三十話 考えていたこと
郁乃はクスクスと楽しそうに笑った。
「いいと思いますよ。トリックスター。かっこいいと思います」
「どこがだよ……それに昔の話だよ。そんなの」
「昔というほどのことでもないでしょう? 去年の話じゃないですか」
そう言われるとその通りなのだが……なんというか、俺にとっては、去年1年からの今日までが、ずっと長く感じられた。
1年で両親がいなくなり、1年で犯罪者だ。
とてもじゃないが1年の内容じゃないように思う。
「けれど、よかったですね。今日の活躍で評判もよくなったみたいですし」
「そりゃあ、よかった。それなら、早めにアーちゃん学校に連れ出せるしな」
「無理矢理はよくないと思いますよ……? また喧嘩になりますから」
「あの妹は甘やかすとつけ上がるから、俺は甘やかさないことにした」
「いつもそんなこと言って、結局朱音さんに甘いじゃないですか」
そんなことはない……はずだ。
俺がそう言うと、郁乃はその真偽を確かめるためか、わざわざ俺の前に小走りで立って、下から覗き込むように腰を折った。
「甘やかしてますよね?」
「……」
いや、甘やかしてない。
俺が首を横に振って否定すると、郁乃は釈然としないようすで、俺の前を歩き出す。
「自覚がないんですね」
「いや……だから……別に甘やかしてないって」
「あれはそうとう甘やかしてます。朱音さんが自立できないのって、あなたのせいでは?」
「そんなことはないと思うけど」
「そんなことありますよ。あなたは過保護すぎると思います。将来、朱音さんが結婚でもしたらどうするのですか。、しっかりと、妹離れをしてください」
「いやだね! 俺は一生朱音を養って生きていくんだ!」
「妹さんへの愛が重くないですかね……」
だが、郁乃の言いたいことは分からないでもない。
今後、朱音の自立を促していく上で、一番の問題は俺だろう。
過保護というのは、郁乃に言われるまでもなく分かっているつもりだ。ある程度、ようすを見てあげるのも、お兄ちゃんの務めなんだろうなーと思うと、自分が兄として酷くダメな人間のように感じた。
「はあ……」
俺はため息を吐き、手を後ろで組んで歩く郁乃の後ろにつく。
それから、しばらく無言が続いた。
心地の良い静寂が流れ、沈黙が囀り、無言がこだまする。この時間、この一時は、今の俺にとってかけがえのないものになりつつある。
今、郁乃はなにを考えているだろう。夕食の献立だろうか。なんでもいいけれど、俺のことだったら嬉しいな、なんてバカな考えが頭をよぎった。
「……」
「……」
そうして数十分。
田舎道を超え、やがてアパートに到着しようという頃。
黄金色の空の下、俺は郁乃の隣に立って、その横顔を尻目に盗み見た。
相変わらず綺麗な背筋で、凛とした表情を浮かべている。切れ長な瞳が、まっすぐ前を向いている。
そんな彼女を見つめて数秒――今日、いや……昨日か。
朱音の話を聞いて、あの写真を見て、郁乃を見て――俺の中にある考えが生まれていた。
それを聞くか、聞かざるかで、俺は悩んでいた。
だが、俺は意を決して郁乃に尋ねることにした。
「なあ、郁乃」
そう呼び止めると、彼女は俺の方を振り向き足を止めた。
「なんですか?」
「……ちょっと聞きたいことがあるんだ。お前も前に見たと思うんだけど……」
と、俺は財布にしまっておいた例の写真を取り出し、郁乃に見せた。すると、郁乃は目を見開いて、明らかに動揺を示した。
「そ、そそれがなにか!? どうかしましたか!?」
「……じゃあ、まあ……単刀直入に聞くけど、この写真の女の子ってお前か?」
「いや、どう見ても朱音さんじゃないでしょうか?」
郁乃は目を逸らしながらそんなことをのたまった。
この女……!
「んなことは分かってるんだよ! 俺が言ってるのはこのワカメ頭の女の子のこと! ほら、お前のメデューサ頭の時と似てるし!」
「誰がメデューサですか! だいたい、髪以外は似てないでしょう!」
「痩せたらお前みたいになりそうじゃね?」
「適当!」
ぜぇぜぇと郁乃は叫び疲れたのか、肩で息をしていた。
それを沈めるためか、彼女は深呼吸を繰り返し……やがて、「よし……」と大きく息を吸った。
「……ええ、そうですよ……! 私が、その写真の女の子ですよ! これでいいですか!?」
「なんでそんなに怒ってんだ?」
「恥ずかしいからですよ! 昔の……ふ、太ってた上にワカメ頭の自分が!」
と、郁乃は顔を真っ赤にして言った。