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命の保証はしかねる

――静寂の中、僅かに積もった雪を踏む音が響く。


アンドレイアは自身含む五名の討伐隊を編成し、白銀の竜の住処へと向かっていた。


空は晴れて、日の光が雪原に反射して眩しい。

しかし雲も風もなく、天候は良い。


白銀の竜『クリスタ・リザシオン』。

その体躯は白銀の硬皮で覆われおり、生半可な刃物や爆薬では刃が立たない。


まず前提として、竜というものは鱗を持たないのが、アンドレイアの常識だった。

バシレウスとも概ねそういう認識ですり合わせが済んでいる。


以前倒したミズチから情報を得て、アンドレイアは考えを改めた。

鱗という名前が指すものは、竜の体内にできた魔力の結晶のことだった。

ミズチの場合、内臓の間に、最大で手の平ほどの大きさの鱗がまばらについていた。

それが水や光の魔法に似たことを行っていたのだ。


バシレウスの仮説では、ふたりの体内を巡っていた魔力は、例えるならば気体で、体内に留めておくことが出来ず、魔力濃度の薄い空気中へ溶け出してしまった。

しかしそれが鱗のような固体であったなら、その場に留めておくことが可能なのだ。


理論的にはそう難しいことではない。

魔力を結晶化する技術はアンドレイアの世界にも存在した。


だが、そもそも魔力というものがほとんど存在しないこの世界では事情が異なる。

誰かが明確な意図をもって仕込まなければ不可能なことであった。


バシレウスが『マギア』と呼んだものについて詳しい説明を求めたが、アンドレイアは生命の模造品であるということ以外、何も知らされていない。

恐らく、この鱗のような魔力の塊を用いて動いている、ゴーレムの亜種のようなものなのだろう。


それらの意味するところは、これを作った何者かがいるということだ。

アンドレイアたちの世界の生き物を模した『マギア』を作った何者か。


そして、ふたりをこの世界へ送り込んだ者の正体。


謎を解明するには、ひたすらに前へ進み続けるしかない。

バシレウスも口には出さないが、同じことを考えていることだろう。


アンドレイアはひと晩考えて、カシマに編成と用意する道具のことを伝えた。

そして、自分は身分を偽り、顔の見えにくい兜を被り、無口な兵士を演じることにした。

完全な別人として振る舞うのなら、カシマとも会話が可能だと判断したのだ。


「……本当にこの人数で大丈夫なのか?」


カシマが他の者に聞こえないくらいの小声でアンドレイアに言う。

本来の部隊の五分の一、下手をすれば六分の一だ。

荷物を極力減らすため、衛生兵すらも連れてきていない。

怪我をすることが即、死に繋がる。

彼が不安になるのも無理はない。


「これでも多いくらいだ。極端な話をすれば、俺だけでも構わないくらいだが、それだと竜を倒した後の処理に困るからな。解体と荷運びの人員だよ」

「倒すまでは問題ないと?」

「ああ。よく知ってる相手だ。それに、対策用の指輪が五つしか間に合わなかった。これ以上はいても死ぬだけだ」


セシリアに作ってもらった赤い鱗を用いた指輪には、竜由来のわずかな炎の魔力がある。

これがあれば、クリスタの氷であっても瞬時に凍らせることはできない。

もしも氷への対処にミスがあっても、身体の一部が壊死するだけで済むならば、死ぬよりはずっといい。


「しかしこの程度の対策を今まで誰も思いつかなかったのか、不思議だな」

「仕方がない。竜とはそう何度も戦うものではない。鱗の使い道の向かう先は常に人間だった」

「そういうもんか。まあ、圧倒的に竜の数が少ないこともあるだろうが」

「それもあるが、いつだって竜の鱗は戦争の道具だ。今もな」

「それはまた――」


戦争のために沢山狩って鱗を集めようにも、狩るための兵士もいる。

しかし平時から集めるにはあまりに危険で、追い詰められて手を出すようなもの。

竜の鱗は彼らにとっての最後の兵器――手段なのだ。


(まあ、魔族相手に武器奪いながら戦ってた俺が言うことでもないか)


「また?」

「いや、何でもない。それよりそろそろ着くんじゃないのか?」


雪原の感触が変わってきたのを感じた。

硬いというか、踏んだ瞬間に足が沈む感じがしない。

白銀の竜クリスタの氷は太陽光で溶けない。

これは確実にその破片が降り積もっている証拠だ。


「今更聞くが、前に来た時は何人死んだ?」

「偵察による死者はいない。そこまで間抜けじゃない」

「そりゃよかった。じゃあ、この氷の恐ろしさも知らねえってわけだ」

「恐ろしさを知らないことの何がいいことだ?」

「怖がらずに突っ込んでいけるだろ。今回はそういうのが必要だ」


景色の中に徐々に岩のような氷の塊が増え始める。

雪原のような白い景色だと、その青さ、異質さがよく分かる。


「絶対に氷に触れるなよ!」


カシマの命令に、強張った表情の隊員たちが口を一文字に結ぶ。

彼らには最低限の説明をしているが、それでもこの人数での竜の討伐だ。

生きた心地がしていないだろう。


障害物に気を配りながら歩くと、普段の数倍は時間がかかる。

我慢強い隊員だけを選別したが、体力と精神力の消耗は想像を絶するだろう。


アンドレイアは誰ひとりとして犠牲を出すつもりはない。

彼らには証人になってもらわなくてはならないからだ。


白銀の竜は大きな氷の壁に覆われている。

クリスタはこの中で眠っている。

餌のとれない極寒の地では、生き延びるために長い眠りを必要とするのだ。


「これが、白銀の竜……」


兵士のひとりが呟く。

彼らは初めて目にする。

巨大な蒼い氷塊に包まれた、銀と同じような光沢を放つ、神々しい竜の眠る姿を。


(こいつは地面の振動を感知できたはず……。まあ、こっちの接近には気がついているだろうが、悠長に寝てられるのは歯牙にかけるほどもないと思っているからか)


アンドレイアは小さく鼻で笑う。

油断してくれているのはありがたいことだ。


十分に離れた場所で、カシマが部下たちへ命令をする。


「これからこいつを起こす。お前たち、訓練でやったことを思い出せば死にはしない。いいか、絶対に後ろには下がるな。息を吹きかけられたら前に出ることを忘れるな」


アンドレイアが事前にカシマに伝えていたことだ。

クリスタの氷結の吐息は、離れるほどに強力になる。

凍り始めた場所から奥へ向かって、氷結部位が広くなるのだ。


だから、危険を感じたら前に出る。

そのための度胸と覚悟が必要だ。

それを繰り返して徐々に近づいていき、最後にはクリスタの手の届くところまで行けるだろう。


問題はその後、竜の打撃を如何にして凌ぐか。

訓練はしたが、こればかりは緊張の度合いや運が絡む。


アンドレイアが竜の方へ歩むと、カシマが肩を掴んだ。


「近づいて大丈夫なのか?」

「……こいつは百キロは先の地面の振動でも感じ取れる。俺たちがここにいることはとっくに知ってる」


カシマは一瞬だけ驚きの表情を見せるが、すぐに引きしまった顔へ戻った。

その切り替えの早さはさすがのひと言に尽きる。


「隊長殿、俺が一番槍をいただいても?」

「……許可する。他の者はもう少し下がれ。氷の破片には注意しろ」


アンドレイアが指輪をつけた右手で、氷を軽くノックする。

赤い鱗から伝わった熱の魔法が、氷に亀裂を入れ、そして、身じろぎした白銀の竜が、覆っていた氷塊を弾け飛ばす。


アンドレイアは間近でそれらを全て躱す。

後ろの方を見ている余裕はないが、悲鳴が聞こえないところを見るに無事なのだろう。


「クリスタ・リザシオン。俺と戦え」


竜はゆっくりと鎌首をもたげ、視線をアンドレイアに向ける。


「――何故、我の名を」


クリスタは男とも女ともつかない中性的な声で言う。

本来ならば、竜種は会話が通じる。

逆に言えば、話せないものは竜ではないのだ。


「……喋るのか」


背後でカシマが呟くのが聞こえる。

彼らが知らないのも無理はない。


「逆鱗ってのが欲しいんだと」

「逆鱗は貴様ら人間の手には余る。よって渡せぬ」

「赤い方はすでに手に入っているって言ってもか?」


アンドレイアが言うと、クリスタがわずかに反応を示す。


「――炎竜は、死んだのか」

「さあね。俺は逆鱗があることを知っているだけだ。経緯は知らん」

「――『神槍』の鍵を集めるつもりか。人間風情が過ぎた力を求めることなかれ。厄災が訪れる」


「そんなことは知ってるよ。でも、どっちみち滅ぶんだ。最後くらい足掻くだろ」

「愚かな。その足掻きとやらが、この人数か」

「人数しか見えてないなら、お前死ぬぜ?」

「ほう、やってみるか。脆弱な人間ども。炎竜と同様に我も降せるとは思わないことだ」


肌を刺すような冷たい空気が、より一層冷たくなる。

戦うつもりになってくれたようだ。


「やる前にひとつ聞きたい。鱗は本当にお前が持っているんだな?」

「いかにも。我は氷竜。炎竜と対を為す存在なれば」

「ああ、わかった。じゃあ、やろうか」


アンドレイアも剣を抜く。

柄には赤い鱗の破片が埋め込まれている。

刀身に仄かな温かみがある。


「その程度の装備で我を――――」


嘲り笑おうとするクリスタの喉元に、アンドレイアは剣を突き刺した。

クリスタの硬皮はあくまで外側を覆うだけのもの。

顎から腹側にかけての皮膚は僅かに柔らかいのだ。


「何喋ってんだ? もう始めるって言ったろ」


アンドレイアが引き抜くと、銀色の液体があふれ出るのと同時に、甲高い悲鳴が響き渡った。


「やったか!?」


カシマが叫ぶ。

この程度で殺せるものか、とアンドレイアは剣を納めなかった。

クリスタは傷口をすぐに凍らせて止血を施した。


「思ってたより油断してたみたいで助かったよ。もう降参するか?」

「貴様ァ!」


怒髪天を突く勢いのクリスタは、アンドレイアに向けて極寒のブレスを吐く。

その性質を熟知しているアンドレイアは悠々と前へ歩み、クリスタの懐へと踏み込む。


アンドレイアの背後に巨大な氷の壁が立ち上る。

どうやら戦闘経験の少ない竜だったようだ。

熟練の竜であったならば、飛び上がって真下へ向けてブレスを吐く。


(――いや、違うな)


敵の意図を、一瞬遅れて理解する。

遠距離からの攻撃を警戒し、他の人間と隔離したのだ。


素人の割には冷静な判断ができるのか、と感心する。

しかし足手まといを分断されて、むしろ幸運だった。

傷口から漏れ出す毒性のある体液を避けながらでも、アンドレイアの技量ならばいつでも殺せる。


しかし、アンドレイアは追い打ちをやめて剣をしまった。

それは休戦の意思を伝えるための行動だ。

こんな機会じゃなければ、話もできないだろう。


「貴様、どういうつもりか」

「邪魔の入らない内にいくつか聞きたいことがある」

「聞きたい、こと?」


竜は氷の隙間から流れ出る血を細い腕で抑えながら言う。


「お前らはなんで魔法を使える? 誰に作られた?」

「……そのような質問を投げかけるということは、貴様は、あの方と同じ世界の住人か」


「あー、やっぱり、こっちに誰か来てんのか」

「だが、貴様にそれを教えることはできぬ。あの方は裏切れぬ」


「ああ、実は俺もそっちには興味ねえんだ。逆鱗だけくれないか?」

「――何?」

「深くは詮索しないけどよ、お前が作られた理由ってのもあるんだろ? ここで俺に殺されたら、何もできないままになるんじゃないのか?」


クリスタは怒りのこもった眼差しを向ける。


「その程度で取り引きできると思われているとは舐められたものだな」

「現実を見ろよ。お前はたったの一撃で喉元を貫かれている。これ以上戦うことの死のリスクと生き残るための降伏。どっちを選ぶのが賢いか、お前を作った“あの方”は教えてくれなかったのか?」

「創造主さまを侮辱するな!」


激昂するクリスタを手で制する。


「正直に言うと、お前を殺したくない。貴重な話せる相手だ」

「そんな都合が通ると思っているのか!」

「おいもう時間がねえ。氷の向こうの奴らは俺が氷塊を壊したところを見ていた。同じやり方を試すはずだ。――どっちだ? もう分かってると思うが、俺は逆鱗を力そのものとして使うつもりはない。剣だけあれば兵器は必要ないからな。そんで、この世界をどうこうしようという気もない。ただ鍵として使いたいだけだ。返してほしければその後で返す」

「貴様……!」


クリスタはぐるぐると喉を鳴らす。

彼の賢さと判断能力に語りかけた。

もしも彼の感情が理性に勝ったなら、ここからは純粋な殺し合いとなる。


氷壁が砕ける。

仲間たちがなだれ込んでくる中、クリスタの身体が凄まじい竜巻のような突風に覆われる。


アンドレイアは警戒を解いていなかったが、攻撃が目的の魔法でないことはすぐに分かった。

昔、何度か見たことがあったのだ。


突風が弱くなると、そこには青い長髪をした、ひとりの男が立っていた。

閉じていた目を開くと、サファイアのような青くて透明な、宝石のような瞳が輝いていた。


「そういや、竜は変化ができるんだったな」

「我が共に行けば、逆鱗だけを渡す必要はないだろう」

「まだ信用されてないのか」

「当然だ。信用に足る行動を、貴様はやったつもりか?」

「なるほどね」


ふたりが会話していると、他の隊員は驚きと戸惑いを隠していなかった。

彼らにこれをどうやって説明しようか悩んでいると、クリスタが先に口を開いた。


「我は白銀竜クリスタ。この男に付くことにした。異論のある者は戦っても構わない。しかし、命の保証はしかねる」


困惑は解消されないようだが、やはりそこは隊長であるカシマが最初に告げる。


「ならば、この任務はここで達成となる。我らの目的は逆鱗を持ち帰ることだ。竜を殺すことではない」

「隊長、本当に信用するんですか?」

「信用はしていない。だが、もしも我々を殺すつもりなら、すでにやっているだろう。さっきの氷を見ただろう? 奴には造作もないことだ」


圧倒的な力を持つ竜のことは、彼らもよく理解しているはずだ。

それが味方につくのなら、それほど心強いことはない。

だが、いつでも殺される可能性があるというのは、落ち着かないだろう。


「――隊長、これでは困ります」


直後、真っ白な雪原に、血しぶきが吹き出した。

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