バカな
百合花たちは、数日セシリアの店でのんびりと過ごしていた。
今は特にやることもなく、雪花も町の生活を見ておきたいということで、アンドレイアたちの動きが分かるまで、ただ待つことにしたのだ。
その一環で、セシリアの仕事の手伝いもすることになった。
しかし、雪花は、百合花の目から見ても、並の人よりも不器用だ。
手先がおぼつかないと言うか、とにかく見ていて危なっかしい動きをする。
武具を扱う時はあれほど滑らかで美しさすらあるのに、ちょっとした小物や細工などはできない。
淑女のたしなみである服飾ですら、二日と持たずに投げ出した。
そんな彼女が、セシリアに教えてもらいながら、何とか、不格好な指輪をひとつこしらえられた。
「百合花」
「はい?」
「これ、差し上げます」
「は――」
即答できなかった。
やっとの思いで作った、始めての工芸品を、そんなに簡単にあげてしまっていいのだろうか。
「なぜ、と聞いても?」
「なぜも何も、あなたにあげるために作ったのですよ」
「……それは、ありがとう」
「なんで意外そうなんですか」
「いや、君からこういうものをもらうのは幼少期以来だからさ。あの時は、花の冠だったっけ」
とても綺麗とは言えない、ぐちゃぐちゃの、白い花の冠。
百合花はそれをとても良く覚えている。
彼女は、本当はこういうことがやりたいのだろうと思った。
政治や武芸から離れて、田舎の村娘のような生活に憧れもあったのだろう。
人の一生は産まれた家で決まる。
王族に産まれたら、一生王族だ。
王族に憧れる村娘もいるだろう。
だがその逆に、村娘に憧れる王族もいるのだ。
百合花も若いころは何とかしてやりたいと思ったこともある。
しかし、その制度を壊すことは、すなわち国の崩壊と同義だった。
諦めざるを得なかった。
だから、心の底から楽しそうな雪花を見ていると、少しだけ心が和んだ。
「あの、仲良くしていらっしゃるところに申し訳ないのですが」
となりにいたセシリアがおずおずと切り出す。
「そろそろ、お夕飯にしませんか?」
そういえば、もう日が暮れかけていた。
ずっと室内にいると、時間の感覚がおかしくなる。
今日はバシレウスの姿を見ていない。
「バシレウスは?」
「出かけているみたいですよ。今日は帰らないと仰っていました」
「そうか。だったら今日は僕らが作るよ。久しぶりに故郷の料理を作りたいんだ」
「そうですか。でしたら、私の分もお願いします。これから一度工房へ戻って商品を持ってきますので、しばらく出てきます」
「わかった。帰ってくるころには絶品の料理が並んでいるよ」
「楽しみにしています。では」
セシリアはお辞儀をして、店から出て行った。
しばらく雪花はその後ろ姿を見守っていたが、やがてぽつりと漏らした。
「――ずっと思っていたのだけど」
「何を?」
「彼女、何かおかしい」
彼女というのがセシリアのことであることは間違いない。
そして、その何かが何なのかわからないことも、百合花にはわかる。
「違和感があるのかい?」
「違和感……。そうなのかしら。何かもっと、根本的な……」
「根本的ってことは、人間としてってことかい?」
「そうね。何か大きな欠落がある、ような」
「……一応聞くけど、悪口じゃないよね?」
「お世話になっている方にそんなことは言いません。悪い人でないことはわかっていますし。さあ、食事の支度を致しましょう。私たちはこの屋敷を借りている以上、働く必要があるのですから」
「我同意」
ふたりは揃って台所へと向かった。
セシリアに対する違和感は、払拭されないまでも、料理をしているうちに薄れていった。
アンドレイアにとって、再度、王の元へ忍び込むのは難しいことではなかった。
以前と同じ手口でも、発覚していない以上、警戒はされていない。
あの時怒り狂っていたクリスタは、帝国の砦と王城を八割方壊滅させて魔力切れを起こし、気絶したところを無事に連れ帰り、先に兵舎の方へ帰した。
細かい口実合わせはカシマがうまくやってくれるだろう。
アンドレイアは王国に入国して、薬だけ受け取りに走り、またここへ戻ってくるまでの間、まだ誰にも会っていない。
だから、王が今、どういう状態になっているのか、知らなかった。
寝室へ忍び込むと、王はそこにいなかった。
それどころか、以前あれだけ漂っていた妙な薬の匂いもない。
「――帝国から早馬があった」
その男はアンドレイアが来るより前から、ずっとそこにいた。
首から下は銀色の甲冑に包まれ、腰には剣をさしている。
「えーと……」
「タルコフだ。この国の騎士団長をしている」
「あー」
カシマの上司だ、ということくらいしかわからない。
彼から怒りの表情は読み取れない。
「貴様が余計なことをしてくれたおかげで、王国の崩壊が早まった」
「知らねえよ。自分とこの王さまをあんなにしといて、何が騎士団長だよ。どういう面の皮してんだ」
「ああするしかなかったのだ。誰かひとりが犠牲になれば、王国内での戦火は免れた」
「兵士も死んでるだろ」
「兵士は大義の元で死ぬものだ! お前に何がわかる!」
「わかんねえよ。あと話がなげえよ。俺を待ってた理由を言え」
タルコフは剣を抜いた。
銀色の刀身が窓から射し込む月光に煌めく。
「王を暗殺した犯人をここで処刑する」
その言葉で、アンドレイアは何が起こったのか、だいたい悟った。
「……殺したのか」
「衰弱死だ。だが、貴様の横暴は看過できん」
「王さまが死んだことに俺は無関係だろ」
「その通りだ。だが、帝国の件はどう責任をとる」
「帝国の件?」
「とぼけるな。貴様が氷の竜を引き連れて襲撃したことはわかっている」
クリスタが勝手に暴走したのだが、状況をみればそうともとれる。
「あれは事故みてえなもんだ」
「結果が全てだ。貴様の首を差し出さねば報復を受ける。この国に帝国から身を守る力はすでにない」
「それで今度は俺が犠牲になれ、と」
「潔く首を出せ。苦しまずに殺してやる」
「嫌なこった」
アンドレイアは今、武器は持っていない。
しかしこの状況、それほど不利ではなかった。
――全て、うまくいっていた。
こいつさえこなければ。
兵士をいたずらに消耗させるのは許せなかったが、もう少し我慢すれば、帝国との契約により、よりよい環境に移してもらえるはずだったのだ。
すでに炎竜を捕えていた帝国は王国よりも圧倒的にすぐれた軍事技術を有していた。
その場でなら、今よりももっと自分たちの武力を振るえる。
タルコフはそう考えていたからこそ、少しずつ命を散らしていく兵たちのことに心を痛めながらも、受け入れることができていたのだ。
それが、この数日で完全に破壊された。
タルコフしか得ていない情報だが、帝国は今や大混乱に陥っており、王国に構っている暇がないという有様だ。
王国内の帝国側の人間たちはすぐに帰国命令が出ることだろう。
そうすると、この国はほとんど皇国の人間だけになる。
帝国についていた人間たちは、すぐにでも逃げ出さなければ処分されるだろう。
それもこれも、全てこのアンドレイアとかいう得体の知れない男のせいだ。
たしか、カシマの連れてきた男だ。
あとでやつにも責任を問わねばならない。
今はまず、こいつを始末し、首を帝国へ捧げなければ。
タルコフは完全に殺すつもりだった。
一切の手加減をする理由がないし、逃がすこともできない。
相手が丸腰なのは見ればわかる。
有利ではあったが、厄介な相手であることは聞いている。
油断はしない。
そう思っていた矢先、アンドレイアの姿が消えた。
(そうか! 夜闇に紛れ――――)
身軽故に、姿をくらましやすい。
一瞬の内に思考を巡らせる。
人間の視界は、実際かなり広い。
視界から消えたということは、上か下、もしくは背後。
しかし、あの距離から背後に回ったとは考えにくい。
そして、視界から消えるほど、高く跳躍したとも考えにくい。
つまりは下、そう決めつけ、タルコフは視認するよりも先に、剣を思い切り振り下ろした。
カン、と石畳に当たる音が響く。
(外した!?)
背後で、足音がした。
振り返りざまに、横薙ぎをする。
そこにも、彼はいない。
「どこだ!」
「ここだよ」
真上から声がして、次の瞬間、タルコフの後頭部に衝撃が走る。
ぐらつきながら、素手のアンドレイアを見る。
彼は天井からぶら下がる縄を掴んでいた。
いつの間に、あんなものを投げたのだろう。
「引っかけられるとこは覚えてたからな」
「き、貴様……」
「俺の勝ちだが、まだやるか?」
「勝ち名乗りをあげるには早いだろう!」
タルコフはふらつきつつも距離をとる。
向こうは武器を持っていないが、死角に入り込む技術が人外のそれだ。
人間の肉体は、どれくらいの殴打に耐えられるか。
(いや、殴打だけじゃない。格闘技は、それほど甘いものでは……)
思考の隙間、瞬きの時間すらないその僅かな刹那。
アンドレイアは動いていた。
タン、タン、と軽快なステップと共に、思考が追いつかない速さで、懐へ詰めてくる。
彼は一体、何を考えて戦っているのか、それとも身体に染みついた動きを本能的に行っているだけなのか。
少しでも気を抜くと、その狂気に飲まれかねない。
(次の手を考えていては間に合わないか!)
防御と回避に専念し、勝ち筋を考えるも、状況の変化が著しく、追いつけない。
タルコフは思考を捨て、自身の反応と反射に賭けることにした。
今までの地獄のような鍛錬、戦場での経験、その全てを活かせる時が来たのだと思った。
そしてその次の瞬間、肘鉄がタルコフの胸部装甲を砕いた。
「――バカな!」
「素手じゃ割れないと思ったかよ」
生半可な剣ならば傷ひとつつかず弾ける鋼鉄の鎧だ。
砕けるはずがない。
鎧が音を立てて崩れ、床に散らばる。
邪魔になった残りの部分を投げ捨て、身軽になったタルコフは、手にした剣も捨てた。
先程の打撃で、触れていないはずの剣にもヒビが入っていた。
「降参か?」
「――敬意だ。久しぶりに、思い出した。ひとりの人間と、命をかけた戦いをすることの重み。同条件で降さねば、意味がない」
「降せるか、やってみるか?」
「できるかどうかは重要じゃない。やらねばならない。それを思い出したのだ」
タルコフは皮のベルトを拳に巻いて、構える。
それが、国を裏切り、騎士としての矜持さえも捨てた、ただの戦士としての最後の誇りだ。
「そうか……。俺は、戦士、だった」
くだらない政治、信仰、思想。
そんなものに振り回されて、初めて鍛え始めたころの気持ちを失っていた。
彼はそれを思い出させてくれた。
部下のこととか、国のこととか、もうどうだっていい。
これは、自分と彼とだけの――――。
不意に、視界が上下逆さになった。
そして、身体が動かず、その場にゆっくりと崩れ落ちていく。
「なんか悩んでるから、先にやらせてもらった」
タルコフは首を捻じ曲げられ、戦士として戦えることの歓びを味わいながら絶命した。




