プソイド・ファミリー・クリスマス
アルフとイヴに遅れて、エマコはエレベータで住居スペースに戻る。
「……っく……」
エマコはグラスに残っていたシャンパンを飲み干す。
空になったグラスをテーブルに置くと、少年ドロイドが、すぐさまこれを片づける。
(……さて、どこやったかな……?)
アルフから預かった〝サンタさんへの手紙〟
その在りかを、エマコはぼんやりと考える。
シャンパンで痺れた脳は、少しして、鍵のかかった引き出しをエマコの手に開けさせる。
レターサイズの普通紙には、イギリスつづりの英文。
丁重な言葉づかいでサンタさんへの要望が書かれている。
サンタクロースの実在を無心に信じる内容の幼さ。
対してロイヤルブルーのインクによる書字は正確無比。印字と見まがうばかり。
「マジか……困ったな……」
手紙には、確かに《アルブ・デュクス》を望む旨が書いてある。
翌朝、アルフはがっかりするだろう。
そして失望は、サンタクロースへの疑いにつながる。
人生はそうやってケチがついていく。
退屈な事実を一つ知るごとに、輝かしい神秘は消え失せる。生活の知恵と引き換えに。
仕方のないことではある。誰でもいつかは大人になる。
それでもエマコは、アルフにはまだ美しい夢を楽しんでいてほしかった。
「……とりあえず飲むか……」
エマコはシャンパンをグラスに注ぐ。
クリスマスの朝まで、後数時間。
今となっては、正しいプレゼントを買いに行く暇はない。
通販による優先速達も、時期が時期だけに不可能だった。
一応調べてみてしまったことで、かえって失望は強まった。
アルフの夢を守るために、エマコにできることは見つからない。何もありはしないのだ。
「……飲むしかねえな……」
この家で、酒を飲むのはエマコだけだ。
どうせ自分が飲むのなら、いつ飲もうと同じ。既に酔っているのだから、さらに酔うのも同じ。
酔ったエマコの論理は大胆だった。
ふと、古めかしいJ-POPが流れる。
00年代の日本で流行したアニメのOP曲だ。
「――もしもし、爺さん? はい、エマコ・ハジベです。うん、家にいるよ。今、うちの子とお風呂入ってる。……ん? うん、わかりました。報酬は弾んでよ?
はい、じゃ、また明日」
エマコが電話を終えてしばらくしたころ、アルフと童女は戻ってきた。
「ぎゃあ?」
「ぎゃあ!」
「ぎゃっぎゃ!」
「ぎゃあ」
二人は裸であちこちに水を垂らしている。
手にバスタオルがあるにも関わらず。
生体ドロイドの一人、シエルの視覚センサは床の水滴を検知。
AIは水滴を家へのダメージ源と判断、解決策として拭き掃除を提示。
〝拭き掃除〟という動作の手続きに対応する行動統御アプリケーションを起動、および当該行動に必要な道具を搭載データベースから検出。
シエルは雑巾を取りに行き、黙々と水滴を拭き始める。
生体ドロイドのAIの判断速度は、気の利いた働き者の人間と同等か、それ以上だ。
「……アルフレッド・モントフォート」
エマコは静かに話す。酔いのためゆっくりとした口調で。
「はい、エマコ。何ですか?」
「お風呂入ったらあ、ちゃんと、身体ふいてって言わなかった、私? それにさ、脱衣場でパジャマ着ておいでよ……聖槍ぶらぶらさせてないでさあ……私気になっちゃうじゃん……」
「ごめんなさい。でも、僕のパジャマはあるけれど、この子のがないから」
「っあー、そうか。……それもあるんか……私の服でいいよね、大は小を兼ねっし?」
「いいと思う」
「おっけ。じゃあ取ってく~」
エマコは部屋を出る。歩みはふらふらとおぼつかない。
アルフはバスタオルで自分と童女をふき、羊の着ぐるみパジャマを着る。
ボタンを留める間も素裸の童女を眺め、ふとつぶやいた。
「……君はあの白い竜なのだよね?」
「ぎゃあ」
「僕の言うことはわかる?」
「ぎゃあ」
「お名前を教えてくれる?」
「にぇえ」
「今のは〝いいえ〟という意味?」
「ぎゃあ」
「わかってきたよ、君のこと。お名前はないの?」
「ぎゃあ」
「やっぱりそうだったのだね。では考えよう。名前がないと不便だもの」
「ぎゃあ!」
「何がいいだろう……?」
アルフは童女の頭に手を置き、考える。竜だから、ドラゴン? 違う。
「……君に会ったのはクリスマスイヴだ。だから、イヴはどうだろう?」
「ぎゃあ!」
童女――イヴは嬉しそうに鳴いた。
「気に入ってもらえたのかな。僕も嬉しい。今日から君はイヴだ」
「ん、……その子に名前つけちゃったの?」
Tシャツを持って戻ってきたエマコが問うた。
「いけないことなの?」
「んー……いけないってかさ、明日返しに行くんだから、そんなことしても仕方なくない? ま、この説教はもっと無意味だね。
……あー、えっと、明日だけど、その子を返しにお出かけします。プレゼント確認するくらいの時間はあるだろうけど、本格的に遊ぶのは用事を片してからってことで。アルフ、いい?」
「はい、エマコ」
エマコはアルフとイヴの髪を拭き、歯を磨かせる。
「ぎゃあ」
「君、歯磨きしたことないの? ……ないか……」
ブラシの使い方をわかっていなかったイヴの歯を、エマコは磨いてやる。
「はい、お口あーん」
「あーん」
「よし。今日もアルフは歯磨きちゃんとやってえらいね♡」
「サンタさんにもそう言っておいてね」
「うん、会ったらね……はい、お嬢ちゃんもあーん」
「ぎゃ……」
「んー、まあ、いいのかな? てか磨いたの私か……気づかないあたりアルコールが……」
エマコは大きくあくびをする。
アルコールを含んだ呼気に、アルフとイヴはかすかに顔をしかめる。
「……ふわ……トイレ行っといで」
「今日は大丈夫」
「寝る前はしておくものです、アルフレッド・モントフォート。……そうした方が、サンタさんも喜ぶと思うよ?」
「トイレ行ってきます、エマコ」
「いってらっしゃい……」
「ぎゃあ」
「……君はまだ。順番」
「ぎゃあ?」
「待ちなってことさ……しかし君、アルフに似てんね。色合いだけじゃなく造形もそれっぽい」
「ぎゃあ」
「……竜からヒトに変身するのにアルフを参考にしたんだろうけど、何で他の人じゃなかったんだろう? 人間に会うのが初めてってわけでもなかろうに。第一、質量保存則とかどうなって……ま、私の気にすることじゃないよね……」
「ぎゃあ」
「お待たせしました」
「お帰り」
「ぎゃあ」
その後、イヴに用を足させ、エマコはアルフを寝室へ連れていく。イヴもその後を追ってきた。
「今日は三人で寝よう」
少年の身よりもはるかに大きいキングサイズベッド。
その端に、アルフはアノマロカリスのぬいぐるみ《アノミィ》を寝かせる。
アノミィの隣にアルフ、アルフの隣にイヴが入る。
「三人で大丈夫? 狭くない?」
「大丈夫」
「いつか私のベッドで寝たときみたいに、蹴ったりしちゃだめだよ? その子じゃケガで済むかわからないんだから」
「大丈夫です、エマコ。僕はもう寝るから。夜更かししていると、サンタさんに怒られてしまうもの」
「まったくその通り。……しかしアルフがそう言うとは思わなかったよ。……アルフも、色々考えて生きてんだねえ……おやすみなさい」
「おやすみなさい」
「ぎゃあ」
エマコは電気を消し、部屋を出る。
リビングに戻ったエマコは、端末でアルフのバイタルを確認する。異常なし。
アルフの帰宅以前に見ていたアニメの視聴を再開し、脳波が眠りを示すまで待つ。
アニメのアイキャッチシーン。
エマコは一時停止をかけ、残ったシャンパンをグラスに開け、一口飲む。
アルフの脳波を確かめると、かえって活動的になっていた。
「あー、ま、そりゃそうか……」
ただでさえ祝祭の空気で昂揚しているだろうに、今夜は一人余計なモノがいるのだ。
こうなることは当然だった。
そんなことにも気づけなかった辺り、飲み過ぎたのだろうとエマコは思う。
アルフの寝室のドアを、小さく開ける。
しまった、といった風のアルフと目が合う。
直後、アルフは横たわって気を付けの姿勢を取り、渾身の力を込めて目をつぶる。
「サンタさん来るのやめるかも、って連絡があったんだけど、その分なら来てくれそうだね」
アルフの身の変わり様にほほ笑みながら、穏やかな声でエマコが言う。
「サンタさん来るかな?」
「来るよ。来るから普通にしてなさい、アルフ。そんなに力を込めて目をつぶってると、逆に寝づらいから」
「はい、エマコ。おやすみなさい」
「おやすみなさい」
エマコが去って十五分後。
アルフの脳波は、眠りの値で安定する。
プレゼントの箱を抱え、酔いのためふらつく足取りでエマコは寝室へ向かう。
中身が違っていることについて、エマコはもう悩むのを辞めることにした。
きっと、寝ているうちにプレゼントが来るだけでも十分だ。あるいはそんな不思議こそ、アルフを喜ばせることだろう。
エマコは慎重にドアを開く。
エマコが部屋に忍び込んだことにも気づかず、ぐっすりとアルフは眠っている。
イヴとアノミィとに囲まれて。平穏と幸せに満たされている。
エマコは音を立てず、また転びもせぬよう慎重に部屋を歩く。酔った身では奇跡といっていいほど、静かに枕元へ至る。
傍らにプレゼントの箱を置き、ベッドの上の光景をしばらく眺める。
無垢なる寝顔。
みずみずしい生命の、明日を生きるための幸せな一時停止。
無心の美。
こみ上げる愛おしさ。
エマコは〝幸福な家庭〟という観念について思いを馳せる。
まっとうな人間のように結婚して、子を育て、忙しく日々を送っていくなかで、ふと感じる幸福の一瞬。
その一瞬は、こんなものなのだろうか。
今のエマコの脳を観測する者がいれば、その幸福な母親の脳の近似値を見るだろうか? あるいは区別など――。
猛烈な眠気が、エマコの思考を塗りつぶす。体内のアルコールによるものだ。
幻滅させるようなヘマをしないうちに退散するとしよう。
一度だけ振り返って寝顔を見、エマコは音を立てずに寝室を去った。
本日もプソイド・カライドをご愛読くださりありがとうございます。
世界には、すばらしいものが確かに存在します。
サンタさん、愛、希望、読者諸賢……
そういったもののすばらしさを、忘れずにあろうと思います。
あとがきまでお読みくださりありがとうございます。
読者諸賢、なろう運営諸氏、サーバーをいいかんじにしてくださるエンジニア諸氏、いつもありがとうございます。
皆さまと僕とに、いいことのありますように。