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不安になったんだ

百合花は宮殿を出たあと、日を跨いで、故郷へ向かった。

久しぶりの帰郷なのだから、知り合いに挨拶くらいはしていきたい。

それに今度はいつ戻ってこられるかわからない。


馬に乗って田舎道をしばらく進むと、大きな白い石柱が見え始めた。

表面には竜の彫り物がしてある、この地域の標柱だ。


その奥には、小高い山の頂へと続く、長い石段が見える。


馬を麓に繋ぎ、百合花は石段を登る。

天候も良く、乾いた風が気持ち良い。


頂上が近くなって来ると、空気も薄くなってくる。

深呼吸のように大きく深い呼吸をしながら、百合花は休むことなく頂上へたどり着いた。


頂上にあるのは、幼かったころの百合花が修行を行った木造の道場だ。

最後に改修を行ってもう何十年も経っている。

門や囲いの表面にはわずかに苔も生えており、いつ崩れてもおかしくないほどにボロボロだ。


百合花が閉ざされた門をノックしようとすると、何者かの殺気を感じて、反射的に身を引く。

鉄の棒手裏剣が百合花のいたところに刺さった。

百合花は太陽のある方向へ視線を向けた。

光の中に、小さな人影が見える。


「危ないよ、美月メイユェ。僕じゃなかったらどうするんだい?」

「確認してから投げた!」


屋根の上からひらりと跳び、着地したのは中性的な外見の少女だ。

彼女は美月メイユェ、百合花と同門で後輩だ。


「どうしていきなり襲うんだ?」

「百合花を見かけたら、腑抜けていないか確認するよう、お師匠に言われてる!」

「そう。どうだった?」

「これからだっ!」


美月の両手にはいつの間にか小さな鉄の棒が握られている。

峨眉刺がびしと呼ばれるその武器は、握って相手に突き刺すようにして振るう細長い武器だ。

小さいから見えにくいし、舞うような動きから繰り出される武器は鋭く、見慣れていない者ならば簡単に打ち倒せるだろう。


「全然当たってないよ。ちゃんと修行してた?」

真可恶チェンクゥウ! ひらひらと逃げ回るな!」

「そりゃ、僕だって痛い思いはしたくないもの。お師匠、いるの?」

「死んだ! 去年病気になった!」

「そっか。お墓は? 中?」

「庭にある! ワタシと明明メイメイが毎日お手入れしてる!」

「ふたりともありがとう」


美月の攻撃は当たらない。

百合花には全部見えている。

どれだけ素早くても、見えないことはない。

見えるということは対応できるということ。

その理屈は間違っていないはず、なのに。


「ねえ、僕、強いよね?」

「嫌味か!」

「いや、不安になったんだ」


美月の手が止まる。

心配するような表情を浮かべ、攻撃を止めた。

彼女は昔からコロコロと表情を変える。

変わっていないな、と百合花は安堵した。


「ど、どうした? お前がそんなこと言うはずがない! 何か悪いもの食べたか?」

「最近負けたんだ。それでちょっと落ち込んだ」

「負けた? 百合花より強い人間なんているわけない!」

「いたんだよ。中、入るよ」


百合花が門を開いて庭へ入ると、大きな岩に師匠の名が刻んであった。

その前で、竹ぼうきで落ち葉を掃く黒くて長い髪を一本に束ねた少女、明明の姿があった。


「百合花さん、おかえりなさい」

「ただいま。お師匠の最期に立ち合えなくてすまない」

「いえ、お師匠さまも事情は存じておりました。私たちも同じです。公務でお忙しい中、お立ち寄り頂き感謝します」

「そんな風に言われるとちょっと心苦しいな。ふたりとも、手合わせするかい?」


そう言うと、後ろから美月が吠える。


「今アタシとやってたろ!」

「本気の手合わせだよ。さっきも言った通り、僕は僕の強さに自信がなくなった。確かめたいんだ。僕は弱くなったのか、どうか」

「……私は構いません、が」


明明が腰に備えたふた振りの剣を抜く。

彼女の得意な戦い方は二刀流。

こちらも舞踊を基本とした、攻防一体の美しい剣術だ。


「本気での手合わせを望むとあれば、手心は加えません。よろしいですか?」

「ああ、本気で頼む。僕も本気でやる」


百合花は道場へ入り、壁に飾られている無数の武具の中から、木製の棒『棍』を手に取る。

練習用で人を殺せるようなものではないが、あるだけでもだいぶ違う。


外へ出ると、ふたりは臨戦態勢で待っていた。

空気が張り詰め、庭からは鳥たちが逃げ去っていた。


「いつでもどうぞ」


百合花が言い終わるかどうかの僅かな時間、ふたりが別々の方へ跳ねて、迫った。

美月が空中へ、明明が滑るように地を這う。

彼女たちは両方が両手に武器を持つ。

四つの武器がほぼ同時に迫ってくる。

これを完全に躱すのは難しい。


百合花は、手にした棍を構え、近い順に処理していくことに決めた。

ほんの一瞬の出来事ではあるが、戦いの最中の、粘ついた時間の中では、一瞬は永遠よりも永い。


まずは棍を回転させて、明明の送り足をすくう。

体勢を崩しかけるも、さすがのバランス感覚で、跳ねあがった力に逆らわず大きく後転する。

彼女が地に再び足をつけるまでの間に、百合花は素早く棍の向きを変え、空中の美月の胴を突く。

近間に入られてしまうと、彼女の峨眉刺は捌きにくい。

しかし美月もそれは見切っていたようで、当たった瞬間に身をよじって、棍の威力を殺し、百合花の隣に着地する。


目の端で明明が再び地に足をつけるのが見えた。

美月が回転しながら峨眉刺を振るう。

百合花は伏せて躱す。


追撃を感じ、棍で地面を突き、空中へ飛びあがる。

間合いを詰めていた明明の刃が棍を切り飛ばす。


百合花はすでに考えて動いていない。

身体に染みついた経験と技術が、全身を動かしているのだ。


(……違う。彼は、そうじゃなかった)


わずかな思考。

動きの鈍り。

美月と明明はその隙を見逃すほど甘くない。

鉄の針と刃が、百合花の急所めがけて襲い掛かる。


(僕もまだ、強くならないといけない)


彼女たちの動きはしっかりと認識できている。

攻撃を躱せる僅かな隙間に、正確に身体を動かす。


「ッ!?」

「躱した!?」


絶対に当たっていたはずの攻撃を躱され、今度は彼女たちに隙が生まれる。

百合花は美月に向かって震脚、掌打。

彼女の体は吹き飛び、道場の壁に当たって倒れる。


明明は素早く次の攻撃に移ろうとしていたが、百合花の方が一手速い。

二枚の刃は、精密な動きがあって初めて脅威となる。

正確で綺麗な武術を行う彼女だからこそ、習得した武術にはない動きをする百合花に対応できなかったのだろう。


百合花は棍を素早く回転させて、明明の二刀を、完全に弾き飛ばす。

今度こそ、体勢は崩れた。

百合花の掌底が、彼女の肋骨に触れ、折れる感触が手に伝わった。


美月と明明が戦闘不能になったことを確認して、百合花は抱拳礼をする。


「ありがとう、ふたりとも。おかげで僕に足りないものがわかった気がする」

「……これでも、まだ、足りないのですか」

「明明、強さはどれだけあっても足りない。どこまで行ってもその頂きが見えない。だから、お師匠は死ぬまで修行していたんだ。今なら分かるよ」


師匠は恐らく死ぬ直前まで鍛錬を積んでいた。

病床に伏せることなどできない人間だった。

だから、彼がどうしてそこまで強さに憑りつかれたのか、その理由がずっと知りたかった。


それは、遙か格上との戦いを想定していたのだと、今なら理解できる。

百合花の人生に足りなかったのは、そういった強敵だったのかもしれない。


「百合花さん。また、帰って来られますよね?」


明明が不安そうに言う。

美月も言葉にはしないが、表情でそう告げているのがわかる。


「……ああ、帰ってくるよ。必ず。約束だ」


本当は約束なんてできない。

死なない約束ほど、果たし難いものはない。


「――百合花さん、今日はここに泊まられるのですか?」

「いや、曲がりなりにもここはふたりの家だ。僕は宿をとるつもりだよ」

「まだ決まっていないなら、是非ともここに泊まってくださいませ。久方ぶりに寝食を共にしましょう」

「僕はそれでも良いけど……」


美月に目をやると、苦い顔でこちらを見ている。

良く思わないが、許可はするという感じの顔だ。


「とりあえず、ふたりともまずは麓の病院で看てもらわないと」


ふたりは負傷の痛みを隠すように、曖昧に笑った。



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