このお金はお返しします
棚に並べられたサンプルと比べ、アンドレイアの持ち込んだ薬草が何であったか特定した。
『ギギブラブ』と名付けられたその草の通称は『夢霧の草』。
嗅いでいる限り、夢と現実の区別がつかなくなる。
身の回りのものですら、注視しなければ認知できないほどに強力な感覚の麻痺を起こす。
これを嗅がされていたとしたら、会話も成立しないだろう。
しかし、彼がどこでこれを手に入れたのかわからない。
原産地は帝国の西側の湿地帯だ。
この国で手に入れる方法はない。
――合法の手段では。
そう思うと、彼の行動について、わからないことがあった。
ギギブラブを手に入れたくて相談してくるのなら、まだ理解ができる。
しかし、その解毒薬となると、少し事情が変わってくる。
ギギブラブは、その製造過程でからでないと、解毒薬を精製できない。
通常、両方をセットで売りつけるはずなのだが、なぜ片方だけなのだろう。
ギギブラブを悪用している、もしくはされている。
深く考えずとも、誰でもそう思うだろう。
そして、その誰かを助けたいに違いない。
「ギギブラブの精製はやったことないけど、どっかにやり方が書いてあったはず……」
ニアは本棚を漁って、目的のものを探す。
出涸らしとはいえ、ここに現物があるのだから、少量くらいなら作れるだろう。
材料を量り、規定の手順で混ぜ合わせ、温度を調節、蒸留させて薬液を作る。
失敗してもやり直すことができないため、慎重に慎重を重ねた。
途中までは順調だった。
そう、途中までは。
「そんな……」
薬の精製手順を間違ったわけではない。
本来ならば、最終工程で青い薬品ができあがるはずなのだが、僅かに赤みがかった、ひと目見ただけで確実に違う品物になってしまった。
焦ってギギブラブの切れ端を調べる。
溶剤に溶かしてみると、よく分かった。
たったのひとつまみでコップ一杯ほどの溶液を飽和させている。
この草は、普通のギギブラブではなかった。
己の倹約――貧乏癖が嫌になる。
少ししかないからと、正確に調べることをしなかった自分が悪いのだが、そんなこと気がつくはずがない。
ギギブラブの品種改良の話など、聞いたことがなかったからだ。
しかし何との混合なのか、見当がつかないことはない。
こめかみを指で抑えて、記憶の中にある情報を引っ張り出す。
(あれはたしか、十年くらい前の……)
ニアが薬草のことを勉強し始めた時、共に植えてはいけない植物の組み合わせがあると学んだ。
薬草の効能を高める組み合わせで、ギギブラブと相性のいいものがあった。
「あっ!」
思い出して、声をあげる。
その薬草はマンドレイク。
背の低い小さな植物で、紫色の花をつける。
煎じたものを薬に混ぜ合わせることで、特定の薬草の効能を高める効果がある。
ギギブラブの毒性を上げるためには、煎じて混ぜるのではなく、同じ鉢植えに植える必要がある。
マンドレイクの増強成分が土中を伝い、ギギブラブの力を高めるのだ。
その増えた毒性を打ち消すために必要なものは『アルラウネ』だ。
マンドレイクと同じ種でありながら、人工的な育成が難しく、大量生産はされていない。
育成の難しさはその生態が詳しく解明されていないからであり、なぜか絞首台の下だけに生える不吉な草だ。
そんなものが市場に出回るはずもなく、手に入れるには、絞首台から盗むしかない。
そしてこの付近で絞首刑を行っているのは、オウマ王国の南東に位置するヴァプトン帝国だけだ。
今現在王国は鎖国中、無許可での出入国は理由の如何を問わず、死罪となる。
つまり、今は手に入れる方法がない。
(ここまで来て、できませんでしたって、そんなこと、できるわけ……)
天井を睨んで唇を噛みしめる。
今、ニアを突き動かしているものは、ちっぽけなプライドだった。
壁一枚向こう側に、掴み取りたいものがあるのに、この手は絶対に届かない。
悔しくて、拳にも力が入る。
しかし、仕方のないことなのだ。
現実には、諦めなくてはならないことも、ままある。
ニアは自分を納得させるように、深呼吸をして器具の片づけを始めた。
「――――と、いうことで、このお金はお返しします。材料を無駄にしてすみませんでした」
ニアは翌々日に訪ねてきたアンドレイアに、事情を説明してお金の入った袋を返した。
彼はじっと聞き入って、文句のひとつも言わなかった。
きっと落胆しているだろうが、それを面に出していないだけなのだ。
彼は受け取ってすぐに、そのまま袋を突き返した。
「え? あの、何を」
「材料があれば作れるんだろ? 取ってくるから特徴教えてくれ」
「は、はあ?」
ニアが何を言っても彼はまるで聞き入れてくれず、渋々アルラウネの特徴を伝えると、満足そうに去っていった。
まるで初めから、それが目的だったかのように、あっけなく、何の感慨もなく。
ニアの胸中に、失敗したという虚ろな気持ちと、もやもやとした不安だけが残った。




