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第三章~遡及~ 第一節:探索 第二節:慈悲 第三節:増強 第四節:智恵

はるか過去に、この地で行われた「狐」と「鬼」の闘争。その痕跡を遡る菫と優は、古代の「狐憑き」の戦士の想いと同調する。


第三章~遡及~


第一節:探索


 「萌は来てないの?」平坂市立郷土史博物館のロビーで、菫が言った。

 「加藤さんの家に行ったみたい」優が言った。「雄一郎さんが心配だって。」

 「ひょっとして」菫が言った。「ラブ?」

 「全然違うと思う」優が言った。「純粋な同情らしい。私が、雄一郎さんが誤解したらどうするの、って聞いたら、ぽかんとしてたから。」

 「萌は、感受性が豊かなのか、鈍いのか、よく分かんないなぁ」菫はため息をついた。

 「でも、彼は、こっちの世界で、『鬼』と正面から戦った数少ない『人』なんだから」トンビが言った。「色々と情報交換できるんじゃないの?」

 「あまり、加藤さんと私たちの間に、接点を作らない方がいいんだけど」優が呟いた。「特に菫はね。」

 「分かってるよ」菫は言った。

 「どういうこと?」トンビが尋ねた。

 菫は黙っていた。優も黙っていた。イブキやトンビには、中々理解してもらえないだろう。「鬼」や「狐」の存在が、当然のように受け入れられている、あちらの世界と、こちらの世界は違う。


 あの時、「声」で「鬼」の幼体を倒した後、その死骸が、元の加藤美香の姿を取り戻したのは、菫にとってもショックだった。それが意味するところに思い至ると、暗澹たる気分になった。


 世間的に見れば、菫は、加藤美香を殺した殺人者、ということになってしまう。


 現実に、「鬼」と化した美香を目の当たりにして戦った警察官や、ある程度事情を分かっている雄一郎には分かるだろう。

 あの場では、美香を殺すしかなかった、と理解できるだろう。

 でも、実際に残っているのは、真っ二つに切断された人間の姿の美香の死体だけだ。

 原因不明の奇病に冒され、凶暴化した美香が人を襲い、何者かが、美香を殺した。

 なんとか美香を救う方法はなかったのか?

 なにも、あんな無残な殺し方で、殺さなくてもよかったのではないのか?

 まだ高校生の女の子なのに、という同情が、余計なバイアスを加えるだろう。

 そして、警察は、加藤美香を殺した犯人は誰か、という目で、捜索を始める。


 「じゃあ、あの時、どうすればよかったの?」菫は呟いた。

 「菫は正しいことをした」イブキが言った。「あの若者なら、分かってくれる。彼自身が、自分でやろうとしたことを、菫が代わりにやっただけだ。」

 「世間はそう思わない」菫が小さな声で呟いた。

 「世間って、なんなの?」トンビが言った。

 「行くよ」優が、重苦しい空気を断ち切るように言った。「謎解きの時間の始まり!」


 「このあたりには、弥生時代の古墳とか、遺跡が結構残っているんだ」優が、菫に説明しながら歩いていく。「昔、ママに連れてきてもらったことがある。うちのママ、歴史マニアだから。」

 「私全然だめ。この間の日本史の試験も赤点でした」菫は、郷土史博物館の展示物を見ながら、言った。「桃太郎って、弥生時代の話なの?」

 「伝説だもの、正確な時代は分からないよ」優が言った。「日本史の先生だれ?」

 「林先生」菫が言った。「むっちゃインケンだから。担任になったら、覚悟した方がいいよ。」

 「私にはトンビが憑いてるから」優が言った。「試験とか楽勝。」

 「それズルくね?」菫が言った。「試験期間中だけ、トンビ貸してもらおうかな。」

 「試験って、誰と戦うの?」トンビが言った。

 「世間とだよ」優がため息交じりに言った。

 「また世間か」トンビが、不愉快そうに言った。「そいつ、よっぽど嫌な奴なんだな。」


 壁にかかっている、大きな航空写真パネルの前で、二人は立ち止まった。平坂市の全域を写した写真上に、市内にある遺跡や史跡の場所が示してある。写真の右上に百坂山の文字があり、右から左へ、禊川が市内を横切っているのが分かる。

 「右が東、左が西」優が呟いた。「百坂山の裏鬼門側、北から、犬塚町、鳥居町、猿久保。十二支の方位の通りだ。戌、酉、申。」

 「どういう意味があるんだろう?」

 「場所に意味があるんじゃないかも」優が、ほっぺたをぷにぷにつまみながら言った。「鬼を退治するのに役に立った何かが3つあった、というだけのことなのかも。それを、裏鬼門の方位に合わせて配置して、地名にして記憶に残した。」

 「犬塚町に、そのままの名前の古墳があるよ」菫が指差した。「犬塚古墳。」

 「発掘調査されてるみたいだね」優がパンフレットを見ながら言った。「出土品が、あっちに展示されてるって。」


 展示コーナーに向かって歩き始めた時、イブキが呟いた。「ぞわぞわする。」

 「私も」菫が言った。知らないうちに、腕に鳥肌が立っている。

 「何?」優が言った。

 「分からない」菫が絞り出すような声で言った。「でも、これは多分、当たりだよ、優。探し物は、ここにある。」


 展示コーナーの真ん中の、大きなケースの中に、それはあった。特に貴重な出土品として、別格に扱われているのが分かった。

 「有柄中細形銅剣」優が、ケースの側のパネルを読み上げる。「弥生時代に作られた銅剣。副葬品として埋葬されたもの。」

 菫は聞いていなかった。耳の中に、頭の中に、身体の奥の方から、わんわんと無数の音が鳴り響いている。強い力が、銅剣へと菫を引き寄せる。身体の中から精神が遊離して、剣に引っ張られているような。立っていられない。

 「優!」菫は叫んだ。叫びながら、優の肩にしがみついた。「イブキが、剣に引っ張られてる!」

 優が菫を支える。展示ケースの中で、ガタガタと音がし始める。見ると、ケースの中に固定されていた銅剣が、激しく振動している。まるで生き物のように身をよじって、自分を固定している金具を振り払おうと・・・

 「菫!」イブキが叫んだ。「私が引っ張られているんじゃない、剣がこちらに引っ張られているんだ。剣が、私と同化しようとして・・・」

 展示ケースの中の銅剣が突然、真っ青な光を発した、と思うと、ケースのガラスが粉々に砕け散った。館内に非常ベルが鳴り響いて、フロアにいた他の入館者たちが、何事かと駆け寄ってくる。

 菫が、優の中で崩折れた。展示ケースの中が空になっている。まずい。優は舌打ちした。間違いなく警察が呼ばれる。色々聞かれると厄介なことになる。

 「君たち、何してるの?」館員が大声を上げて駆け寄ってくる。

 「跳ぶ!」優が叫んだ。

 途端に、二人の姿が、消えた。


 この声を聞く者よ。

 再び開いた「裂け目」を越えてきた、我が同族よ。

 「狐」よ。

 我ら同族にのみ届く声を、この剣に封じ込めよう。

 我らの「技」と共に、我らの思いを封じ込めよう。


 我らが、この世界の人々と力を合わせて、「鬼」を倒し、「裂け目」を塞いだ時。

 我らは、自分たちの「技」を、「人」から切り離すことに決めた。

 そして、「種子」にして、「物」に宿らせることに決めた。

 こちらの「人」の呪術の力を借りて。

 時を超えて、再び「裂け目」が開いた時、「鬼」がこの世に現れた時、

 「人」に救いをもたらすように。


 人を守る「力」を、剣に。

 人を救う「慈悲」を、玉に。

 人を導く「智恵」を、鏡に。


 この剣は、「力」。

 お前の「技」に、さらに「力」を加えるもの。


 願うらくは、この声を聞く者が、再び現れることのないことを。

 「裂け目」が開くことなく、あちらの世の「釣り合い」が保たれ、

 こちらの世の平穏が保たれんことを。


 この剣は、「力」。

 お前の「技」に、さらに「力」を加えるもの。


 「菫、しっかり」優の声が聞こえた。

 目を開けると、屋外のまぶしさで目がくらんだ。青空を背景に、心配そうに覗き込む優の顔が見える。見回すと、二人は公園の芝生の上にいた。郷土博物館の裏手の公園の中だ。博物館の表の方が騒がしい。パトカーのサイレンの音が近づいてくる。

 「どうやって外に逃げたの?」菫が言った。

 「瞬間移動」優が言った。「そんなに遠距離は移動できないみたいだけど。」

 「ウソでしょ」菫が言った。「それも、トンビの『技』なの?」

 「分からない」トンビが言った。「私はまだ子供だから。自分の『技』の全てが分かるのは、もう少し大人になってから。」

 「外からの『力』でも変化するだろうからね」菫は言って、立ち上がった。菫もイブキも、分かっていた。トンビの「技」が進化したのは、偶然じゃない。剣の持つ「力」が、傍らにいたトンビにまで影響を与えている。

 試してみたい。今の自分の「技」を。剣を体内に取り込んだ、今の自分たちの「技」を。身体の中のイブキも、その気になっているのが分かる。

 「菫?」優が言った。

 「見てて」菫は言って、芝生広場の隅にある小さなベンチを見つめた。唇をすぼめた。

 ふっ、という、かすかな音がしただけだった。

 ベンチが、ぼっと火を噴いた。ベンチの内側から炎が噴き出したようだった。

 「バイロキネシス(念力放火能力)?」優が言った。「『声』の周波数エネルギーが極大化している。」

 「『声』が『力』を得た」イブキが呟いた。「探しに行こう。『慈悲』と、『智恵』を。」

 ベンチのあったところに、一握りの黒い炭の塊だけが残った。




第二節:慈悲


 「ここが?」雄一郎が言った。「美香の次の犠牲者の家?」

 「そうだよ」萌が言った。「この家で、ご兄弟2人がさらわれた」

 雄一郎と萌は、持ってきた地図を広げた。平坂市全域の地図。ところどころに赤い文字で、日付が書き込まれている。8月6日、8月7日。

 「美香がさらわれたのが、8月6日」雄一郎が言った。

 「ご兄弟2人がさらわれたのが、8月7日」萌が言った。「もう出てきても不思議じゃないよね」

 「美香がやられたことが共有されているとしたら、用心しているのかもしれない」雄一郎が、赤い屋根の家を見上げた。屋根と、リビングの窓が、青いビニールシートで覆われている。

 「でも、『元美香さん』と同じ行動パターンを取るなら、ここに来る可能性は高いよね」言うなり、萌は隣の家の玄関に向かった。

 「何?」雄一郎が慌てて追いかける。

 「ご近所を回るの」萌が言う。「気を付けて下さいっていうのと、なるべく犬を飼いましょうって」躊躇なく、インターホンを押している。「ごめんください!」


 「萌ちゃんはすごいな」一通り、ご近所に声をかけ、萌が満足して、帰ろう、と言った時、雄一郎は心底感心した声で言った。

 「何が?」萌が言った。

 「だって、普通、ああやってインターホン押して、話聞いてくれる人なんかいないよ」雄一郎は言った。「たちの悪い訪問販売セールスかと思われるのがオチなのに。」

 全部で6軒ほど、ご近所を回った。全員が、真剣に萌の言うことに耳を傾け、2軒が、すぐにでも犬を飼う、と言った。そのうちの1軒のおばさまなどは、その場で車に乗って、近くのペットショップに出かけていった。

 「ちゃんと話せば、みんな聞いてくれるよ」萌は言った。

 「ちゃんと話しても誰も聞いてくれないって、悩んでいる人はいっぱいいるんだがな」雄一郎は呟いた。


 萌の携帯電話が鳴って、萌が立ち止った。少しひそひそと話をしていたと思ったら、雄一郎の方を見て、「ちょっと寄り道してもいいですか?」と言った。「猿久保稲荷で、友達と待ち合わせしたいんで。」

 「友達って、この間の2人?」雄一郎が言った。

 「はい」萌がにっこり頷いた。雄一郎は思わず微笑んだ。「猿久保稲荷なら、大した寄り道じゃない。お参りしていこう。」

 「お参りお参り」萌が歌うように言った。


 「萌ちゃんは、なんでそんなに、『鬼』探しに熱心なの?」歩きながら、雄一郎が言った。

 「言ったでしょう?あいつの恐ろしさを一番分かってるのは、私たちだって」萌が言った。

 「それだけの理由?」雄一郎が言った。

 「十分だと思うけど」萌が、しらっと答えた。「ひょっとしたら、私も、美香さんみたいになってたかもしれないんだし。」

 「分からないことが多すぎる」雄一郎が言った。「あの化け物はそもそもどこから来たのか。あの時、あいつを叩き斬ったのは、何なのか。」

 「正義のヒーローがいるんだよ」萌が言った。

 「そんな馬鹿な」と、雄一郎は笑おうとした。その瞬間、萌が雄一郎を突き飛ばした。雄一郎は道の脇の植え込みまで跳ね飛ばされた。目の前を、赤黒い2つの塊が、疾風のように通りすぎるのが見えた。

 「オニさんこちら!」萌の甲高い声が、天から降ってくる。見上げると、萌が、電信柱のてっぺんに立っているのが見えた。

 ぐるるるる、と低いうなり声が重なって聞こえて、見ると、萌の立っている電信柱の下に、二頭の「鬼」の幼体がいた。男の顔をしている。例の兄弟か。鳥居町に行った俺たちを、つけてきたのか。

 なぜ俺たち二人を?

 それとも萌を?

 そもそも、この、萌の跳躍力はなんだ?

 「やーい、電線が怖くて登ってこられないってか?」萌は叫ぶと、さらに跳んだ。猿久保稲荷の方角だ。慌てて、肩から下げたカバンの中を探った。スタンガンを取り出しながら、猿久保稲荷に向かって走った。


 参道を、転げるように逃げ出してきた数人の人々と入れ替わるように、境内に駆け込むと、ちょうど幼体の一頭が、目を押さえて地面を転げまわっているところだった。指の間から血が噴き出している。びし、びし、という音がして、小さな礫が「鬼」の周りの地面に穴をあけた。

 萌が「鬼」を攻撃している?石つぶてで?

 接近戦は無理だ。スタンガンを、サバイバルナイフと発煙筒に持ち替えて、鞄を投げ捨てた。もう一頭はどこだ?

 地面の上にのた打ち回っていた「鬼」が跳躍した。木の上から、小さな影が跳んで、「鬼」の攻撃をかわした。逆に、「鬼」の腕に何かが突き立ち、「鬼」が悲鳴を上げる。木の枝だ。

 萌の「手」から放たれるものが、全て銃弾のような、いや、銃弾よりもはるかに強力な武器になって、「鬼」の身体を少しずつ傷つけている。「鬼」が次第に戦意を喪失していくのが分かる。しかし。

 もう一頭はどこに行った?

 境内を見渡して、ふと気づいた。本堂の扉が、少しだけ開いている。


 木から境内の真ん中に、血まみれの「鬼」が落ちてきた。口から血の泡を噴きながら、よろめく。白目をむいて、ぶっ倒れた。萌が勝どきを上げて、飛び降りてくるのが見えた。

 「萌ちゃん、罠だ!」雄一郎は叫んで、火をつけた発煙筒を、本堂の扉に向かって投げた。萌は着地するなり、そのまま本堂の屋根の上まで跳躍した。本堂の中から飛び出してきた赤黒い塊が、発煙筒に目をくらまされて、境内の誰もいない地面を殴りつける。地面に巨大な穴が開いた。

 やった、躱した、と思った時、本堂から飛び出してきた「鬼」と目があった。憤怒の炎でぎらぎらと血走った目が、雄一郎に向かって殺到した。その目から突然、光が消えた。手水場の水の中に、どぶ、と頭から突っ込んで、そこで止まった。その首筋から、血が噴き出していた。「鬼」の後ろに、萌が立っていた。

 「ご参拝する時は手を清めなさいって、教わらなかった?」萌が言った。ナイフほどに伸びた右手の爪が、すうっと元の長さに戻っていく。

 「萌ちゃん」雄一郎は、よろよろと境内に歩み出した。手水場の「鬼」の傷口から、白い糸が噴きだし始めた。鬼の身体がみるみるしぼんでいく。「君って、一体?」

 背後の空気が急に熱くなった気がした。目の前の萌の笑顔が、突然凍りついた。次の瞬間、視界が90度回転した。萌に突き飛ばされたのだ、と気がついた時には、「鬼」の尾が、雄一郎のいたところに伸びていた。そしてその切っ先が、萌の胸に深々と埋まっていた。

 「萌!」女の子の叫び声がした。萌の胸に突き立った「鬼」の尾が引き抜かれて、萌の胸から鮮血がほとばしった。境内で立ち上がった血まみれの「鬼」が振り返った瞬間、キン、という鋭い音と共に、「鬼」の身体の内側から、炎が噴き出した。火の塊になって、「鬼」が悶絶した。断末魔の声を上げながら、境内の真ん中にぶっ倒れた。炎が、その体を、骨の髄まで焼き尽くす勢いで燃え盛っている。

 萌が、倒れた。その小さな身体を、二人の女の子が支えた。優と、菫。

 「萌!」優が叫んだ。「しっかり!」

 「血が」萌が言った。「私の血。こんなにいっぱい」

 「萌!」菫が叫んだ。「萌の馬鹿、調子に乗って、一人で戦うなんて。」

 「雄一郎さんは?」萌が言った。

 「無事だよ」優が言った。「早く、病院に行かないと。」

 「私の血、こんなにいっぱい」萌がか細い声で繰り返した。「人からもらった血なのに。大事な血なのに。こんなに無駄に流しちゃった。」

 「無駄なもんか」菫が泣き声で喚いた。「萌の馬鹿、しっかりしろ!」

 「馬鹿って言う方が、馬鹿なんだぞ」萌が、手を伸ばして、菫の頬に触れた。「菫、強くなったね。あの『技』、すごいね。正義のヒーローみたいだね。」

 萌の手がそのまま、地面に落ちた。

 「萌!」菫が絶叫した。


 私の病名が知らされた時、ママは泣いた。パパも泣いた。

 みんな泣いた。

 萌は、泣かなかった。

 泣かないって、決めた。

 周りのみんなが泣いているのに、私も泣いてしまったら、ママはどうしたらいい?

 パパはどうしたらいい?

 私は泣かない。

 萌は笑う。

 何があっても、笑う。


 それでも、病室で一人でいると、時々、泣きたくなった。

 寂しくて、自分の体の中から、何かがどんどん失われている感覚が怖くて。

 持ってきたぬいぐるみとか、色んなものに話しかけたり、歌いかけたりして、一生懸命、笑った。

 友達がいないとつまらないから、色んなものを、人間に見立てて話しかけた。

 猿のぬいぐるみのモンちゃんは、いっぱい冗談を言うのが上手な、一番の友達。

 ベッドは、ちょっと低い声が渋いおじさんで、萌の言うことを、ただ黙って聞いてくれる。

 枕は、優しいお姉さん。菫の、光姉ちゃんみたいな。

 無菌室のビニールのカーテンは、いつもごめんねばっかりいうお兄さん。


 だからね、菫。

 あなたが、病室のドアを、そおっと開けて、入ってきた時、私は本当に嬉しかった。

 私を、孤独から、救ってくれたのは、菫。

 私の、正義のヒーロー。

 菫は、いつでも、私を守ってくれる。

 だから、私も、何があっても、菫を守る。


 菫と一緒に戦えた。

 菫のために戦えた。

 菫に会えて、本当によかった。


 「宿り主」を守るのが、「狐」の役目。

 私は、萌を、守れなかった。

 モイナのことも、最後まで見守ることができなかった。

 私は「狐」なのに。

 「人」を守るために、生まれてきたのに。


 萌のために、何かできることはないのか?

 「狐」の力で、何かできることはないのか?

 こうして、萌の心の声を聞きながら、ただ一緒に死んでいくしかないのか?

 「狐」は単体だと、何の力もない。人に「技」を与えることができても、自分には何一つできることがない。

 萌に、死んでほしくない。

 私はどうなってもいい。萌には、死んでほしくない。

 私にできることは、何かないのか?


 萌の傷口から、激しく流れ出していた血が、止まった。

 傷口の断面から、白い光るものがしみだしてきて、傷口をふさぐ。

 白いものは、空気に触れて、急速に色あせていく。


 「マドカ、駄目だ!」イブキが叫んだ。「こっちへ、菫の体の中においで!」

 「私の体で、傷口を塞ぐ」マドカが言った。「その間に、病院へ」

 傷口にしみだしてきた白いマドカの体の表面が、粉を吹いたようにかさかさになって、枯れ葉のように剥がれて落ちていく。

 「マドカが死んじゃうよ」トンビが叫んだ。

 「私はいいから」マドカが言った。「萌を、助けて。」


 菫が、萌の体を横抱きにして、立ち上がった。

 跳躍しようとした瞬間だった。

 境内の上の空を見上げて、菫は固まった。


 「空の色が」優が言った。「濃くなってる。」

 「本堂が」雄一郎が言った。


 猿久保稲荷の本堂全体が、濃い青い色に光っている。その光が無数の筋になり、空に向かって昇っていく。絡み合い、もつれ合い、巨大な丸みを帯びた形を作りながら、ゆっくりと回転を始める。

 「勾玉(まがたま)の形をしている」優がつぶやいた。「『力』を『剣』に。『慈悲』を、『玉』に。」


 巨大な青い光の勾玉は、猿久保稲荷の上空を覆うように成長し、ゆっくりと回転しながら、凝り固まり始めた。小さく固まるにしたがって、光が濃くなる。色が濃くなる。真っ青な光の塊が、静かに回転しながら、菫の腕の中の萌に向かって降りてくる。


 光の塊が、萌の胸の傷の中に消えた。


 「菫?」萌が薄く目を開けて、つぶやいた。傷口が跡形もなく消えていた。

 「萌」菫はへたりこんで、萌を抱きしめた。そして大声で泣き出した。




第三節:増強


 「鳥居町には、鳥居ヶ池、という地名がある」雄一郎が言った。「昔、鳥の姿が彫られた鏡を抱いて、お姫様が池に身を投げた。それ以来、時々、池の中から、鳥が時を告げる声がする。そんな伝説が残っている。」

 「間違いないね」優が言った。「『力』を剣に。『慈悲』を、玉に。『智恵』を、鏡に」

 「萌ちゃんは?」雄一郎が言った。

 「萌はまだ家で休んでます」優が言った。「あんなことのあった後だから。」

 「菫ちゃんは?」雄一郎が言った。

 「菫も家にこもってます」優が言った。「ショックが強すぎた。」

 「ショック?」雄一郎が言った。

 「菫は、昔、大好きだったお姉ちゃんを病気で亡くしているんです」優が言った。「萌があんなことになって、大事な人を亡くす悲しみとか、恐怖が、よみがえったんだと思います。」

 ルームミラーの中の優が、雄一郎を見つめた。「菫はもう、戦えないかもしれない。」

 「そんなこと」雄一郎が言った。「あんなにすごい『力』があるのに。」

 「戦う『力』があっても、恐怖が勝ってしまったら、その人は戦えない」優は言った。「今は、菫も、萌も戦えない。私が強くならないと。」

 「じゃ、それは優ちゃんの戦闘服なんだ」雄一郎が言った。

 優は、ちょっと頬を染めて、赤いスカートの裾を直した。


 「菫は、自分を責めていると思うんです」優は言った。「菫は、『鬼』の目をつぶした。その恨みをかっている。だから、自分の身を守るために、戦わなければならない。でも、萌も、優も、関係ないと思っている。戦う理由なんかないのに、巻き込んでしまったと。命がけの戦いに。」

 「優ちゃんは、巻き込まれた、と思っているの?」雄一郎が言った。

 「私は、菫と萌を守れるくらい強くなりたい」優が言った。「二人のために、戦いたい。それは、私自身の意志です。」

 「命を賭けても?」雄一郎が言った。

 「命を賭けても」優が言った。「雄一郎さんは、なぜ戦うの?」

 「俺は、美香の仇を取りたい」雄一郎は言った。「俺のような辛い思いを、他の人にさせたくない。だから、君たち『狐憑き』と一緒に戦う。」

 「雄一郎さんは、適応力が強いんですね」優が言った。

 「適応力というか」雄一郎が苦笑いした。「非日常的なことが起こりすぎてるからね。何があっても驚かなくなってる。」

 「猿久保稲荷でのこと」優が言った。「警察には、どう説明したんですか?」

 「『鬼』同士の同士討ちだった、と説明したよ」雄一郎は笑って言った。「相手が相手だからね。何があっても、そうだったんですか、って言われる。」

 「でも、侮らない方がいい」優はつぶやいた。「警察の力を甘く見ない方がいい。世間は怖いから。」

 「また世間?」トンビがつぶやいたが、雄一郎には聞こえなかった。

 「ここが鳥居ヶ池のはずなんだが」信号を曲がって、雄一郎が言った。

 「ここが?」優が、窓の外を見て、唖然とした声で言った。

 車の窓の外に、巨大なショッピングセンターがそびえていた。


 「何も感じない?」雄一郎が、ショッピングセンターのフードコートで、コーヒーを飲みながら言った。

 「何も」優が消え入るような声で言った。

 「もともとあった鳥居ヶ池は、ずっと昔に埋め立てられてしまったらしい」雄一郎がスマホで確認しながら言った。「埋め立て地に、どこかの会社の工場が建って、それがつい最近、ショッピングセンターになったそうだ。ここには、もう何も残っていない。」

 「『智恵』は。鏡は」トンビが呟いた。

 「池を埋め立てる時に、底まで浚って、遺物などがないか調査したりすると思うけど、特にそういう記録も残っていない」雄一郎が言った。「でも、もし鏡がまだこの下に埋まっているとしたら、何か感じられるんじゃないのかな?猿久保稲荷の時だって、実際の勾玉が出てきたわけじゃないんだし。」

 「猿久保稲荷では、その土地にこもった信仰とか、人の思いが、『慈悲』の『技』をあの場所に留めたんだと思うんです」優が言った。「でも、鳥居ヶ池は、信仰の対象ではなかった。ここには、『智恵』を守ろうとする人の思いが残っていない。」

 「あと、可能性があるとしたら」雄一郎が言った。「昔に、池の底を浚った人が、鏡を見つけて、どこかの博物館に寄付したり、古物商に売ったりしている可能性だな。そうなると、日本のどこかの博物館に保管されているかもしれないけど。」

 「そんなの、探し切れるはずないですよね」優が頭を抱えた。

 「現代日本は、『智恵』を失ったか」雄一郎は言った。「でも、優ちゃんだって、『眼』の力で、色々見通せるようになったり、ものすごく高く跳べたりするんだよね。すごいじゃない。瞬間移動もできるようになったんだし。」

 「それじゃ足りない」優が叫ぶように言った。「それじゃ、菫や萌みたいになれない。」

 「・・・優ちゃんは負けず嫌いなんだな」しばらく黙って、雄一郎が言った。「菫ちゃんや、萌ちゃんみたいになりたいんだ。」

 「・・・そうみたい」しばらく下を向いて、優が小さな声で呟いた。「菫や萌が持っているおもちゃと、同じものが欲しいって、駄々こねてる子供みたい」言いながら、優の目から、ぽろぽろ涙がこぼれた。

 「・・・美香も、お兄ちゃんみたいになりたいって、しょっちゅう泣いた」しばらく優を泣かせておいて、雄一郎が呟いた。「俺が骨折して入院したことがあって、その時、美香は張り切って俺の世話をしてくれた。うるさいくらいに。それ以来、お兄ちゃんみたいになりたいって、言わなくなったな。」

 「自分の役割を見つけたんだ」優は言った。「自分は、雄一郎さんの役に立てるって、思えたんだね。」

 「優ちゃんだって、菫ちゃんや、萌ちゃんの役に立ってると思うけど」雄一郎が言った。

 優が何か言おうとした時だった。

 地響きがした。

 フードコートの窓が、びりびり振動した。

 窓の外の駐車場から、何か飛んできた。窓に激突した。窓にひびが入り、悲鳴があがった。

 窓に人の形をした血の痕が残った。

 優と雄一郎が立ち上がった。出口に向かって駆け出した。


 駐車場の真ん中に、二頭の「鬼」が立っていた。一頭が、手に人をつかんでいる。手足をばたつかせて逃れようとする、その頭を食いちぎった。血しぶきを浴びて、喜悦の表情を浮かべる。

 「成長している」優が言った。「もう幼体とは言えない。」

 「人を食っても、青くならないよ」トンビが言った。

 「まだそこまでは成長しきってないんだ」優が言った。「雄一郎さん、ナイフ持ってる?」

 「持ってる」雄一郎が鞄の中を探った。

 「私は菫や萌のような武器を持ってない」雄一郎から、サバイバルナイフを受け取って、優が言った。「雄一郎さんは逃げて。普通の人間が太刀打ちできる相手じゃない。」

 優が跳んだ。雄一郎は周りを見渡した。駐車場の車から飛び出して逃げる人に、一頭の「鬼」が襲いかかるのが見えた。その向こうのガソリンスタンドの店員が、転げるように逃げていくのが見える。

 「なんでここに、こんな昼間っから」雄一郎は呟いた。エンジンのかかったままの車が放置されているのに気が付いた。飛び込んで、ギアをドライブに入れる。


 優は跳躍して、「鬼」の正面に立った。優の攻撃力では、まともにぶつかっても無理だ、と分かっている。とすれば、自分がおとりになって、相手を罠に落とすしかない。どんな罠に?

 「鬼」が優を見た。目を細めた。獲物を見つけた狩人の目。

 優の全身に鳥肌が立った。「私が目的?」

 「狐狩り」だ。「狐」の気配をたどり、「狐」をおびき寄せるために、人を襲った。人が集まっている日中のショッピングセンターで。獲物は、優だ。

 「鬼」が跳躍した。その動きが、スローモーションのようにはっきり「見えた」。難なく躱す。躱しながら、サバイバルナイフを突き出した。腕に強烈な反動があって、撥ね飛ばされた。

 「石みたい」優が喚いた。腕がしびれている。「ナイフじゃ歯が立たないよ!」

 第二撃が襲ってくる。「眼」のおかげで、攻撃を見切ることはできる。躱すことはできる。しかし、攻撃できなければ相手は倒せない。こちらが消耗して、動きが鈍れば、やられる。

 「どうする?」トンビが叫んだ。

 「オニさんこちら!」優が叫んで、跳んだ。

 その視界の端で、もう一頭の「鬼」に向かって突進する車が見えた。

 「雄一郎さん!」優が叫んだ。


 「鬼」の直前で少しハンドルを左に切った。車の右ヘッドライトが「鬼」の足に激突して、車が激しく揺れる。アクセルを思い切り踏み込んで、ガソリンスタンドに向かって全速力で突っ走った。バックミラーに、食いちぎった人間の下半身を投げ捨てて、こちらに向かってくる「鬼」の姿が見えた。

 左手に持った発煙筒に着火した。来い、こっちに来い。


 優が着地すると同時に、「鬼」が拳を叩きつけてくる。間一髪でよけるが、衝撃で飛ばされる。すぐに体勢を立て直して、さらに跳んだ。「鬼」が身を起こして、手を伸ばしてくる。その手を踏み台にして、さらに跳んだ。目の前にあった黒いものを切断して、ショッピングセンターの屋上まで飛ぶ。駐車場で、「鬼」が跳躍姿勢に入るのが見えた。来い、こっちに来い。


 車の窓を開けて、ドアを開いた。左手でハンドルを固定して、足はアクセルを踏んだまま、ガソリンスタンドの給油タワーに向かう。「鬼」の熱い体温をすぐ後ろに感じる。目の前にガソリンスタンドが迫ってくる。ドアを開いて、外に転がり出した。「鬼」の目が一瞬、雄一郎を見たが、方向転換が遅れた。車が給油タワーに激突するのと同時に、発煙筒を投げた。その炎を、「鬼」の目が追った。

 給油タワーが爆発した。「鬼」の全身が炎に包まれた。雄一郎のズボンのすそに火が付いた。揉み消す間もなく、走って逃れる。炎に包まれた「鬼」の絶叫が、背後で響いた。


 駐車場から、「鬼」が屋上に向かって跳躍するのと同時に、ガソリンスタンドが爆発した。「鬼」が屋上に着地する、その足元に跳んだ。「鬼」の周囲を三回転ほどして、手にしたものを、「鬼」の身体に突き刺した。

 火花と共に、絶叫が上がった。肉が焦げるにおいがした。逃れようとする「鬼」の足が、優が作った電線の輪に絡まって、「鬼」は転倒した。その体に、高圧電流が再度流れ、「鬼」の全身が激しく痙攣した。


 優はガソリンスタンドの側まで跳んだ。火だるまになった「鬼」が、力尽きて、駐車場の真ん中に倒れるのが見えた。雄一郎が、ズボンの裾の火を消そうと奮闘していた。優も手伝った。

 「逃げろって言ったのに」優が言った。

 「一緒に戦うって言ったはずだ」雄一郎が言った。「人間の力は弱い。でも、戦える。優ちゃんだって、こんなに戦えるじゃないか。」

 屋上から、咆哮が鳴り響いて、二人は凍りついた。振り返ると、屋上に倒れていたはずの「鬼」が、よろよろと立ち上がるのが見えた。

 「なんで」優が茫然と言った。「感電死したはずなのに。」

 「大きくなってる」雄一郎が呟いた。


 二回り以上巨大化した「鬼」が、ふらり、とよろめいた。最後の力を振り絞るように体をたわませ、跳んだ。


 「禊川の方向だ」雄一郎が言った。「巣に戻って、出直す気だな。」

 「電力から、エネルギーをもらって、成長した」優が呟いた。「電気じゃ倒せない。逆にあいつらを強くするだけなんだ。」




第四節:智恵


 「スタンガンで、美香の『鬼』が感電して倒れたあと、もう一度立ち上がってきた時、身体が一回り膨れ上がったように見えた」雄一郎が言った。「目の錯覚だと思ってたけど、違ったんだ。感電すると、一瞬戦闘力は落ちるけど、図体はでかくなる。」

 「倒すどころか、相手を強くしちゃった」優が手で顔を覆った。

 「こっちの予想を超えている。優ちゃんが悪いわけじゃない」雄一郎は言った。「少なくとも、あそこでの被害拡大は食い止めたわけだし。」

 「警察が来るね」優が言った。パトカーのサイレンのけたたましい音が遠くに鳴り響いている。

 「今、事情聴取されちゃうと、さすがにごまかし切れない」雄一郎が言った。「まずは逃げるが勝ち。」

 「雄一郎さんの車は無事だったんだね」優が言った。「他の人の車で攻撃したんだ。」

 「だって自分の車はもったいないし」雄一郎が言って、ハンドルを切った。優がくすくす笑った。


 優の家の玄関先で、車を停めた途端、家から、人影が飛び出してきた。

 「ママだ」優が呟いた。「どうしたのかな。」

 ドアを開けて、車の外に出た優を、抱え込むようにして、ママが家の中に押し込んだ。雄一郎が慌てて後を追うと、玄関先にママが立ちふさがった。

 「あなた、昨日もいらっしゃったわね?」ママが雄一郎に向かって言った。「この子たちを何に巻き込んでいるの?」

 「ママ!」優がママの後ろで叫んだが、ママは動じなかった。「お帰り下さい。この子を放っておいて。」


 「ママ、どうしてあんなこと言うの!」雄一郎の目の前で、ドアをぴしゃり、としめたママに向かって、優が叫んだ。ママが振り返って、優を見た。その目を見て、優は凍りついた。

 「あなた、誰?」ママが言った。「あなた、本当に、優なの?」


 「これはまずいなぁ」マドカが言った。

 萌の前のテレビに、鳥居ヶ池のショッピングセンターでの戦闘が映し出されている。その場に居合わせた人がスマホで撮影した、「視聴者提供」という映像だ。巨大な「鬼」の前で、赤いスカートの女の子が、超人的な跳躍を見せる姿が、はっきり見える。

 「優、あの服似合ってるなぁ」萌が言った。「いいなぁ、TVに出るなんて。」

 「顔がはっきり映ったわけじゃないけど、優の家族とかには絶対バレるよ」マドカが言った。

 萌の携帯が鳴った。呼び出し音が二度鳴っただけで、切れた。見ると、優の番号だった。

 「優からSOSだ」萌が言った。「マドカ、行こう。お休み時間は終わり。」


 萌からの電話を受けて、菫が自分の部屋から、玄関に降りていくと、階段の下に、パパが立っていた。

 「行くのか」と、パパは言った。

 「ちょっと出かけてくるだけだよ」菫が言った。

 「優ちゃんの所に行くんだろ」パパが言った。「TVに映ってたの、あれ、優ちゃんだよな。」

 菫は振り返って、パパをまっすぐ見返した。パパも、菫をじっと正面から見つめて、ふっとため息をついた。

 「光姉ちゃんがな」パパが言った。「十五過ぎたら、人は自分の行く道を自分で決めるんだって言った。」

 「光姉ちゃんが?」菫は言った。

 「人に決められた道を行くんじゃない、それがどんな道だろうが、自分で決めた道を進まないと、自分の人生、生きていることにならないって」パパは言った。「光姉ちゃんは、その通りに生きた。短かったけど、自分の人生をしっかり生きた。」

 「パパ」菫は言った。

 「菫が行きたい道を行けばいい」パパは言った。「でもな、ママを悲しませるようなことはするな。それだけは許さん。」

 「行ってくる」菫は頷いて、ドアを開けた。


 どうしてこうなるんだろう。

 優は部屋の中に立ち尽くした。泣くまい、と思ったけど、涙がぼろぼろ出て止まらない。

 たまらず、萌に電話を入れようとしたけど、呼び出し音の途中で切ってしまった。萌や、菫に頼ってばっかりの、弱虫。

 ママが、私を見た目。

 まるで、違う生き物を見るような。

 そりゃそうだろう、自分の娘が、娘だと思っていたものが、あんな超人的な動きをして、「鬼」と戦っている姿を見て、そう思わない人はいないだろう。

 禊川で溺れた時、そのまま死ねばよかった。私なんか、死んでしまえばよかった。


 トンビは黙っている。なんて声をかけていいか、分からないんだろう。

 トンビは悪くない。トンビは一生懸命、生きようとしただけだ。「狐」としての生き方を全うしようとしただけだ。戦うこと。「人」を救うために。「鬼」と戦うために。

 私は、菫や、萌を守りたいと思って戦っているのに。

 なのに、一生懸命やることが、全部裏目に出る。

 鬼を倒そうとして、逆に相手に力を与えてしまう。

 人目につかないように気を配っていたのに、あんなに派手にTVに報道されて。

 ママにも疑われて。

 そして、「智恵」も見つからない。


 どうしたらいいの?

 誰か、教えて。

 私を、助けて。


 自転車に乗って走っていた菫の身体を、突然強い力が引っ張った。え、と思った瞬間、身体が宙に浮いていた。眼下で、主を失った自転車が、赤信号にそのまま突っ込んで、交差点に入ってきた車に跳ね飛ばされるのが見えた。

 「菫!」萌の声がして、横を見ると、萌も空を飛んでいる。「すごい、私たち飛んでるね!」

 「どうなってるの?」菫は言ってから、はっとした。「優?」

 「優の『技』がまた進化している」イブキが言った。「念じて、相手を飛ばしているんだ。」

 「優が呼んでる」萌が言った。「私たち、ピーターパンみたいだね!」

 「どうでもいいけど」菫が言った。「また自転車壊しちゃった。ママになんて言おう。」

 「菫は自転車と相性が悪いなぁ」萌が笑った。


 ベッドに突っ伏して泣いていると、窓をコンコン叩く音がする。顔を上げて、自分の目を疑った。窓の外に、菫と萌がいる。宙に浮いている。窓を開けると、二人が飛び込んできた。何も言わずに、菫にしがみついて、ぎゃんぎゃん泣いた。菫が、しっかり抱きしめてくれた。萌が、背中をさすってくれた。赤ちゃんみたい、と言われてもいい。この二人と一緒にいるこの瞬間が、私の場所だ。私にとって唯一の、一番大事な場所だ。

 萌が微笑む。昨日死にかけた萌。いつも微笑んでいる萌。

 菫が笑っている。鬼に襲われても、正面から戦う菫。決してあきらめない菫。

 この人たちを守りたい。

 この二人との時間を、ずっとずっと、守りたい。


 頭の中に、暗い部屋が見えた。

 天井まで届くような棚がずらっと並んでいる。

 小さい箱や、大きな箱、様々な形の箱が、所狭しと並んでいる。

 どこかの倉庫のようだった。博物館の倉庫か?

 奥へ、奥へと進んでいくと、棚の隅で、小さな箱が、カタカタと動いているのが見えた。

 箱の隙間から、青い光が漏れだしてくる。


 おいで。


 声をかけて、手を差し伸べた。

 箱の中のものが、答えた。


 私が「智恵」。

 時を越えて、お前に真実を示すもの。

 聞こえたよ。お前の声が。

 私を求める、強い声が。


 泣きじゃくっていた優が、ふいに泣き止んで、立ち上がった。

 宙に手を差し伸べた。

 その手の中に、青い光が凝縮し始めた。

 光は、20センチほどの大きさの円盤になって、ゆっくりと回り始めた。


 「『智恵』の鏡」菫が呟いた。

 「優の声に、応えたんだ」萌が言った。


 「智恵」の鏡の光が、さらに輝きを増して、優の胸の中に吸い込まれていく。

 光はそのまましばらく、優の胸の中で脈打ち、そしてそのまま、静かに消えていった。


 「3つの古き『技』がそろった」イブキが言った。「『裂け目』を塞いで『釣り合い』を取り戻さねば」


古代の「技」、「力」「慈悲」「智慧」を、何に宿らせようか、と考えて、割とありがちですが、「やっぱり三種の神器がいいよね」と、「剣」「玉」「鏡」という組み合わせにしてみました。ところが、それを決めた後でよくよく調べてみると、三種の神器の「剣」「玉」「鏡」というのは、それぞれ、「勇」「仁(思いやり)」「智」という徳を表すのだそうです。偶然の一致なのですが・・・ちょっと驚きました。

次回は最終章、第四章~均衡~。番外編も含めて、この物語もあと2回で完結予定。お楽しみに。

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