42・少女 対 少女(冷たい手の修道女8)
(「もう1回、もう1回だけ」
「リーザ、おまえさんも、それで結構負けず嫌いじゃな」
「物理的にありえるんでしょ。そしたら物理的に倒せないわけないわ」
「素人意見もいいとこと言いたいが、正直反論できんな」)
実際問題、存在してるのかどうかはともかくとして、実体なきものは、ありえる存在だと想定することができる。
リーザはかつて、《ヴァルキュス》軍の科学部が開発した戦闘シミュレーションで、物理的にはありえるが、実際は存在しないような恐ろしい存在いくつかと戦ったこともある。実体なきもの。つまり、認識的には存在せず、しかしあらゆる物質に干渉できる存在とも。
結局何度も戦って、1度も勝つことなんてできなかった。しかし実際に現れたソレは、少なくとも、あらゆる物質には干渉できないという点で、劣化版ではある。
(「リーザ、きみには話しておくけどさ、これが意味の無い過程だなんて思わないで。《ヴァルキュス》は、この宇宙の、ジオ族の防衛軍でもあるんだ」
「まあ大げさ。さすがに意味がないとは思ってないけどさ、縁がないとは思ってるから」)
拳を握りしめた。
(ほんと、柄じゃないけどね)
だが、この宇宙、この領域を力で支配してきた、最大の軍事国家の兵士としての自覚なら今でも忘れてはいない。世界を滅ぼしかねない存在が自分の前に現れたなら、迷いなく殺すだけ。
「あなたは、だれ?」
それは本当の声と喋り方なのだろうか。それとも、その仮の姿のものを忠実に再現しているのだろうか。多分今も、船のモニターの方には映っていないだろう、むごたらしい死体のすぐ横で、平然としていた少女。
「わかってるわ、あなたは錬金術師じゃない。あなたは何者?」
「わたしはね」
確かにその、持ちうるすべての感覚器官で、 直接的にしっかり確認しても、まだ信じ難いという気持ちがある。
(そう言うべきかもわからないが)彼女の周囲では、物質同士の相互作用は一切発生していない。にもかかわらず、おそらくは彼女自身の意思で、彼女はこの世界に今、現に物質として存在している。
「あなたがこれから生き続ける限り、恐怖の対象として、その記憶に残り続ける存在よ」
そんなふうに言ったリーザ。
強がりもある。
実際に目の前に立って確信できたことがある。
《虚無を歩く者》。
こいつはやはり、間違いなく……
(敵)
そう確信するのとほぼ同時。
一瞬で、しかしそんな速度でとは思えないくらいに、その体に負担らしきものをかけないで、目の前に近づいてきた少女。
(速い、いや)
放たれてきた拳や蹴りをかわしながら、そう思う余裕もあった。
(遅い)
リーザはあえて反撃しないで、とりあえずは攻撃をかわすことに専念した。
手加減されていることはわかっていたから。正確には手加減というよりも、本当の力を使っていないこと。
それが有効なのかわからないが、まだ本気を出さないでいいなら、出さないでいることにデメリットはないだろう。
とてつもなく緊迫していて、しかし少しでも長いなんて感じられないくらいに短い時間。
リーザは何百回と攻撃を避けたろう。
そして少女も、一旦は止まった。
「あなたはわたしに、本当に恐怖を与えられるの?」
「あなたにも感情はあるでしょう。少なくとも、わたしたちが感情だと定義できるものを持ってるはず」
そうでないと考えられない。わざわざこの世界に現れる理由は考えられない。
「あれから、あなたたちがわたしのものをすべて壊してから」
あなたたちとは、いったいどの範囲の者たちを指しているのだろうか。
「みんな弱くなったのだと思ってた」
どこまで上げれるのかわからない。
ただ速度をあげても、ついてはいける。その操る手が存在しないものであっても、操られているのは、この宇宙の物質にすぎない。それならハイ出力、つまりはこの宇宙でありうる限界速度を超えることは絶対にできない。
(けど)
最初の倍は速くなったろう。
しかし、どれだけ素早く攻撃されようと、リーザはかわし続けた。
(人間に可能な動きじゃない)
「人間の動きじゃないわ」
思ったことと、ほぼ同じことを口にされた。
そしてまた、少女は一時的に動きを止める。
「こともあろうに水の錬金術師を隠して。ジオ族はだから嫌いよ、傀儡だったくせに。いつもいつもわたしの邪魔をする。あの時も、いいえ、最初からそうだった。ジオ族は嫌い」
何か、言ってることが支離滅裂にも思えた。少女の顔で、無表情のままで。
「あなたはかつていなかった。今もいらないわ、だから消えて」
(虚無?)
今度は本当の力を使うつもりなのは明らかだった。
(集中しろリーザ。自分がほんとは誰か、あなた自身が一番よく知ってる)
ただ、自信はあったが、賭けでもあった。
そして結局リーザは、賭けに勝った。
それは予想通りだった。
テミスフィア質に干渉できないという時点で、ほぼ間違いないことではあったが、彼女、《虚無を歩く者》は、 今、あらゆるジオ系生物に必須な要素である、緑液に対しても干渉できない。
テミスフィア、緑液、それらは水を失って以降に使われるようになった新しい物質。
(「まだ対応してない。それにはあまりにも時間がかかる。そして、十分な時間よりも昔に、こんなものはなかった」)
そう、ミーケが言ってた通りなのだろう。
まだ対応していないのだ。
そして、だからこそ、近づいてくる異質。《虚無》を、リーザは緑液の震えへのかすかな影響により、感知できた。
かわしたために、その視覚で確かめることすらできた。
物質も、それが乗る時空間も飲み込む《虚無》。
それを言葉で表現するなら、その場が最初からなかったかのようになくなってしまった、というのが正しいだろう。単純に目で見ただけの光景では、そのように消えた先にあったものが即座に近づいてきたようにも見える。
とにかく、ある領域が文字通りに消えた。
ーー
ありえない、ありえない。
これはあいつらと同じ。
ジオ族が?
ありえない。
いや、水の錬金術師がいたんだ。
誰だ?
連れてきた誰かだ。
〈アルヘン〉から?
違う、それは違う。
神々?
「それならここから消えろ」
確かに自分にも感情があるのだろう。
感情的になって叫んだ。
おまえが誰かは知らないけど、どれだけ強かろうと、しょせんは 、ごくわずかな領域でしか生きられない程度の生物にすぎない。
ジオ族が、例外なく死ぬしかない所など、この巨大な宇宙の中にいくらでもある。
そうだ、この領域から消えてしまえ。
ーー
(「リーザ」)
神経系への明らかに意図的な揺れ。
(合図。エクエスさん)
いいタイミングではあった。
もう理解できていたから。
《虚無》を局所的にしか発動しない理由は、まず間違いなく、自分すらもその状態に戻してしまう可能性を危惧してのこと。それがダメな理由なんて、その場の物質が消えてしまうから以外にはないだろう。
つまり今、利用している物質さえ、利用できなくしてしまえば……
(全力で、全力で打ち込め)
空間自体に生じた何か異常な状態を、さっきまでよりもずっと強く感じた。
逃げれるか逃げれないかなんて考えもしない。とにかく、それを邪魔できると言ったエクエスを信じる。
どのみち今できなければ、後には二度とないだろう。今は間違いなく好機。
相手の攻撃をかわさないでいいというのなら、全力の一撃を打ち込める。
操れない物質があるという時点で、基底物質に直接干渉することができないのは明らか。
それなら、すべてを分解しきるくらいの一撃をぶつければいい。
きっと一瞬でもいい。
どのみち基底物質がバラけた状態は、不安定すぎるために一瞬しかもたない。
ーー
しまった、これは……。
エクエス。
だめだ、だめだ、やられる。
またやられる。
ぼくはまた。
ーー
「」
やああ、と叫んだつもりではいるが、実際どうなのかわからない。
その声は、リーザ自身も含めて、誰も聞こえていない。
リーザはつまり、自身の構成粒子を加速させることで発生する時空間への衝撃波で、緑液の特殊な振る舞いにより防御した自分の体以外の、周囲の全ての物質を基底物質まで崩壊させたのだった。
周囲にどのような管理システムがあったのか確認していないからわからないが、すぐに素粒子の状態へと戻った物質群は、また、さっきまでとほとんど変わらない場所を構築した。
しかし、遺体もなくなったし、少女もいなくなった。
それに関してはもはや考えてもなかったが、どうやらレコードも再現されていたようで、それらしきものも転がっていた。
「まだ恐くないって言うなら、また、現れてみなさい。何度でもぶっ壊してやるわ」
またそれも強がりだった。
そして、さすがの規格外軍人少女も、今回ばかりは疲れはて、その場で意識を失った。




