怒っているのか
店の奥は、また別の洞窟になっていた。
壁はつるつるとしていて滑らかで、一定の間隔で光る石が埋まっている。
足元も天井も明るく、夜道よりもよっぽど歩きやすい。
百合花はずっと困惑していた。
正直に言うと、ちょっとした好奇心から彼らに同行していた。
雪花はいずれ皇国のものになるものは全て知っておきたいのか、かなり積極的に動いている。
さっき単独で奇襲をかけると言い出したのも彼女だ。
自分で正体を隠すための衣装も準備し、計画を立てて行動している。
しかし百合花は、そこまでのことは考えていない。
雪花が無茶をした時のフォローのためだけについてきているのだ。
それなのに、バシレウスの奇妙な行動や、セシリアの立ち位置、全てがおかしな方へと転がっているような気がしてならない。
百合花の持っている情報よりも、バシレウスの持っている情報量が大きく上回っていて判断ができないのだ。
このままついていってもいいのだろうか。
引き返すならここが最後のチャンスなのではないだろうか。
そんなことを考えながらも歩みを進める。
いざとなれば、雪花だけは必ず逃がすつもりだ。
盾となるくらいの覚悟は常にしている。
だが、盾にすらなれない状況があるかもしれないと思い始めるくらいには、百合花の胸中には不安が満ちていた。
あまりの不気味さに引き返したいという気持ち、雪花の女帝としての目的、天秤にかけ、自身の命をどちらにかけるべきか。
命を賭けるに足るのは覚悟ではない。
大切なのは納得だ。
死んだ時、他に選択肢があったのではなかったかと後悔しないこと。
奥へ進むにつれ、悩みの膨らみは大きくなっていく。
やがてそれが表情に出てしまったのか、雪花が力強く肩に手を置く。
――ただ、それだけのことだった。
しかし、百合花にはそれで十分だった。
迷う必要はない。
ただ、雪花の前を歩き、露払いをするだけだ。
決意を新たに歩みを進めていくと、広い空洞が現れた。
その中央には、三段になった台座の上に、一本の神々しい槍が突き刺さっている。
階段は真っ直ぐその槍へ向かっており、阻むものは何もない。
「これが……」
バシレウスが呟く。
全員が足を止めてその台座を見上げていた時、最初に動いたのは、意外にもセシリアだった。
ふらふらと、歩みを始め、階段に足をかける。
「おい、どうした」
アンドレイアが声をかけるも、セシリアは反応を示さない。
「アンドレイア、止めた方がいい。もうあれは彼女ではない」
「はあ?」
バシレウスに言われて、アンドレイアは彼女の手を掴む。
しかし、止まらない。
足取りはふらふらとしているのに、アンドレイアには止められない。
アンドレイアは舌打ちをして、彼女の手首を捻り、身体を捻らせて手首を極めて動けないようにする。
人体の構造上、完全に極まったリストロックは絶対に抜けられないことを百合花は知っている。
しかし、彼女はバキバキと関節が外れるのも構わず、力づくで起き上がる。
どう考えても普通じゃない。
アンドレイアも動揺しているのか、手を離した。
彼女は一歩踏み出すも倒れる。
そして、その衝撃で、義眼が外れて転がっていく。
彼女の片目が見えていなかったのはわかっていたが、義眼を入れていたようだ。
アンドレイアはそれを見て、素早くセシリアを抱え上げてその場から離れた。
百合花にはわからなかったが、何かまずいものなのだろう。
「気を失ってやがる……」
アンドレイアは抱きかかえたセシリアを床に寝かしつけながら、飛び出した義眼を睨む。
百合花も何が起こってもすぐに反応できるよう構えていた。
しかしその直後起こったことは、百合花の想像を大きく超えていた。
何が起こったのか、正しく理解していたのは、バシレウスただひとりだっただろう。
転がった義眼の持つ魔力量は、現在のバシレウスとそう変わらない。
つまり、これは眼球の形をとった魔力の塊なのだ。
化石のように、静かにずっとこの時を待っていたのだろう。
眼球が溶けて、白い煙のようなものが曖昧に人の形をとる。
「――ようこそ、儂の世界へ」
彼、と形容していいものかわからないが、その声は明らかに老いた男性のそれであった。
「まずはどういうことなのか、説明してもらおうか?」
バシレウスはこれくらいのことは予測していた。
この不自然な義眼を通して世界を見ていたのだろう。
「お前たちを儂の世界へ招待する時を待っていた。世界を、完全な理想の世界にするために」
「ほう、まるで前の世界に大層な不満があったようではないか」
「不完全で醜い世界であった。儂にはそれが我慢ならなかった」
「それで、逃げてきたのか?」
バシレウスの言い方に、彼は少し言葉を止めた。
「図星か? 逃げてきたのだろう? 理想の世界などという夢を叶えるために、新たに自分が好きにできる場所を作ろうとしたのだ」
「違う。儂は争いのない世界を作ろうとしたのだ。そのために、この世界では魔力を極限まで削った。魔力は種族間抗争の元になる。魔力量で生体の強さが変わるなど、あってはならない」
「なぜあってはならないのだ? 種族が違えば肉体の強さが異なるのも当然のことだ」
「だから、種族も無くした。人間以外の知的生命体をほとんど削った」
「竜は残しているではないか」
「もしもに備えて、強力な手駒が必要だった。これが失敗であったことは認めよう。まさか細かく分解され、争いの道具に使われるとは」
「……貴様、人間のことを知らなすぎるな。話し合えば、もしかするとこちら側の思考を持っているのかもしれないと一縷の望みを持っていたのだが、当てが外れた」
バシレウスは落胆し、ため息をつく。
「さて、質問を変えよう。何のために私たちをここへ導いた? いや、導くなどという大層なものではないな。無理矢理転移させたのは、なぜだ?」
「必要だった。儂の世界にはまだまだ足りないものが多い。そこで時間と空間を操る貴様らが必要だった」
「ほう。なるほど、なるほど。状態から察するに、お前が支配しているものは、魔力の式か」
「特異能力者は世界を構成する式をひとつ、支配する。儂ひとりでは使えないものも、三人いれば自由自在だ」
彼は嬉しそうに言う。
バシレウスはその浅はかな言葉に、もう会話をすることさえやめようかと考えた。
こういう相手と会話するのは疲れる上に、得るものがない。
「素直に協力してもらえると思っているのが、随分な思い上がりだとは思わないか」
「儂とて、そう簡単に話に乗ってもらえるとは思っていない。どうだ。この小娘と交換にしよう。貴様らが協力すれば、小娘の自由を保証する。このままだとその小娘は死ぬ。魔力を抜いたからな」
彼の目算では、バシレウスたちがセシリアと親密となり、かけがえのない存在となるはずだったのだろう。
しかし現状、彼女はバシレウスたちにとってただの店長で、偶然借りのある人物というだけ。
やはり、彼は人間のことをきちんと理解できていない。
なんとなくの理屈で、適当で煌びやかな殻だけを作って、肝心の中身を入れていない。
人質を利用するための知識がない。
「率直に言おう。断る」
「そうか。ならば力づくでわからせるしかないな」
「話が早い。やる前に名前を聞いておきたいが、あるのか?」
「儂の名はワン。存在そのものだ」
「自分でつけたのか? やはり貴様はセンスに欠けるな。もう少し周囲から自分がどう見えているのかを考えた方がいい」
バシレウスは周囲の人間を後ろへ下げさせる。
この魔力の波を感じ取れるのはアンドレイアだけだが、その張り詰めた空気を察したのか、絶対に前に出ないよう他の者たちへ注意をしていた。
「さあ、ずっと裏方だった私の、最初で最後の大舞台だ。こうして戦うのは初めてで、不格好かもしれないが、まあ、見ていてくれ」
バシレウスは腕まくりをして、身体を巡る魔力を解放する。
圧倒的な魔力の圧が、その場にいる全ての人間を抑えつけた。
アンドレイアは、ようやくバシレウスの意図を掴みかけていた。
魔力が霧散することにいち早く気がついた彼は、その魔力を体内に留めたまま、派手な行動を全く起こさなかった。
初めからずっと、第三者の存在を予期していたのだ。
そして、もし、それと争うことになった時、特異能力を使える者がいないと非常に困る。
アンドレイアが、魔力がなくなっていることに気がついた時にはもう遅かったのだ。
準備はこの世界に到達した瞬間から始まっていた。
出遅れを悔やんでも仕方がない。
今はただ、周囲の人間が巻き込まれないよう注意しつつ、バシレウスの戦いを見守るのみだ。
彼が負けたら全滅は必至なのだから。
バシレウスの周囲の空気の張り詰め具合に比べ、ワンの纏う気配は異質だった。
魔力は満ちているが、何をしてくるのか、全く予測ができない。
直後、バシレウスの身体が青い炎に包まれる。
「魔力で火を起こしたか。しかし、まあ、ぬるいな」
「物理的な存在の割に頑丈な肉体をしている」
「物理的な存在の強固さを知らないのだろう? お前の嫌った醜い世界に与えられたものだ」
バシレウスがゆったりと歩んでにワンに近寄る。
彼には戦闘経験がないため、最初の攻撃は大振りの拳だった。
しかし、魔族の強靭な肉体と天性の魔力によるそれは、人間とはけた違いに速く、重い。
周囲の空気が弾けて、衝撃で地面がひび割れる。
しかし、そんなバシレウスの拳は、虚しくも空を切っていた。
ワンの肉体は、煙のように揺らめいて、バシレウスの拳を受けることはなかった。
「ふん。仰々しい名を冠している癖に、受けるのが怖いか」
「存在とは物理的なものだけを指すのではない。そうだろう?」
会話の直後、バシレウスの肉体が、一瞬で凍りつく。
しかし、少し身震いするだけで、身体の表面についた氷の膜がパラパラと落ちた。
「冷気も効かないとは……」
「お前は私と出会う前に世界を移動しただろう。――魔族がどれほど強靭か、知らないだろう」
「しかし有効打もあるまい。今の無様な攻撃は何だ?」
「今のは確認だ。本当にいるのか、いないのか、知りたかった」
バシレウスは手の平をワンへ向ける。
「何だ?」
不思議そうに言うワンへ向けて、バシレウスは告げる。
「『時間支配・停止』」
ワンの煙のような身体は完全に固まった。
時間を止めてしまえば、物理的に存在しなくても、その場に固めることはできる。
「アンドレイア、槍を抜け。お前の力が必要だ」
アンドレイアは返事もせず、高台へ向けて走り出す。
アレは、竜の鱗と同様の力の塊だ。
強大な威力を発揮する以外にも、使い道はある。
そのことを、遅れながらアンドレイアも察したのだろう。
高台をあっという間に駆けあがる。
バシレウスがワンを抑えつけている間に槍を引き抜く。
その場に、魔力の濁流が巻き起こった。
これもワンの用意した保険なのだろう。
きっと魔力切れを起こした時に補充するため、魔力を槍の形にしてここに保管していたのだ。
アンドレイアは流出する魔力を吸収し、ワンの方へ向かう。
「さて、そろそろ限界か。私の魔力ではこれくらいの時間しかこれを止められない」
言うや否や、ワンは動いた。
周囲に炎の柱と氷の柱が出現する。
「怒っているのか? たかだか止められたくらいで」
「儂に触れることを許可した覚えはない!」
「触れる、とは。触れられたのか? 私は今? 面白いな。物理的な存在から触られる気分はどうだ?」
バシレウスはくすくすと笑う。
ただの時間稼ぎではない。
特異能力であれば、ワンに有効であるという事実をアンドレイアに見せたのだ。
アンドレイアの行動は速かった。
経験の豊富さ故に、考える時間が必要ないのだ。
まだ戸惑っている様子のワンへ、頭の中で座標を合わせて、指を鳴らす。
ゴォン、と重い鐘の音が響く。
空間支配で特殊なことを行った時、いつもこの音が自分だけに聞こえる。
――人間とは、魔力が人の形をしたものだ。
肉体とは空間のこと。
生命とは時間のこと。
アンドレイアは、ワンという存在しない存在に、人の形をした空間を与えた。
それを見て、バシレウスが、嬉しそうに、指を鳴らす。
ワンはもう、煙のような姿ではなく、ひとりの老人として、そこに存在していた。
概念的存在を、ふたつの式の書き換えによって、この世界に無理矢理召喚した。
彼にやられたことを、そのままやり返してやったようなものだ。
風貌はアンドレイアの記憶から適当に作られたものであるため、どこにでもいる、普通の人間と変わらない。
しかし、その目だけは、黒く、そして怒りに燃えていた。
「貴様ら、よくも儂をこのような低位の姿に!」
「出来たばかりの頭を使ってよく考えるといい。特異能力者がふたりもこの場にいるのだ。お前に何かさせてもらえると思っているのか? 魔力の支配をできるのは立派だ。だが、貴様がやっているのは、表面上のことだけだ。そんなことで自分の思い通りに相手を動かせると思っているのか? いや、思っているのだろうな。その傲慢さを持ったまま、塵と消えよ」
バシレウスが殴り飛ばそうと大きく振りかぶった時だった。
「――やめて!」
ワンを庇うようにして、セシリアが入ってきた。
いつの間に気絶から目覚めていたのだろうか。
先程の槍から漏れた魔力を、少しだけ吸収したようだ。
壊れていたはずの腕も完治している。
「セシリア。お前は利用されていた。それでも、こいつを庇うか?」
「わかりません! 私は、今のこの状況だって、全然、何もわかりません! でも、おじいさまは、身寄りのない私に優しくしてくれました! 庇ってはいけませんか!?」
「いけなくはない。お前のその感情は、お前がお前であることの何よりの証。人形でもなければ、装置でもない。お前は生きているのだ。それを、肝に銘じておけ」
「え、あ、はい……」
「それで、貴様はどうするつもりだ? 引くなら今しかない。それ以上のことをやれば――――」
「やれば、何だと言うのだ」
ワンはセシリアの首を握る。
アンドレイアにはそこから内部の魔力を操ったのがわかる。
セシリアはまた意識を失っていた。
先程と違うのは、倒れ込んでおらず、力なく俯いて、その場に立っていたことだ。
「こいつは、儂の作ったマギア。魔力の流れをいじれば戦力にもなる」
「……呆れたやつだ」
「やれ! こいつらを殺せ!」
セシリアは命令と同時にバシレウスへ突進をする。
(まずいな。あいつにこれは――――)
アンドレイアが声をかけるよりも早く、突風の如き動きで、バシレウスを蹴り飛ばす。
バシレウスも魔力で肉体を守っているとはいえ、攻撃を捌けるほどの技量はなく、防御することができない。
そのままの勢いで、洞窟の壁に激しくぶつけられた。




