ビギニング・ナーシング
「お待たせしました。さ、行きましょう」
「あ~やぁーまー♪ えぇ~うーで~♪」
ヴェラが客室のドアを開くと、音程の狂った歌が、二重奏で聞こえてくる。
かわいらしい声だ。アルフとイヴだ。
元気で未熟な歌と共に、同様につたなく活発なダンスをして、無心に楽しんでいる。
壁面スクリーンにはアニメ映像。
乳幼児向けアニメ『カンブリアン・カロリニアン』のEDだ。
カンブリア紀の動物をデフォルメしたキャラクターたちが音楽に合わせて踊っている。
下方には歌詞テロップ『I am a A to Z~♪』の文字があり、上方には『Let's Sing & Dance with Us!』と書かれている。いずれもかわいらしいフォントだ。
「尊い……! 魂清めるかわいみヤバみ……! 尊い……!」
恍惚として、エマコは日本語でつぶやいた。
「今の日本語はわかりませんけれど、あなたの気持ちはわかりましたよ、エマコ……!」
踊るアルフとイヴを見て、ヴェラは平和の形を見る思いがした。
「……しかし、随分と子供っぽい歌い方ですね。
普段のアルフは、英国風発音のとてもしっかりした話しぶりですのに」
「喋るのと歌うのとでは、使う脳の機能が違うからね。
言語関係のアクトウェアは読み書き話しと一通り入れてあるけれど、歌や踊りについては何もない。戦いには不要だから、作ってもいないんだ。
だからこの歌と踊りは、0歳8か月のアルフくんとしての素の能力なんだよ」
「なるほど。
それを知った上で見ると、とてもお歌の上手な坊やですこと」
「ね。ほんとかわいいよね……」
「ええ。かわいらしいことです。
――ですが、もうよしてください、アルフ、イヴ。今日は会談に臨まねばなりませんから。外出の用意は出来ていますね?」
「はい、ヴェラ」
「ぎゃあ」
一行はスイートルームを出て、エレベーターへ。地階へ向かう。
ホテルの入り口に着けさせていた漆黒のキャデラックに乗りこみ、ホテルを出る。
ヴィペルメーラ・マフィアたちの車が前後左右に陣取り、車列を維持したままニューエデン市内を東に進んでいく。
小さくなっていくホテルの建物に向けて、アルフは手を振って別れの挨拶をする。
アルフの様子を見るなり、イヴが真似してぎこちなく手を振る。
そのまま、2人はじっと後方を見続ける。
「……そんなずっと見るほど面白い?
待ってても別に爆発したりしないって」
「……冗談のおつもりでしょうけれど、あまり笑いを誘うものでもありませんね……」
「そりゃ失礼」
「いえ、いいのです。
……それにしても随分熱心に見ていますね……」
「車の後ろから外見るのが面白いのかな……?」
エマコとヴェラの会話にアルフもイヴも応えず、ただ後方を見守りつづける。
†
一行は海辺の空港で一部の人員と合流し、垂直離着陸機能付きプライベートジェットに乗り換える。
車のときと同じように、アルフは窓に張り付いて離陸の様子を見守った。
しばしそのままでいるも、やわらかな金髪を引っ張る者がいる。
感触に違和感を覚え、アルフは振り向く。
「あっやうあー」
「にぇえ」
空港で一行に加わった乳児がアルフの髪を興味深そうに引っ張り、イヴの抗議の鳴き声を受けていた。
「あ、こら。フローレンス。人の髪の毛引っ張らないの」
母親に抱えられつつ指を開かされ、フローレンスはやむなくアルフの金髪から手を離した。
「ごめんね、アルフ。痛かったでしょう?
あんまりあなたの髪がきれいだから触りたくなっちゃったのかしら。
悪気はないから、許してあげてくれる?」
「はい、ミズ・ディエス。……小さい子はかわいいですね」
「あぅやー」
「にぇえ」
なおもアルフにつかみかからんと、母の腕の中でもがく乳児。抗議して鳴くイヴ。2人を見て、アルフが感想を述べた。
「……あなたもかわいいですよ、アルフ」
自らは〝小さい子〟の外に置いているらしいアルフのもの言い。
それが愛らしく、またおかしくて、ヴェラは笑みを浮かべて言った。
「……大人ぶってるけど、あなたも世間的には未成年の女の子だよ?」
「そうだぜヴェラ子ちゃん。
ニューエデン知事になったからって、調子乗っちゃまずいよ」
乳児の母とエマコが言った。
「…………」
馴れ馴れしいもの言いを、機内のヴィペルメーラ・マフィアたちは複雑な思いで聞く。
だがドン・ヴィペルメーラが許しているのだ。口をはさむことではない。
「……けど驚いたな。
『忘れません』とは言ってたけど、それにしても、あなたにこんな仕事振られるなんて……」
「あのときはありがとうございました。
けれど、今日お呼びしたのは偶然です。良さそうな子守業者を選んだら、あなたがいらっしゃった、というだけのことです」
乳児の母の名はメアリアナ・ディエス。
子守業に従事する兼業主婦で、ときおり《ネイチャリズム・エクエストリアン・クラブ》というヌード乗馬クラブで受付をしている。
これから、ヴェラはニューエデン知事として、アイシャ国務長官との会談に臨む。
そこにアルフとイヴを連れて行く口実を考えていたところ、何故か先方から子守業者を連れてくるよう要請があった。
話としてはこうだ。
祖母の元に預けられているアイシャ国務長官の孫たちを世話する係を手配したのだが、何らかのアクシデントのために1人のベビーシッターも現れなかった。
やむなくボディガードや水兵たちに世話をさせているが、可能な限り早く専門の業者に任せたい、ということらしい。
常識に照らして考えるに、色々と奇妙な話ではある。
何故国務長官の孫が会議の場に同行しているのか? 国務長官の秘書などが別の業者を手配するべきでは? などといった疑問はいくつも浮かぶ。
しかし、これはヴェラにとって渡りに船だ。
子守業者の手配を請け負う代わりに、親族の子供たちを同行させるという名目でアルフとイヴを連れて行くことが出来るのだから。
そこでヴェラはこの要請を快諾。前交渉の担当者だけでなく、国務長官本人から感謝の言葉をかけられた。
親族の子供を連れていく件についても、『にぎやかで楽しそうだ』と、とても好意的な反応だった。
「しかしちびっ子がいっぱいいるね……
子守業者が子連れで来るってなんか妙な感じがするけど、こんなもんなの?」
にぎやかな機内と、与えられた奇妙な身分とに不安を覚えたエマコが、しぼり出すようにつぶやいた。
「そこは先方に通知して大丈夫ならまあいいや、って感じかな。うちの会社だと」
「なるほど……まあ医者の不養生とか紺屋の白袴とか、そういうことと考えれば良くあるのかな……?」
メアリアナの答えに、エマコが納得いかぬながらも理解を示した。
今日のエマコは、メアリアナの所属する子守サービス企業、<マダム・スザンナズ・ナーサリーギルド>の新人子守りという立場だ。
あくまで国際指名手配犯であることを隠すための仮の身分だが、熟練子守りであるメアリアナの言葉に、事実色々のことを教えられつつある。
「そんな不安にならなくても良くない、エマコ?
私もいるんだし、普通にしてれば『新人だからぎこちないんだな』って感じにしか思われないよ」
「だといいんですがね……。
そもそも私は高齢未婚マッドサイエンティストであって、こういうサービス系の職業に向いたメンタリティじゃないから、思わぬところでボロが出そうで……」
「アルフといっしょに暮らして来たんでしょ。
その経験があれば大丈夫。だって話を聞く限り、シングルマザーみたいなものじゃない?」
「12人の美少年召使に家事の全てを任せてたシングルマザーなんているのかな?」
「んん……」
本日もプソイドカライドをご覧くださりありがとうございます。
皆様に良きことのありますように。