11・酒場の一件(水文学会2)
惑星《リドセア》の街《クラクール》。
そこにある円形の着陸場に降り立った宇宙船から出てくるや、ミーケたちのすぐ前に広がっていた大都会。
そこでは、動いているもの、浮かんでいるもの、定めるべき形を探っているかのように変形を繰り返しているものなど、とにかく大小様々な建物が入り乱れていた。
「ここはカジノエリアです。わたしたちが何者にせよ、外部から来ている時点で、いいカモかもしれないと、近づいてくる者もいるかもしれません。控えめに言って、下衆な思考の金持ちも大勢いることでしょう。気をつけてください」
「わたしは大丈夫。正直こういう場には慣れてる、その手の連中のあしらい方もよく知ってる」
目の前の光景に圧倒されていたミーケを後ろにして、リーザもザラも至極冷静な様子だった。
どうやら3人の内、根っからの田舎者だったのは、記憶をほぼ失ってからの20年間をずっと田舎惑星で暮らしていたミーケだけらしい。
「ミーケ、不安が消えるまでは、わたしからなるべく離れないで」
「わ、わかった」
よくわかってらっしゃるリーザに比べ、今やミーケはずいぶん情けなかった。
ーー
しかし、少なくともミーケの印象的には、最も都会だったのが、その最初のカジノ街であった。そこから離れるたびに、大きな建物も、管理システムらしきロボットも、明らかにその数を減らしていった。
おそらくはエクエスその人だと思われる、あまり当たらないと悪評高い占い師が営む店があるというエリアなどは、いろいろな家や店が、地上の道にそって建て並べられているだけというような感じ。つまりは、鋼鉄の地面や、空を覆う人工的に維持された雲などで、自然といえるもの全てを排除していること以外は、《フラテル》にもありそうな程度の街の規模だった。
「この街でもまだ、適当に探すには広すぎるわね」
ザラに購入してもらった街の地図を手元に表示させ、もうすっかり慣れきった様子のリーザ。
「あそこで話聞きましょうか」と、周囲の他の建物と比べると、ランプで飾り付けられたりしていて、豪華な雰囲気の酒場を指差したザラ。
「酒、があるの?」
とりあえずそこに驚いたミーケ。
「それは別に普通ですよ。アルコールが禁止されてる地域なんて、レトギナ教がよほど浸透しているとこだけです。《フラテル》はそういう意味でも、国家外惑星としてはかなり変わり種な方です」
すぐそう説明したザラ。
「ていうか、酒場ならここに来るまでもけっこうあったよ」
「あ、えっと、どれがどういう店なのか全然わからなくてさ」
リーザの言葉に、また恥ずかしそうにしたミーケ。
「だけど、酒の店なんて、けっこう暴漢とかがいたりしない?」
「あなたのお酒のイメージがよくわかる反応ですね」
こらえきれずに笑ってしまうザラ。
「別に暴漢の1人や2人いても大丈夫よ。わたしの強さなら知ってるでしょ、ミーケ」
「それは、まあそうだけど」
(この反応は)
リーザの言葉にずいぶん安心させられたらしいミーケに、今度はザラが驚く。
(ガチですね)
実際に、全然何も心配していなさそうなリーザと、彼女を信頼しきっているらしいミーケを見て、その彼女は実際どのくらい強いのだろうかと想像するザラ。
実際のところは、ザラの想像よりも遥かに、そしてミーケが知っている以上に、リーザという少女は恐ろしい力を隠していた。この時はまだ、一緒にいる2人とも、知るよしもなかったことだが。
ーー
酒場に入ってすぐに、ミーケは不快さを感じてしまう。
店内に充満する慣れない酒の匂いもなかなかきつかったが、それ以上に、店の客たちのほとんどから、どうしても嫌な印象を受けた。
以前にミーケは、気配の感じ方というものを、リーザから教わったことがある。結局リーザと比べると全然だったわけだが。
しかしそのミーケでも、今は実にわかりやすく気づけた。
多くの者が、単に好奇心というより、明らかに値踏みするような視線でミーケたちを見ていた。感覚的に、生物の本能的な欲望を強く感じさせるような。
(ただ、作用的なものなのかな)
ミーケは、酒に含まれる成分だという、アルコールというものについてはほぼ知識がない。
だからそれが、神経系にどのような影響を及ぼすのかということも、本当はよく知らない。ただ、生物体にとってよくないパターンを発生させ、物質ネットワークを狂わせることがあるという噂を聞いたことあるだけ。
「ミーケ」
そして、彼にとってはどうにも不快なその場の中で、リーザの声と、その変わらない笑みだけは、とても癒しだった。
「ザラ、か、ミラの娘の。驚いたな」
その唐突な声に、ミーケもドキリとさせられたが、名前を呼ばれた本人は、完全にそれ以上だった。
「驚いた驚いた、こいつは本人じゃないか」
向けられると背筋が震えてしまいそうな薄気味悪い笑みを、浮かべていた男。
「母親にはあまり似てないな。だがメスとしての機能はよさそうだ」
男は明らかに何か勘違いしていた。
ザラの次にミーケを見て、そしてリーザを見てきた。その視線の感じから、どういう類のことを考えているのかはミーケにも容易に理解できてしまう。
"世界樹"の普通の社会では基本的にないといってもいい。しかし有性の知的生物の文化の中では、恋愛感情を利用した様々な形式での暴力を、心地よい快楽とするパターンは、あまり珍しくない。それはある社会という塊全体の成長を促す要素としてはかなり有効であることも多い(しかもそれを生じさせるのは簡単なものだ)。
ただ、単に社会をどの方向にでもいいから早く変化させていくとかでなく、社会そのものが何か別の目的のための道具である場合はそうした、言うなれば独立して強力なパターン要素は邪魔になりやすい。
ようするに、ミーケにとっては、そうした暴力性はかなり恐ろしいもの。
「母を、知っているようですね」
誰にも聞かせる気がないかのような小声で呟いたザラ。
その顔を暗くしていた姫の横で、楽しんでいるような感じでゆっくり近づいてきた男を精一杯に睨むミーケ。だが当然のように効果はないようだった。
そしてリーザの方も見たミーケ。彼女だけは、まだ無表情で、全然に冷静な雰囲気。ただ、その拳を握りしめてはいた。
「しかしこんなところにきたってことはそういうことか。なあ、あんたはこのメスガキの主人かい?」
「そんなの」
「やめてください」
男の物言いに、とにかく反論しようとしたミーケだったが、ザラは止めてきた。
「ミーケ、あなたが相手にすることありません」
顔を伏せて、ただそう呟いたザラ。
「お高そうだな、売女のガキが」
(やめて、もう)
もうそれ以上は聞きたくなかった。
ザラは目の前の男が大嫌い。
だけど、だけど母は、こんな世界にだって……
「あいつはよかったぜ。娘のおまえはずっと生意気そうだが、ガキとしてはいいかもな。なんならおまえも買ってや」
ザラは最後まで聞いてはいなかった。だから男の言葉が終わったのかどうかもわからない。
ただ、もうその声を聞きたくもなく、ほとんど無意識的にその場から逃げてしまった。
「ザラ」
店からも出て行った彼女を、ミーケはすぐに追いかけていった。
しかしリーザはその場に残る。
「なあ、あんた」
今度は残っていたリーザに声をかけた男。
「どうせあんたも」
「あなたは本当に勘違いしてるみたいだから教えてあげる。別にわたしたちは性的刺激の商売屋じゃないし、一緒にいる男の子は普通に友達」
あくまでも冷静にそれだけ説明して、自分もその場から去ろうとしたリーザ。
「おい、ちょっと待て」
去ろうとするリーザを、その腕を掴んで止める男。
「ここに来た時点で、あんたもここのルールに従わないとな。おれはメスガキなんかよりあんたが好みだし」
「ここのルールは関係ない。それに確かにこういう場でのことは知ってる。暴力的性質が許されることもね。だけどわたしにそれを許すのはあまり得策じゃないと思うわ」
だが、手を離そうとしない男に、彼女はさらに続ける。
「言っておくけど、これが最後の警告よ。力ずくで離していいの?」
「面白いこと言うな。それじゃ」
男はそれ以上喋れなかった。
それは速すぎ、やられた本人も含めて、リーザがしたことを目で確認できた者は、その場に誰1人いなかった。
実際には、リーザは男を殴り飛ばしていた。そして男は、壁にぶつかるまで数メートル吹き飛ばされていた。
それから沈黙の中、その場に膝をついた男を見下ろしたリーザ。
「ずいぶん痛いだろうけど、まだ意識はあるでしょ。そういうふうに、わざわざ調節してやったからね。わかる? 思いっきり手加減してやったわけよ」
「ひっ」
膝だけでなく、両手もその場につけ、男は怯えを見せる。
そして、怒る価値すらないとばかりに、無表情のままで、リーザは続けた。
「さっさとここから消えて、わたしの前にも、ザラさんの前にも二度と現れないことね。死にたいっていうなら話は別だけど」
それから、店から怯えた男が出ていった後、リーザはまた平然とした調子で言った。
「ちょっと騒ぎすぎちゃってごめんなさい。ここには人探しに来たんだけど、知ってる人がいたら教えてほしい」