第1話 あやしき第一夫人
その日、タックア王国の王太子フレデリックは、愛妻である第二夫人シンディの部屋で彼女のお腹をさすっていた。
「おー。未来の王子様ァ。早く大きくなれよ~。元気に生まれておくれ~」
「まぁ殿下ったら。まだ男児と決まったわけではございませんのに」
「いいやきっと男児だ。いや王女でもいいなぁ。シンディに似た美しい王女なら」
「まぁもったいのうございます」
仲睦まじき夫婦。しかしシンディは第二夫人。妻といえども、その上には正当な第一夫人の王太子妃であるローズがいる。例え王子を産んだとて、すぐには王太子妃とはなれない決まりがあった。
「だけどね。シンディ。心配はいらないよ?」
王太子は彼女引き寄せ優しく諭す。
「ローズは決して子は産めない。なぜなら私が彼女を抱くつもりがないからだ。それに父君もあの調子ならもう長くはない。私が妃を決められる立場になったら即刻ローズを廃するつもりだ」
「……殿下、なぜそんなことを言われるのです。王様の命数を計るなどあってはいけません!」
「いやぁ。キミを安心させたくてさ……。そう怒らないでこちらを見ておくれ。もう二度とそんなことは言わないから」
「──ダメですよ。そんなことを申されては。ただお気持ちは大変嬉しゅうございます」
シンディは王太子の身に体を倒して口づけをせがむと、王太子はそれに優しく口づけをした。
シンディはそれを受けた後で王太子の背中を押す。
「さぁ殿下。王様のお見舞いに行ってらっしゃいまし」
「ああ。そうするよ。キミも大事な体なんだ。ゆっくりと休んでくれ」
王太子が第二夫人の部屋から出て、王様の部屋へ行こうと豪華な絨毯の上を進むと、前から外戚である近衛兵長のエリックがこちらに来るのが分かった。エリックはにこやかに笑い、便宜上王太子へとる作法である廊下の端によって跪き頭を下げると、王太子はその前に立って彼を立ち上がらせた。
「エリック。私にそんな礼は不要だ」
「まさか。王太子さまに無礼は出来ますまい」
そう言って笑い合う。エリックが外戚となったのは最近のこと。王太子付きの近衛兵だったエリックが美人な自身の妹を王太子に勧めてからだ。つまりエリックはシンディの兄なのだ。
「妹のところに行っていたのかい?」
「ああもちろん。彼女に勧められて父上のお見舞いに行ってくる。キミも一緒に来るかい?」
「いやぁ。私はシンディのお見舞いに行くところだったんだ。下町育ちだ。王宮暮らしは肩も凝るだろう。話し相手になってやろうと思って」
「そうか……気付かなかった。よろしく頼むよ」
二人は手を上げて別れる。エリックはシンディの部屋へ。王太子が向かった先には国王陛下の大きな扉のある部屋の前。
その扉をノックすると、か細い声で国王の声が聞こえた。
「入れ」
「はい陛下」
中に入ると、国王のベッドの脇に腰を下ろすのはとがったあご。少し唇から覗く前歯。大きな鷲鼻。突き出た頬骨。黒い前髪を鼻の中程まで垂らし、黒いローブを着用した女。伝えに聞く魔女そのもの。見ているだけで陰鬱な気分となる。これこそが王太子の第一夫人ローズである。
彼女は隣国のジカルマ王国の第三王女。同盟のための政略結婚。13歳でこの国に嫁し5年。3歳年上の王太子はこれまで一度も彼女に手を付けたことはない。
なぜなら大国ジカルマの政略であること。彼女が不美人であることに明らかな嫌悪を示していたのだ。そのためにシンディが愛おしくて仕方がなく、ジカルマに対抗できる力を持てば彼女を廃するつもりなのだった。
王太子は汚いものを見るようにローズを横目で見ると、ローズはイスから立ち上がってローブの裾を両手で広げて頭を下げる。
「英邁なるフレデリック王太子殿下」
そううやうやしく礼をとるのも嫌で嫌で仕方がない。王太子はローズをいないものとし、彼女が座っていた場所にどっかりと腰を下ろして国王の顔を覗き込んだ。
「ご機嫌はいかがです。陛下」
「ああ。ローズのおかげで日に日に良くなるようだよ」
出て来て欲しくない名前。
彼女は毎日国王の看病をしているのであろう。
普通であればなんたる良妻。しかし王太子にとってはそれも鼻についた。それを聞くと不機嫌そうに立ち上がって礼をする。
「左様ですか。病状が良いのなら結構なこと。体に障るといけませんので私はこれで」
そう言ってものの数分で出て行ってしまった。残されたのは国王とローズが二人。
「ローズや……」
「は、はい。陛下」
「余に構うことはない。追いかけなさい」
「え。でも。……は、はい」
ローズは大きなローブを引きずりながら小走りに追いかけ、廊下に飛び出すと、王太子は早足ですでに二部屋ほど離れていたが、大声で呼ばわった。
「あ、あの! フレデリック殿下!」
その声に、眉をひそめて王太子は振り返る。
ローズはソバカスだらけの顔を赤くして近寄った。もっとも前髪で赤い顔は大部分隠れていたのだが。
「……何です? 何のようです?」
「あの。あの。もしよろしければ私の部屋でお茶などいかがです? 国から良質の茶葉が入りましたのでご一緒に……」
そう言う言葉の末が徐々に小さくなってしまう。ローズは照れて頬を押さえたのでますます言葉がモゴモゴとなってしまった。
「なんです? 良く聞こえませんよ。それにジカルマ産のお茶は口に合いません。お茶はやはり国産のでないと」
「そ、そうですよね。す、すぐに国産のものを用意しますので……」
「いえ結構。失礼します」
王太子は颯爽と回れ右をして、シンディの部屋へと向かって行ってしまい、ローズはしばらくその後ろ姿を眺めていた。回廊の角に消えるまで。