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君はもっと強くなれるよ

百合花は、その姿が先程までと別人だと感じた。

彼は鋭い観察眼を持ち、良い反射神経と運動神経を持っている。

しかし、武術に対する知識は薄い。


素人が武術家に勝つには、圧倒的な体格差や筋力など、突出した何かが必要だ。

彼は見るところ、力自慢でもなければ、異常に大きいわけでもない。


しかし、それでもまだ“何か”を隠し持っている。

表には出ない肉体の性能、得体のしれない武器だ。


まるで気絶しているかのような表情の彼に、百合花は攻め込めずにいた。

明らかにこちらが勝っているのに、まるで勝っている気がしない。


そして、どんな打撃を放とうとも、後の先をとられる予感が拭えない。

踏み込むと同時に、狩られる気配がする。


冷や汗をかくなど、いつぶりだろう。

ほんの数秒が、永遠にも感じる中、先に動いたのは百合花だ。


恐らく、後の先はとられる。

もうそれは仕方がないことなのだ。

だから、その後、負傷覚悟で、二回目の攻撃を確実に入れ、気絶させて倒す。


――百合花の足運び『震脚』は、決して遅くはなかった。

だが、足を上げた瞬間に、アンドレイアが間合いを詰めた。

脱力による特殊な重心移動で、身体の重さを速さに変え、地面すれすれを滑るように迫る。


百合花は咄嗟に彼の頭部に膝げりを合わせようとした。

その判断は間違いではないはずだった。

低姿勢で足を掴みに来る相手には、これが一番効く。


しかし、アンドレイアはそれを完全に見切っていた。

顔を掠め、百合花の膝が空を切る。


(しまっ――――)


残った軸足に彼の手が伸びる。

百合花は掴まれる前に跳躍した。

それがいけなかった。


「地面から離れたな」


おかしなことに、一瞬の間に、はっきりと、彼の言葉が聞こえた。


足運びによる力の移動を見抜いていたのか。

仮にそうだとしても、普通はこんな戦法が成功するはずない。


たった数センチの跳躍、一秒にも満たない時間で、アンドレイアが構え直していた。

空中で体勢を完全に崩している百合花には防御する手段がない。

腹部に向かって、槍のように一直線に放たれた拳が突き刺さる。


「――『鐘楼突き』」


拳は確実に人体の急所『水月』へ入った。

百合花は一撃で肺の中の空気を失い、地面を転がる。

視界がちかちかと点滅を繰り返す。


怪力ではなく、針の穴を通すような精密な打撃。

彼の武器はそれを為す異常なまでの正確さだ。


(こ、呼吸を……)


頭を上げると、そこにはすでにアンドレイアが立っていた。

その眼差しは虚ろだが、意識は保っている。

百合花の攻撃が効いていないわけではない。

楔は確実に刻まれている。


愚かにも間合いに入って追撃をしないアンドレイアは勝ちを確信しているに違いない。

百合花は呼吸を回復させるよりも、最高速の一撃を彼に放つことを優先した。

最初から二撃目で沈めると決めていた。

このあと酸欠で倒れたとしても、少しでも長く意識のあった方が勝ちだ。


(麻痹大意!)


倒れた状態から足で彼の足を挟んで転ばそうとさせる。

普通ならこの崩しには耐えられない。


しかし、まるで地面に根でも張っているかのように、彼は微動だにしなかった。

力か技か、理由がまるでわからない。


彼は油断しているのではなかった。

素早く脛を拳で軽く叩き、一瞬の硬直で拘束を解き、百合花の右足をがっちりと抱え込む。


「よいしょお!」


彼はのけ反るようにして、百合花を思い切り投げ飛ばした。

その際に、右足に激痛が走る。


もう受け身をとる体力もなかったが、反射的に顎を引いて、顔面が潰されるのは防げた。

しかし、地面に額を強く打ち付け、そのあまりの衝撃に、今度こそ視界が暗転する。

意識を保つことができない。


(いつぶりだ……こんな負け方を……)


本能的に負けを認めた途端、身体がまるで鉛の塊のように重たくなる。

その後、百合花が立ち上がることはなかった。






百合花が次に目を覚ますと、そこはベッドだった。

宿ではなく、どこかの民家のようだ。


「く、が、がはっ!」


息を吸おうとすると、思い切りせき込んでしまう。

その声を聞きつけたのか、扉をノックされる。


「あ、あの、入りますよ」


声は女性だった。

喉の調子が戻らず、返事をできないでいると、扉が開いて、ピンク色の長い前髪で目を隠した少女がいた。

彼女のことは知っている。


「セシ、リア……さん」

「無理に喋らないでください。お医者さんも問題ないって言ってましたけど、今日はまだ無理をしない方がいいです」


彼女は暖かいお茶を百合花へ渡した。


「喉に効く薬草とハーブのお茶を買ってきました。すみません、うちのアンドレイアさんがやりすぎました」


お茶は漢方のように苦かったが、ハーブの香りが鼻に抜けて不思議な気持ちになった。

決して美味しいものではなかったが、その心遣いに感謝して、百合花は小さく頭を下げる。


温かみのある液体が喉を流れると、少しだけ楽になった。

身体の怠さに逆らわず、ベッドへ仰向けに寝転がる。


「僕は、負けた、のか」

「そうです。大会はアンドレイアさんの優勝で幕引きとなりました」

「……そうか」


不思議と、悔しいという気持ちはわかない。

あの場、あの瞬間において、彼の方が完璧に上だった。

生死をかけた戦いなら、今頃死んでいただろう。

大会前に大口を叩いたことを恥じた。


「あの人は私から叱っておきました。本当なら反則負けでもおかしくないくらいのことをしたんですから」

「いや、僕が、未熟だった。彼は、今、どこに」

「眠っています。吐きそうって言ってました」


百合花が彼に対して初めに使った背中を使っての体当たり『鉄山靠』は、手加減せずに放ったこともあり、綺麗に決まっていた。

すぐに起き上がっていたことに気をとられていたが、平気なはずはない。

内臓へのダメージは大きいだろう。


「ああ、それと、鱗のことなんですけど……」


彼女はおずおずと切り出す。

やっぱり、知っていて鱗を狙っていたのだろう。


彼女は装飾品を取り扱う店の店主だ。

知っていてもおかしくない。


「これが必要なんですよね?」


セシリアの手には、手の平ほどの大きさの紅の鱗が一枚、ガラスのケースに入れられ、乗せられていた。


「私たちは、これが逆鱗であることを知りませんでした。あくまで、通常の鱗を簡単に入手するために参加したのです。だから、普通の鱗と交換してもらえるのなら、お譲りしても構いません」

「なぜ知っているのか、今は聞かないけど、本気で言っている、のか? 価値を知らないわけでは、ないだろう?」

「はい。だって、必要ありませんから」


彼女の仕草に嘘をついている様子は見受けられない。

逆鱗は黄金やダイヤよりも希少で高価だ。

加工前のものですら、豪邸を建てられるほどの値段がつく。


比べて通常の竜の鱗は、せいぜい一般人の月収程度の値段だ。

買おうと思えば買える。


つまり、鱗と逆鱗には五百倍から千倍ほどの価値の差があるのだ。

それをほとんど無償で引き渡そうとしている。

思考の底がまるで見えない。


「何が、望みだ」

「だから、普通のでいいんです。こんなにすごいものをもらったって私には扱えませんし」

「だが、これは、君の――君たちの、だ。悪いが、簡単には受け取れない」


意図が読めない以上、簡単に取り引きはできない。

彼女の真意が、言葉の通りであったとしても、俄かには信じられない。


「私も詳しくは聞いていないんですけど、アンドレイアさんたちから頼まれたんです。バイフゥさんはこれがないと困るだろうから返してやれ、と。だから受け取ってください」


セシリアは半ば強引に、百合花へ逆鱗を押しつける。


「本当に、いいのかい?」

「はい。必要になったら、今度はちゃんとした正規の手段で手に入れます。私に必要なのは、私でも加工できるような普通の竜の鱗なんです」

「……君は、いい人だな」

「当然のことをしたまでです。バイフゥさんのお連れの方が心配していらしゃったので、すぐ戻ってあげてください」

「ああ、わかったよ。もう大丈夫、立てる。部屋を借してくれたこと、感謝する。この恩は必ず返す。僕の権限で商会に品物を卸させてもいい」

「いえ、忘れてください。私はグリフィン商会と繋がりができたとも思っていませんから」


彼女からわずかに嫌悪感を察し、百合花は頭を掻く。


「セシリアさん、君はなかなか、なんというか。純粋だな」

「え、え?」

「いや、ごめん。何でもない。鱗に関しての正式な文書は後で届けてもらう。一応商会だからね。書類が必要なんだ」


百合花は部屋から出る。

グリフィン商会の暗い噂は、商売をするものならほとんど知っている。


利益のためなら何でもやる。

それが例え法に触れるものであったとしても、上手く隠蔽する。

そういう噂が、巷には溢れている。


正直なところ、思い当たる節がないわけではない。

しかしグリフィン商会が本当に何でもやる集団でなおかつ暴力的であったなら、逆鱗は暗殺でも強盗でもして取り返していただろう。

正攻法が通じる時は必ずそちらを使うのだ。


「――よお、元気か?」


リビングでソファに横たわるアンドレイアが、天井を見つめたまま、それこそ死にそうな声で言う。


「君も元気そうだ」

「お前のあの技、何だよ。死ぬほど痛かったぞ」

「本来なら一撃で人間を昏倒させられる技だよ。君こそなんで意識があるんだ」

「アレ以上をもらったことがあるからな。戦いをする以上、無傷で勝利なんてことはありえない。攻撃をもらう覚悟はいつだってしている」

「君は兵士かい?」

「や、趣味」


彼は簡潔に言い切る。

兵士ではなく、闘士でもない。

彼の素性の謎が、ひたすらに深まっていく。


「やっぱり惜しい人材だね。君はもっと強くなれるよ」

「なんで負かした相手からそんなこと言われねえといけねえんだよ」

「確かに、それもそうだ。でも、もし興味があったらいつでも教えるから。連絡してくれ」

「あー、考えとくよ。お前にもこの気持ち悪さを味あわせてやりたいしな」

「知ってるよ。修行時代に散々やられた」

「こういう技は他にもあるのか? ああ、お前のやってるやつ以外でって意味な。対人戦の技術の話だ」

「武術全般ってこと? もちろん無数にあるさ。そんなに強いのに、知らないのかい?」


アンドレイアは小さくため息をつく。


「何も。俺のとこじゃ、敵は人間よりも怪物――でけえ動物の方が多かったからな。喧嘩の技はあまり発達しなかった。まあ、俺は人体の構造を勉強したから、ある程度はどこをどうすれば痛いか知ってるってくらいだ」

「ふうん。よくわからないけど、じゃあこれから武術を学ぶ機会は十分あるってことだね」

「だから、やらねえって。持ってる技術の応用で十分だ。今日それがわかって良かったよ」

「……そう簡単なものでもないよ。君は今日僕に勝ったけどさ」

「お前の技、本当は室内とか狭いとこで使うものなんだろ? それに手加減もしていた」

「手加減?」


百合花は首を傾げる。


「殺してはいけないってルールがあっただろ。だから、最初の一撃はもらったんだ。どういう技か知りたくてな」

「負け惜しみにしか聞こえないけど、じゃあ、僕が本気なら君はもう死んでるってことになるよ」

「そうだろ。肩か背中の体当たりでこの威力だぞ。肘だったら死んでいる」


彼は当然にように口に出す。

武術を知らないと言ったのに、本来はあの技が『頂肘』を使うものだとすでに見抜いている。

そして、その威力は十分に殺傷能力があることにも。


――恐ろしい洞察力だ。

それに、たとえ死なないことがルールで制定されていたとしても、それが命を守る確実な理屈にはならない。

当たり所によっては死ぬし、百合花が加減を間違えても死んでいたのだ。

常人では得ることのできない胆力。

いったいこれまで、どれだけの死線を潜り抜けてきたのだろうか。


「君は敵に回したくないね」

「ならねえよ。ほら、そろそろ仲間のとこに戻ってやれ。心配してんだろ」

「ああ。逆鱗も、ありがとう」

「それは俺じゃねえ。礼ならセシリアに言ってやれ」


彼はそう言うと、薄い毛布を頭まで被った。


店を出ると、思わず笑みがこぼれた。

ああいう心優しい人が、強い力を持っていることが素直に嬉しい。


――彼とまた会うことがあるだろうか。

そんな希望が、百合花の胸中には溢れていた。

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