71.脱出のために
「……どうだった?」
「うん。新しい扉を開きそうだから、出来れば、今回限りがいいわ」
クルミからの体液の接種を終えた私は彼女と向き合って話をしていた。具体的になにを接種して、どんな味をしたかと言うのは記憶の奥に封印しておこう。それがいい。でも、メニーのだったら飲んでみたいかも。
ある種の変態的な思考に至ったところで、私は首を大きく振る。
いくら、メニーでもそんなことは許容してくれないだろう。それ以前に、メニーのそれについて考え始めた自分に嫌悪感を抱く。
私としてはメニーの隅から隅まで愛するつもりでいるので、彼女からそういうことを要求されれば応じるが、そうでない限りはそういう話すらするべきではないだろう。
そこまで考えて、私は再び頭を横に振る。
なにを考えているんだ。私は。
とりあえず、作業に戻ろうと考え、私は石を持つ。
それにしてもだ。この事態を打開する突破口になるのならと考えて、力を分けてもらったのはいいのだが、どういう原理で彼女の獣人としての力が私に備わるのだろうか? 彼女は魔力の様にと言っていたので(そもそも、人間の体液に魔力が含まれているなどとは聞いたことがないが)獣人のそれらには、力の源のようなものが混じっていたりするのだろうか?
「……ところで、この知識ってどんな本で調べたの?」
「んっ? これ、だけど?」
私の問いかけに対して、クルミは“良い子のための神話”とかかれた本を差し出す。
「えっと、絵本?」
「うん。神様は、体から分泌されるもので、人に、力を分けるの。獣人でも、きっと、できる。はず」
「はずって……獣人の力が……みたいな根拠は?」
「ない。人間の魔力もそうだ。って書いてあったから、大丈夫」
うん。接種する前に根拠を聞いておくべきだった。つまり、私が得たのは獣人の力ではなく、彼女の体に宿っている魔力である可能性が高い。
「はぁ……」
私は小さくため息をついて、壁を叩く。すると、先程までは全くびくともしなかった壁に傷がついた。
「あれ?」
試しに別の場所を叩いてみる。
すると、やはり壁に傷がつく。どうやら、偶然ではないようだ。
「そういえば、一時的にっていっていたけれど、この力ってどれくらい維持できるの?」
「さぁ。魔力は使ったら、終わりだけど、この力は、わからない。切れたらダメだし、私がしたくなったら、もっと飲む?」
「いや、それは遠慮しておくわ」
なんというか、この子には羞恥心と言うものはないのだろうか? 普通なら人に見せないような行為を晒していると言うのにあまりにも平然としすぎている。
もしかしたら、島の人たちが世話をしに来るとき以外は一人なので、人との接し方と言うか、そういうのがよくわかっていないのかもしれない。
だからこそのこの言動なのだろう。とりあえず、ここから脱出したらいろいろと教育が必要かもしれない。
私はそこまで考えて、小さくため息をつく。
いや、どうして私がここを脱出したあともこの子の成長を見守るような方向に思考が行っているのだろうか?
申し訳ないが、私はここを脱出したらこの子とおさらばして、メニー達に元へと帰るのだ。
いや、そうしてしまったらこの子は……クルミはどうなるのだろうか?
彼女は亜人追放令が出ているこの世界では迫害の対象だ。当然ながら、街の中で普通に保護を求めたところで保護してもらえることはないだろうし、すぐに街から追い出されて飢えてしまうかもしれない。
そんな未来を考えると、彼女はここに置いておいた方が幸せなのだろうか? 島の住民がどのような意図をもって、彼女を監禁しているか知らないが、衣食住は確保されているし、彼女の体を見たところ暴力を受けている形跡もない。もしかしたら、何かしらの理由で生まれたばかりの彼女はこの島にたどり着き、扱いに困った住民がここに監禁しているだけの話なのかもしれない。
そうなると、彼女の姿を見た私まで監禁する理由がよくわからないが、島の住民からしたら、私の証言から彼女の存在が明るみに出て、自分たちがなにかしらの処罰を受けることを恐れているのだろうか?
いったい何がどうなっているのかよくわからない。
そう考えながらも、私は石を壁に打ち続ける。
「……誰か。来る」
それをしばらく続けていると、クルミがそんなことを言い出す。もしかしたら、朝が来て朝食を持った村人が来たのかもしれない。
石を置いて、私は扉の方を見る。
私が傷つけた壁はちょうど暗がりにあり、入り口からは見えないはずだ。しかし、私が脱出しようとした形跡を見つけられたらどうしようという不安が付きまとう。
しばらくすると、扉が開いて二人の女性が姿を現す。
二人のうち一人はお盆を持っていて、そこには二人分の食事が乗せられている。
「二人とも、朝食よ」
私が増えているにも関わらず、平然と言ってのけた彼女は入り口近くに食事をおいて、空いた食器を片付け始める。
「……ねぇ。私は家に帰れないの?」
半分無駄だと思いながらも、私は女性に問いかける。
「ダメよ。ターシャちゃんはここの住民になったんだから」
「……住民になりたいって言った覚えはないけど?」
「なくてもそうなの。今はここがあなたの家よ」
ダメだ。やはり、誰に交渉してもダメらしい。
「どうしても?」
「どうしても」
「だったら、ひとつ教えてもらってもいい?」
私が尋ねると、女性は首をかしげる。
そんな彼女を前に私はクルミを指差す。
「どうして、この子はここにいるの?」
せめて、クルミが監禁されている理由ぐらいは知りたい。そんな思いからの質問だ。
「そんなの村長ぐらいしか知らないよ。私たちは村長にお願いされて世話をしているんだから。それじゃ、私たちは行くよ」
村長しか事情を知らない。そんな事実を残して、女性たちは去っていく。私としては、もう少し話が前進するような答えを期待していたので、完全に出鼻をくじかれたような形だ。
「せめて、誰かの名前がわかれば利用できるのに」
人口の少ない島だ。誰か一人の協力(と言う名の洗脳)があれば、人がいないところに移動することぐらいはできるはずだ。そこから、私がクルミを背負うか、イカダを作るかして島から脱出することもできなくはない。
しかし、そのためには圧倒的に情報が足りない。まるで、私が洗脳の魔法を使えることを知っているかのように誰も名乗らないし、誰かの名前を呼ぶと言う行為をしない。それ自体は偶然なのかもしれないが、私を焦らせるには十分すぎる情報だ。
「結局、これしかないのか」
私は石を手にとって壁を叩く作業を再開する。
壁は確実に削れ始めていて、このままいけば人一人通れるように……なる前に気づかれる気がしてきた。
よくよく考えてみたら、ここには一日三食きっきりと食事が運ばれてくるわけだ。そうなると、私たちが脱出しようと掘っている穴が途中で発見される可能性が高い。なにかで隠すにしても、ここには時計がないので、クルミの耳以外に頼るものはないし、何よりも時間がかかりすぎる。
「こうなったら、作戦変更。強行策で行きますか」
このままでは埒が空かないし、何よりも逃げようとした痕跡を発見されたときになにをされるかわからない。
私は頭の中で作戦を組み立てていく。
とりあえず、島民全員に洗脳の魔法をかけるぐらいのつもりで、地道に一人ずつ名前を把握していこう。そのためには適当な理由をつけて、一人一人名前を聞いていく必要がある。
普通だったら、魔力不足だとかそういう問題が起きそうな勢いであるが、幸いにも私にはそういった概念はないので、その辺りの問題はない。
「……ターシャ。なにをするの?」
「んっ? まぁ見てて。取って置きの作戦で二人で仲良くこの島から脱出しましょう」
少し不安げな表情を浮かべているクルミに私は笑顔で彼女に作戦の内容を伝えた。




