第8話 回顧
「腹減ったな」
太陽の位置からまだ昼前だと思うが、朝も早かったし、かなり体も動かした。怪我もした。
「帰ろう」
ダンジョンを取り囲む壁をくぐり、とぼとぼとヨウランの街へ向かう。
噛まれた肩も痛いが、殴られた頬の方が痛い。口の中も切れてる。食べた時にしみるよなぁ。
あんなに怒らなくてもいいのに。なんだよ、他のパーティに行っちゃうぞ。はぁ。
風が吹いて草がガサガサと音を立てる。反射的に飛び退き、ラケットを出して構えた。草むらからは何も出て来ない、風のせいだとわかっていても恐怖心が拭えない。角ウサギがトラウマになっているな。じっとりと汗をかいていることに気づく。
「レベルも上がってるから大丈夫だ。ステータスも倍以上になってる。大丈夫だ」
2人がいてくれたら安心なのにな。
…俺、1人じゃ何にもできないじゃないか。街に帰るだけなのに怖くてしょうがないじゃないか。情けない。
そうだよ、ダンジョンなんて1人じゃ無理だったじゃん。レベル3でゴブリン2匹に遭遇したらどうなってただろう。…死んでたよな。
2人には感謝しなきゃいけないんだ。超絶ザコの俺を拾ってくれて、いろいろ教えてくれて、なのにちょっとレベルが上がったからって調子に乗って…。
「マグフィに謝ろ」
街に戻ると、ひと通り街を見て回る。屋台で昼食をすませ、市場で必要だと思われる物を買い揃えた。アイテムボックスを使わないようにとリュックサックも買った。
宿に戻り、裏の井戸で体を洗い、下着の洗濯をしてみた。その間もずっとマグフィに何て謝ろうか考えていた。
夜の帳が下りる頃、2人が帰ってきたようだ。階段を上がってくる音が聞こえる。緊張する。なんて言おう。
ガチャリと扉が開き、まずはポントが入ってきた。
「ただいまなんだな」
ニコッと笑いかけてくれる。優しいかよ!男の笑顔で癒されたのは人生で初めてだ。
続いてマグフィが部屋に入ってくる。何て言おうか戸惑っている俺の肩に手を置き、マグフィは朗らかに言った。
「さっきは悪かったね。ついカッとなっちまってさ。お詫びに一杯奢らせておくれよ」
「いや、俺の方こそ勝手な行動してゴメン」
先に言われてしまった。重ね重ね情けない。それに引き換え、マグフィ姐さんは大人だなぁ。
「晩飯は食ったかい?」
「ううん、まだ」
「よし!食いにいこうかね」
バシンと背中を叩かれた。努めて明るくしてくれているんだろうな。気を遣わせちまって申し訳ない。
安い酒場の片隅で、安いエールで乾杯する。つまみは、いつまでも噛み切れない干し肉と蒸した芋だ。こんな夕食がたまらなく美味しかった。というより嬉しかった。
「レベル5であの『スマッシュ』だろ。もっとレベルが上がったらとんでもない技を覚えるんじゃないかい?ワクワクするね」
「ホントなんだな、ワクワクするんだな」
「連携のバリエーションも考えていきたいね。ポントとトミー2人でも試してみないとね。敵が増えれば、むしろその形がベースになるかもしれないねぇ」
「うん、やってみるんだな」
終始2人は楽しそうだった。俺も殴られたことなど忘れて楽しく飲んだ。明日からも、わだかまりなく一緒にダンジョンに行けそうだ。
宿の部屋に戻ると、ポントはあっという間に床でイビキをかき始めた。
マグフィと俺はベッドに入る。勿論別々のね。
俺は天井を見つめたまま話し出した。
「マグフィ、今日はゴメン。調子に乗って勝手に飛び出して」
「いや、あたしも感情的になり過ぎたよ」
「こんなこと聞いてもいいかわかんないけど…。大切な友達が大怪我したってポントが言ってたけど…」
マグフィも天井を見つめたまま、静かに話し出した。
「そうさね、聞かせた方がいいんだろうね。2年前のことだよ。あたし達は新人5人でパーティを組んでてね、我ながらバランスのとれた良いパーティだったよ。メインアタッカーの長剣使い、タンク役のポント、片手剣に盾のバランス型の戦士、魔法使い、弓とショートソードで遊撃兼バックガードのあたし。順調にレベルも上げて、階層も進んだよ。ある時、7層に挑戦しようという話になってね、あたしは反対したんだよ、まだ早いってね。レベルが上がったっていっても、まだまだ新人さね、でも押し切られちまってね…。いや、あたしも心のどっかで大丈夫なんじゃないかって思ってたんだろうね。甘かったよ。若気の至りといえばそれまでなんだろうけどね」
マグフィは浅くため息をつくと話を続ける。
「7層での戦いは順調だったよ、始めはね。何度か戦って、余裕ではないものの、自分たちの実力が十分通用すると思えたね。…それがいけなかった。…油断、ダンジョンでは1番の敵だよ。そろそろ戻ろうかと話してた時だったね。ゴブリン5匹と交戦に入ったところで、運悪くハグレが現れてね。そのハグレがゴブリンコマンダーだったんだよ。ゴブリンコマンダーはその名の通り指揮官でね、コマンダーの指揮に入ったゴブリン達は、能力が上がるのさ。余裕の無いギリギリの攻防が続いてね。みんな徐々に消耗していったよ。それでもあたしは何とかなると思ってた。もう少しだったんだよ、手前の1匹を仕留めれば、ゴブリンの連携を崩せた。もう少し、もう少しだけ我慢すれば何とかなったんだよ」
徐々に熱を帯びた声は、急速に萎んだ。
「タニブルが、前衛の長剣使いが、飛び出しちまってね。コマンダーに突っ込んで行ったんだよ。あいつなりに考えてのことだったと思うよ、コマンダーさえ倒してしまえばってね。でも、タニブルとコマンダーは互角の勝負で、すぐには倒せなかった。ギリギリの均衡を保っていたあたし達は、どんどん押し込まれてね。あたしも自分のことで精一杯になっちまって、周りを見る余裕も無くなってたね。…後ろで悲鳴が聞こえたんだよ。女の声だった。パーティに女はあたしと魔法使いのペコしかいない。何とか目の前のゴブリンの攻撃をかわして振り返ると、胸から血を流して倒れているペコがいたんだよ」
暫しの沈黙に、マグフィの後悔を感じる。
「ペコとは親友だったよ。ポントは弟で家族みたいなもんだけど、ペコは何でも話せる、生涯の友だと思ってたね…。もうダメだ、ここであたし達はみんな死ぬんだと諦めかけた時に、たまたま通りがかったパーティに助けられてね。ペコも一命を取り留めたよ」
「良かった。生きてるんだね」
そのペコという人が死んだかと思ったから、少しホッとした。
「ああ、でもね、右の乳房が無くなっちまってね…。右の胸には深い傷痕が残っちまったよ。ダンジョンに入る以上、怪我をすることは覚悟の上さね。でもね、女にとってはやっぱりショックだよ。ペコはそのまま辞めちまった。村に帰っていったよ。その後も、ペコ抜きでパーティを続けたけどね、気まずくなっちまって、結局解散。あたしとポントは他のパーティに入ったりもしたけどね。上手くいかずに、今に至るってわけさ」
俺は何て言えばいいかわからず、ただ天井を見つめたままだ。
「だから今日は、その時のことを思い出して、感情的になっちまったってわけさ。ハハ、大人気ないったらないね。ゴメンよ」
俺は横へ顔を向けて、マグフィを見る。
「ううん、俺が悪かったよ。簡単にレベルが上がって、ちょっと調子に乗ってた。早めに叱ってもらって良かったよ。もっと下の層だったら、本当に死んじゃうもんね。ダンジョンに潜ることの覚悟ができてなかったと思う。…どこか遊び半分だったよ。2人がいなかったら、あんなに簡単じゃなかったはずたし。ありがとう。明日からは気持ちを引き締めて頑張るよ」
マグフィもこちらへ顔を向ける。暗くてよく見えないが、笑いかけてくれているのがわかる。
「頼もしいじゃないか。期待してるよ。お世辞じゃなく、あんたのスキルには可能性を感じるんだよ。久々にワクワクしてるよ」
「うん、もうすぐレベルも10を超える。楽しみだね」
「そうだね、レベル5で『スマッシュ』だろ、あの威力を見ると期待しちまうね」
「早くダンジョンに行きたくなってきちゃった。今から行っちゃう?」
「ハハハ、ダンジョンは逃げないからね。今日はしっかり寝て、明日早めに行こうかね」
「はーい」
おやすみの言葉を交わすと、マグフィは体を反対へ向けた。
俺はまた天井を見つめながら、いつの間にか眠りに落ちていた。