二話 黒いあいつ
※
それから、俺が夕食を作り、小さな丸テーブルを囲んで朱音と俺は、「いただきます」と箸を取る。
ふと、朱音は箸を手に持ったまま、テーブルの料理を訝しげに凝視しながら口を開いた。
「ねぇ、お兄ちゃん。これはなにさ」
「それは卵焼きだな」
「暗黒物質じゃなくて?」
「じゃあ、暗黒物質だな」
俺は、シレッと答えた。
テーブルの上には、朱音の言う通り暗黒物質よろしく真っ黒ななにかが、皿の上に転がっていた。
おかしいな……卵焼きを作ろうと思ったら、暗黒物質が生まれてしまった。もはや、これはノーベル賞ものじゃないか?
「うう……アーちゃんは、お母さんの手料理が恋しいですぅ〜」
「言うな……もう、この世に親父も母さんもいないんだ。これから先、俺たちは兄妹で生きていくんだぞ」
俺は、部屋にあるタンスの上に置かれた両親の写真を見ながらそう言った。
俺と朱音の両親は、ほんの数ヶ月前に交通事故で亡くなった。朱音は、まだそのことを引きずっているが、今では大分落ち着いている。
ふと、小生意気な妹がなにも言ってこないことが気がかりで、俺は両親の写真から朱音に目を配る。
すると、朱音が泣きそうな顔で俺を見ていた。
「お、おお、どうしたアーちゃん!? 親父と母さんが恋しいか? お兄ちゃんが分身して、一人二役やってあげるぞ?」
「うう……そうじゃなくてさ、お母さんも、お父さんも……いなくなっちゃって。こんな大変な時に、お兄ちゃんが、アーちゃんのせいで犯罪者になっちゃってさ……アーちゃん、本当にダメ妹なんだなって……」
「バカ野郎! アーちゃんはダメ妹なんかじゃない! 誰だそんなこと言ったやつ!」
「お兄ちゃん」
「そうだった……」
割と朱音も気にしていたのかと思うと、これからは気をつけた方がいいなと俺は肩を竦めた。そして、妹を安心させてやろうと、ボサボサな頭に手を置く。
「……別に、いいんだよ。俺はお兄ちゃんだからな。妹のためなら、泥水でもなんでも啜ってやるさ。俺は間違ったことをやったつもりはない」
「……アーちゃんに、無理矢理迫ってきた人の金玉蹴り上げたこと……本当に後悔してない?」
「してないよ。むしろ、妹を守ってできた前科なんだ。勲章ものだね」
俺が少年院に送られた経緯は、妹の朱音を助けるためだった。朱音は、とにかく可愛い。スタイルもいいし、言い寄る男は星の数ほどいる。
事件はシンプルだ。
両親が亡くなったことをどこからか聞きつけたある男子生徒が、朱音の弱みに漬け込んで、強姦に及んだ。
そこに偶然通りかかった俺が、男子生徒の股間を後ろから思い切り蹴り上げたのだ。
非力な俺では、どうやっても力では敵わないけど、さすがに金玉を蹴り上げられたらどうしようもなかったのだろう。
男子生徒は、「んほおおおお!?」と悲鳴をあげて倒れた。そして、俺は朱音を連れて逃げるわけだが……後日、その男子生徒が大富豪の息子であったことが発覚。
お金の超パワーで、俺は見事に暴行の罪で犯罪者となった。もちろん、俺の弁明など聞き届けられず、一方的に犯罪者扱いである。相手の金玉を潰したのは事実だし、まあ運が悪かった。
お金って偉大だなと、俺はしみじみと感じた。
聞けば、胸糞悪い話だが……俺は後悔しちゃいない。ただ、朱音の方は、両親のこともあって、心にかなりのダメージを負ってしまった。
そのせいで、外に出るのが怖くなってしまい、今ではお家大好きフリスビーの引きこもりニートにクラスチェンジしてしまった。
「さ……昔の話はもういいだろ。今は、未来の話をしよう。差し当たって、俺達がやらなければいけないことは……まあ、いっぱいある」
「掃除とか?」
「あと、料理な……お兄ちゃん、頑張って料理できるように勉強するけど、あんまり期待しないでね……」
俺は、特別不器用というわけではないが……なにぶん、料理など今までやったことがなかったのだから作ろうと思って作れるものではないし。
それを知っている朱音は、「うわーん! ママの料理が食べたいよー!」と駄々を捏ねた。
しかし、たしかにどうにかするべきことだ。朱音は育ち盛りなのだ。俺の不味い飯で、成長が止まってしまったりなんかしたら……お兄ちゃん失格である。
「はあ……掃除に、料理に、学校生活……やることが多すぎるな」
「おい、お兄ちゃん! 妹のお世話が抜けてるぞ!」
「……」
このダメ妹め……!
ついさっき、言わないようにと誓ったが前言撤回。この妹は、少しでも甘やかすとつけ上がりやがるから、これからも厳しくしていこう。そうしよう。
※
翌日の学校も、俺は相変わらず犯罪者として、針の筵にされていた。
午前の授業が終わり、お昼休みになっても俺の心が休まることはない。俺は、コンビニで買った昼食を手に、人気のない屋上に足を運んだ。
琴吹学園高校の屋上は立ち入り禁止になっており、屋上に続く扉は施錠されている。しかし、俺が確認したところ、屋上の扉は立てつけが悪く、鍵がなくとも簡単に開けられてしまう。
これでは、施錠している意味がまったくないのだが――居場所のない俺としては、ありがたい限りである。2日前に見つけてから、ずっと利用しているが一度も他の生徒は来ていない。おそらく、立てつけが悪いことを知らないのだろう。
そもそも、立ち入り禁止だから来ないというのもあるのだろうが……。
いつも通り、俺は屋上にやってくると、網フェンスに寄りかかり、腰かけて昼食を食べ始める。
しばらく、屋上でひもじい思いをしながらおにぎりを食べていると、フェンスから見下ろせる校舎裏に2つの人影が見えた。気になって目をこらすと、学園のマドンナと名高い毒島郁乃と、知らない男子生徒が向かい合っていた。
「……告白か? まあ、あれだけ美人なら当然か」
きっと、これまでになんども呼び出されては、何人もの男子生徒に告白されているに違いない。毒島レベルの美人は、俺が都内に通っていたころも、そうそうお目にかかれるものじゃなかった。
「田舎っていっても、美人っているところにはいるもんなんだな……アーちゃんほどじゃないけど」
俺は、牛乳パックをズズッと啜りながら、そんなことを口にした。
何を隠そう、俺は誇り高きシスコンだ……妹が世界で一番可愛いのは言うまでもない。ただ、掃除も洗濯も料理もできず、毎日ネトゲ三昧なダメ妹という部分がネックなだけだ。
さて、そんなこんなで学校も終わり、俺は朱音の待つアパートへ帰る。
「ただいまーアーちゃん」
「お兄ちゃーん! 大変だよー!」
俺が帰るなり、顔色を真っ青にした朱音が、玄関までドタバタと走り、おもむろに俺の胸へ飛び込んできた。
突然のことだったが、ただごとではないと察した俺は、胸中ではんべそかいてる朱音に声をかけた。
「どうしたんだアーちゃん? 大変って」
「や、やつが出たんだよう……やつが!」
「やつ……?」
「黒くてテカテカしてて、カサカサ動くあいつ!」
「あいつか」
朱音はコクコクと頷き、洋室の壁を指差す。すると、たしかにいた。カサカサと、壁を這うように動き回る黒い物体が。
「うう……お兄ちゃん、なんとかして!」
「ふっ……任せろよ」
「おお! お兄ちゃん、かっこいい! 頼りになるうー!」
俺は、朱音の声援を受け、キッチンの下からゴキジェットを取り出す。ゴキジェット片手に、俺が洋室へ入ると、危険を察知したのか、黒いあいつがカサカサと天井へ移動。
上から、いつでも俺に飛びかかれる位置を陣取る。下手にゴキジェットを噴射しようものなら、黒いあいつが俺の顔面に落ちかねない。
「お兄ちゃん! そいつ、知恵が回るみたいだぞ! 気をつけろー!」
「心配するな妹よ! なんたって、俺にはゴキジェットがついてるんだ! こいつで――」
と、俺が言いかけた折――やつは動いた!
バサッと羽を広げ、ブーンッと不快な音を立てて、なんと天井から壁へと飛翔した。
それを見た俺と朱音が戦慄した表情を浮かべる。
「お、お兄ちゃんっ……そいつ、進化してるじゃん!? テラフォーってるよ!?」
「こ、こいつ!?」
黒いあいつが飛行能力を有していることに、俺は恐れ慄く。さすがに、飛べるのは卑怯だろ……。
黒いあいつは、頬を引きつらせている俺を嘲笑うかのように、再び飛翔――ブーンッと、今度は俺に向かって飛んでくる。
「ぎゃああああああ!?」
堪らず、ゴキジェットを投げ出し、俺は玄関までダッシュ。黒いあいつは、先ほど俺が立っていた上に羽を下ろし、触覚を動かしている。
き、キモっ……生理的に無理。
「うう……お、お兄ちゃん……どうしよう」
「許せ、アーちゃん。もうお兄ちゃんにできることはない。生理的に無理」
「意気地なし! チビ!」
「チビは関係ないだろ!? あと、チビじゃないし!」
ここに来て、俺たちは愚かにも仲間割れを始める。むろん、黒いあいつがその好機を逃すはずもなく、ブーンッと玄関前まで飛翔。俺たちの目の前に着地する。
「ひっ!?」
「ぬわっ!?」
朱音と俺は、短い悲鳴をあげる。
黒いあいつは目と鼻の先だ。次に、やつが飛べば――一巻の終わり……!
朱音はその場で立ち尽くしていたが、俺は一目散に玄関を開け放ち、外へと避難する。
「アーちゃん! はやく外に逃げるんだ!」
「お、お兄ちゃん……! む、無理だよう……アーちゃん、外にはっ」
「そんなこと言ってる場合か!? もうやつがすぐそこまで来てるんだぞ!」
「で、でも……」
朱音は今にも泣き出してしまいそうな顔で、黒いあいつと俺を交互に見る。
そんなことをしている間にも、黒いあいつはジリジリと朱音との距離を詰めていた。
「アーちゃん!」
「お兄ちゃん……!」
と、俺たちがお互いを呼んだ時だった。
突然、隣の部屋から制服姿の毒島が出てきたかと思うと、不機嫌そうな表情で、ギロリと俺を睨んだ。
そして、一言。
「うるさいのですが」
「え……すみません」
とりあえず、俺が反射的な頭を下げると、いまだやつの脅威に見舞われていた朱音が、「ぎゃあああ!?」と大声で悲鳴をあげる。
それで、毒島は再び不機嫌そうに顔を顰める。
「はあ……一体、なんの騒ぎですか」
「いや、黒いあいつが出て……」
「……はあ」
思ったより、くだらない理由だったからだろう。毒島は盛大なため息を吐いた。
「……なら、さっさと駆除しては?」
「気持ち悪いから無理」
「……」
毒島は呆れ眼で俺を睨むと、一度部屋に戻り、再び部屋から出てきたかと思えば、その手にはゴキジェットが握られていた。
そして、開けっ放しになっている104号室の中を見て、「うわっ……汚い」と若干引いていた。
毒島は、怯え腰の朱音を一瞥し、その横を通り過ぎ、黒いあいつを発見してすぐにゴキジェットを噴射。黒いあいつは、しばらくのたうちまわった後、絶命した。
「あ……あ……」
「ほら、これでもう大丈夫ですよ」
ガクガクと震えていた朱音に、毒島は優しく声をかけた後、足早に104号室を出て自分の部屋へと戻っていく。その去り際に、
「部屋が汚いからゴキブリが出るのです……掃除くらいしたらいかがですか」
そう言って、バタンと扉を閉めて行った。
取り残された俺は、所在なくプリン色の髪を撫でた。
うん、いやもう本当に……毒島さんの言う通りですね。はい。なんかすみません……。
「しっかし、初めて喋ったな……学園の高嶺の花……ちょっと、怖かったな……。えっと、おいアーちゃん大丈夫か?」
「あ……あぁ……」
やや、放心しているが、一応大丈夫っぽいので、俺は朱音を放って、黒いあいつの後始末をすることに。
しばらくして、我に帰った朱音は辺りを見回すと声を張りあげた。
「あ、あれ!? お兄ちゃん! あのめちゃくちゃ綺麗なお姉さんは!?」
「お隣の毒島さんだよ。挨拶に行っただろ」
「見てないよ! アーちゃんは!」
「そりゃあ、お前。俺の背にずっと隠れてたからな」
朱音は重度の人見知りなため、人と会う時は俺の背中に貼り付いていないとパニックを起こしてしまう。
朱音は、興奮気味に俺ににじり寄る。どうやら、毒島に興味を示しているらしい。
「ねえ! その、毒島さんってどんな人!?」
「毒島郁乃。美人。スタイルがいい。俺と同じ学校で、同級生。モテる。勉強できそう」
「……それだけ?」
「それだけ」
朱音は、「ちっ」と舌打ちした。
俺は、黒いあいつの処理をしながら口を尖らせる。
「こら、舌打ちしちゃめーっでしょー」
「だって、お兄ちゃんが使えないんだもん……これだからチビは」
「チビじゃないが!? というか、毒島が気になるのか?」
朱音は俺の問いに対して、少しだけ頬を赤らめ、恥ずかしそうに頷いた。
「うん……一目惚れかも」
「一目惚れねえ……」
現実に、そんなことがあるかよ。
俺が鼻で笑うと、朱音はムッとして、すっかりヘソを曲げてしまった。ご機嫌取りに、夕食を朱音の好きなオムライスにしたのだが、またもや暗黒物質を創造してしまった。
そろそろ、俺は神にでもなれるかもしれない。
幼馴染は最高だぜ……。
どうも青春詭弁です。
時に、みなさんは幼馴染に必要なファクターがなにかご存じでしょうか?
そんなの人それぞれ?
ノンノン……のんのん日和です。
幼馴染が今日まで他のぽっと出ヒロインどもよりも重宝されてきたのには理由があります。
それはまさに幼馴染のみが持つUSP!
そうです。記憶です。
昔の記憶こそ、幼馴染最大にして最高の武器なのです。
「あれ……こいつってこんなに力強かったっけ……」
みたいな感じで、昔と今のギャップに燃える幼馴染。そして、その力強さに男を意識し始める幼馴染。
最高か??????????????????