16・彼の名前は思い出せない(自分の世界でひとりぼっち2)
船内にある動力源は、まるで古くさい家に備わった暖炉のような見かけであった。
そこにザラが用意した人工水。
ミーケは、すでに判明していた手順に従って、それをしっかりコントロールし、見事にそこからエネルギーを抽出することができた。
原理としては、そんなに複雑なものではない。
それはようするに、あらかじめその役割をプログラムされた粒子マシンが、水の回転動作率に応じて、そこから物質エネルギーを抽出するというもの。
ただし、おそらくはセキュリティの問題か、かなり繊細なコントロールで、循環の経路を確定する必要がある。そうしないと、粒子マシン自体が回転を妨げる障害となってしまうのだ。
人工水の維持システムと併用できないのは、そのような、細かな操作であったが、ミーケはそれができたわけである。
また、抽出されたエネルギーは直接、船の動力となる。
その利用可能な動力エネルギー自体は、ある程度の貯蔵は可能。だから、別にずっとミーケのコントロールが必要なわけでもなかった。
ーー
「だがこうなると、やっぱりこれは大災害前のものだろうな」
「はい、水を動力に変換するエンジン自体は、それがありふれてる世界でなら、かなり納得のいくものです」
エクエスもザラも、もうそこはほぼ完全に確信しているようだった。
「けど、起動させることができたのはいいけど、この船はいったい、今普通にあるようなものと何が違うの?」
ミーケの疑問。
メインの素材がテミスフィア製というのは、 今となってはそこまで大きく長所でもないだろう。確かに量産できるようなものではないだろうが、決して理論上だけの仮想兵器などではないはず。
「いや、ミーケ、これは」
リーザは、さすがにそういう面では知識が深い。その船がどれほどに優れたものなのであるか、しっかり理解することができたようだった。
「ザラさん、もしかしてこれに備わった水のエンジンなら、ハイ出力を出せるの?」
ハイ出力は、その時々の環境下で、ある1つのものとしてみなせる物質の集合体が可能な、最大速度の動きを実現するための動力の強さ。
そして、その原理の詳細は知らずとも、テミスフィアを素材に用いたいかなる物質も、今のところは、ハイ出力を実現できたことがないはずであることを、リーザは知っている。
ハイ出力という概念は、宇宙船同士の戦闘においては、非常に重要な要素であるから。
「はい。起動したことがないので試したことありませんけど、理論上はできます。詳しく説明するとかなり長くなりますが。簡潔には、pパターン物質の水を利用することで、テミスフィアが持つ、通常の物質に対する抵抗をほぼ無力化することができるからです」
ザラのその答を聞くや、リーザは、どうしても抑えきれないという感じの笑みを見せて、断言した。
「ならこれは、多分、今この宇宙で最強の船ね」
ーー
ガラクタ船が起動できたため、ザラは以前から考えていた、それの本格的な改造を実施することにした。
彼女はリーザにも、特に軍事的な面においての協力を求め、2人は、《アミデラス》の地下にて、数日連続の作業中。
ミーケも、設計や、物理的な組み立て組み換えはともかくとして、システムのプログラミングでは役に立てるかもしれないが、それにしたって、ザラの方が遥かに慣れている。
そういうわけで、足手まといになるのもごめんなので、ミーケは同じく、(本当かちょっと疑わしいが)工学は苦手だというエクエスと一緒に、《アミデラス》の表面に出てきている。
そのエクエスが、「少し思い出して、確かめたいことがある」と告げて、ザラから借りた小型宇宙船で、《アミデラス》を発ってから半日くらい。
小さな惑星の夜の暗闇の中、輝く恒星群を1人で見ていたミーケ。
(軍人か、あいつはやっぱりそうなんだよな)
船の性能に関して、それがとても優れたものと理解した瞬間のリーザは、明らかに興奮していた。
それはミーケの知らないリーザの一面。
兵器が好きなのだろうか。
戦いが好きなのだろうか。
それとも……
「いつか、もっと昔のこと話してくれる時が来るのかな」
思うだけでなく言葉にして呟く。
本当のところ、どうでもいいようなふりをして気にしてはいた。
今の彼女との時間が一番大切なのは、紛れもない事実。
だが、自分はとても頼りないのだと感じてもいた。
リーザには、きっと辛い過去があるけど、自分ではそれに関して力になってあげられないだろう。
それが悔しかった。
「いつかもっと昔のこと、話せる時が来るかな」
そう、昔の思い出のことで、力になってあげられることなんてできるはずがない。
自分には今、ちゃんとした思い出すらないのだから。
「あっ、エクエス」
帰ってきていたらしい彼に気づくミーケ。
「ミーケ」
「何?」
「水がある世界にいたという記憶」
唐突に、かなり真面目な雰囲気だったエクエス。
「自分でそれは本当だって思うのか? たしかなことだと確信できてるのか?」
「偽物って感じは一切しないよ。それは、知っているというよりも、それだけは覚えているっていう感じかな」
「人工の水で思い出したこと。記憶を消したのは、ほとんどその寸前まで一緒にいた誰かだと言ってたな?」
「うん」
「そうか」
そこで、何か考え込んでいるような様子で、エクエスは一旦黙る。
「何か知ってることとか、気づいたこととかがあるの?」
尋ねるミーケ。
「これもさっき思い出した事なんだ。正確にいつぐらいかは覚えてないが、かなり昔のことだ、まだ"世界樹"がなかったくらいの」
エクエスはある噂を聞いた。
「メリセデルという少し奇妙な感じの科学者がいると聞いて、会いに行ったんだ。その彼もまた、水に関する研究をしているという噂を聞いたから」
もう《水文学会》はとっくに解散していたが、それでも、失われた水というテーマが興味深いのは、その時も一緒だった。
「最初に会ってからも何度も会った。その時々の会話の内容はほとんど覚えていないけどな。まあ大した話もしなかったと思う、あまり印象に残らなかったのは確かだ。だけどひとつ、彼本人からじゃなくて、彼の周囲にいた人から、確かに聞いたことがあるんだ」
そして一呼吸おいてから、エクエスは続きを告げた。
「彼の助手は、水を操る少年だと」
「ありえない、よ。おれじゃ」
即座にそう返したミーケ。
「ああ、確かにありえないと思う。その少年がおまえ本人であるということはな。ほぼありえない」
エクエスも、ザラの解析に関する話をすでに聞いている。その構成粒子の状態から、ミーケは明らかに数百歳か、せいぜいが数千歳くらいのはず。
ただ、エクエスは絶対とは言わなかった。
「メリセデル」
「その名前を聞いても、まったく誰だかわからないか?」
「わからない。記憶を消した相手の名前は、思い出せないんだ」
だがそうなのだろうか。
水の科学者、その助手だったという水を操る少年。
そしてミーケの記憶を消した誰か、水のあるどこかにいたという記憶。
メリセデル。
水を研究していた謎の科学者……