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未完成デイジー

「彼にはセシリアさんのお店で働いてもらいます」

「……は?」


皇国に戻り、事後処理を行いながら、雪麗はそう言った。


彼ら自身からいくらかの説明を聞いて、それをそのまま飲み込むことにしたが、まだよくわからないことも多い。

セシリアは、簡単に言ってしまえば、人間ではない。

竜たちと同じ構造をしている人外の者。


百合花の逮捕術が通用しなかったように、アンドレイアでも簡単には殺せないはずだ。

しかし、彼の凶行を止められるような人間でもない。


「なぜなのか、聞いても?」

「彼の改心を促すのなら、それが一番だと思ったからです。いかにも監視しているというような緊張状態で、人はそう簡単に安らぐことはできません。それに、あそこはここからは遠い。事が起こっても初めに犠牲になるのは同じ王国内の人間。それから止めればいいだけです」


「僕は彼がそれほど悪い人間だとは思ってないんだけど。改心できる余地があるのかな」

「悪い人間に見えないということは、その心の底のさらに深い所に、絡まった紐のような複雑な問題があるということです。それは決して解きほぐしてやらねばならない問題ではありません。ただ、忘れることができればいいのです」


「忘れる……。禍根を、かい?」

「忘れられるものであるのなら、ですけれど。我々は彼の事情を何から何まで知っているわけではありませんし、彼に助言をするにはあまりに無知です。自然と変わってもらう以外、道はありません」

「バシレウスは、そこまで考えていたのかな」

「それも考えても仕方のないことです。人の胸中は計り知れないものですから」


彼女は手際よく書類を片づけながら、淡々と言う。

こういうところは、本当に事務仕事のできる人間というか、百合花にはできない部分だ。


「あの竜たちはどうなったの?」

「彼らもセシリアさんのお店にいますよ」

「え?」

「それはそうでしょう。彼らはまず、人間社会というものを学ばなければなりません。十分に学んだら、それからは自由の身を保証することにしています。危険な思想の持主でもありませんし、今までのことも、竜としては当然のこと。人として生きていくと決めたのなら、彼らに必要なのは罰ではなく、学びです。――さて、あとはあなたですよ、百合花」


お前はどうするのか、とでも言うように、雪麗は淡々と言う。


「僕か。僕は、少し旅に出るよ。君には悪いけど、今度は南の方へと行ってみようと思っている。数年は帰ってこないだろうね」

「南、ですか。向こうにはたしか――」

「魔物と呼ばれる巨大な野生動物。燃える氷に、凍える炎。噂だけが独り歩きしているあれらを追ってみようと思ってね」

「実在しないかもしれませんよ」

「ないと思っていたものがあった。僕は『気』が存在することを知った。だったら、他もそうかもしれないと考えるのは、当然じゃないかな」

「その『気』のことは、私にはわかりませんが、あなたがそういうのなら私は止めませんよ。気の済むまで根無し草を続けるとよろしいかと」

「拗ねた?」

「拗ねるものですか。あなたに構っていられる暇がなくなったのです」


そういう彼女は少し口を尖らせていた。

まだしばらくは、彼女の傍にいてやれない。

ほんの少しの罪悪感を抱きながらも、百合花は自分自身の満足のため、新たな道を歩み始めた。






セシリア装飾店は、少し広い店舗へ引っ越しをした。

今度はちゃんと土地の登録がされているところで、商会への開業手続きも済ませた。

その道に詳しい百合花の手助けもあって、新しい店を出すということで、商会からは歓迎された。


開業の準備を行っている間、アンドレイアはクリスタと共に店内の内装工事を行っていた。

とにかく、今のままでは防犯設備が不十分だと判断し、窓にはおしゃれな格子を嵌め、出入口には開閉した時に音が鳴るようベルをつけた。

人間の文化に疎いクリスタには、注文していた椅子や机の荷運びを頼んだ。

力仕事は身体の使い方を学ぶのに一番いい。


「アンドレイア、これはここで良いのか?」

「ああ、細かい調整は全部飾りつけが終わってからやるから、そのままでいい」


店内の掃除をして、商品の入ったガラスケースを綺麗に拭いて。

準備は万全で、いつでも開店できるようになったころ、ふらふらとセシリアが店を訪れた。


「店長、今日は随分と遅い出勤で」


アンドレイアがからかうように言うと、セシリアは深刻そうな顔をして言う。


「アンドレイアさん……」

「何だ?」

「寝るって、どうやってやるんですか?」


彼女は真剣に言っているようだった。

眼には深いクマが見える。

今まで睡眠を必要としない生活をしていたのだから、急に人間の生活をさせられても、そううまくいかないのだ。


「横になって目をつぶるんだよ……」

「あっ、今バカにしましたね!?」

「まあ、なんて言うか、人間の初歩をこの年齢からやり始めるのは大変なんだなと思ってな。今日は何か食べたか?」

「食べる……?」

「人間には食事と睡眠がいるんだよ。何か食べて寝ろ」

「そんな、ふたつも!?」

「ふたつってことないだろ。あと食事は一日に二、三回はしねえとダメだ」

「ええ!? いつですか!?」

「……だいたい朝と昼と夜、とか。昼と夜だけってやつもたまにいるが」

「そんな、今までずっと彫金をしているだけで一日使っていたのに、これじゃ半日くらいしかできないじゃないですか!」

「そういうもんなんだよ。諦めな」


ふらふらと歩くセシリアを、とりあえず店の奥にある空き部屋に連れていく。

横になって目を閉じさせると、数分もしないうちに寝息を立て始めた。


「アンドレイア! 我も眠り方がわからぬ!」

「勘弁してくれ」


アンドレイアは頭を掻く。

しかし、今までなかったような、妙な雰囲気に、居心地の良さも感じていた。


――自分たちの処遇が、想像以上に緩いものだったことに、さすがのアンドレイアも面を喰らった。

今まで信用というものと距離を置いていたのだから、なおさらに、彼らの思考を理解できなかった。


『セシリアとクリスタと共に、一般的な人間の生活を行え』。

たったそれだけの命令だった。


考えてみれば、一般的な人間の生活というものは、アンドレイアにもよくわからない。

ずっと山で暮らしていたし、その後も根無し草だった。

だから、これから始まる生活は未体験のものとなるだろう。


人付き合いで知らないこともたくさんある。

これから、彼らと一緒にそれを学んでいくのだ。


バシレウスが言っていたように、心変わりというものもできるのかもしれない。

少なくとも今は、人類の殲滅を考えられるほど、暇ではないのだから。







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