっきから、馬車が停まっている。
引いていた馬の気配も消えている。
町についたわけでもなく、ここは街道の真ん中だ。
外は夜闇で何も見えず、灯りは馬車の中の小さなランタンしかない。
「――裏切りか。僕を相手に?」
「ええ。その逆鱗は、我々が頂きます」
「ふうん……。その様子だと、これが何か、知っているんだね」
返事はない。
彼からしてみれば、百合花とこの狭い車内での状況は、いつ死んでもおかしくないものだろう。
外から大勢の気配がする。
どうやら馬車は完全に囲まれているらしかった。
「渡してください。百合花さんを殺したくありません」
「今日はよく舐められる日だなあ。僕ってそんなに弱いと思われてるの?」
「いえ、強いと思っているから、ここで確実に殺すしかないんです。協力してくれないのなら……」
彼はシャツを脱ぐ。
胴体には赤褐色の竜の鱗が巻き付けられていた。
「これが作動すれば、半径五十メートルは爆破により蒸発します。さすがに耐えられないでしょう?」
「君が命をかけていることはわかったよ。でもこれは渡せない。グリフィン商会のものだ」
「どうしてそこまでして商会に肩入れするんですか。我々は会長にだって会ったことがないんですよ」
「君たちは、ね。彼は臆病だから、自分の居場所を知られることを何より恐れている。でも確かに、僕を含めた幹部の何人かは直接命令をもらっているよ。それより重要なのは今の状況だ。君たちが、何人いたとしても、僕は粛清しなければならない。仕事だからね」
百合花が立ち上がると、彼は身構える。
「そんなに怯えなくてもいいよ。君だってわかってるだろ? ここでそんなことしたら逆鱗ごと木っ端みじんだ。だから君は――」
言葉の途中でバイフゥは一気に距離を詰めて、掌底で彼の顎を打ち上げる。
一撃で、彼はその場に崩れ落ちた。
「使えないんだよ。命をかけてるんだからさ、話なんてしてる場合じゃないでしょ。もっと考えて行動するように」
馬車の後方から外へ出ると、三十人ほどの男たちが取り囲んでいた。
「我々は新たなる組織『マルコシアス』。グリフィス商会は我々が乗っ取る」
「やる前にひとつ聞きたいんだけど、君たちのリーダー、誰?」
「答える必要はない!」
彼らは一斉に襲い掛かってきた。
手には剣や槍、鎚、斧。
人ひとりを殺すにはやけに武装しているが、バイフゥにとっては、それでも対等になり得ない。
武器を振るう間もなく、近くにいる人間から順に、素早い動きで制していく。
明るくても暗くても、集団相手は一対一より楽だ。
彼らは訓練を受けていないから、すぐに同士討ちの距離まで詰めてきてしまう。
詳しい事情を聞き出さなければならないため、殺しはしないが、すぐには立ち上がれないよう、一撃で骨折か脱臼を狙う。
それに逆鱗を懐に入れていることが、保険として働いている。
敵は大規模な無差別攻撃には出られない。
そう思っていると、風を切る音が聞こえ、咄嗟にしゃがむ。
(矢!)
短い悲鳴から、誰かに刺さったようだが、この暗闇で確認している暇はない。
彼らも巻き添えは覚悟しているようだ。
盾にするもやむなしか、と覚悟を決めたところで、奥の方に松明が見えた。
「おーい! そこに誰かいるのか!?」
知らない声だ。
松明はいくつか見える。
夜間巡回中の警備、衛兵か。
『マルコシアス』の中にどよめきが走っている。
彼らにとっても予想外のようだ。
しかし、これほど大規模な襲撃作戦を立てるにあたって、衛兵のスケジュールも調べずに襲ってきたのか。
「……どうする? 続けるかい? 半分以上残ってるんだから、今ならまだ、怪我人連れて逃げられるだろ?」
百合花が呆れながら言うと、彼らは苦々しい表情を浮かべながらも、負傷した者を抱えて森の中へ消えていく。
松明の灯りが近くなると、きちんと武装した衛兵が六人でやってきていることがわかった。
「どうしたんだ!? その馬車は!?」
「――野盗に襲われましてね。怪我はないんですけど、仲間をひとりと馬をやられてしまいまして」
馬車を引いていた馬は恐らく毒を飲まされていたのだろう。
ぐったりと横に倒れていて、動く気配はない。
衛兵たちは少し言葉を交わすと、別れて野盗の痕跡を探し始めた。
ナイフで首を刺された仲間は息絶えていたようだ。
「こんな夜更けまでお勤めご苦労さまです。助かりました」
「……奇妙な通報があったのだ。今夜ここで馬車の襲撃が行われると」
「誰からですか?」
「それが妙な男でな。顔は隠していたが背が高くて怪しい雰囲気のある男で、名乗らなかった」
「よくそんな人を信用しましたね」
「我々の仕事も万が一があってはならないからな。何もなければそれで良し、としている。結果を見れば、信じてよかった。おかげで君を助けられた」
「……そうですね」
実に計画的な犯行だった。
裏切ったとはいえ、仲間だった人間の命を奪うことに躊躇がないところを見るに、元の関係に戻るつもりはないようだ。
通報と襲撃は無関係の偶然ではないだろう。
あまりにも引っかかることが多すぎる。
先程部下が口を滑らせた銀髪灼眼の男。
セシリア装飾店に突然現れた並外れた強者アンドレイア。
(あの町で何が起こっている?)
代わりの馬車を用意するにも、もう一度、町に戻る必要がある。
いや、戻るための理由ができたと言った方がいい。
この逆鱗は貴重すぎて他人の手には託せない。
それに、逆鱗を狙った者から襲われる可能性も出て来た。
自分だけならどうにでもなるが、先のように他の者が巻き添えを食うのは面白くない。
「――どうした? 頭でも打ったか?」
「あ、ああ、いえ、大丈夫です。すみません、馬車の片づけをお願いしてもいいですか? 費用はグリフィン商会へ請求してください」
「それは構わんが、積み荷はどうする?」
「果物と飲み物くらいで大したものはありませんし、馬車と一緒に焼却処分してください。さすがにまた手配するとなると、コストがかかりますので」
「もったいないが、商人らしい判断だな。承ろう」
「それと、松明を一本頂いてもよろしいですか?」
「ああ、暗いしな。行く宛てがあるのか?」
「ええ、町へ戻ります」
「誰かつけよう」
「いえ、結構です。僕だけなら襲われても逃げられますし」
彼はその返答にあまり納得していないようだったが、百合花が頑なに同行を嫌がるため、渋々諦めた。
夜道をひた歩き、明け方を迎えるころ、百合花はまたあの町――グロックへと帰りついた。




