2ー22・赤い血
《牧場》の主、言葉を理解できるほどに知的なその生物は、それでも人間と、自分とには大きな溝があると感じていた。ジオ系生物として、人間はとても特別な存在であり、自分は非人間だと理解していた。
彼自身は、その正確な場所も知らない。しかし、とにかくかつては、《ルビリア》のどこかに、言葉を操れる彼の同種が多くいる街があった。
だがその知的種は、その知能の高さにも関わらず、高度なテクノロジーは発展させれなかった。そして、人間たちの目を向ける範囲が大きくなってきて、人間をひどく恐れていた街の長老たちは、その共同体の解散を決めた。
その知的動物たちが大したテクノロジーを持てなかった理由は、《ルビリア》という世界が、やはりそもそも人間のために作られた世界であるからだろう。
ようするにそれを造った者たちは、はなから人間が人間のために作ったような世界をそこに用意していた。そのような環境で、しかも全体が最初から知られているような世界では、 他の生物種が、知的文明を発達させることは難しいのである。
長老たちが人間を恐れていて、絶対に関わりを持とうとしなかったのも大きい。知的文明に限らず、ある程度以上の規模の外交を行わない社会もまた、発展しにくい。
とにかく、その小さな共同体の解散の時、彼は生まれて間もない子供だったが、《ルビリア》の中でも、特に大きな都市にあった《牧場》に連れてこられた。それは人間が食用とする動物を飼育している施設だが、彼ら程度の知能があるなら、安全を確保しておくのは簡単だった。
しかし他の仲間はもちろん、《牧場》に連れてきてくれた誰かですら、どうなったのか、今の彼は知らない。その誰かは、彼に必要なことを教えた後は、《牧場》を去って、二度と帰ってこなかった。
彼は、《牧場》でこっそりと生き続けていた。そしてある時から彼は、食用とされる動物たちを、自分が救えないかと考えるようにもなった。
結果的に、運がいいか悪いかで言えば、彼はとても運がいいと言えたろう。彼としてはかなり慎重なつもりだったが、《牧場》の管理システムに内部から与えられた影響は、《牧場》に関わる何人かの人間たちにあっさり察知されてしまう。その人間たちの中に、システムの物理的機構の管理に関わっていたリセノラがいた。機械技師の少女。
リセノラはシステムの不調だから、修理は自分がするとして、他の者たちを納得させ、本当の原因だと気づいていた、《牧場》内にいるのだろう知的生物、つまりは彼に接触した。
そっちの方がいろいろ都合がいいからと、ケリンという名前を彼に与えたリセノラ。
初めて接触することになった人間である彼女に、ケリンはかなりの恐怖を見せたが、彼女はすぐに自分は味方だと告げた。
「あなたが今、わたしを恐れてる理由が、わたしが人間だからなら、それなら間違いなくね。あなたみたいな存在にとって、実際に危険なのは、人間よりも、人間の好奇心。だけど、そういう意味で言うなら、あなたよりわたしの方がやばい存在なの。もっとも、わたしはあなたに比べると、人間という存在についての理解が深いはずだから、自分にとって危険な人、危険でない人の違いを見分けるのは、容易いだろうけどね」
「人間にしか見えない。でも、あなたも人間ではないの?」
「わたしは人間よ。そうね、あなたが特別な非人間動物だとすると、わたしは特別な人間てところね。だけど特別は特別で、そこに人間と人間じゃない存在との違いがあるわけじゃないわ。重要なのは、あなたは少し不思議な存在ではあるけど、この宇宙でありえる存在てこと。わたしは、本当はありえない存在なの、だからこそ、わたしに恐ろしい心を向ける人はけっこう多い」
そう、リセノラは、本当はもうありえないような存在。真の意味で、この宇宙でたった1人だけの希有な存在。
「宇宙て、何?」
ケリンの疑問に、リセノラは一瞬唖然とするが、しかしすぐに納得し、簡単に説明した。
「本当の世界よ、すべてを含んだ世界」
そして、かなりシンプルな星系モデルの映像を表示させて、惑星や銀河のことなどもリセノラはケリンに教えてやった。
「リセノラ、おれはこれから」
「悪いけど、あなたを《牧場》から出してあげることは、わたしにはできないわ。だけどあなたが、ここでしようと考えたことを 、ずっと続けるようにはできると思う」
リセノラは機械技師として、《ルビリア》という社会の中における正当な手続きを踏み、《牧場》の管理システムを自分のものとした。そして表向きは、自分がいなくてもシステムが成り立つような自動化を実現させた、ということにして、実際には管理者の座をケリンに渡してやった。
「《ルビリア》というのは、かなり厄介な閉鎖環境なの。食用動物が必要なくなる時はいつまでもこないかもしれない。でも、必要量が過剰になる心配もまずないわ。しっかり調整をされてる世界でもあるから。あなたはここで《ルビリア》の最期の時まで生きることができる。そして、あなたが生き続ける限り、ここの動物たちの生活状況も、食用としては最高なレベルに保つこともできるはずよ。あなたが望んでいた通りのことでしょう」
すべてリセノラの言う通りだった。
リセノラがケリンと出会って、《牧場》の管理システムに加え、さらに彼が望むことを実現するために必要な知識も与えてやってから、たった数年。
「ケリン、よく聞いて。あなたを騙そうとしてる悪い人間がいたとして、あなたがそいつの嘘を見破れると、わたしは思わない。だから、はなから人間は誰も信用しない方がいい。ここにいれば、あなたのことを見つけられる人なんてかなり限られてるから、あなたの方から興味を持ってコンタクトを取ろうと考えない限りは安全なはずよ。まあ、あなたが警戒しているにも関わらず、強引に接触してこれるような人間は、本当にどうしようもないけど。 だけどそんな存在は、そもそもわたしにもどうしようもないから、その時は覚悟決めなさい」
最後に会った時に、リセノラに言われたこと。それから数十万年経った今でも、ケリンはしっかり覚えていた。
ーー
「ぼくはルカ、ぼくは、いや正確にはぼくは伝言係なんだけど、仲間に、おそらくあなたの手助けができるって人がいるんだ。それで、そのことを伝えに来た」
どうしようもない存在と聞いている、強引に接触してこれる人間。ルカと名乗ったその人間の言葉を信用していいものかどうか。そもそも何か企みがあって、そして自分がそれをしっかり信用しないでいたとして、どうにかできるものなのかどうか。ケリンにはわかりもしない。
「ケリン、大丈夫よ」
ケリンが何かを言う前、ルカが説得するよりも先に、さっさと透明状態を解除したリセノラ。
「この人たちは信頼できるわ、わたしが保証する。しかもこの人たちなら、きっと私なんかよりずっとあなたの役に立ってくれるはずよ」
〔「あなたは、どなたで?」〕
聞いたのは、その場にいたルカではなく、立体映像により姿を見せたザラだった。
「驚きの事実よ。わたしは、あなたたちが探してる、模型庭園の製作者である、メカニックのリセノラよ。"世界樹"から来たお嬢さん」
「はい?」とルカ。
〔「ま、マっジで」〕
ザラとは違い、映像でですら姿を見せていないスブレット。
〔「どうもわたしたちのこと、すでにけっこうご存知のようですね。こちらの自己紹介の必要はありませんか」〕
ザラはわりと冷静な感じであった。
「そうね。多分あなたが想定しているよりも、わかっているくらいじゃないかしら。でもまあ、今は」
そして、今や置いてけぼり感すらあったケリンの方を向いたリセノラ。
「この《牧場》の現状を知って、彼に会いに来たわけなんでしょう。わたしはレトギナに関しても知ってるの、あなたたちの中に2人も、あれの熱心な信者がいるってことも」
つまりは、今やリセノラは、ザラたちがケリンの望み、食用動物たちの開放という望みを、叶えさせてやるために来たことを察していた。
「正直ね」
立体映像のザラと向き合うリセノラ。
「"世界樹"から来たという情報だけでは、信じるべきかどうかわたしは迷った。そこから推測できることなんて、あなたたちの何人かが科学者だろうてことくらいだし。気を悪くしないでね、わたしの認識じゃ、あの世界の科学者には、いいやつもいるけど悪いやつもいる」
〔「それはそうですね」〕
〔「いるわね、わるいやつ、わりと」〕
会話に参加するにあたって、エルミィも立体映像の姿を見せる。
「けど今は、わたしもあなたたちを信じるわ。レトギナ教のことは知ってるし、あなたたちが《ルビリア》に来た目的も納得できるものだしね。それに、《牧場》の現状をよくしようて考えてくれたんでしょう。ケリン、彼はわたしの友達だから。レトギナよろしく、友達の味方は味方」
〔「第1聖典第19章6節レヴィン」〕の句がリセノラの口から出るや、ミーケも姿を見せた。続いて、スブレットも現れる。
「ああ、言っとくけど、わたしは別にあれの信者じゃないからね、無神論者だから」
信者2人が何か言う前に、釘を刺すかのように言ったリセノラ。
「でもあれの教義に関してはけっこう知ってる。だからそれも、あなたたちに関する判断材料になった」
そしてさらに、彼女は続けた。
「正直どうするのかって、わたしぜんぜんわからないんだけど、ここをどうにかした後は、《ルビリア》を見張ってる奴らとコンタクトするつもりで、それにわたしの助けがいるんでしょう」
それは彼女個人か、あるいはもっと広いどこかの文化的なものか、実用的なものなのかどうかも怪しい感じのレンチをどこからか取り出し、片手で器用にくるくる回して見せるリセノラ。
「いいよ、アレが気になってたのはわたしも同じだし」
〔「リセノラ、あなたは《ルビリア》の生まれなのですか?」〕
あらためて尋ねるザラ。
「まあそうなのだけど。そうね、今話せる部分は話しておくわ」
そう言ってリセノラは、レンチのどこかのスイッチを起動させ、それを密閉されたビーカーのようなものに変えた。
「これはわたしが、あなたたちに強い興味を抱いた、また別の理由でもある」
ビーカーを腕に直接当て、そしていくらか、その体の中をめぐる液体を抽出させたリセノラ。
ケリンとリセノラ本人を除けば、それを見た全員が、その透明なビーカーの中に現れた液体に驚かされる。
〔「赤い、血液?」〕
驚愕の中、エルミィが呟く。
それが赤かったことではない。それが人間の光学機構が映す世界の中で、緑色でなかったことこそ衝撃。
「わたしは、生命システムに緑液を利用していないの。いわば旧式の人間」
答も、実にあっさりと彼女は明かした。




