これは失敬
目の前でめきめきと姿を変える魔族を見て、アンドレイアは攻撃の手を緩めた。
どれだけ身体が大きくなろうとも、今のアンドレイアにはとても強そうには見えない。
その変化を見守っていたのは、魔族がどういう生き物なのか、ほとんど知らなかったからだ。
得られる情報は少しでも得ておきたい。
体躯が三倍ほどに膨れ上がり、身に着けていた鎧が耐えられずに砕けて弾ける。
爪や牙も大きく発達し、剣はもう必要ないようだ。
凄まじい咆哮に、耳を塞ぐ。
直後、魔族が大きく跳ねた。
その時、ほぼ同時に、アンドレイアは思考する。
(――止まれ)
アンドレイアは物心ついたときから、ほんの数瞬、全ての物を止められる。
誰にも話してはいけないことだと幼心に思い、今まで誰にも明かしていない。
どういう魔法なのかわからないが、とにかく、生物だろうが木の葉だろうが川の流れだろうが、止められる。
そして、この魔法による副作用は、今のところ感じていない。
この魔法の弱点は、アンドレイアが触れると停止が解除されるところだ。
止まったまま獲物を殺すことはできない。
(端から削るか)
アンドレイアは魔族の脛にナイフを滑り込ませる。
触れた瞬間に彼が動き始めるも、切り裂く動きの方が早い。
これで足を潰したと思った次の瞬間に、アンドレイアは直感的に危機を感じて離れた。
瞬時に傷が回復し、こちらへ向けて爪を振り下ろそうとしている。
眼や片腕が治っていないのは、この形態になる以前の傷だからだろうか。
ともかく、どうやらこの程度では傷も与えられないらしい。
「……剣、借りるぜ」
敵の捨てた剣を拾い上げて、鎖骨の辺りから一気に剣を刺し込む。
その瞬間、彼の爪が襲い掛かり、アンドレイアは咄嗟に後ろに跳ねたものの、衝撃で吹き飛ぶ。
受け身をとったが、すぐには立ち上がれなかった。
身体は利くが、戦うことに慣れていないのだ。
追撃に備えて敵の方に目をやるが、すぐには追ってこない。
アンドレイアの攻撃は有効だったようだ。
さすがに剣の刃が身体に深々と刺さってしまえば、致命傷は避けられない。
剣を抜きとるだけの知性も失っているようで、その場で爪を振り回して暴れている。
仮に剣が肺や心臓に刺さったまま再生するとどうなるのだろうか。
死にたくても死ねない、地獄の苦しみが彼を襲っているのではないだろうか。
「やっぱ、首か。気は進まねえけど……」
獣の頸椎は太くて硬く、正確に関節を切り落とさなければならない。
もう一度彼を止め、剣を引き抜いて離れ、再度停止、今度は渾身の力で首を切り落とす。
手に伝わる血肉と骨の感触。
今までいくつもの獣を解体してきたが、生体のそれは、あまり気持ちの良いものではない。
首が飛ぶ最中、彼の目は確実にこちらを見た。
そして、声のない声で、確かに言った。
――見事。
まるで倒されるために戦ったかのような態度に違和感を覚えたが、アンドレイアは気にすることをやめた。
周囲の魔族たちの恐れおののく表情が目に入った。
どうやら彼がリーダーで間違いなかったようだ。
その後、彼らは小声で何かを話し合い、アンドレイアから目を離さないようにして後ずさって、やがてはいなくなった。
それをきっかけに、アンドレイアと魔族の戦いは始まった。
アンドレイアから仕掛けなくとも、向こうから大軍がやってきた。
巻き添えを恐れ、人間の集落にはいられず、たったひとりで戦い続けた。
どれくらい経ったころだろうか、そのうちに、人間たちは結束していった。
魔族に反抗する仲間もできた。
人間として極限まで肉体を鍛えた者や、魔法を鍛えた者。
その力は魔族には劣るが、孤独なアンドレイアの心の支えだった。
しかし、これは戦争とも違う、もっと野蛮な戦いだ。
己の意思で続けていくしかない戦いだった。
最初はアンドレイアについてきた仲間たちも、それぞれの理由で去っていった。
死に別れはまだいい方で、精神を病んだ者や錯乱して仲間に襲い掛かる者、魔族に寝返る者もいた。
アンドレイアはその全てを仕方ないと受け入れた。
彼らは弱いから、常に不安を抱いていなければならない。
勝てそうな魔族を捕まえて憂さを晴らさなければならない。
アンドレイアは疲れ果て、最後にはまた、孤独の闇へと帰った。
ありとあらゆる魔族と戦い続け、技は洗練されていき、ほとんどの敵を一撃で屠れるようになったころ、アンドレイアは人間たちにとっての救世主――勇者となった。
ある者は祈り、ある者は敬い、ある者は信仰した。
アンドレイアの孤独が満たされることは永遠にないことの表れだった。
この戦いの先には何もないのではないか。
そんな思いをずっと胸に抱えたまま、アンドレイアは魔王の城までたどり着いたのだった。
「――面白い!」
バシレウスの興奮気味の声で、アンドレイアは目を覚ました。
木の幹に背を預けて座っていたら、いつの間にか眠っていたようだ。
どれほど時間が経ったかわからないが、短くない時間、バシレウスは黙々とミズチの死体を調べていたようだ。
カシマはバシレウスを見張る意味合いも兼ねてか、歩ける部下を連れて周りを囲んでいた。
どうやって倒したのか喋ったのだろうか。
それとも、自分たちの攻撃が有効だったことにしたのだろうか。
どちらにせよ、アンドレイアは興味がない。
「聞け、アンドレイア! こいつは生物のような臓器や血肉があるが、良く出来た模造品だ!」
「うるせえな。模造品ってどういうことだよ」
「つまり、ゴーレムやキメラなどと同じ、人工的な生命体なのだ。私はこれを『マギア』と呼んでいた」
「マギア? 聞いたことねえ話だな。俺は見たことねえぞ」
「当然だ。これは私よりも前――古代の技術だ。私には再現できなかった!」
バシレウスは本当に嬉しそうに言う。
この世界に来てから最も興奮しているように見える。
「いや、だからそれが何なんだよ」
「まだわからないか!? 魔法のないこの世界に存在するのだ! 手がかりすらなかった、魔族よりも前の世代の技術が!」
「……また、知らねえ話を」
「ああ、これは君には関係のないことだ。私の目的のことだからな! とにかく、竜を調査するのは間違っていなかったということだ! 早速この死体を持って帰って……」
そこで周囲の視線に気がついたのか、バシレウスは早口で語るのをやめ、咳払いをひとつする。
「この竜の遺体を我々に譲ってはもらえないだろうか?」
「それはできない。竜は全て国の物だ」
「うむ。ならば、国の監視の元でいい。解剖と研究をさせてはもらえないだろうか」
「それもできない。私にも権限はないからな。上に掛け合うにも、こちらにメリットがない」
「メリット……。それならば、簡単な話がある。我々が逆鱗を持つ竜を精査してやればいいのではないか?」
「何?」
「外見や生態の特徴があれば種類の見極めは可能だ。さすがにそれくらいは調べてあるのだろう?」
「それはそうだが……」
カシマは少し考え、言葉を続ける。
「私から隊長に話をしてみよう。竜に関することはともかく、お前たちが有用であることは私が証明できる。全てとはいかないかもしれないが、ある程度ならば望みが叶うかもしれない」
「構わない。できる範囲で善処してくれたまえ。そうと決まれば、私たちはこれで退こう」
「……私が聞くのもおかしいが、もういいのか?」
「知りたいことはわかった。細かいことはまた別の機会もあるだろう。大事の前の小事だ。ただ、契約上はこの竜は商会が保持することになっていた。だから、適当に言い訳を作っておいてくれ」
そう言うバシレウスが戻って来る時、その手に小さな破片を持っているのを、アンドレイアは見逃さなかった。
「窃盗は感心しねえな」
「おっと。これは失敬」
彼が持っていたのは手の平ほどの大きさの宝石だった。
彼はそれを近くにいた兵士に渡す。
「ああ、大事なことを伝えていなかった。私たちへの連絡は商会ではなく、セシリア装飾店へ頼む。グロックの町にある店だ。我々はそこの従業員なのでな」
「……わかった」
カシマも聞きたいことが山ほど残っていそうだったが、そう返事をして、部下たちに竜の解体を命じ始める。
そのころには、雨はすっかり上がっていた。




