2・地質学者の姫(不吉な予言2)
「到達時刻と場所は?」
いつになく真剣な雰囲気を見せるリーザ。それはまず間違いなく、これまで一度もミーケの前に出したことがない顔。
ミーケは失ってしまった自分の過去だけでなく、《フラテル》にやってくる以前のリーザのこともほとんど知らない。いくつか理由はあるけど、とにかくそういうことを聞こうとしたこともない。
ただ噂は聞いていた。彼女がかつて、どこかの国の軍人であったという噂。
「えっと」
その戦艦は特に変わった動きをしているわけでもないので、解析はすぐすんだ。
「ポイント、フラテル5214fi64。1時間14分後に第三地帯の」
そこで一旦言葉を止めたミーケ。
「どこなの?」とリーザ。
「おれたちの家の前だ、このままじゃ、ここに来る」
答を聞くやリーザにも、ミーケが言葉を失うほど驚いた理由がわかった。
-ー
謎の戦艦の《フラテル》到着予想時刻より数分前。
ミーケとリーザはとにかく家の前に立ち、その時を待っていた。
「リーザ」
「大丈夫。あなたから聞いた戦艦の情報、あれは確実なんでしょ」
ミーケは迫りつつあった戦艦が備えた攻撃機能を、すでにすべて明らかにしていた。
「うん、それは間違いないよ。本当の魔法でもない限り」
「で、そんなものは存在しないんでしょ」
「おれの理解の上ではね」
その原理が、推測すらもできないような現象など、ミーケは知らない。
「まあどのみち魔法使いなんてどうしようもないけどさ。そうでなくて、聞いた程度の戦艦なら、多分どういう攻撃してきたって、わたしならかわせるよ、あなたをかばいながらでもね」
(かわせるって。かわ、せるの? ほんとに?)
まったくなんでもないことのように、明らかにおかしなことを言う彼女に、もはや苦笑いするしかないミーケ。
(リーザ、やっぱりきみは)
しかし軍人だからといって、戦艦の攻撃をかわすことなどできるものなのだろうか。
戦艦の攻撃機能というのは強力である代わりに、通常、空間内での大きな物質的挙動を必ず必要とする。しっかりと訓練をすれば、生物の感覚能力だけでも、その挙動を感知し、攻撃を先読みしてかわすことも可能だという話は、ミーケも本で読んだことがある。あるのだが、正直疑わしい話だとミーケは考えていた。
いずれにしても取り越し苦労だった。
どうも、そもそも完全に戦闘用というわけではないらしいその円盤型の船は、攻撃をする気配など微塵も見せないで、ただ着陸し、いくつかあるようであるドアの1つを開いた。
「ミーケに、リーザですね。はじめまして、わたしはザラ、姓名はクートエンデ」
ザラと名乗った彼女は、ミーケやリーザよりさらに少し年下くらいに見える小柄な少女。ツインテールにした黒髪や、明るい色合いなチェック柄のショールが、子供らしい可愛さをより強調している。
「クートエンデ」
ミーケは聞いたこともない、その姓名を、リーザは知っていた。
「じゃあ、あなたは《アズテア》の」
「アズテア?」
その名前もミーケは知らない。
「国の名前よ、"世界樹"の中では、規模は小さいけど、テクノロジーは高度な方だし、保有してる'聖遺物'が多いことも有名」
聖遺物。
はっきり記録にも残っていないようなはるか昔も含めて、何度も何度も興っては、結局消え去ってきた、今よりも優れたいくつもの科学文明が残してきたという多くの遺産。
実用的なもの、非実用的なもの、汎用性が高いもの、武器となるもの、何のために存在するのかもよくわからないようなものなど、とにかく多種多様な遺物である。
聖遺物は"世界樹"には数多くあるが、それはこのフィラメントこそが、科学技術や文明というものに最も通じているがゆえに、それらがどれほど特別なものなのかが理解されやすいからである。そして、研究対象としてはもちろん、研究自体のための道具にも利用でき、その上で希少価値が高い聖遺物を求める科学者は多い。
さらに、たいてい科学者は国家に属し、そして聖遺物を所有しているのは国家である。というわけで"世界樹"では、貴重な聖遺物をめぐる国同士のいざこざも絶えない。
それは、様々な発見や発明の第一任者競走というわけではない。確かにそういう名誉とかを求める者もいるが、そういう者は普通、聖遺物のような、あまりに未知な要素が強いものには関わりたがらないのが普通だ。
「面白いことにさ、この世界の科学者は、みんな自分が一番賢いと思ってるらしい、自分が専門とする分野の領域ではね。 多分そんな揺るぎない確信が、ここをこんな世界に変えたんだ」いつかリーザは、ミーケからそんな推測を聞いたが、おそらくはその通り。
聖遺物を巡る争いを引き起こしている直接的な原因は、挑戦心を強く持った、身の程知らずな科学者たちの飽くなき好奇心なのだ。その戦場に立っている科学者たちは、自分が一番聖遺物というものを理解することができ、利用することができると考えているからこそ、 それを何としても自分のものにしようとするのである。
もちろん表面上では、国家間同士のもっと俗的な思惑もあろう。しかし"世界樹"で絶え間なく起こっている戦いとは、その本質的には、最も知的生命らしい、 好奇心という欲望が巻き起こした知と知の戦いなのである。
「で、クートエンデというのは、その《アズテア》の王家の姓名」
「よくご存知ですね、リーザ。あなたが元軍人かもという話は聞いていますが、本当なのでしょうか」
「さあね」
しかし火のないところに煙は立たないものだ。《フラテル》の住人だけでなく、全然関係ないような国の王族にまで伝わっているような噂なら、その話はやはり真実か、それに近いのだろう。
「で、ザラ・クートエンデ。きみが王族というのはわかったけど、その王族が何の用?」
「ええ、わたしたちはあなたの国なんて行ったこともないし、関わろうとしているわけでもないよ。それにわたしはここじゃただの農民だし、ミーケは水に関する歴史を研究してるだけ」
そして研究対象として、水も歴史も別に珍しいものではない。
「言っておくけど、友達を傷つけるようなら、お姫様だろうと、国だろうと、わたしは遠慮しないからね」
彼女の本当の顔か、あるいは隠し持っていた仮面なのだろうか。いつもに比べて、明らかに毅然としているのはともかく、強気かつ自信に溢れているようなリーザの言葉に、ミーケもわりと圧倒される。
しかしザラはといえば、さすがに王族の者と言うべきなのか、少し意外そうにはしているものの、萎縮させられたりとか、そういう様子はない。
「リーザ、わたしが、理由はともかくとして一国の王族としてここに来たとするなら、あなたの警戒は正解でしょう。ですけど、そういうわけじゃありませんよ。あなたたち、どうやら知らないようですから教えておきましょう、わたし確かに立場的にお姫様だけど、というかだったけど、とんだ不良娘なのです。それで、とっくの昔に王位継承権どころか、一族自体からもほぼ勘当状態なんですよ」
それは彼女にとってはなかなか愉快なことなようで、笑みを抑えきれない。
「ミーケ、あなたが入手した本はほとんど見させてもらいました」
ミーケは別に、自分の研究のために必要な本の入手経路も、履歴も秘密にしていないから、それは調べようと思えば簡単に調べれることではある。
「あなた、ザラ・クートエンデは知らなくても、ザラセニタの名前なら知ってるんじゃありません?」
「ザラセニタ」
確かにその名前ならミーケは知っていた。
「地質学者の?」
ただの地質学者でもない。"世界樹"において、実質的にはどの国家よりも巨大な組織とされている、国境、思想なども関係なく、ただ純粋な好奇心だけを共有する科学結社、『学術委員会』。その上級幹部としても、ザラセニタという名前は有名。
「ちなみにわたしは、委員会の使いとして来たわけでもないですよ。ここにはただ、一個人の科学者として来たんです」
そしてそれは、まったく予想だにしていなかった、お誘いであった。
「ミーケ、わたしはあなたという人に、共同研究の仲間になってもらいたくてここに来ました。その研究とは水に関係するもので、もしかしたら、あなたの失われた記憶にも関係してるかもしれないことです」