7・ふたりの絆(不吉な予言7)
感情と呼ばれるようなものの中で、恋愛感情は、それが単なる物質的相互作用の結果でなく、神秘的なものだと解釈したい者たちによって、最も深く研究されてきた。
だから、少なくとも物質機構としての恋心や、親愛の気持ちは、ほぼ完全に明らかにされている。
「わたしも、けっこう恋愛には興味ありますからね。それなりには詳しいつもりです」
そして、そのザラが見たところ、ミーケの情動粒子、つまり感情由来の成分粒子の分布は、それほど昔でないある時期まで、彼が相当に強い恋心を、誰かに抱いていたことを示していた。
「変化率は、おそらくあなたが記憶を失った時、ようするに20年くらい前にかなり急激なものがあります。だから、あなたは多分記憶を失うまで、その誰かのことをとても愛していたのでしょう。はっきり言いますが、その気持ちは、あなたが今リーザに抱いているものよりも遥かに強いと思います」
文化や思想によっては、ミーケとリーザの間の絆は十分に愛と言えるだろう。だが、ザラが確認できた跡を残した感情の強さは、そんなレベルではなかった。
(愛してた、相手)
やっぱり聞かなければよかったのだろうか。
こっそり聞いていて、そして、勝手にショックを受けてしまっていたリーザ。
(そうなのかな。だけど、だけどやっぱり)
いろいろな感情が湧いて出てくるのを、全然抑えられない。
苦しさとか悔しさはもちろんある。だけど、それだけじゃなかった。
ミーケに、本当に帰るべき場所があるのかもしれないという喜びや、彼がそれを永久に失ってしまったのかもしれないからかわいそう、という気持ちまでそこに混じっていたのは、悲しかった。
複雑に入り混じる自分の気持ちを、どんなふうに解釈すればいいのか。それは彼女にはとても難しいことだった。ただどうしても、自分の気持ちは結局そんな程度なんだ、というような自虐的な声が、頭に響くのを止められなかった。
(わたしは)
ミーケに真に帰る場所があるのだとしても、自分が一番いたい場所が、彼の側であること。それだけは間違いない。だけどそれは、本当にただ自分の弱い心を救うためだけ。
自分のためだけ。
(ミーケ)
「ザラ、きみは」
そしてミーケは、リーザの悩みなんてつゆ知らないで、軽く笑った。
「おれの本の入手履歴を見たってことは、おれがレトギナ教に属してるってことは予想ついてるだろ。多分その予想以上におれは熱心な信者だよ」
"聖霊界"という銀河フィラメントで誕生したとされている、レトギナ教は、宇宙で最大規模とされる宗教。
"世界樹"には信者が多いが、それは意図的に広められた結果とされている。その思想的に危険性はないとされ、かつ科学の発展に繋がりやすいとされる禁欲主義を推奨しているので、なかなかに都合がよいわけである。
「おれはけっこう理想主義のロマンティストだよ。だからさ、愛ってものの強さを、物質的な検査だけで見つけられるなんて、信じられないね」
しかしもう彼も笑っていなかった。
「それにレトギナ教は、真の友情は、真の愛より強くなりうると説いてる。それに」
そこからは、怒っていることを示すように、少し言葉に力を込めた。
「昔の自分とか、愛とかなんて関係ないよ。ただ、おれはあいつに無意味な隠し事はしないと決めてる。あいつが、一緒にいてくれる限りは」
親友でいてくれる限り……
「それと、もしもいつか、別に記憶とか関係なくて、あいつのこと、嫌いになったりするのだとしても、今は違うから。そんな時が来るとしても、その時までは、おれはあいつが好きなんだから。恋愛とか、興味の対象とか、そんな次元じゃなくて、友達でいたいから」
その言葉が、リーザの心に響く。
「だからさ。こういう大切なことを話す時は、気遣いなんかせず、リーザも一緒に」
(ミーケ)
「ほんと、わたし、なんてやつなんだろう」
音にはせずに、彼女はひっそりと呟いた。
「確かに、余計なお世話でしたね」
「ああ、余計なお世話」
「まったくでした」
そして今度はザラの方が、こらえきれずに笑った。
ーー
「あなたとザラのさっきの話なら聞いてたから」
先に家に帰って、そして後から帰ってきたミーケに、すぐ正直に白状したリーザ。
「あ、そうなんだ。ぜんぜん気づかなかった。えっと、ちょっと恥ずかしいこと言ってた?」
とりあえずは何よりも恥ずかしそうだったミーケ。
「ものすごくね、だけど」
恥ずかしいのは自分の方だとリーザは思う。
「ミーケ、あの、あのさ、わたしは、ほんとはね」
「別にいいけど」
やっぱり、がんばって隠そうとしても、わかってしまうのだろうか。
「昔のことなんてさ。無理して話すようなことでもないと思う」
本当にミーケは何も知らない。
話していないから当たり前だ。
「親愛に時間なんて関係ないよ」
それもまたレトギナ教にある言葉。
「おれたちの時間って、ここで暮らし始めてから、そんな感じだと思うんだ。それに、今一緒にいると楽しいんだ。もしきみもそうだったら、それだと嬉しいんだけど」
「ミーケ」
それで気まずくなるなんてわかりきってることだけど、なんとなく、彼女はただ、そんなことがしたかった。
「リ、リーザ」
「"世界樹"じゃ、友達同士でもこのくらい普通だって話、聞いたことあるよ」
真っ赤な顔で、ミーケの頬にキスして、彼を自分以上に真っ赤にさせたリーザ。
「だけど、わたしたちにはレベル高すぎたかもね」
「そ、それ、同感」
本当に、面白いくらい動揺していたミーケ。
「ミーケ、あのね。わたしも遠いところから来たんだ。物理的な距離だけじゃなくて、その、こことは全然違うような世界から」
そして、それだけは伝えたかった。
「わたしも、今がとても楽しい」
ただ、それだけで今はよかった。
ーー
ミーケとの話の後、ザラは自分の船に戻ってから、まず真っ先に、届いていたメッセージを確認した。
[ザラ、あの人のことだけど、より正確な位置がわかった。地図データに付け足しといたから。
ただ、前も言ったけど、力になってくれるかはわからないし、もしかしたら厄介な敵になるかもしれないぞ。あの人は本当に、ただ変わり者と言うだけじゃなく、特別な存在だから。おれにとっては世話になった恩人だが、昔は、あの人を嫌ってた者も、危険視してた者も大勢いたんだ]