8・最初の鍵(不吉な予言8)
「ところで、あなたたちは本物の水を見たことはありますか? 少なくとも《フラテル》では見れなかったでしょう」
《フラテル》からの出発の時。
自身の宇宙船内に足を踏み入れたミーケらに、ザラはまず聞いてみた。
「見てみますか?」
ザラの宇宙船は、ミーケたちが判断したように戦艦だったのは過去のこと。一応戦闘のための設備なども残ってはいるが、今はすっかりあちこち改造されて、かなり多機能多用途な船となっている。
「この中にあるの?」
質問を返すミーケ。
「それを維持するためのタンクが、元々戦艦に備わっていました。それを少し観察用に改造したんです」
「水のタンクが戦艦に?」
「わたしとしてもそこはちょっと謎です。気になって軍事関係の本も何冊か読んでみましたけど、それに関しての記述は見つけられませんでした。それに軍に所属していた知り合い何人かにも聞きましたけど、誰も知らなかったです」
そして、ふと何かに気付いたように、リーザの方を見たザラ。
リーザが、過去に何者だったかにせよ、そのような軍事関係の事に関しては、彼女が非常に博識であることは、もうザラもよく知っていた。そしてそれを前から、とっくに知っているミーケも、彼女の方を見る。
「えっと、ね。今はあまり一般的じゃないんだけど」
2人から、妙に期待に満ちた視線を向けられ、少し照れ気味なリーザ。
「水の性質については2人の方が詳しいでしょ。純粋な水は構造的に、pパターンの分子を溶かし込みやすいじゃない」
そもそも現在の宇宙で、水という物質が不安定な理由は、物質のより基本的な要素である、素粒子の性質に由来している。
素粒子の性質自体は、完全に根源的とされる、基底物質と呼ばれる要素から発生したもの。そしてその基底物質の定常性の高さのために、普通は、素粒子単体の性質も変化しない。
つまり水に限らず、基本的に安定的な物質と、不安定な物質というのは決定的に決まっていて、それが変化することはない。
本当に、かつては宇宙全体に溢れていたような安定物質だった水が、今のように不安定になるほど、何者かによって素粒子群の性質自体を大きく変化させられたのなら、それはかなりの賭けだったろう。それによって宇宙は、二度と分子以上のスケールの物質が形成されない、地獄状態に陥ってしまう可能性も高かったはずであるから。
とにかく宇宙には、水のように、どうしても特異なコントロールなしには、安定して存在できない物質が存在している。pパターン分子、pパターン物質とは、そのような不安定物質の総称である。
もっとも、厳密には不安定物質にも、もっと細かい分類があるという話は、リーザも聞いたことはあった。
「pパターンを構成の肝に使った武器は、それの対策してない相手にはいろいろと有効なことが多いの」
水は、その成分を的確に無効化、あるいは発見するのに使える。つまりは水のタンクは、そのような特殊な武器への対策だった。
ただ、現在はそれを標準搭載している戦艦が多く、pパターンを利用した武器も廃れている。それに加え、いざ使う機会が来れば、簡単に教えることができる対策技術でもあるので、防衛上の観点から、軍に所属しているような者の間でも、あまりそれに関することは知られていないわけである。
「まあ、普通は軍隊内でも、指揮官クラスじゃないと知らないことなんじゃないかしら」
(いや、指揮官だったの?)
(指揮官だったんでしょうか。だけど、リーザってわたしより年下なんですよね? 普通、ではないですよね?)
ずいぶんとあっさり、とんでもなさそうなことを言ったリーザに対し、ミーケもザラも、どれほど驚くべきなのか判断つかない。
「まあ、とにかく水はちょっとばかしあるんですけど見てみますか?」
「あ、うん」
あらためて問うザラに、あらためて頷くミーケ。
ーー
そしてその、水があるという部屋のすぐ前で、急に青ざめた顔で、ミーケは立ち止まった。
「どうか、しましたか?」
「うん、何かあるの?」
ザラもリーザも心配そうにする。
「いや、別に大丈夫なんだけど」
しかし、あまり大丈夫ではなさそうな感じだったミーケ。
何かが警告を発しているように感じた。
水を見ることは何かあるのだろうか。水を見ると、何かが起こってしまうような、そして、そうだと知っているような気がした。
「大丈夫だと思う。というか大丈夫だとは知ってるみたい」
とても奇妙だが、ミーケはそんなふうに感じていた。
「ほんとに、大丈夫なの?」
リーザが聞く。
「うん」
まだ少し気分が悪そうな感じで、しかし、はっきり自信をもって頷いたミーケ。
「それじゃ、開けます」
そうして、ザラは、その部屋の扉を開けた。
水はちょうど1メートルくらいの直径の、透明な球体の入れ物に入っていた。部屋内部の光の影響か、青白い感じに見える。当たり前であろうが、リーザの記憶にある、以前に見てきたそれと比べ、特に変わったところとかもない。
純粋な水は、その構造自体はわりとシンプルなもので、pパターンの物質の中では、形成も維持もそんなに難しい方ではなく、言ってしまえば、まだよく見られる方である。
ミーケもそれを見たことがある。はっきり思い出せなくても、それはすぐに理解できた。
天然の水というわけではない。この、水が不安定な宇宙で、特別に維持されている人工的な水。なぜならそれは、基本的な性質に限れば天然の水とまるで違わない、言ってしまえば同じものだから。
だから彼はそれを……。
ーー
(「おれは、おれのままでいれるの?」
「それは保証する。その強い信仰心も、友達思いな性格もそのままだろう」)
その時に誰かがいた。
記憶を失った時。記憶を失わせた誰かは、一緒にいた誰かだった。
(「役に立てなくてごめん」)
自分には特別な力があった。だけど、それで役に立つことが、きっとできなかった。
その力は失われない。
失われていない。
今も覚えている。
ーー
「ミーケ」
「リーザ」
ふと気づいた時。息を切らしていた自分のことを、すぐ近くで心配そうに見ていた、親友がいた。
「感覚的に理解できた。記憶を封印しているプログラムを解除するための鍵がいくつかある。そのひとつは人工の水だった。それで少しだけ思い出せたよ。ほんの少しだけだけど」
「論理的にはありえる話ですね。推測にすぎませんけど、少しだけというのも納得できます。おそらく、その記憶を解除するための鍵の中で、人口の水が最も簡単に見られるものなのでしょう。何のためかわかりませんけど、そこで思い出した記憶は最低限のものなのかも」
ザラのその推測は、ミーケ自身も、当たっているだろうと感じた。
「封印プログラムは、やっぱりおれ自身が同意した上でかけたんだと思う。これをかけた人は、どんな関係だったか思い出せないけど、敵じゃなかったはずだ。おれは彼の役に立とうとしてた、だけど役に立てなくて、申し訳なく思ってた」
(彼、か)
そこは、内心少しほっとしてしまうリーザ。
「確かに最低限のことなのかな。大事なこと2つだけ」
「大事なこと、ですか?」とザラ。
「多分ね。まず1つは、記憶を失う前のおれの考えだ、彼はどうも、今のおれが記憶を取り戻すことを望んでない」
一応、過去の自分のことのはずなのであるが、他人行儀に彼と表現したミーケ。
「望んで、ない」
そのことをどう考えてやるべきか、リーザにはわからない。
「なんでかはわからないけど。そのなんでかがわかったなら、もう記憶を失った意味がなくなるのかも」
ミーケ本人も、前の自分自身が、記憶を封印したままであることを望んでいることだけがわかって、その理由はわからないことが歯がゆそうだった。
「それと、もう1つのことだけど、きっと失うことができなかったものだ」
そして、水の入った球体の入れ物に手をあてたミーケ。
「この力」
ザラもリーザも、それを実演してみせたミーケ自身までも、次には驚きの表情を浮かべた。
そういうことができるのだと思い出した。そして、実際にそれはできた。
ミーケは、意識的に球体内の水を回転させ、渦を描かせながら、その組成をバラけさせて、気化させて見せたのだった。
「魔法なんてないと思ってたのにな」
そしてミーケが手を離すと、気体状態となっていた水は、すぐさま維持システムの機能を受けて、液体へと戻った。