54.入学後、初めての休日の一日(後編)
本校舎でのバイト選びが終わった後、私は自室に戻り、メニーに事の次第を報告する。
「あの服屋で働くことが決まったんですか? よかったですね」
私のバイト先が無事に決定したことに対して、メニーはまるで自分の出来事かのように喜んでくれる。
その姿を見て、私も思わず笑顔を浮かべる。
「えぇ。本当によかったわ」
バイトが無事に決まってよかった。今の私の心の中はそんな感情で満たされている。
「……そうだ。そういえば、一つ聞いてもいいですか?」
バイトに関する質問だろうか?
そう考えながら、私は返事をする。
「何?」
「その……教会に行ったときに気になったのですけれど……ターちゃんはどうしてルーチェ様に会いたいと思ったんですか? 私はルーチェ様がすごいなと思いましたが、会いたいとまでは思いませんでした。だから、何か特別な理由があるのかなと思いまして……」
「……それは……」
メニーの質問に対して、私は答えに窮してしまう。いっそのこと、自分の前世について話してしまった方がいいのだろうか?
「……そんなに言いにくいですか?」
私が答えられないのを気にしたのか、メニーは私の顔を覗きこむ。
「……もしかしてターちゃん。前世の記憶がある。何てことはないですよね?」
ピンポイントな答えを提示されて、私は口から心臓が飛び出すかと思うほどの衝撃を受ける。
「……どうしてそれを?」
「それを。ということはあるんですね。前世の記憶が……お兄ちゃん」
「……その……確かにその……あるけれど……お兄ちゃん?」
訳が分からない。前世の記憶があるということを言い当てられたこともそうだし、その前世が男性だと当てられたということも私の中では少なくない衝撃とともに受け止められる。
そもそも、私の中身が男だとわかったところで、いきなりお兄ちゃんと呼ばれる理由がよくわからない。
私の胸元あたりに抱き着いて、そのまま動かないメニーを前にして私は少なからず混乱していた。
しばらくの間、様々な考えが頭をの中をめぐり、そして、私は一つの可能性に行きついた。
「……もしかして……胡桃……なのか?」
長年愛用してきた“ターシャ・アリゼラッテ”という人物の口調を捨ててメニーに……いや、妹に話しかける。
「うん……うん……そうだよ。お兄ちゃん。私も前世の記憶があるの。私の前世は有栖川胡桃よ。陸人お兄ちゃん」
「……そうか……そうだったのか……」
もはや言葉は出なかった。なぜ、胡桃が自分の正体を当てられたのか、なぜ、彼女は自分に前世の記憶があるという発想に至ったのか……わからないことが多すぎるが、私は勝手に救われたような気分になっていた。
私一人じゃなかったんだ。この世界で向こうの世界の記憶を持ち、暮らしているのは私だけじゃなかった。私だけじゃなかったんだ。
「……ところでさ。お兄ちゃん」
「なんだ?」
「いつから……前世の記憶があるの?」
「いつからって……最初にあった時にはすでにあったけど」
私が答えると、メニーが抱き着く力を強める。
「痛い! 痛いって!」
「えっと……つまり、私は中身がお兄ちゃんな女の子と一緒に着替えたり、お風呂に入ったり、抱き枕にしたり、お風呂で抱き着いたりしていたの?」
締め付ける力がどんどんと強くなる。おそらく、私に前世の記憶があるという事実が発覚した衝撃の一方でこれまでのいろいろな出来事を思い出してきたのだろう。
「おっ落ち着けよ。妹よ……ほら、あれやこれやそれは……その……今は同姓だからノーカウント。そう。ノーカウントなんだ!」
「ふざけるなー!」
がっしりと私の体をホールドしたメニーはそのままバックドロップを決め、私は思い切り床に頭を打ち付ける。
あぁ恐れていた中で最悪の事態の一つが起こってしまった……
私の意識はそんな後悔にも近いような思考とともに深く沈んでいった。
*
「……知ってる天井だ」
私が目を覚ますと、夕焼けで赤く染まった天井が視界に入る。メニーと前世の話をしていた時はまだ4時ぐらいで日もそれなりに高く上がっていたため、相当な時間気を失っていたのだろう。
「……目が覚めた? お兄ちゃん」
声がした方向を見てみると、心配そうな表情を浮かべたメニーが私の方をのぞき込んでいた。
「……うん。まぁ何とか……」
答えながら私はゆっくりと体を起こす。
「落ち着いた?」
「うん……まぁ……その、ごめんね? お風呂も寝るときも私が勝手に入っていったのに……」
「いいよ。俺も断らなかったから……」
その言葉のあと、しばらくの間二人の間に沈黙が生まれる。
実質的に久しぶりの兄妹の再開となったのだ。もっと会話があってもいいのかもしれないが、ついさっきまで友達だと思っていた相手の中身が実は前世での兄妹でしたという衝撃的な事実に頭が追い付かず、何を話していいかわからなくなる。
「……とりあえず、夕食。食べに行こうか」
「うん。そうだな……とりあえず、部屋の外では……」
「うん。わかってる。外ではちゃんと、ターちゃんって呼ぶから」
部屋の外では普通にターシャ・アリゼラッテとメニー・メロエッテとして振舞う必要がある。どう考えても、外でお兄ちゃんなどと呼ばれたらおかしいと思われてしまう。だからこそ、外では努めて普通にふるまう必要がある。
「大丈夫。大丈夫だよ。メロンちゃん。私たちならやれる」
だからこそ、私はターシャ・アリゼラッテとして、メニー・メロエッテに声をかける。
「うん……これまで、これまでそうやって、やってきましたものね……」
それに対して、メニーもまたいつも通りに丁寧な口調で返答をする。
それは、彼女もまたいつも通りに振舞うという宣言を出しているつもりなのだろう。
「よしっそれじゃ行こうか」
そして、私たちは手をつないで部屋を出て食堂へと向かう。
「ターちゃん。今日の夕食は何でしょうかね?」
「えっと……そうだね。何かな?」
しかしながら、やはり彼女の前世を知ったことによるショックは大きく、どうしても会話が不自然になってしまう。
「おやおや、これはこれはターシャさんにメニーさん。相変わらず仲がいいですね」
そんなある種最悪とも取れるタイミングでメリーから声がかかる。
「あら。メリーさんもこれから夕食ですか?」
何かがあったと悟られてはならない。自分と同じように前世の記憶があるメニーならともかく、そうではない普通の子供に何かがあったと思われるわけにはいかない。
そう考える私の横でメニーは普通にメリーに話しかける。
「えぇ。そんなところです。せっかくですからご一緒しませんか?」
「えぇぜひ。でしたら、サンちゃんも誘いましょうか」
いきなりのメリーの登場に動揺する私に対して、メニーは不自然さを見せることなく、いつも通りの態度でメリーと接している。
「だったら、私が呼んでくるね。えっと、サンちゃんの部屋ってどこだったっけ?」
「大丈夫ですか? サントルさんの部屋は305号室ですよ」
「そっか。ありがとう」
私も務めていつも通りに振舞いながら、その場を後にしてサントルの部屋へと向かう。
「……なんかいつもと違いませんか?」
「えっ? 気のせいじゃないですか?」
「そうですか? もしかして、けんかして仲直りしたばっかりとかですか?」
どうやら、私は周りから見て不自然な振る舞いをしてしまったらしい。
喧嘩でもしたのではないかと勘繰るメリーと不自然なことはないと主張するメニーの会話を聞きながら、私はサントルの部屋の方へと去っていった。




