タイダル・オートモービル
「駐めて頂戴」
ニューエデン市街からはずれていくマセラティ。
その車内で、不意にヴェラが言った。
目的地のホテルに到着したわけではない。
近くには、大型のカーディーラーがあるばかり。
きらめく新車が幾台も並んでいる。
AIは理由を問うことなく、漆黒のマセラティをなめらかに路肩へ駐車させる。
「降りますよ、アルフ」
「ホテルに着いたのですか、ヴェラ?」
「ぎゃあ?」
「いいえ。
ちょっと、あなたにプレゼントをさしあげようと思いまして」
ヴェラに続いて、アルフとイヴは店内に入る。
店内にも、幾台もの車がきらびやかに並ぶ。
だが人気はなく閑散としていて、照明のまばゆさも虚しい。
「こんにちは、お客様!
トイレは、建物を出て右手の奥でございます。
その他の御用ならば、どうぞお申し付けください。
――トイレは、建物を出て右手の奥でご――」
「こんにちは、車を売ってくださいな」
定型句を繰り返す来客対応AIに、ヴェラは心持ちほほ笑んで言った。
「失礼いたしました、お客様。ご来店くださり光栄です。
どうぞ、心ゆくまでご覧ください」
「とりあえず、こちらにある車を全て売ってくださるかしら?」
「承知いたしました、お客さま」
非常識な注文だ。
しかし、旧式の接客AIにそれを疑問に思う機能はない。
「合計金額が50万ドルを超えますので、クレジット払いは不可能です。
お振り込みでよろしいでしょうか?」
「ええ、ではそのように」
そしてまた、ヴェラも冗談のつもりで言ったのではなかった。
一台で数十万ドルする最高グレードの超高級車を含む数十台の車両群を、ヴェラは一括振り込みで購入する。
1000万ドル近い金額が、カーディーラーの決済用口座に振り込まれた。
「さ、これでこれらの車は私のものになりました。どれでも好きなものをお選びなさい、アルフ。あなたへのプレゼントです」
「わ、ありがとうございます、ヴェラ」
「ぎゃあ」
きらきらと光る車が、幾台も並んでいる。
銀色のアストンマーティン。
深緑のアルファロメオ。
紺碧のメルセデス・Sクラスセダン。
「どれにしようかな……」
初めての光景を、アルフはしばらく眺めていたいと思った。
「あまり時間はかけないでね、アルフ。この後も予定があるのですから。決めきれないようでしたら、全部あなたのものにしてしまってもかまいませんよ」
恍惚としているアルフに、ヴェラは釘を刺す。
「それでは、この緑の子にします」
少しして、アルフは紺碧のメルセデス・Sクラスセダンを選んだ。
「結構。なかなか良いものを選びましたね……」
ヴェラはアルフの頭を片手でなでつつ、AIに問う。
「ガレージはあるかしら?」
「ございます、ヴィペルメーラ様。
ただいまのお支払いのため、ヴィペルメーラ様は当店の最上級顧客となられましたので、無制限にお使いいただけます」
「ありがとう、では使わせていただきます」
ヴェラはスマートフォンを取り出し、操車アプリをタップ。
車両群を、続々とガレージに入れていく。
ガレージの中で、車両群のカーテンを閉ざし、中を見えないようにしていく。
自動開閉カーテンを持たないローグレードの車が、何台か中を見せたままで残っている。
「さて、お手伝いしてくださるかしら? あれらの車のカーテンを閉めてきてほしいのだけど」
「わかりました、ヴェラ」
「ぎゃあ」
しばらくして、車内を隠した車両群が、続々と外へ出ていく。
アルフたちの乗る紺碧のメルセデスも、
またここまで乗ってきた漆黒のマセラティも、群れの中の一台として発車した。
色とりどりの車で急に混みだした道路を眺め、ふとアルフは問うた。
「ヴェラ、どうしてこんなにたくさんの車を買ったのですか?」
「ぎゃあ?」
「前の車には盗聴器が仕掛けられていたかもしれません。それと、追手をまくためですね」
自動運転の普及した現在、運転に窓は不要だ。
窓のない車種さえあるし、そうでなくとも遮光カーテンが大抵の車に備え付けられている。
中を完全に隠して、数十台を違う方向へ走らせれば、追跡には数十倍の手数が必要になる。
「……けれど賢い追手なら、車屋さんに寄った時点で、私の狙いに気づいていたかもしれません。まあいいでしょう。気づいていたとしても、十分な人手やドローンを用意する暇はなかっただろうと考えます。前向きにね」
「はい」
「ぎゃあ」
「何より、あなたにプレゼントをあげる機会があったのは、素敵なことです、アルフ」
「本当にありがとうございます、ヴェラ。僕は何をお返ししたらいいのでしょう?」
「それは後でお話します、アルフ。――《アクアム・レギアム》へやって頂戴」
ヴェラはアルフにほほ笑んで言って、AIに目的地を伝える。
《アクアム・レギアム》は、古代ローマ風を売りにする屋内型ウォーターリゾートだ。
ギリシャローマ風の彫刻が左右に飾られた入口。
「やはり止めておきましょう。外へ」
そこを通って、敷地内に入ろうとした瞬間、ヴェラは目的地の変更を告げた。
メルセデスは駐車場で円を描き、道路へ取って返す。
「プールには行かないのですか?」
「ぎゃあ?」
「ええ。車は平気でも、服などに盗聴器が仕掛けられているかもしれませんから」
いかにも残念そうに問うた二人に、ヴェラは新しい目的地を手動入力しながら答えた。
「ごめんなさいね。でも、手間をかけたおかげで、安全が手に入ります。父があのような目に遭った後です。面倒ではありますが、必要な手順です」
情報流出の可能性は、ほぼ消えた。
もし待ち伏せを受けても、代償に車両管制AIへのクラッキングと断定できる。
そこまでわかれば敵を特定できる。
そうなれば後は叩いて安全を手に入れるだけだ。
「ヴェラ、〝あのような目〟とはなんのことですか? お父上はご壮健に見えましたが」
「あら。……もしかしてあなた、ご存じないのかしら?」
「何をですか?」
「ぎゃあ?」
「私の父――ニューエデン州知事襲撃事件を。三日前のことなのだけど」
「知りません」
「では確かに覚えておいて。そういったことがあったのだと。いいですか? アルフ」
「はい、ヴェラ」
「ぎゃあ」
それからすぐに、メルセデスは《ヴィペルメーラ・ファミリー・ランチ》に駐まった。
このわずかな時間で待ち伏せをするのは難しい。
名前の通り、ここはヴィペルメーラ所有の牧場だ。
主にヴェラのために維持されている。
本日も「プソイド・カライド」をお読みくださりありがとうございます。
皆さまと僕とに、いいことのありますように。