ヴィペルメーラ・ファミリー
「ぎゃあ!」
「わあ!」
アルフは驚いた。
イヴだ。アルフの唇にキスをすると、しがみついて頬ずりをしてくる。
「ぎゃあ~」
「はは」
キスを返し、アルフはイヴの頭をなでる。
とても健康だ。
足を狙撃され、心臓を槍で貫通された後とは思えない。
問題といえば、点滴のチューブで左手が動かしづらいことくらいだ。
「お目覚めになりましたか」
「ぎゃあ?」
「うん?」
部屋のドアが空き、医師と看護師を連れて、ポニーテールの屈強な女が入ってくる。
「私はジュディア・セルヴォメーラと申します。ニューエデン知事、パオロ・ヴィペルメーラの秘書でございます。
知事の命令により、昨日あなたを助けさせていただきました。
ミスター・モントフォート、知事がお会いしたいとのことです。来ていただけますか?」
「お助けくださりありがとうございます、ミズ・セルヴォメーラ。ですが用事があるのです。イヴ、――この子を、研究所に届けなくては」
「ああ、それでしたら問題ありません。
ここは件の研究所の関連施設です。あなたの治療中に〝特殊兵器〟の問題は解決済みです。
あなたは、役目を完全に達成なさったのですよ」
ジュディアは平然と嘘をつく。
アルフには見抜けない。情報が足らなすぎるのだ。
「なるほど、そうだったのですか。ところでここは?」
「《ヴィペルメーラ・バイオニクス》。生体ドロイドの整備・研究施設です」
ヴィペルメーラ・バイオニクスは、アルフの義肢を治療・修復するのに適切な施設ではある。しかし、当初の目的地ではない。むしろ、その敵対者たちの巣窟である。
「ああ、僕の身体は主に義体だから、生体ドロイドの施設が便利なのですね」
アルフは何も疑わずに言った。
身体のことはエマコに聞いている。
生体ドロイドの研究者に。
昔の事故で、自分の四肢は生体ドロイドのものになっているのだと。
エマコが、アルフのちょっとしたケガなどを治すときは、自宅研究室の設備を使った。
それと同じで、何も不自然でない。
「ええ、ミスター・モントフォート」
アルフが何も疑っていないことに安心したのか、気にも留めていないのか。
どちらとも取れない平然たる態度で、ジュディアはうなずいた。
「それで、どうして僕らを助けてくれたのですか?」
「それは知事からお話があるでしょう。さ、どうぞお召し替えを」
服を残して、ジュディアは退室する。
「なんだかおもしろそうだね」
「ぎゃあ」
アルフは患者衣を脱ぎ、用意された服に着替える。
濃紺に縦ストライプのジャケット。
同じ生地の三分丈パンツを、サスペンダーで吊る。
ネクタイは無地。
ニーソックスと同系色のネイビーブルー。
靴はオックスフォードスタイルだ。
「では行きましょう」
「ミズ・セルヴォメーラ、僕はお腹が空きました」
歩き出したジュディアは、アルフの言葉に身を固める。
「――とりあえず、今はこれを。
ですが、しばし御辛抱ください、ミスター・モントフォート。知事はあなたを歓待するために茶菓を用意しているでしょうから。あなたの胃を徒に満たしては叱責を蒙ります」
ジュディアは一粒のバターキャンディーを放り投げ、きびきびと歩みを進める。
その背中は、いかなる問答をもする気のないことを無言で語っていた。
アルフとイヴは、ジュディアに連れられて4ドアのアルファロメオに乗りこむ。
アルファロメオはニューエデン市街を進む。
そして、王宮の外郭めいた堅固な壁に行き当たる。
しばし壁沿いに進み、豪壮な門をくぐる。
林檎と蛇を象った金の紋章が、冬の陽光に輝いていた。
ここは《ヴィペルメーラ・ディストリクト》の名で知られる、最高級ゲーテッド・コミュニティだ。
ニューエデンの実質的な支配者である《ヴィペルメーラ・ファミリー》の幹部連の邸宅が並んでいる。
城館めいた家々の中央に建つのが、州知事パオロ・ヴィペルメーラの住まいだ。
豪壮な屋敷ではある。
だが近隣の屋敷と比べ、際立って大きいわけではない。
ヴィペルメーラ邸の正面玄関に停車し、三人は降車。
アルファロメオは自動運転で駐車スペースに向かった。
屋敷のエントランスには、ダークスーツをまとった二人がいた。
護衛らしい。
黒ネクタイを留めるピンには、林檎を囲むように、それぞれの尾を食い合う三匹の蛇のエンブレムが添えられている。
ディストリクトの門についていたのと同じ意匠だ。ヴィペルメーラ・ファミリーのエンブレムである。
「こんにちは。ドンとお嬢さまはいらっしゃいますか?」
「はい、コンシリエーラ・ジュディア。取次はすませてあります。どうぞ、中へ」
重厚な扉が開かれる。
ジュディアは屋内へ進む。アルフとイヴもそれに続いた。
「ミズ・セルヴォメーラ、〝コンシリエーラ〟とは何ですか?」
「シチリアの結社の慣習に由来する役職名、その女性形です。
顧問役、と言えばわかりますか」
「はい、わかりました。ありがとうございます」
「ぎゃあ」
「それは良かった」
「それで〝顧問役〟とは何で――」
「よう、ジュディア」
三人が屋敷の回廊を進む中、ふと声がかかる。
酒に焼けた中年男の声だ。
「こんにちは、フレドー」
ジュディアはアルフの問いへの対応を打ち切って、男に挨拶をする。
小洒落たスーツを着た小柄な男だ。
「お互いご苦労だな。兄貴も人遣いが荒いや。年の瀬だってのに」
「私は好きでドンに仕えておりますので。あなたにおかれましては、ご苦労お痛みいたします」
男の名はフレドー・モリス・ヴィペルメーラ。
ドン・パオロの実弟であり、ヴィペルメーラ・ファミリーの幹部頭、アンダーボスと呼ばれる役職を持つ者だ。
「ま、お互い、クリスマス休暇を上手く楽しめるよう祈ろうや」
軽く挨拶をかわすばかりで、フレドーは去る。
ジュディアは歩みを再開し、アルフとイヴを豪壮な一室に案内する。
「さ、おかけください、ミスター・モントフォート」
「はい。ありがとう」
「ぎゃあ」
今日も『プソイド・カライド』をお読みくださり感謝いたします。
スーツの似合う美少年。彼は世界の宝です、きっと。