フェイス・トゥ・プソイド・ゲー
『わかりました。
こちらでも探してみますが、いそうな場所に心当たりがあれば教えてください』
ヴェラはエマコのメッセージにそう返信し、地下研究室を歩く。
さて、イヴはどこにいるのだろうか?
ヴェラが最後に見た限りでは、アルフの浮かぶ培養槽の前で、寄り添うように眠っていた。
たぶん、今もそこにいることだろう。少なくともその近辺に。
(問題としては、ここの間取りが今一つよくわかっていないことですね……)
この地下研究室は、エマコと彼女の美少年たちの他、誰も訪れることを想定していない作りだ。
当然案内板の類はないし、わかりやすい間取りであるとは言えない。
だが歩いていればどうにかなることだろう。
生体ドロイドの誰かに会ったなら、彼らが道を教えてくれる。
そもそもイヴの所在を把握していてもおかしくない。
昨夜アルフを見かけたと思しき階を歩み、ヴェラは部屋を一つ一つ覗いていく。
†
「寝てねえときには糖分が効くねえ……」
アーサーの持ってきたケーキを食べ終え、茶をすすってエマコが言った。
ドロイドたちに簡易検査をさせたところ、薬物の類は混入されていなかった。見た目通りの単なる市販品のケーキだ。
それがわかると、純粋な食欲からエマコはケーキを食べることにした。
アーサーは騙し討ちには適正がないし、エマコの目を盗んで薬物を盛る技術もないはずだ。
アーサーのアクトウェア、――即ち武器や乗り物などの操作、そして発話や各種身体制御に関わるアプリケーション――を設定したエマコには、安全は確かなものに思えた。
「おいしかったですか、博士?」
「ん、おいしかった」
もちろん、なんらかの理由で突発的な暴力に出ないとは言い切れないのだが。
ヒト脳搭載型戦闘用生体ドロイドとして設計されたアルフやアーサーは、戦うことに怯えない。命を奪うことをためらわない。
脳の神経系を生まれながらに操作され、恐怖と痛みを感じる能力を削られている。
幼子の精神性とセットになったそれらの特性は、ときに他者には理解できない突発的で激烈な暴力として炸裂する。
安全装置として、脳内の睡眠物質を急増させて気絶するように眠らせる、オクトカラーQRコードを用意してはいる。
しかしアーサーの訪問は急なことであったために、それを描いた用紙は今エマコの手元にはない。
端末から立体投影するにしても、この近距離で銃を使われては間に合わない。
射殺された後で、アーサーを寝かしつけたところで意味はないのだから。
「ケーキ買ってきてくれてありがとうね、アーサー」
「いいえ、博士。プレジデントの命令でしたから」
とはいえ、エマコはアルフと過ごした7か月間で、このかわいらしき猛獣たちの扱いにはそれなりに慣れてきた。
「そっか。
ところでさ、私んちは室内での発砲は禁止なんだ。銃は預けておいてくれる?」
「はい、博士」
言われた通り、アーサーは腰のホルスターを外してトーマに差し出す。
この通り、はっきりと頼めば大抵の望みは聞いてくれる。武器を手放すことの危険は、彼らの想像力の外側にあるがために。
恐怖と痛みを感じないとは、人間にとって切実な苦痛の多くを感じないという意味でもある。
社会的な煩悩を持たぬ幼子であれば、お腹がいっぱいなら、それだけで幸せに安らいでいられるのだ。
そうした安定した情緒を持った相手なら、穏やかに対処すれば穏やかにことは済む。
ゆえにアーサーはさしたる問題ではない。
エマコが最も配慮を払うべきは、無垢なる青き瞳の向こうにいる相手だ。
アーサーの視聴覚情報を読み取る権限を持った相手、パトリックかその代理人に離反の事実を悟らせぬことだ。
「えらいね、アーサー。
今度うちに遊びに来るときは、入り口のエアシャワーに撃ち返したりしないんだよ?」
「エアシャワー?」
「風が出たでしょ? アレ。攻撃とかじゃななくて、外のゴミを落とすだけだから」
「そうなのですね……」
言って、アーサーは最後のケーキに取り掛かる。
エマコは少年の口にケーキが消えていくさまを見守り、美とかわいらしさの調和に常のことながら驚かされる。
そして、このテーブルを共に囲み、さまざまな食べ物をいつもおいしそうに食べてきた、同じ顔のアルフのことを思い出す。
「ごちそうさまでした。おいしかったです、博士」
「良かったねえ。まあ君が買ってきたケーキだけど。……こっちに顔近づけて。クリームふいたげる」
「はい、博士」
「そういや、爺さんは何か言ってなかった?」
「いいえ、博士。
今朝僕が朝食に誘ったときは、何も言わず追い払われてしまいました」
「そっか。……爺さんと朝ごはん食べたかったの?」
「はい。僕はプレジデントと朝食を共にしたかった。
プレジデントと一緒の時はいろいろなものが食べられますし、『食事は皆で食うものだぞ、アーサー』とプレジデントが言っていました」
「ふーん、爺さんによくなついてんね……」
「僕はプレジデントが好きです。博士はプレジデントのこと好きですか?」
「え。
あ、うん、まあ、どちらかと言えば好き、ってことでいいんじゃないかな……」
「嬉しいです。プレジデントを好きなのは良いことです」
「仲良しだね……」
アーサーに応じながら、エマコは端末を見る。ヴェラからのテキストメッセージだ。
『イヴ見つけました。
スバルに入り口に立っていてもらいますので、その部屋には彼を立ち入らせませんように』
これで、もうアーサーを奥に入れても問題はなくなったわけだ。
とすると、隅々まで見て行ってもらった方がいい。
エマコが内部を隠すつもりがないことを見せれば、パトリックへの心証にプラスの影響があるだろうから。
「ねえアーサー、私はそろそろ仕事に戻ろうと思うけど、大丈夫?
ケーキ食べてくる他の用事は言いつけられてない?」
「はい、博士。大丈夫です」
「……どうも指示手抜かりがあるんじゃないかな……まあいいけど。
それならうちのアルフを見てってくれない? たぶん君の好きなプレジデントも喜ぶと思うから」
「はい、博士! 見ていきます」
「おっけ。じゃ、まずはお手々洗ってこよう。ケーキでべとべとしてるから」
「べとべと」
今日もプソイド・カライドをごらんくださりありがとうございます。
皆様にいいことのありますように。