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面白いことだ

百合花は、足元も見えない暗闇の森の中、雪麗を連れて王国内に侵入していた。

彼女が意固地にも普段通りに行くと言い張るため、いつも使うルートを使用したが、それに彼女がついてこられたことに驚きを隠せなかった。

彼女も伊達に鍛えられてはいないということにして、無理矢理に納得した。


「もうじき森が開ける。僕が拠点にしている町が近くにあるから、そこへ向かうよ」

「あら、意外ですわ。あなたは根無し草だとばかり」

「以前はね。色々やることもあったから。今はこの国で最も安全なところにいるよ。君が会いたがっているふたりもそこを拠点にしている」

「そうですか。無駄がなくて、何より」


雪麗は疲れた様子も見せず、そう言ってのける。


「しかし、このままだと君の身分が知られてしまうけれど、いいのかい?」

「見くびらないでくださいますか? 私だって多少の変装はできます」


雪麗が咳払いをひとつして、もじもじとし始める。


「……兄上さま、私、もうくたびれてしまったわ」


彼女なりの妹っぽさを出したのだろう。

若干の願望も透けて見える。

しかし、普段の姿を知っている百合花から見れば、不気味極まりない。


「町に着くまでには、もう少しマシな演技を身に着けてくれ」

「失敬な!」


街道の向こうに見える、石壁の町へ向かって、ふたりは歩みを進めた。

皇国を出て、すでに十日が経っている。

どれほど変化があっただろうか、逸る気持ちを抑え、着実に前へと進んでいく。


「百合花」

「何かな」

「――あなたは、この行動の先に、何を見据えているのですか?」

「何を、か。わからない。わからないから、気になるのかもしれない。僕は別に格下との争いが好きなわけじゃないからね。誰も傷つかず、平和に済むならそれがいいと思う」


雪麗は呆れた表情を隠さなかった。


「自分よりも強い相手にしか興味を持たないのは、あなたの欠点でもありますよ」

「それはお師匠さまの影響だよ。でも、いいんだ。彼らの影響かもしれないけど、自分のやりたいようにやるってことも大切だなって思うようになった」

「皆がそうしては、国は滅びます」

「僕個人の意見だよ。誰にも強制する気はない。それより、偽名をまだ考えてなかったね」

「ああ、それなら、私のことは『雪花シュエファ』とお呼びくださいませ」

「雪花?」

「ええ、以前から考えていましたの。あなたと出かけることがあれば、使おうと思っていた偽名です。私の雪とあなたの花ですよ。ようやく使う時が来ましたね」


『雪花』は嬉しそうに言う。

百合花が思っているよりも、彼女は浮かれているようだった。

全く安全な、危険のない地域へ散歩に出かけるようなものだと思っているのだろう。


町へ入ると、予想以上のその賑わい方に、雪花は面を喰らったようで、あちこちきょろきょろと見るだけで、言葉を発さなかった。

それもそのはずで、戦時中の町にしては、ここは些か呑気が過ぎるというか、まるで別の世界。

戦火の恐れを知らない人々の生活があるのだ。


百合花はひとまず彼女をセシリア装飾店へ案内した。

まずここの店――バシレウスたちの状況を確認しておかないことには、他の行動も起こせない。


「随分と慎ましい隠れ家ですのね」

「一応は店舗だよ。ちゃんと営業もしてる」


細い家屋の扉を開くと、中には誰もいないようで、がらんどうとしていた。


「留守、でしょうか」

「この時間は奥で寝ていることが多いんだけど、今日はいないみたいだね」

「でも、それならどうして鍵が……」


雪花は訝し気に室内を観察している。

気持ちはわかるが、ここはそういう店だ。

それに、たとえ盗人が入っても、バシレウスならその日のうちに特定して捕まえてしまうだろう。


危害を加えられても倍返しにできる自信があるが故の無防備。

決して褒められたものではないが、そういう罠でもあるのだ。


彼なら、悪事を働いた相手の弱味を握って、交換条件を出して命令を聞かせるくらいのことはやる。

そうやって手駒を増やしているのかもしれない。


「これ、ここの商品でしょうか」


雪花はガラスケースの中の指輪を見ている。

品物を出しっぱなしで、鍵も開いているのはさすがに不審感がある。


「触らないようにね。防犯の罠が仕掛けてあるかもしれない」

「持ち主の許可なく触るような人間だと思っているのですか?」

「一応だよ」


他に変わったことはないかと周囲をゆっくりと見回していると、カーテンが微かに揺れた。

さっき入った時に扉は閉めたし、窓も開いていない。

自分たちの立てた風でもない。


手で、雪花に屈んで隠れるように伝える。


「――おや、盗人かと思ったが」


奥からバシレウスが姿を現す。


「いなかったんじゃ?」

「先程帰ってきたのだ」

「嘘だ。扉を開いた音は聞こえなかった。わざわざ部屋の窓から入ったとしても、何の音も立てずに入られるものか」

「ふふっ、お前もなかなか鋭いではないか」


わざとらしく笑う。

百合花でも察知できないほど、完璧に気配を断っていたとすると、やはり常人ではない。


「種明かしはしてやろう。知らぬ仲でもないしな。しかし、そこにいる女人は私とは初対面かと思うが」


隠れているのも分かっているのか、と百合花はため息をついて、雪花に立ち上がるよう指示を出す。


「私の隠遁は不完全でしたか?」

「いや、彼の感覚がおかしいだけだ」

「確かに、その男の言う通りだ。常人ならば気がつくまいよ。それは先程言った種明かしと関係のある話なのだが、まあ、とりあえずは座りたまえ。せっかくの客人だ。それなりにもてなそうではないか」


バシレウスは一度奥へ戻り、紅茶のセットを持って現れた。


「何用か聞きたいところだが、まずは先程の種明かしをしよう。簡単なことだ」


紅茶を並べ終えたバシレウスは机から一歩離れる。

そして、次の瞬間に消えた。


いや、消えたように感じただけで、そこにいる。

しかし、まるで一枚薄いベールを纏ったような、認識のしづらさがあった。


「どうなっているんだ?」

「身体から発せられている魔力の波を止めたのだ。我々の世界では気配を消す時に用いられる普遍的な技術だが、魔力のないこの世界では特別有効なようだ」

「魔力……?」

「微弱とはいえ、お前たちの身体からも発せられている。それを知覚できるのは私とアンドレイアくらいだろう。我々の近辺から隠れることは不可能だと思ってもらっていい」


「……今隠れていたのは、僕たちが気配を察知できるか試すためだったんだね」

「そういうことだ。お前に察せないのなら、この世界のほとんどの人間には不可能だということだからな」

「でもどうして、今日この時間にここへ来ることがわかったんだい? 前もって連絡はしていなかったのに」

「それほど気にかけるようなことでもあるまい。何せ、私はここに住んでいるのだ。待ち構えていたというふうを装っているだけかもしれないぞ?」


彼は優雅に紅茶を口へと運ぶ。

彼からの接待を警戒していたのであろう雪花も、それを見て少しだけ口をつけた。


「さて、次はそっちの番だ。何をしにきた? 商会は赤い逆鱗を手に入れて、もうここへは要件もないだろうに」


全く、嫌味のない顔をして、彼は言う。

どうせ全部知っているのだろうに。


「……彼女が町を見たいと言ってね。妹なんだけど」


不本意ながら、雪花を妹と紹介する。

彼女はペコリと恭しく頭を下げた。


「妹か。それにしては似ていないようだが」

「血のつながりだけが家族じゃないだろ?」

「それはその通りだ。詮索はするまい。名は何と言う?」


「雪花ですわ。以後、お見知りおきを」

「また妙なことを言う。次に会う機会があるともわからないのに」


「形式的な挨拶ですわ」

「わかっているとも。皮肉を受け取るのが苦手なようだな」


そのひと言で雪花のこめかみに青筋が浮かぶのがわかった。

内容に腹が立ったのではない。

彼の、人を小馬鹿にしている態度に腹が立ったのだろう。

そしてそれを受け流せるような立場の人間ではない。


どうやらこのふたりの相性は最悪なようだ。


「しかし、わざわざ観光とはな。ここは戦線とは隔離されている町だ。見るものもあるまい」

「そんなことはありません。ここでの生活を営んでいる市民たち、その全てに価値がありますわ」

「ほう、そうか。それならば好きなだけ見て回るといい。そう長くは続かないであろう平和を享受する権利は誰にでもある」

「……それは、ここにまで戦火が及ぶという意味ですか?」

「先のことは誰にもわからないだろう? さて、君はここにある品物が気に入ったようだが、ひとつどうかな?」


さっき指輪を見ていたことを知っていることを隠さず、バシレウスは言う。


「不思議な魅力のある装飾品であることは認めます。しかし、とても私のような貧乏人には手が出せませんの」

「そこの兄が金なら持っているだろう」

「例え親しい間柄でも、金銭の貸し借りはしない主義なので、申し訳ございませんが」

「それは残念だ。ならば、私からの贈り物という形ではどうだろうか。それならば、貸し借りも発生しまい」


「そんな、高価なものでしょうに」

「よい。これは私が練習に作ったものだ。店長のセシリアとも関係ない。ここに置かせてもらっているだけなのだ」

「あなたが、これを?」

「少し習ったのでな。さて、まだ断る理由があるか?」


雪花が怪しんでいるのはわかる。

なぜそうも執拗に与えようとしているのか、その理由がわからない。

たった数分会話をしただけでも、彼が碌でもない人間であることは理解しているはずだ。


「そこまで言うのなら、百合花――兄上につけてもらいましょう。それで問題がなければ私が改めて頂戴いたします」


凛とした態度の雪花を見て、バシレウスは愉快そうに笑った。


「なかなかどうして用心深いやつだ。実は、これは玩具だ。蝋を固めたものに銀のメッキをしてあるだけのもの。装飾品ですらない」


彼はつまみあげたそれを、指先でくしゃと潰した。

しかし、固めた蝋とはああも簡単に潰れるものだっただろうか。


「なぜ、試すような真似をなさるのですか?」

「私も用心深いのだよ。相手がどういう性格か、調べないと気が済まない質なのだ」


「その結果、私はどう映りましたか?」

「うむ、気位が高く、私とは水と油のような性質を持つようだな。これ以上雑談をしても私に良い印象は抱くまい」


「分かっているのなら大変結構でございますわ」

「しかし、もう少し余裕を持った方がいいぞ。立場を隠すつもりなら、なおさらな」


「何を仰っているのか、分かりかねます」

「体の芯に染みついた所作というものは、そう簡単に隠せない。普通の人間はそこまで毒を警戒しないのだよ。お前は紅茶と指輪、二度暗殺を警戒したな。そして毒味を私と百合花にさせた。私はともかく、百合花が断る様子を見せなかったところを見るに――――」


饒舌に喋る彼を、百合花が手で制する。


「あまりいじめないでくれ。詮索はしないと先程約束しただろ」


バシレウスは肩をすくめる。


「それもそうだ。さて、話を戻そう。何の用でここへ来たのだ? セシリアなら今日は工房にいる。無駄足だったな」

「いや、君と彼女を会わせるのが僕の目的だった。結果は見ての通りだけど、まあ、予想していた通りだった」

「ふむ。ならば、思いのほか順調に事が進んでいるのか。アンドレイアもあとは血を探すのみだろうな」

「……何?」

「む? 逆鱗がふたつ揃い、眼は私が手に入れた。あとは血があれば神槍が手に入ると、そう言ったつもりだが?」


百合花は雪花の方を見る。

彼女の表情は動いていなかった。

さすがに、動揺を面に出さない訓練は受けているだけある。


しかし、四つの鍵の内、三つがすでに揃っているとは百合花も知らなかった。

それも、王国の所有ではなく、彼らふたりの手の内にあるようだ。


これでは神槍は皇国へ持ち帰られない。

それどころか、新たな脅威を生むことになる。


「――あなたは、神槍を手に入れて、どうするおつもりですか?」

「顔つきが変わったな。正直に言うと、それ自体はどうでもいいのだ。凄まじい力を持つらしいが、何かに向けてそれを振るうつもりはない。今のところはな。私はただ、それがどういう機構をしているのか知りたいだけだ。そして、このゲームを仕組んでいる者に多少なりとも灸をすえてやりたくてな」

「ゲームって、何のことだ?」

「神槍の争奪戦は仕組まれたものだ。王国と皇国、帝国を巻き込んで遊んでいる者がいる」


バシレウスの表情に嘘はない。

雪花は紅茶を口につける。


「……もしかしたら、と思うておりました」

「ほう、お前もか」


「あまりに上手くいきすぎています。神槍にしろ、逆鱗にしろ、なぜ国内に全て揃っているのか。誰が初めに言い出したのか。門とは、封印とは何か。我々は何も知らない」

「そう、不思議なのだ。誰も彼もあまりに知識が不足しすぎている。事実を確認する術を探して日夜調査を行っているが、まだ真偽不明のものが多い。竜にしてもそうだ。竜を狩ろうというのに、この国は竜を知らない」


「竜の本質とは、自然そのもの。力を奪うなど人として恥ずべき行為。それを知らぬはずはございません」

「竜は、狩る必要などそもそもないのだ。奴らは賢く、契約を重んじる。対価さえ払えば神槍などに頼らずともこの国を守ってくれるはずなのだ」


「私もそこまで竜に明るくありませんが、守り神としてこの国には炎の竜と氷の竜がいることは知っています。そのうち、炎の竜から赤い逆鱗を取り上げたことも」

「殺して奪っては効果がないのではないか?」


「……よくご存知ですね。炎の竜は帝国で捕らわれています。生命維持できるぎりぎりの状態で“保存”されているでしょう」

「ほうほう。それはいいことを聞いた。だが、そうか。いや、面白くなってきたな」


彼はひとりで納得したように、くすくすと笑う。


「しかし、その話が真実ならば、我々にできることはもうない。好きなだけ観光していくといい」

「あなたは、帝国とは事を構える気はないのですか」


「格下を相手にするつもりはない。こう見えても弱者には優しいのだ、私は」

「向こうは放っておかないはずです」


「それでも、私が出ていくことはない。徹頭徹尾、私はあくまで裏方なのだ。結果が出るまで大人しく待つつもりだ。帝国がお前たちから聞いた通りの国であるなら、数日で面白いことになる」

「面白いこと?」

「ああ、実に、面白いことだ」


彼はわざとらしく、含み笑いをした。

それはとても、邪悪な笑みだった。

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