マジかよ
――空と海は静寂に包まれていた。
普段、常に荒れ狂っているはずの嵐が、力強さを感じさせる灰色の風を、その時の、その形のままで、その場に固まっていた。
雷の発光すらもその場に留めたのは、彼の行使した特異能力『空間支配』に他ならない。
空間支配の力によって岩盤よりも硬くなった海の上を、金髪で緑色の瞳をした、ひとりの柄の悪い男が歩いている。
名を、アンドレイアという。
とある地方では戦士と呼ばれた。
神の御使いと呼ばれた。
そして『勇者』と呼ばれた。
どう呼ばれようが、どうでもいい。
たまたま弱者の側にいたから、過剰に待ちあげられただけだ。
しばらく歩くと、そそり立つ岸壁の上に、古城が見えた。
海を固めてなければ、到達さえ不可能な孤島だ。
「あそこだな……」
そう独りごちると、勇者は膝に力を溜め、深く沈む。
「『空間支配・斥力』」
音は無かった。
足元の空間に対して反発の力を加えた。
止まった海がひび割れ、一瞬にして勇者は古城の一番高い塔の外壁へと豪快に着地する。
その衝撃で壁面はひび割れ、塔が崩れかける。
そこへ、荘厳なマントを身に纏った、銀髪赤目の男が現れ、手の平を向けると、崩壊はピタリと止まった。
見た目は人間と同じだが、彼は魔族。
魔族たちを遍く束ね、千年の王国を築いた王。
そして、アンドレイアの到達点であり、倒すべき敵だ。
「てめえが魔王か!?」
魔王は勇者の存在を無視するようにして、塔を修復させた。
(空間支配、じゃねえな。時間か)
勇者はその様子を見て、魔王の立っているフロアへ跳ぶ。
「――派手にやっているようだな。お前のおかげでここもだいぶ静かになった」
魔王は勇者と目を合わせることなく、静かに呟く。
「てめえほどじゃねえよ」
「私など微々たるものだ。貴様が殺した魔族や魔物、生き物の数を覚えているか?」
「そんなもん、覚えてるわけねえだろ」
「そうだろう。そうだろうな……」
魔王と向かい合うと、勇者の第六感がうずく。
千年に一度生まれる上位特異能力を持つ者同士。
今まで怪物は数えきれないほど倒してきた百戦錬磨の勇者でも、戦うのは初めてだ。
自分と同じことはできると想定した方が良い。
で、あれば。
「『空間支配・引力』」
「『時間支配・遡行』」
速攻を狙っていたのは勇者だけではなかった。
ほぼ同時に唱えた特異能力同士が反発し合い、空間の破裂が起こる。
(なるほど、支配能力同士だと優先順位は同じ。確実に当てるには――)
思考を巡らせながら、勇者は魔王の出方を伺う。
一秒にも満たない時間が無限に感じる。
――その時だった。
何の前触れもなく、詠唱もなく、ふたりの間に、黒い穴が出現した。
「なんだ!? てめえの仕業か!?」
「いや、違う。これは……」
魔王も警戒しているのがわかる。
第三者の存在を疑うも、すぐに勇者はその考えを切り捨てた。
そんなはずはないのだ。
この世界に特異能力を扱える者が他にいないのは、能力者故に理解できる。
「おい、吸い込んでねえか?」
「まずいな」
勇者は空間支配でそこから抜け出そうとするも、発動しない。
魔王も同じようで、呆気にとられた表情のまま、じりじりと大きくなっていく穴から少し距離をとっていた。
「何かが干渉している」
「誰だ! 邪魔すんじゃねえ!」
返事はない。
一歩後ずさると、見えない壁に背中がぶつかる。
その様子を見た魔王も眉をひそめている。
勇者は彼と共にここへ閉じ込められたのだと悟った。
「おいおい、てめえと心中かよ」
「しかし、あれに入る以外、ここから出る手段はなさそうだ。特異能力による結界で囲われている」
どこの誰が、と考えるだけ無駄だ。
勇者は苛立ちに地団太を踏む。
「クソが! でも俺にも飛び込むしか思いつかねえ。死ぬかもしれねえぞ」
「他に手があるなら聞くが」
「……あの向こうに、仕掛けたヤツがいるかもしれねえなら、話は別だ」
「ああ。私はそう思っている。もしかするとこれは、呼ばれているのではないか?」
すっかり落ちてしまったテンションで、勇者は考える。
たしかに、魔術的ではない空間支配に近い力で逃げ場を塞がれていては、他に手などない。
「仕方ねえ。お前も来いよ」
「無論。長きに渡るこの戦いの終止符を邪魔するような無粋な者を放ってはおけない」
「ハッ、冷徹そうなのにちゃんとわかってんじゃねえか」
「……やかましい男だ。貴様は罠を疑っているようだから、私から行こう」
魔王は躊躇いもなく、闇の穴へ足を踏み入れる。
瞬間、とぷん、と底なし沼に落ちたように、彼の体は沈んだ。
「マジかよ……」
勇者は戸惑いながらも、同じように穴へ入る。
その瞬間、六感と共に意識が完全に消失した。
目が覚めたのは、木漏れ日が顔を撫でたからだ。
眩しさに目を細め、周囲を警戒しながら、勇者アンドレイアは起き上がった。
(――ここは、どこだ?)
全く見覚えのない森林に、たったひとりで眠っていた。
体にはわずかに落ち葉が積もっている。
半日か、それ以上眠っていたのだろう。
「空間支配……」
唱えても、世界が応える様子はない。
感知能力が鈍っているのを感じる。
理由は不明だが、特異能力は使えないようだ。
状況を正確に把握するため、周囲を見回す。
針葉樹が多く、地面は落ち葉が深くまで堆積している。
微生物による分解が遅いのだ。
きっと寒い地方なのだろう。
今のところ寒さは感じていないが、季節か時間帯によるものなのだろうか。
本来ならば魔力による身体能力の向上により寒さは感じないが、どうやらその適応能力も失われている。
ここから見える太陽は丁度真上の辺りだ。
(しかし腑に落ちねえな……)
知っているような、見たことあるようなものばかりが周囲にあるのに、その実、どれひとつとして、アンドレイアの記憶にあるものと一致しない。
魔王の元へたどり着くまでに、世界中を旅した。
熱帯も寒帯も、それなりに心得がある。
しかしそれでも、何かが違っているというおぼろげな感覚しかわからない。
よくよく観察してみれば、風の匂い、光の当たり方ですら、違うもののように感じる。
「――お前も近くに飛ばされていたか」
振り返ると、そこにはボロボロの姿の魔王が立っていた。
余計な装飾やマントを着ていたせいか、それが引っかかって破れたのだろう。
「特異能力者同士の感覚で、以前はお互いの位置を認識できていたが、ここではそれができていないようだな」
「……お前よくその格好で冷静に喋られるな」
「無論。今は体面を気にしている場合ではないのでな」
魔王は鬱陶し気に、破れたマントを外して捨てる。
アンドレイアはまだ、周囲を観察するばかりで動こうとはしていなかった。
これまで頼りにしていた直感的な感覚を失い、必要以上に慎重になってしまっているのを感じる。
だが判断材料が足りないこともあり、これ以上は考えても答えが出ないこともわかる。
「……いつまでもここにいても仕方ない。人がいるところを探すべきだな」
「切り替えが早いな。私はまだ戸惑っている」
「戸惑っているのは俺もだ。こうなっちまったら一時休戦だろ。行こうぜ。情報もそうだが、住むとこ探さねえと死んじまうぞ」
「ああ、そうだな。しかし、ここはおそらく以前とは異なる土地、もしくは世界だ。軽率な行動は慎むべきかと思うが」
彼の言葉に違和感を覚える。
ただ場所を移動しただけではないのか。
「世界……? どうしてそんなことわかんだよ?」
「魔力がほとんど存在していないからだ。特異能力だけではない。一切の魔力、空気中に存在するはずの粒子ですら、微量にしか感じられない」
言われてみると、確かにそうだ。
ずっと違和感があったのは、そのせいだ。
「さすがに、言葉通じるよな?」
「それすらも疑った方が良いな」
「文字も読めない、言葉も通じないって状況はなるべく避けたいな……。っていうか、人間いるのか?」
「さてな」
ふたりは喋りながら、森の中を真っ直ぐ進んでいく。
普段から地図もないような場所を放浪したおかげで、方向感覚には優れている。
「……ところでよ。まだ、名前聞いてなかったな」
「今更か」
「今だから、だろ。これから長い付き合いになる可能性が高いんだぜ。お互いを勇者、魔王で呼び合うのは無理がある」
それもそうだな、と魔王は頷く。
「私はバシレウス。魔王バシレウスだ」
「俺はアンドレイア。よろしく」
「お前の名前は知っている」
「なんなんだよ、お前。もうちょっとコミュニケーションをさあ……」
そんなくだらない話をしながら歩いていると、遠くから人の声が微かに聞こえた。
「……聞き間違いか?」
「いや、私にも聞こえた」
足早にそちらへ向かうと、森が開けて、大通りが広がっていた。
その中央で、柄の悪そうな男たちに、ひとりの少女が囲まれている。
アンドレイアたちは、彼らに見つからないように身を伏せた。
服装や装飾品、武器を見るに、文明のレベルはそうかけ離れていない。
どうやらただ魔法がないだけのようだ。
「仲良くおしゃべりしているようには見えないな」
バシレウスが呟く。
少女は前髪が長く、目が隠れていて表情は読み取りづらいが、その立ち振る舞いから、困っていることは明白だった。
次第に彼らの声が大きくなる。
「その立派な腕輪置いてけや!」
「い、嫌です! 誰か助けて!」
彼らのうちのひとりが、少女の腕を掴んでひねり上げる。
それを見たと同時に、アンドレイアは飛び出していた。
「おいおい、お前さんたち。屈強な男が寄ってたかって暴力はいけねえな」
とりあえず、相手の言葉は理解できていた。
こちらの言葉も通じることを確かめるためにも、アンドレイアは語りかけながら近づく。
「誰だ、てめえ」
「名乗るほどの者じゃない。あー、その子の親戚ってことにでもしておくか?」
「舐めやがって! おい、こいつ殺せ!」
号令で、男たちは躊躇なく腰にした剣を抜く。
(殺しなれてるってわけじゃなさそうだが、この子ひとりを狙うには少し物騒すぎるな。何か理由があるのか。いや、こいつらも身を守るために必要なのか)
アンドレイアは自分の剣に手をかける。
お互いに刃物を出せば無事では済まないだろう。
空気がひりつくのを感じて、アンドレイアは彼らを手で制する。
「ちょっと待て。今準備する」
アンドレイアは鞘が抜けないようにベルトで縛った。
殺し合いをするつもりはない。
まずはバシレウスが言うところの『この世界』の人間の強さを見ておきたい。
「待たせたな。さあ、いつでもどうぞ」
「ぶっ殺してやる!」
息まいたひとりが切りかかってくる。
剣の長さは知っているものとそう変わらない。
(予想通りの素人か。まあ、野盗だしな……)
走りながら切りかかって来るから、足元がまるで見えていない。
剣術はアンドレイアも修めていないが、その視野の狭さから、彼が戦いに慣れていないことはわかる。
アンドレイアは彼の勇み足を鞘つきの剣ですくい上げ、背中から地面に叩きつける。
「がっ――」
「はい、死亡」
アンドレイアは彼の喉元に剣を突きつけ、小さくため息をついてまごついている彼らの方へ視線を送る。
「おい、この中で一番強いやつは誰だ。怪我人は極力出したくねえ。一対一で相手して俺の方が強かったら、手を引け」
全員相手してもいいが、それで得られるものはない。
徹底的に叩きのめすことでむしろ、彼らの恨みを買う可能性もある。
相手が悪かったと納得させることが必要だ。
「ちょ、調子に乗るな!」
「血ィ、見たくねえだろ?」
「うっ……」
これくらいの相手なら、視線で黙らせられる。
そうしていると、一番体の大きな男がずいと前に出た。
「この中で一番強いのはおれだ」
「だろうな。体の大きさは、強さに直結する」
アンドレイアよりもふた回りか、それ以上に体の大きな彼は、手斧を持っていた。
力自慢はこのような武器をよく使う。
剣に比べて壊れにくいからだ。
「そっちからどうぞ」
「余裕ぶっていられるのも今だけだぞ」
何か秘儀か魔法でも見られるのか、と少し興味が沸いたが、何のことはなく、彼は手甲をつけただけだ。
大きな赤い鱗の貼りつけられた手甲は、所々欠けており、かなり使い込まれているものだとわかる。
「へへへ、お前、死んだぜ」
「それで何がどうなるのか教えてくれよ」
「今見せてやるよ!」
彼が切りかかってくると、その瞬間に、アンドレイアの直感が働き、大きく後退して彼の攻撃を避けた。
「どうしたんだよ、逃げるのか?」
「誰が逃げるかよ」
さっきの相手とは何かが違った。
風ではなく、音でもなく、何か。
もっと近くで見極めなければ。
アンドレイアは、今度は自分から近づいた。
間合いに入ると、彼はまた、大振りの攻撃を仕掛けてきた。
それを紙一重で躱す。
――違和感の正体が分かった。
「熱か! 面白い!」
彼の手斧の軌跡に熱を感じた。
暖かいなどというものではなく、それは炎の熱そのものだ。
装備が武器に影響を及ぼす。
そういう理屈のある世界。
「分かったところでどうしようもねえだろ!」
「お前のおかげでだいたいわかった。感謝する」
彼の横振りを屈んで躱し、掌底を顎にきめる。
一撃で彼は失神した。
残った荒くれたちに目をやると、彼らは統率を失った兵士のように、慌てふためいていた。
「そんな、ボスが!」
「まだこっちには女が……!?」
離れた場所から見ていたアンドレイアには分かる。
彼らに襲われていた少女はバシレウスがすでに確保した。
「――約束通り、引いてもらうぞ。お前ら、この気絶してるやつ連れて帰れ」
彼らは悔しそうな表情を浮かべながらも、アンドレイアの命令に従うしかなかった。
装備を奪って色々と調べたかったが、ここは、これで手打ちにする約束だ。
彼らがすっかり見えなくなって、バシレウスが未だ状況の飲み込めていなさそうな娘を連れて草の影から現れた。
「見事なものだ」
「お前に褒められるの気持ち悪いな。おい、怪我してねえか?」
アンドレイアは少女に目線を合わせると、さっと彼女は顔を背けた。
「だ、大丈夫です。助けてくれて、ありがとうございます」
「なんで襲われたんだ? この辺は治安悪いのか?」
「いえ、私もわかりません。ここは町の近くですし、大きな通りだから衛兵の巡回もありますし……」
「そうか。あー、俺の名前はアンドレイア、こっちはバシレウス。理由あって放浪の身でな。まだこっちの方は地理に明るくねえんだ。よかったら教えてもらえると助かる」
「あ、私はセシリアです。――旅人さん、ですか? 珍しいですね」
旅人は珍しいのか、とアンドレイアは内心で思案する。
知らない場所であまり目立つことはしたくない。
身分は極力隠しておいた方がいいだろう。
「ひとまず、私のお店に来てもらえますか? ここよりも落ち着いて話ができると思います」
「店があるのか?」
「ええ。私、彫金師、なので!」
そういう彼女は、さっきまでとはうって変わって、少し誇らし気だった。




