十七話 名探偵
嫌な予感がした。
全身に冷水をぶっかけられたかの如く、体が硬直した。頬に汗が流れ、背中が冷や汗に濡れる。
先ほどまでの喧騒が嘘みたいに、周囲の音が遠退いて静かになる。
玄関が開いている――俺は朝出る前に閉めて出た。つまり、誰かが玄関の鍵を開けたということだ。そして、玄関を開けたと思われる有力な人物は朱音だ。
普通ならなんら疑問に思う必要はないかもしれない。しかし、朱音は……玄関まで1人では出て来れない。玄関の前に俺がいて、初めて玄関まで出て来られる。
つまり、朱音1人で玄関を開けるのは……不可能だ。
俺は震える手で、恐る恐る玄関を開ける。
すると、我が家は不気味な静けさをしていた。
いつもなら、暗い部屋で朱音が、カタカタとパソコンのキーボードを叩く音が聞こえたくるはずなのに。カーテンも朝のままで、部屋に黄金色の日差しが入り込んでいた。
「アーちゃん……?」
名前を呼ぶが返事はない。
俺はローファーを雑に脱ぎ散らかし、背中から聞こえた平田の「ちょっと……!」という声も無視して、部屋中を探す。
「朱音……!」
押入れ、トイレ、風呂――全て見たが……朱音の姿はどこにも見当たらなかった。
「……ちょっと、どうかしたの?」
平田が困惑気味に問いかけてくるが、今はそれに答える余裕がなかった。
「あ、朱音がいないんだ……ゆ、誘拐されたかもしれない! ああ! 間違いない! あんなに可愛いんだ! 誘拐されたんだ! け、警察に電話しないと――」
「待ってください。落ち着いてください。翔太くん……誘拐ではないと思います」
と、事情を察した郁乃が冷静な表情で口にした。
「……まず、部屋に朱音さんの服が脱ぎ散らかっています。部屋着ではなく、外行の服に着替えたのでしょう。その証拠に、朱音さんの服が入っているタンスが開きっぱなしです」
振り向くと、郁乃の言う通りだった。
「あと、玄関にあった朱音さんの靴がありません。おそらく朱音さんが履いたのでは? 着替えにしろ、靴にしろ……誘拐ならばどちらもする必要がないので。まずは、冷静に……ですよ?」
「た、たしかに……ごめん。取り乱した……」
郁乃に諭され、なんとか俺は冷静さを取り戻す。
平田は俺たちの顔を交互に見て、首を傾げた。
「んー……? ちょっと、気になることがいくつかあるんだけど……まず一ついいかしら?」
「なんだ……?」
「そのあんたの妹さん? の朱音さんが、部屋にいなかったらなにかまずいの? ちょっとコンビニとか行ってるだけじゃないの?」
平田の質問は、たしかにその通りではあるが……こと朱音に関しては絶対に違う。
朱音は1人で外には出れない。少なくても、1人でコンビニには行かない。
コンビニに用があるのなら、必ず俺をパシる。そう……自分は家事を一切せずに、「おーいお兄ちゃ〜ん。アイス〜」と生意気にのたまうのだ。
あいついっぺんしばいてやろうかな……。
俺が平田の質問に答えようとすると、手を顎に当てた郁乃が先に答えた。
「いいえ。朱音さんは引きこもりだから、1人で外に出るというのはおかしいのです」
「そ、そうなの……?」
「ええ……けれど、現場を見る限り……これは1人で外に出たと見て間違いないでしょう」
探偵か。
しかし、今は郁乃が頼りだ。正直、俺は気が動転していたため、考えがうまく纏まらない。
郁乃はふと、俺に目を向ける。
「……朱音さんが、仮に1人で家を出たのなら探しに行った方がいいと思いますが、どうでしょう」
「え、あ……そうだな……あいつ1人は心配だ……勝手に帰って来れるなら、別にいいんだけど……もしどっかで迷子になってたら大変だし……」
「そうですね……それなら探しに行きましょう……まずは、携帯に電話をかけてみましょう」
「そ、そうだな……えっと……」
俺はスマホを取り出し、朱音のスマホに電話する。すると、部屋の中で着信音がした。
あいつスマホ置いていきやがった。
郁乃は神妙な面持ちで顎に手を当てている。
「……ちなみに、心当たりはありますか?」
「えっと……心当たりか……」
俺はスマホをポケットにしまいながら、思考を巡らせる。
あいつが、外に出てまで行きたいところなどあっただろうか。
カチッカチッと、時計が時間を刻む音だけが聞こえる部屋の中で――俺は今朝のやり取りを思い出す。
「……学校……かもしれない。あいつ、俺に負い目を感じてたから……朝から制服なんか着て、張り切ってたんだ。だから……学校に行ってるかもしれない」
「……しかし、学校には来てませんよね? 場所は知っているのですか?」
「ああ……転校の挨拶をした時に一緒だったから、なんとなくは分かると思うけど」
あの時、朱音はほとんど俺の背中に隠れていた。おそらく、はっきりとした道順は覚えていない。
「それなら……通学路をメインに探してみましょう。平田さんも手伝ってくれますか?」
「もちろん手伝うけど……ただ、あたし朱音さんの顔が分からないのよね……」
「こんな感じだ」
と、俺はスマホの写真フォルダから朱音の顔写真を、平田に見せてやる。平田は、「なるほど……」と頷いてから、うへぇっと顔を歪めた。
「というか、妹さんの写真多すぎない……? 1000とか2000とかあるじゃない……」
「宝物だ」
可愛い可愛い妹が、小学生のころから写真を撮っている。
なんて可愛いのだろう。
そんな可愛い妹が、今どこかで迷子になって心細い想いをしているかもしれないと思うと――。
すぐに探さないと!
いてもたってもいられなくなった俺は、さっそく妹を探すために部屋を飛び出した!
幼馴染マイスターなのに美少女幼馴染がいません。
どうも幼馴染マイスターの青春詭弁です。
そろそろ分かってきたと思いますが、この作品はボケとツッコミが入り乱れます。誰がツッコミとか、誰がボケとかは明確に区別されていません。
一見、ツッコミ担当っぽい郁乃も、そろそろボケ始めてきます。
さて、それでは次回の予告をします。
次回――ミイラ取りがミイラになる
お楽しみに!