40・第二の鍵(冷たい手の修道女6)
現れた時には彼女だった。
自分をかつて見つけた者たちの中で、『水文学会』、あのエクエスという小僧と一番近しいはずの存在。
彼女は、自分の中の感情がとても楽しかった。
そんな感情が自分にあることを、この時に初めて知った。
思い出したのかもしれない。
もしかしたら、こんなおもしろい運命が、かつてなかったのかもしれない。
ジオの領域に現れた水の錬金術師の生き残り。
自分が得られるのは断片的な情報ばかりで、正確な事情などはわからない。が、とにかく確かなことは生き残りの誰かをエクエスが連れている。
そして《水文学会》のレコードを集めている。
ジオ族の構造なら知りつくしている。エクエス本人が、その記録に関して忘れてしまっていることは十分に考えられる。
だから求めているのだろう。
水の記録を、水の錬金術師と共に求めているのだ。
《虚無を歩く者》は、今、自分が知らないものを恐れてはいなかった。
だが恐れるべきだった。
ーー
いつの間にか、レトギナ教講義からドロップアウトしたリーザとルカの代わりに、本物修道士であるテレーゼが加わった、信者たちの会|(?)。
「ミーケ、そこは違うと思う。ミシュラン・ムートレイの研究じゃ、第二聖典の完成は世界樹暦前4142.の最後が452。年代的にカロスティアンが異端者扱いなはずないよ。わたしはマイナーな説だけど、カロスティアンには同じ名前の隠し子がいたっていう話が真相なんだと思う」
ヒキコモリという人種の中には、いざ自分の好きな話題となると、 饒舌になるタイプもいるが、スブレットはまさにそう。
「ああ、あのさ、そもそもムートレイは架空の人物だって聞いたことあるんだけど」
しかしそのことに確信までは持てないのか、助けを求めるようにテレーゼの方を見たミーケ。
「ですね、彼は世界樹第一暦295、つまりこのフィラメントのごく初期の初期ですね、に作家のシェイルンが考えた架空の歴史家です」
ついでに、現存している、彼が書いたとされる著作5つの本当の著者たち全ての情報も、しっかりと説明してくれたテレーゼ。
「あっと、マッジで?」
少し恥ずかしげだが、テンションはまだまだ高めなスブレット。
「マッジでです」
一方でテレーゼは、一見は落ち着いている様子だが、口元には笑みを見せていた。
ーー
カルキレに案内されての船の操縦はエクエスに任せ、物質や重力のコントロールにより、むき出しの野外とは思えないくらい快適な、外部に用意した甲板エリアに、リーザを連れて出てきたザラ。
「リーザ、複雑な気持ちですか?」
「ザラさん」
結局、彼女には見抜かれてたのだろう。
多分エクエスにも。
「ちょっと、情けないよ」
しかし自嘲する余裕くらいはぜんぜんあったリーザ。
「わたしはやっぱりよその人だね、文化的なものだとは思うんだけど、きっと恋愛感情というものが深い。身近な男の子に対して、いつまでも友達じゃいれない」
でもだからこそ、ミーケと会うまで、こういうことで明確に悩んでこなかったことは、彼女のちっぽけな誇りでもあった。
「でもね、わたしは欲深いからさ、友達でいたいよ。独占したいとか、わたしだけを見ててほしいとか、こんな気持ちが辛いんだ」
科学者じゃないからとか、生まれた場所が違うからとかじゃない。
ただ、最初からずっとリーザにはわかっていた。
ミーケは自分とは違う世界をきっと見ている。
本当に、彼の心を自分だけにつなぎとめない限り、きっといつか、別れの時すら来る。
ミーケ本人に話しても笑われるだろうか。
むしろ心配される可能性が高いだろう。
いずれにしても話したことなんてないから、わからない。
こういう悩みを誰かに話すのは、ザラに話したこの時が初めてだった。
「《ヴァルキュス》は」
「恋愛というより、ようするに受精法を推進してるの。軍事国家では常識。変換法は、どうしてもどこかにデータが残っちゃうから、兵士とした場合に、情報戦が圧倒的に不利になるから」
どのような強力な武器でも、そのコントロール権が人の手にある限り、最大の弱点はその人自体になる。すると、その情報が簡単に知られてしまいやすい、変換法で作られた人は、その時点で使えない道理である。
「"世界樹"は」
ぼそぼそと、その声は独り言のようだったザラ。
「全体から見れば変わったところです。人と人との絆がとても強いのに、一方ではそれを論理的に否定したりもします。わたしたちが繋がりを求めるのは、あくまでも人間、あるいはジオ系という生命体群の進歩のため。次の段階に進むため。わたしたちが何より生きる糧としている知識欲とやらを満たすため。そんなふうに解釈して、そしてみんな落ち込むんです」
興奮してきたのか、演出なのか、だんだんその声は大きくなっていく。
「世界樹思想逆説なんてのがあるのですが、これは個人的には素敵なことだと思ってます。それは、わたしたちが叡知のために仲良くなっているのではなく、仲良くなるために科学者を装っているという説です。みんな本当は何にも興味なんてないのに、友達と一緒に考えたりしたいから、何かに興味持ってるんだと強く思い込んでるっていう感じです」
「それは確かに、素敵だ」
思わず少し笑ってしまいながらも、リーザも心底そう思う。
「まあ、この仮説は普通に問題だらけなんですけどね。おとぎ話です」
ザラも笑う。
「心理学的にさ。関連ありそうだけど、あまり関連ない話を唐突にしたりするのって、わたしみたいな人を慰めたりする薬としていいとか?」
実際そうなのかはともかく、なんとなく心が軽くなった感じがするリーザ。
「いえ、慰めようと思ったのですけど、思っていたよりガチっぽくて、話題に困っただけです」
「そっか」
リーザはまた笑った。
そしてその直後だった。
「リーザ、どうしました?」
急に、明らかに顔を青ざめさせたリーザに、ザラはわけがわからなくなる。
「ザラさん、船のサーチシステム」
ちゃんと説明する間もなく、さっさと船内へと彼女は戻った。
ーー
リーザだけでなく、そのことに気づいたのは、エクエスもほぼ同時だった。
まだ、その異常事態の場から、恒星系3個分くらいは離れている。
リーザがそれほど早く気づけたのは、その身体に埋め込まれている、彼女自身の優れた感知能力とリンクした、より広範囲の異常探索センサーのおかげ。
エクエスは、リーザほど素の感知能力は高くないが、実は性能は、リーザのそれよりはるかに優れたセンサーを有している。
どっちにしても、それほど離れた距離で感知できるなんて、よくあるようなレベルの異常ではない。
2人が気づいたのは、ありえない影響だ。別の領域からの。
もしかしたら、本当に別の宇宙からの……
「エクエスさん」
操縦室となっていた場にリーザとザラが戻ってきた時、すでに同じことに感づいていたエクエスが、ミーケたちも集めていた。
「リーザ、おまえも気づいたのか」
やはり、そこにはあまり驚いてはいないエクエス。
「もしかしたらあなたよりわかってるかもしれない。自分でちょっと信じられないことだけどね」
本当にそうだった。
リーザは、というより《ヴァルキュス》の軍人は、物理的にありうるどんな敵との戦いも、シミュレーションで体験する。
だが、物理的にありえるという言葉は、実に嘘的だ。物理的にはありえるが、実際はありえないものなんて、この宇宙にいくつもあるからだ。だが少なくとも、そういう、ありえないはずのうちの1つは、本当にあるものだったらしい。
「ひっ」
「きゃっ」
ミーケとスブレットの悲鳴に、考え事は一旦止めて、リーザも、エクエスが表示させたモニター画面に目を向けた。
「ひどい」
ザラのその感想はもっともだ。
画面に映されていたのは、惨たらしく殺された男の遺体。
「ラリー」
はっきり顔が確認できるような状態ではなかったが、エクエスにはそうだとわかったようだった。
「エクエス」
テレーゼの声も、もう聞こえていたかわからない。
彼女だけでなく、その場の誰も見たことがないほど、エクエスはかなりはっきりと、恐怖の感情を見せていた。
怯えているようだった。
そして次に一瞬。
まさしく一瞬だけ、1人の少女のような誰かが、画面に映ったかと思うと消えた。
「う」
ミーケの異変は彼女を見てすぐさま。
「うわあああっ」
頭を抱え、苦しそうにひざまずく。
「ミーケ」
リーザや、他のみんなの声が聞こえたが、少しの間だけ、そっちの方が幻みたいだった。
前の時と、1つめの鍵の時と同じだった。
ーー
(「誰も救えない。こんな力に意味なんてない」
「それでもその力だけが、我々に残された武器だ」
「武器だって? これがか? あいつを傷つけることさえできない」)
そうだった。
物質の変換は、唯一の対抗手段だった。
だがそれですら、戦うためのものでなく、逃げるためのもの。
(「あいつは、死んだの?」
「死という概念が、もしもあいつにあるのなら、とっくの昔にそれは起こっていたろうよ」
「じゃあ、あいつはいつか、帰ってくる」)
だからこそ、あいつをまた見た時には、絶対に思い出す必要があった。
だってもう、自分しか残っていない。
みんな。
みんな、もう死んだから。
(みんな? みんなって? そうだ、れんきん……)
だが、それ以上はわからなかった。
まだ、どうしても思い出せない。
ーー
「ミーケ、記憶ですか?」
「うん、鍵が?」
前の時にもその様子をしっかり見ていたから、ザラとリーザはそうでないかと、すぐに察することができた。
「あいつのこと、思い出した。あいつは」
思い出したと言っても、結局はほとんど思い出してなんかいない。
それでもミーケは、それの名前をはっきり口にすることはできた。
「《虚無を歩く者》」




