10・古い大学者(水文学会1)
先天的なのか後天的なのかもわからない。しかし現に今、ミーケが有している力は、それでどのようなことができるかは、はっきりしていた。
つまりは'水'と呼ばれる物質の操作と、生成。
操作に関しては、体が触れている水の一塊を、ほとんど自由自在に、原子レベルで操作することができる。
生成も似たようなもので、やはり触れている物質を水の構成へと組み換えることができる。ただし、その対象となる物質の構成が、(構成成分的な意味で)純粋な水とかけ離れているものであればあるほど時間がかかる。
また生成に関しては、ザラはすぐ、水に近いと考えられるpパターンのサンプル物質と、それとは別に、今の宇宙でありふれているサンプルいくつかを用意して、試してもらった。すると、水に近しければ、 それこそほとんど一瞬で変換完了したが、今の宇宙の物質では、最も変換が早かったものでも5分ほどかかった。
ーー
「普通には使えないな。今の宇宙じゃ」
ミーケ自身が素直にそう思った。
まず普通の環境では、水を作り出したとしても、安定せずにすぐに崩壊するだけだから、まるっきり意味がない。もちろんそもそも、今、宇宙にありふれてる多くの物質に対して、それを行うとして、ひとつひとつに数分以上かかるのでは、スローペースすぎる。
「だけどさ、魔法って本当にあったんだ」
そんなリーザの言葉に、ミーケもザラも、思わず笑ってしまう。
「正直、本音を言わせてもらうと、魔法ではないと思うんだ」
[魔法がないことの証明]という本をミーケは読んだことがあり、彼はそれによって、例えば使用可能距離など、物理的制限がある超能力は、未知だけの魔法ではありえないことを、よく理解していた。
「原理もある程度想像がつきます。例えば、そもそも心というのは、神経系のような物理機構と、心層空間と呼ばれる通常の時空間とは別の未知領域で発生している根元的な要素群が、相互作用しあうことで動作している、という有力仮説があります。仮にこれが正しいとするなら、そちらの空間のコントロール技術を開発できれば、完全に心というものの動きのみでも、物質を操作することが可能だろうとは思います」
もっとも、あくまで根拠のない推測にすぎないとも、ザラは付け加えた。
「しかしあなたのその力は」
「何か使い道ありそう?」
ザラがそういうことを思いついたかのような印象を受けたミーケ。
「まだ確信は持てませんけど、もしかしたらって思う事が1つあります」
しかしその時はまだ、そのことについてザラは何も話さなかった。
「例のもう1人のスカウトも終わって、《アミデラス》に戻ったら話します」ただそう言った。
「で、その例のもう1人ってのは、どんな人なの?」
リーザが聞く。
ミーケたちはまだ、その人物が《リドセア》という惑星にいることくらいしか聞いていない。
「エクエスという人で、今は占い師をしているらしいです」
ザラの言葉に、ミーケもリーザもかなり意外そうな顔をする。
占い師。それはちょっとというか、かなり奇妙な肩書きであった。
「もっともあくまで、今は占い師をしているというだけのことです。彼はわたしの、恩師の恩師にあたるのですが、とても古くから生きている人で、かつては大学者として知られていたそうです」
ザラが恩師としたのは、『学術委員会』の初代局長で、今は大総長と呼ばれる立場にあるという、マッドという男。エクエスはそのマッドのさらに師であり、そもそも今の"世界樹"という世界自体の始まりであった、初期の委員会の設立の際にも、力になってくれたのだという。
「わたしは、実はミーケ、あなたの協力を求めようと考えた時に、彼、マッドにすべてを打ち明けて、相談したんです」
そしてマッドは、もしかしたらエクエスも力になってくれるかもしれないと、教えてくれたのだった。
「いろいろと変わり者で、力になってくれるかは微妙ということですが、ただ、水の研究に関しては、わたしたちの大先輩にあたるらしいです」
「その人も水の研究を?」
ミーケが聞く。
「かなりの昔に。『水文学会』という、水が失われた原因に関しての研究組織があったようなのですが、エクエスは それに所属していたメンバーの、今生きている唯一の人と聞きました」
しかし、なぜか『水文学会』の研究成果に関する記録は残されておらず、マッドも、エクエス自身からそれに関しての話を聞かされたことはないという。
「ただその『水文学会』が、今も誰も知らない水に関する重大な情報を、いくつか発見していたのは間違いないらしいです。マッドは、エクエスなら必ずそれを知っているはずだと」
『水文学会』に限らず、エクエスは昔の自分をあまり語りたがらないが、その知識は"世界樹"の中でも飛び抜けているのは間違いないという。
「とにかくそういうことなら、たとえ仲間にはなってくれなくても、いろいろ貴重な話を聞けるかもしれないと思いまして」
かつて、失われた水を研究していた組織、『水文学会』の伝説的な科学者。
確かに、同じく水を研究しているミーケたちにとっては、ぜひ会って話を聞いておきたい相手。
ーー
「これが《リドセア》です」
もう到着まで数分くらいに迫った、その黄色と青色が混じりあったような惑星を、モニターに表示させたザラ。
「わたしも、ここについてあまり知らなかったので、ちゃんと調べてみたんですけど、なかなか厄介そうなところではあるようですね」
"世界樹"では珍しい、実用的でない科学技術の関心が薄く、レトギナ教も普及していない、言ってしまえば俗物的な国家外惑星。そういう場所だから、科学者は歓迎されないかもしれないとも、ザラは説明した。
「そういう場所が、ここにあることに驚き」
リーザの素直な感想。
「全体から見た数は少ないですけどね。しかし、"世界樹"のたいていの地域では、純粋な実利主義者の肩身は狭いですから、そういう人たちがよく集まる、このような小コミュニティはけっこうあります」
一般的に、"世界樹"では、物質生活に実用的な発明よりも、何か新しい知識を得るための発明の方が、よっぽど人々から褒め称えられる。むしろ、そういう発明の援助者は非常に多くなりがちなため、結果的に利益すら高くなる。
確かにただひたすら、物質的に豊かな生き方を追求している人にとっては、バカバカしいことこの上ないだろう。"世界樹"という世界は、宇宙で最も高い科学技術を持ちながら、 自己満足の精神生活の充実ばかり求める者が多いわけである。
「でも、そういう人たちは出て行くだけだと思ってたよ」とミーケ。
「"世界樹"に生まれてしまった時点でらしいですよ。そういう人たちにとっては他のところなんて余計最悪なところです。他のどのフィラメントでも、ここには大真面目で堅苦しい科学者しかいないという噂が、わりと真剣に信じられてるらしいですから」
「ああ、それはそうかも」
リーザはそこで一気に納得する。
そもそもリーザが、実際に元いたフィラメントで聞いていた"世界樹"の話がそんな感じであったし、それを彼女自身、すっかり信じていたわけだから。
(「そこはさ、科学者の楽園なんだ」
「わたしはね、リーザ、いつか必ずあそこに、"世界樹"に行きたいと思ってる。だって私も科学者なんだから」)
そんなことを言っていた昔の友人の言葉もリーザは思い出す。
(ミシェリは羨ましがるだろうな、わたしが今"世界樹"でいることを知ったら)
そしてそれは、彼女自身が、自分とはまったく無縁だと考えていたような世界。
「とにかく、ここはそういうところですから、もしかしたらわたしのことも、ザラセニタの名前以上に、《アズテア》王家のはねっ返り娘として知っている人が多いかもしれません」
確かに、一国の王家と強い繋がりを持ちながらも、幅広い地域で自由に活動するザラは、大きなコネを得たい野心家たちからは魅力的かもしれない。
「本当はわたしは、留守番しておいた方がいいかもしれないくらいです」
しかしそんなわけにはいかないだろう。
そもそも、本来は《フラテル》よりもずっと難しい、《リドセア》の、特に相手にメリットもない一時訪問許可を得れているのは、ザラの、王家と『学術委員会』のコネのおかげである。その本人であるザラがいなければ、いろいろまずい状況が起こってしまう可能性はかなり高くなる。
エクエスの居場所の情報に関しても、《リドセア》の《クラクール》という街にいるというところまでしかわかっていなかったから、彼を探し出すために聞き込み調査をしたりする必要もあるかもしれないので、尚更だった。
そして、ザラの不安は、見事に現実になってしまうことになった。