これが竜の力か
耳を疑うような言葉と同時に、隊員のひとりが、近くにいた他の隊員ふたりの脇腹に、ナイフを突き刺した。
「逆鱗が手に入ったのなら、お前はもう必要ない」
その隊員は、二本のナイフを逆手に持ち、カシマへ向かって構えた。
例え刺し違えてでも、竜に関する知識を持つカシマを殺すつもりだろう。
(こいつ、間抜けか? クリスタが考えを改めるだけでご破算だろ)
彼らに白銀竜を御するだけの力があるとは思えない。
しかしカシマが死に、クリスタの存在を隠したアンドレイアがこっそりと王都へ戻っても、どれだけいるかわからない他の仲間がこの件を調べ、逆鱗を持っていることはすぐに明らかになる。
アンドレイアも簡単には渡さないが、いかなる手段を用いてでも回収するはずだ。
(ここからじゃ遠すぎるな……)
アンドレイアの位置からでは、ナイフを止めるには数秒かかる。
ここは雪と氷の世界だ。
投擲する物もない。
敵の動きは迷いがなく、素早かった。
カシマめがけて、風のようにナイフが襲い掛かる。
――しかし、カシマも熟練の兵士だった。
ナイフを鋼鉄の籠手で見事に弾いて防御し、両手首を捕まえて、頭突きを打ち込む。
敵が苦痛に顔を歪めるも、カシマは手を緩めない。
一瞬の隙を見て、両手の手首の関節を外した。
(……そういや、この人隊長だったな)
アンドレイアは手を出さずにその戦いぶりを見ていた。
生半可な戦闘能力じゃ、犠牲の多い討伐隊の隊長になど選ばれるはずもない。
優れた対人戦闘術で功績を上げ、兵士から尊敬のまなざしを向けられているからこそ成り立つ地位にいる。
カシマは敵の顔を両手で掴むと、一切の躊躇なく、頸椎をへし折った。
顔が真後ろまで回転した敵は、最後の言葉を発することなく、絶命した。
カシマは特に表情を変えず、刺された部下たちの怪我を調べる。
(妙になれてやがる。今回が初めてじゃないのか)
「アンドレイア! 何とかならんか!?」
カシマがふたりの負傷を見て、片方はもう助からないことを悟ったようだ。
せめて片方だけでも助からないかと、懇願するような表情を見せている。
「悪いが、俺に傷を治す力はない。だが、こいつならあるんじゃないか?」
「確かに、我なら多少の傷は治癒できるが……」
クリスタが近づいて兵士の腹に手を当てる。
「無条件では人間を治癒できぬ。必ず対価をもらわねばならない」
「死にかけているんだぞ!」
「だから何だと言うのだ。人間同士の争いで死者が出るのはそれほど珍しいことではないだろう?」
「貴様……!」
カシマが腰の剣に手をかける。
「落ち着け、カシマのおっさん。こいつの言ってることは感情論じゃねえ。そういうルールがあるんだろ。たぶん説明する権限がないから湾曲した言い方になってるだけだ。怪我を治す対価は?」
アンドレイアが言うと、クリスタは落ち着いた口調で言う。
「これほどの傷だ。人間をひとり、か」
「怪我を治すために人の命を奪うのか!?」
「いや、命ではない。人生そのものを捧げる。我の眷属、言い換えれば僕となることだ」
「……それならば、私がなる。それでこいつの傷は癒せるのだろう?」
「どういう意味か理解しているのか、そこまでは問うまい。だが、貴様は他人のために、人間としての、自身の残りの人生を捨てようとしていることは分かるか?」
「構わない」
カシマは即答した。
一時的な興奮で、安直に答えたのかもしれない。
だが、ここで自分自身を差し出さず、助けられたかもしれない部下を殺してしまうと、そのことは一生後悔するだろう。
結果の良し悪しは、すぐにはわからない。
しかし、それにしても、何も分かっていないにもほどがある。
「――ふたりとも、待て。まずおっさん、眷属になるってのは、おっさんは人間を辞めるってことだぞ。それはいいのか?」
アンドレイアは言いながら、負傷した兵士の腹部の止血を始めた。
魔法ではない応急処置でも試してみる価値はある。
「人間とは、仲間を見捨てないものだ。どんな変化が起ころうと、私の精神が人間である限り、何も問題はない」
「なるほど、承知。で、クリスタは本当におっさんを眷属にしてもいいのか? お前、眷属を作るのは初めてだろ?」
「我にもわからぬ。ただ、そう決まっている。それ以上の理由も覚悟も必要ない」
両方とも予想以上の堅物だった。
アンドレイアは呆れて、彼らの会話を中断させたことを少し後悔した。
「じゃあ、とりあえず誤解なく合意ってことにするぞ。あとでトラブルにならねえようにな。予想通り、傷が深すぎる。治癒魔法を使わねえとそう長くはもたねえ。さっさと契約を済ませろ」
クリスタが自分の胸に片手を突っ込み、小指の爪ほどの大きさの、一枚の小さな鱗を取り出す。
共に溢れた銀色の液体は、空気に触れると凍るようにして、すぐに止まった。
「これを飲め」
「鱗か?」
「『誓いの鱗』だ。これを飲むことで、お前は我の眷属となる。他の鱗とは性質の異なるものだ」
「そんなものがあるのか」
言いながら、カシマはそれを受け取って、飲み込んだ。
「我のような上位種ならば持っている。この世界ならば炎竜と我のみ、だがな」
鱗を飲んだカシマはふらつき、やがてうずくまる。
「契約は成立だ」
クリスタが片手を負傷した兵士へ向けると、彼の外傷がみるみるうちに塞がり、血は完全に止まった。
「意識が戻るまではまだ少しかかるだろうが、これで死ぬことはない。もっとも、この気温に耐えられるかはわからぬ」
「とりあえず風をしのげるところまで行くぞ。俺が背負っていく。カシマのおっさん、大丈夫か?」
カシマは荒い呼吸を繰り返し、言葉を発するのも難しいようだった。
魔力に耐性のない人間が簡単に適応できるはずがない。
首筋に青い燐光が仄かに見える。
眷属になるということの意味を、アンドレイアは知っている。
それはすなわち、魔族になるということだ。
しかし、この世界には魔力がほとんど存在しない。
魔族とは、膨大な魔力によってその強さを維持するものだ。
魔力がない生き物であったなら、いったいどう変化するのだろう。
カシマの変化はすぐに収まった。
深呼吸して吐いた息には、細かい氷の粒が見て取れた。
「――どうだ?」
「最悪の気分だ」
そう言いながら、彼は防寒具を脱ぎ捨てていた。
きっと身体が完全に寒冷地に適応してしまい、防寒具が暑いのだ。
「おい、治療の方はどうなった」
「大丈夫そうだ。ただ、すぐに暖かい場所に移動しないとマズい」
「私がここに休息所を作る」
カシマはそう言うと、両手に力を込め始めた。
そこには明らかに魔力が存在している。
雪が盛り上がり、固まり、氷の壁や天井となって、その場に簡易的な小屋ができあがった。
その様子はアンドレイアが何度も見たことのある魔法そのものだった。
「これが竜の力か。すごい力だ。だが、火は起こせない。アンドレイア、頼む」
「あいよ」
アンドレイアは背嚢に入れていた焚き火のための道具を取り出し、すぐに火を起こす。
魔法の氷ならば、火で溶ける心配はない。
負傷した兵士を暖かい場所に寝かせると、カシマも安心したのか、少し困惑の表情が見て取れるようになった。
「いったい私は、どうなったのだ」
「我の力の一部を分け与えた。お前はいくらかの氷や冷気を操ることができる。この力は魔力と言い、体力と同じようなものだ。使い過ぎれば当然倒れるが、十分に休息をとればまた使えるようになる。この辺りは我よりも、そっちの人間の方が詳しいだろう」
クリスタはアンドレイアに視線を送る。
「――まあ、そうだな。普通の魔力とは違うのは、これ以上鍛えることができないところか。固形の魔力を体内に宿しているだけだからな。それと、体質の変化を自分で調節できない。自分でも感じているだろうが、今までのように暑いところでは活動できない身体になった。完全に寒冷地に適応しちまってるからな」
「……国には、戻れないのか?」
「砂漠とか荒野じゃなけりゃ大丈夫だろ。それにこいつも連れて行くつもりだし」
クリスタに耐えられないくらいなら、当然その眷属となったカシマも耐えられないだろう。
ただ、もう二度と、この北の地からは出て暮らせない。
彼が軽く考えていたとは言わないが、眷属になるというのは、住処も食事も同じとすることだ。
人間のように、あらゆる環境へ適応して生きていくことは難しい。
「そういやまだ確認してなかったけど、逆鱗は取り出せるんだろうな?」
「ああ、我の体内にある。譲渡は可能だ。しかし――」
「お前が心配してんのは『神槍』のことだろ? 誰にも使わせるつもりはねえよ。封印が解かれても、この国の手には絶対に渡らねえ」
「どういうことだ?」
「俺ともうひとり、向こうから来てるやつがいる。そいつがなかなか厄介な奴なんだよ。悪意はねえようだが、他人をただの駒としか思ってないやつだ。そんなやつが、千年間ずっと負け知らずの支配者だった。統一すらされてないこの世界の権力者なら、何人束になっても勝ち目はねえよ」
今のバシレウスは権力者ではないし、動かせる駒にも限りがある。
しかし、それでも人間相手に後れを取ることなどありえない。
身体能力が低下していても問題なく戦えている自分がいるように、バシレウスもそうだろうと確信めいたものを感じていた。




