エクソダス・フロム・ニューエデン
一行を載せたプライベートジェットは、大西洋を東に進んでいく。
「海~♪」
「ぎゃあ」
「ぅあぁ」
アルフが窓の外を見て歌い、イヴと乳児のフローレンスが鳴き声で応じた。
子供たちを眺めてリラックスするヴェラの端末が、小さな電子音と共に短い通知を発した。
「……ちょうど今、この飛行機はニューエデンの排他的経済水域を出たそうです」
「ふうん。じゃあ公海にいるんだ……」
「無論、本機はニューエデンに属するものですから、ニューエデンの法に支配されるところでありますが。
……とはいえ、初めて生まれ故郷を出たと思うと、多少の感慨はあります。
日帰りの用を足すために、少しばかり沖合に出たに過ぎませんが」
「ん? ヴェラちゃん海外行ったことないの?」
「お嬢さまって、ヨーロッパの寄宿学校とか行ったりするんじゃないんだ……」
ヴェラの言葉に、エマコと乳児の母であるメアリアナが疑問の声を投げかける。
「今日が初めてですね。
我が家のプライベートビーチの遊泳区域よりも、向こうに出たのは。
15年前の戦いで、私以外の家族を喪った父は、私を喪うことを恐れていて、ずっと手の届くところにいさせようとしていましたから。
教育についても、州内で完結させました。
学者たちを呼んで家庭教師にしたり、ニューエデン大学と私向けの学部を創るなどして、我が家に住み続けたままでいながら、一流教育機関と遜色ない教育を受けられるようにしてくださいました」
「なるほど……真の金持ちは子弟向けに学校を創るのか……」
「ってことは大学生なの? ハイスクールとか行ってそうな歳に見えるけど……」
「そんなところです。
学士の学位を得て、博士課程を始めたところで、この度の騒乱が起きまして。
……そういえば、大学についてはずっと何もせず、無断欠席し続けてしまっていますね……」
「ニューエデン大一部施設の戦災被害に対する補償には、ご決裁を戴いたと思うのですが……?」
「ええ、それはそうですが、私の話しているのは、プライベートでの話です、ニコラス。
話に上がったついでに、後で私の退学届けを出しておいてください。
今日の会談の結果がいかなるものであれ、私に博士論文を書く暇と気力は与えられないでしょうし」
「承知いたしました、ドン・ヴィペルメーラ」
「え、大学辞めちゃうの?
そっか……仕方ないっちゃ仕方ないよね……」
「新人子守り女にはわからんだろうがな、ドン・ヴィペルメーラには博士号より一兆万億倍尊い、天なる神の恩寵が宿ってるからいいんだよ!」
「一兆万億なる奇妙な数字は置いておくとしても、あなたに賛成します、ジョー」
「っす、恐縮です、ドン・ヴィペルメーラ」
「というわけで心配は無用ですよ、エマコ。私とあなたの生き方は、比べるのも愚かしいほど異なるものです。
あなたの目で悲劇と見えても、私としてはさして嘆かわしく思っておりません。
正直なところ、研究を多少面倒に思う気持ちがないでもありませんしね……」
「そうかなあ、勉強は楽しいじゃない……?」
「けど16歳で学士持ちって、結構、というか、かなりエリートじゃない?
飛び級してるんでしょ」
「そう言われるてみると、まあ、あなたの言う通りではあるのでしょう、メアリアナ。
でも、飛び級というと、エマコというすさまじい例が近くに座っていますからね。あまりそんな気はしません。
資料によれば、この方、10代前半までに4つの博士号を取得したそうですよ」
「えー、やばー」
「ま、指名手配されたときに全部剥奪されちゃったけどね。
……幼稚園も卒業までは通わなかったし、もしかすると書類上は、この場の成人だと、私が一番低学歴になるのかな……?」
「俺の長男は幼稚園は卒業してる。だから子供を含めても、赤ん坊たちとお前がワーストだな、低学歴新人子守り女。
輝かしい無限の未来が待つ赤ん坊たちと比べて将来性がない分、お前が底辺なのは間違いない。うん」
「脳筋糞ジョックに言われると生理的にキツイね……」
†
大西洋、ニューエデン沖の公海。
満々たる海洋の中に、ビル・クリントン級合衆国海軍所属原子力式航空母艦、《ドナルド・トランプ》が停泊する。
一行を載せたプライベートジェットは、《ドナルド・トランプ》への着艦を目指す。
この巨大原子力空母の内部が、ヴェラとアイシャ国務長官との話し合いの会場なのだ。
垂直離着陸機能を使って、空母の短い滑走路でも危なげなく、プライベートジェットは着陸した。
すぐさまタラップが用意され、合衆国海軍の儀仗兵たちが、最高儀礼を示す隊形に整列し始める。
整列が済んだところで、轟音がとどろく。
「にぇえ!?」
「敵ですね。ヴェラ、武器を――」
「ああ、驚かないでください、アルフ、イヴ。
これは礼砲と言って、私たちを歓迎するための音花火のようなものなのです。敵が来たわけではありませんから、どうぞご安心なさってくださる?」
「はい、ヴェラ」
「ぎゃあ」
ビルクリントン級空母には、40ミリ礼装砲がオプションとして装備されている。
現代の空母にとって、武器としての意味は無いに等しい。専ら儀礼的意味合いのための装備である。
砲声は21回轟き、終わった。
「……21回」
砲声を数えていたニコラスが、静かになるなりつぶやいた。
「この砲数は、合衆国大統領、外国の国家元首に相当する身分の相手に対するものです。
同様に、儀仗兵たちの整列隊形も最高儀礼の形です。
自明ですが、ニューエデンはドン・ヴィペルメーラ率いる、我ら〝名誉ある男たち〟のものです。何人にも手出しし得るものではありません。しかし、公称はあくまで州であり、御身の御称号も知事でございます。王や大統領ではなく。
とすると、連邦政府の代理人である先方は、御身を一介の州知事として扱い、上からの交渉をしかけてくる可能性が存在しています。
ですが、この礼法を見るに、そういった態度を取ってくることはなさそうです。
御身を『独立国の元首として扱うつもりである』あるいは『そう思われても良い』というメッセージを発した、といえることでありましょう、ドン・ヴィペルメーラ。
交渉に対しての吉兆、というほどのものでもありませんが、ニューエデンの主権に対する一応の配慮ではあるかと。
機外に出るなりFBIをけしかけられて逮捕される、などといったことはないでしょう。
という、私の予断も含めて、ご報告させていただきます」
「結構です、ニコラス。
――では、皆さん。行くとしましょう」
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皆様に良きことのありますように