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お前バカか?

――――アンドレイアの故郷は、名も無き小さな集落だった。

ごく一般的な農家の長男として生まれたが、ろくに畑仕事もせず、毎日山の中で獣を追い回していた。


それでも、獲物をそれなりに捕って来るため、あまり強く説教はされなかったが、周囲に倣って決められた仕事をこなさないことを、集落の者は好ましく思っていなかったようだった。


そんなアンドレイアにはひとりの妹がいた。

兄とは違い、きちんと家の手伝いをして、真面目に働いていた。


ある日、たくさんの収穫物があり、近所の漁村に持っていくことになった。

それ自体はそう珍しいことではない。

魔族の支配するこの時代、小さな集落で暮らす人間の生活はほとんど物々交換で成り立っていた。


アンドレイアは妹と共に行くつもりだった。

もしも途中でイノシシやクマに出会ったら大変だからだ。


魔族についてはあまり心配していなかった。

なぜなら、魔族は簡単には人間を殺さないという噂が流れていたからだ。

理由はわからないが、友好的であるとは言えずとも敵でないのなら、それに越したことはない。

会話の通じない獣の方が圧倒的に恐ろしいものだ。


お使いは何事もなく済んだ。

あとは帰るだけとなったその時、アンドレイアは妙な気配を山の中に感じた。

獣の痕跡はなかったが、何かがいる。


妹を先に帰らせ、自分はその気配を追う。

腰にはナイフを持っていたが、戦う気はなく、気配の正体さえ探れたらそれでいいと思っていた。


この判断が間違いだったと気がついたのは、それから少し経ってからのことだった。

相手が見つけられず、妹に合流しようといつもの道に戻った時、わずかに感じた血の匂い。

山の中にある池の畔が、鮮血に塗れていた。


アンドレイアは妹の顔を思い浮かべ、全身が粟立つ感覚を覚えながらも、すぐに平常心へ戻った。

怒りの感情がどれだけ思考を曇らせるかよく知っている。


落ち着いて冷静に周囲を調べ、何が起こったのかを推測する。

まだ血は新しい。

しかし死体が一部分もここに残っていない。


獣の仕業であるなら、食した後が残る。

骨や皮、髪の毛は食べないからだ。


そうして考えていると、大きな足跡を見つけた。

もしも獣の仕業でないのならば――。


夕方ごろ、アンドレイアは集落へ戻った。

そこには鉄の鎧を身に纏った魔族の軍隊がいた。

十人ほどだったが、この村を潰すには十分な数だった。


「この村に新しく生まれた人間で、特殊な力を持つ者はいるか?」

「いえ、普通の人間だけでございます」


怯えた様子の長が答える。

いったい何の話をしているのだろう、と隠れて耳をそばだてる。


「調べさせてもらうぞ。五十歳以下の子供を全員集めてくれ」


魔族のリーダーであろう、獅子の顔をした男が言う。


「この村にいる子供は彼らと、あとふたり外に出ております」

「――帰ったぜ、俺もその五十歳以下の子供だ」


アンドレイアは彼らの背後から現れ、様子を見ながらゆっくりと正面へ回った。

何をしに来たのか、皆目見当もつかない。

彼らに敵意のようなものは感じなかった。


「あと俺の妹もいるが、所要でまだ戻っていない。悪いけど勘弁してやってくれ」

「まあ、よい。我々も暇ではないのでな。おい、始めろ」


獅子の男が部下に命令すると、子供たちはひとりずつ魔族に殴られた。


「あんた、何を……」

「生命の危機にならねば発現しないという説があるのでな。死なない程度に手加減している」


ゲホゲホと血を吐きながら倒れる子供たち。

目の前で起こっていることの異常性から、アンドレイアの中での優先順位が変わった。

苦しそうに呻く彼らの様子を見ても憶することなく呟く。


「――ふたり、いたな」

「あ?」


そう言うや否や、アンドレイアはナイフで目の前にいた猪の顔をした魔族の心臓を突き刺して、絶命させる。


「あと、ひとり」


返り血を全身に浴びながら、熊の顔をした魔族を指さす。


「な、何の話だ」

「魔族ってのは、人間を殺しちゃいけないんだろ?」


獅子顔の男に聞くと、彼が腕を組んで加勢をする様子を見せないことから、肯定ととる。


「あんたさ、一応聞くけど、なんで殺した?」

「そ、そんなもの。俺たちだって魔族だ。たまにはそうやってストレスを解消しないと……」

「どこにやった?」

「どこって、池の底に……」


食いもしない獲物を、悪戯に殺した。

人間も自然の一部だから、食物連鎖の一部になることは、ありえる。

自分たちだって獣を捕って食っているのだから、人を食う獣を駆除することはあっても、そこに怒りは覚えなかった。


だが、知能のある生き物がそれを行うことは、話が違う。

復讐の感情が沸くのは仕方ないとはいえ、理由に納得できれば、まだこれほどまで感情は昂らなかったかもしれない。


「あっそ。――で、あんたらは邪魔するの?」


アンドレイアが聞いたのは、周囲にいた他の魔族だ。

彼らも動かず、見守っているようだ。


「どうやらタイマンらしいぜ。剣、抜けよ」

「貴様、魔族を舐めているのか!」

「人間舐めてんの、お前だろ」


彼が剣を抜くとほぼ同時に、アンドレイアは詰め寄っていた。

喉元にナイフを突きたて、下に向かって大きく体を裂いた。


「ぐ、あ……」

「思ってたより弱いな。その程度のやつが魔族――大陸の支配者を名乗ってんのか」


彼はふらふらと仲間たちの元へ歩み寄る。


「だ、誰か、回復を――」


そこまで言うと、獅子の男が彼の首をはねた。

剣を振って血を払い、鞘に納める。

さすがのアンドレイアも、突然のことに足を止めた。


「小僧。貴様、その身体能力は生まれつきか?」

「まあ。他のやつより優れてるのは知ってる」

「なるほど。次は俺とやれ」

「……あ?」


アンドレイアはただただ眉をひそめる。

獅子顔の男が剣を抜き、周囲の仲間へ指示を出した。


「もしも俺がこの小僧に負けたら、即撤退、王に報告しろ。詳細を語る必要はない。ただ『現れた』と伝えろ」

「ずいぶん弱気だな。最初から負ける気で戦うのか?」

「あらゆる場面に備えるのが指揮官の務めだ。魔王直属六将軍獅子王、いざ参る」


将軍を名乗る彼の構えには、全くといっていいほど隙がなかった。

いつ、どこから攻めても切り返されるイメージが脳裏に浮かぶ。


決して向こうからは攻めてこず、真っ直ぐにアンドレイアを捉えている。

彼の本気を見ても、アンドレイアに恐怖心は沸かなかった。


「――この状況でも緊張を感じさせないとは流石だな」

「緊張なんてして、何になる? あんたを殺せなきゃ、俺は死ぬんだろ」

「無論。魔族をふたりも食い殺した害獣は駆除せねばならん」

「ひとりはあんたがやったんだろ」

「勝った者が正しい」

「……同意」


ずっと向かい合っていても仕方がない。

こちらから攻めるか、とアンドレイアは一歩前に進んだ。






獅子王は、今まで八百五十年鍛錬をしてきた。

産まれた時にはすでにこの世界は魔族のものであり、倒すべき相手などいない。

ただ、いつか敵が現れたその時のために、ひたすらに牙を研いできた。


二十年ほど前、王から“予感”を伝えられた。

予知ほど確かなものではなく、勘のようなものだと言われた。

それでも、獅子王たち六将軍にしてみれば、ようやく現れたかもしれない倒すべき相手だった。


この世界に数は少ないながら存在する人間というか弱い種をよく観察するよう命令され、獅子王は部下たちを使ってその集落を観察し続けた。

やがて、稀有な才能を持つ者を見つけた。


生まれながら狩人の素質が高く、誰から習ったわけでもなく的確に獲物を仕留めることのできる人間。

その才能は大きな噂となって広がっていた。

広まる最中、誇張されているかもしれないが、元を確かめる価値は十分にあると思った。


魔族のひとりが人間に殺された瞬間を、獅子王はわざと見逃した。

人間全体を煽って彼の怒りを買うつもりだったが、すでに彼の怒りは溢れんばかりに高まっていたのを匂いで察した。


魔族はその性質故に血の気の多い者がほとんどを占める。

とはいえ、人間を殺すことは王から許しが出ていない。

どのみち、重い処罰は免れないことだった。


人間の子供はナイフを構えてもいなかった。

きっと構え方を知らないのだろう。

それでも、彼らよりも種として圧倒的に強い魔族の急所を切り裂いて、一撃で殺してみせた。


獅子王は剣を構えている。

相手が無知であるとしても、手加減するつもりはない。

先の二回の攻撃で、彼がナイフの使い方と生き物の殺し方を理解していることを、理解しているからだ。

そして、相手を戦士だと認めているから、剣を抜いているのだ。


獅子王は油断していなかった。

だからこそ、彼が一歩踏み出した時に動けなかった理由が、わからなかった。


呆けていたわけでもないのに、反応できなかった。

そして、それは一度だけではない。

まるで意識が途切れ途切れになっているかのように、彼が等間隔で消えながら向かって来る。


――まるで正体不明、恐ろしく不気味だ。

何らかの魔法だろうが、人間の脆い肉体がここまで魔法に適しているという話は聞いたことがない。


「おい、動かなくていいのかよ」


彼のナイフが迫る瞬間にようやく動くことができて、剣で防御をする。


「あまりに遅いから、眠ってしまったわ」

「そうか。あんたらにしてみたら、俺の動きなんて眠っちまうほど遅いだろうな」


得体が知れない動きではあるが、所詮は矮小な人間。

身体能力の差は歴然である。

何が起こっているのか考えるよりも、本能に身を任せて圧殺してしまうべきだ。


体内の魔力を全身に漲らせ、短期決戦を狙う。

彼にとっての一瞬は、獅子王にとっての一秒ほどの時間がある。


(こいつ、もしかして魔王さまと同じ力を……)


ゆっくり動いている彼を殺すのは簡単だと思っていたが、どれだけ神経を研ぎ澄ませて体感時間を引きのばしても、一瞬だけ、どうしても彼が消えるのだ。


魔王さまは時間を支配する力を持つ。

それと同じことができるとしたら、獅子王でも簡単には勝てない。


振り下ろした剣が消え、気がついたら地面に突き刺さっている。

直後に発生した衝撃で周囲の仲間も吹き飛ばされるが、彼は衝撃の内側にいつの間にか入り込んでいた。


ナイフの軌道を読み、剣での防御が間に合わないことを悟り、腕で受ける。

深々と突き刺さるも、彼はナイフを抜いて、羽根のように軽やかに、獅子王の間合いの外へと離れる。


「……切ったな」

「ああ、腱を切った。その左腕はもう使えない」

「俺は魔族だぞ。こんなものすぐに魔法で治癒――」


突然、ナイフの切っ先が眼前に現れ、右目を潰された。


勘違いをしていた。

敵は動作に何秒もかかるタイプではない。

回復魔法には詠唱と集中が必要だ。


通常であれば魔法の撃ち合いや剣圧で吹き飛ばして、回復の時間を作る。

しかし触れることすら叶わないこの敵が相手では、詠唱を行う時間は作れない。


左腕と右目はもう使えない。

その覚悟をしなくてはならなかった。


「小僧、名前は?」


獅子王は目から引き抜かれたナイフの刃を右手で掴む。


「――アンドレイア」

「アンドレイア。まずはこの世界に生まれてきたことを祝福しよう。そして、貴様は俺よりも強い。魔族など好きなだけ倒せるだろう」

「何の話だ? ナイフ、離せよ」

「遺言のようなものだ。お前はその力で戦い続けろ。それが、魔王さま――魔族全体にとっての喜びとなる」


永らく、魔族は敵を求めた。

その肉体の限界を使って戦える、宿敵と呼べる相手を。


獅子王は確信した。

彼こそが、それだ。

魔族にとっての災厄であり、救済となる。


「死ぬ前の頼みだ。俺の最後の技を、受けてくれ」


鍛錬して、ようやく手にした最強の力。

せめて発揮してから倒れたい。


そんな思いを、アンドレイアは鼻で笑った。


「お前バカか?」


直後、一瞬の内に、数十打もの打撃が獅子王を襲う。

巨人やサイクロプスにも引けをとらない、恐ろしく魔力のこもった拳が、全身の骨を砕いた。


明らかに戦いの中で新たな技術を身につけている。

末恐ろしい人間だ。

彼がどこまでいくのか、その最後を見てみたい。


しかし、最早獅子王にそれはできない。

今日ここで、命をかけて彼を倒すのだ。


「『獣性解放リグレッション』」


魔力が膨れ上がり、目に見えるほど濃い紫色の粒子が辺りに漂う。

筋肉が異常に発達し、折れた骨の代わりを務める。


魔族とは、獣の性質を持ち、なおかつ知性を持つ者を言う。

知性のない魔族は魔物と呼ばれ、魔族よりも強大な力を持つものの、忌み嫌われる存在だ。


薄れゆく意識の中で、アンドレイアの顔色に恐怖はないことを確認して安堵する。

この期に及んで一切の恐れがないのは、異常だ。

やはり魔族の敵に値する存在だと、心の中で微笑んだ。



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