41.初めての授業(前編)
食堂で朝食をとった後、私とメニーは部屋に荷物を取りに行き、授業が行われる教室へと向かっていた。
「楽しみですね。初めての授業」
「そうだね。どんな授業かな?」
「えっと……今日の一限目は語学の授業ですね。この学校では、魔法の勉強だけではなく、ありとあらゆる分野について勉強するらしいので、語学の勉強のその一環みたいです」
「なるほど……語学ねぇ……」
語学の授業ということは平たく言えば、国語の授業ということなのだろう。
確かにこの歳で学校に入って魔法の勉強だけというのでは知識が偏ってしまうし、識字率が低いこの世界では文字の読み書きができるというのはある一定のステータスともいえると聞いたことがある。
そうなれば、この学校においては……帝都魔法学校においても、学校に通ったというステータスを持った生徒を輩出するために語学の授業を設けているということなのかもしれない。
もっとも、私としては文字の読み書きができるだとか、学校に通えるだとか、日本ではある種当たり前だったことがステータスになっているのが気に入らない。
郷に入っては郷に従えという言葉にある通り、それがこの世界の常識ならば、受け入れるべきなのだろうが、帝国が無料の学校を作れば少なからず識字率を上げる努力ができる。
しかし、私が話を聞く限りではそのような取り組みはほとんど見受けられない。
「……ターちゃん。さっきから黙ってどうしたんですか?」
「あぁいや……ちょっと考え事を……」
私が急に黙ってしまったから心配したのか、メニーが私の顔を覗き込みながら話しかけてくる。
心配そうな表情を浮かべている彼女に対して、私は問題は起きていないということをアピールするために考え事をしていたといってごまかしながら、笑みを浮かべる。
しかし、それが逆効果だったのか、メニーは私の前に回り込んで立ち止まり、さらに顔をのぞき込む。
「本当に何もないんですよね?」
「大丈夫大丈夫。本当に考え事をしていただけだから……」
「なら、いいですけれど」
そもそも、昨日の夜は寝ていただけなのだから何かが起こるなんてことがあるはずがない。もっとも、メニーとしては自身が寝ている間に私が部屋を抜けだして何かをしていたのではないかという視点で疑いを持っている可能性が大いにある。
それは、メニー自身が(確証はないが)部屋を抜けだして何かをしたことがあるから、同じようなことが起きているのではないかと心配している。というように解釈をすることもできる。
「って、こんなことをしていたら授業に遅れちゃいますよ。急ぎましょう」
「えっあぁほんとだ!」
そもそも、朝起きた時間が遅かったせいで朝食を食べるのが遅れ、授業にぎりぎり間に合うか間に合わないかといった時間に部屋を出たのだ。
こんなところで立ち止まっていたら、授業に遅刻してしまう。
私とメニーはいつもよりも早い歩調で教室がある学舎へと向かう。走らないのは、近くの柱に“廊下を走るな!”と書かれた札がかかっているからだ。おそらく、廊下を通る生徒たちの安全を考えてのことだと思われるこのルールはどこの世界に行っても変わらないらしい。
そのため、私たちは走らない程度の早歩きで廊下を通り抜け、学生寮と学舎の間の道を少しだけ走り、ちょっと余裕をもって教室へと入っていった。
*
5つある一年生のクラスの中で一番入り口に近いところにある1年1組。
私たちが教室に入ると、すでに多数の生徒の姿があり、その中には入学式の時などにちょっかいをかけてきたローラの姿もあった。
彼女の周りには取り巻きと思われる女子生徒たちの姿があり、彼女はその中心にある椅子に座り、ご満悦だ。
これはかかわらない方が身のためだろう。
彼女だけでなく、取り巻きにも絡まれるようなことがあっては厄介だ。
自らの頭の中の危険信号に従って、私はそそくさと自分の席につく。
「おや、誰かと思えば田舎者のターシャ・アリゼラッテではありませんか」
しかし、非情にも彼女はこちらの存在に気づき、取り巻きを連れてこちらにやってくる。
「ローラさん。おはようございます。ご機嫌はいかがですか?」
話しかけてきたローラに対して、私は思い切り他人行儀な態度で返答をする。
「ご機嫌麗しくてよ。それにしても、田舎者は持ち物も貧相ですのね」
彼女は私の持っている筆箱(無料)を取り上げて中からペン(無料)を勝手に取り出す。
それを見て、彼女と取り巻きたちはクスクスと笑い声をあげる。
「田舎領主は娘に当たるお金もないみたいですわ。全く、この学校にいる資格なんてないのではないかしら?」
「あら、ローラさん。庶民もいる学校なのにそれは言いすぎですわ」
まずい。このままでは、再びメニーが怒りだして話が面倒なことになる。しかし、それを打開する手立てはない。私が怒りだしては本末転倒だし、だからといって誰かが助け舟を出してくれるということもないだろう。
「あら。ターシャ様は庶民である私たちに生活レベルを合わせることで交流を図ろうとしていらっしゃるのではないですか?」
この状況の打破をあきらめかけていたその時、突如としてそのような言葉が飛んでくる。
その声が聞こえてきた方向に振り向いてみると、濃い青色の髪を肩のあたりで切りそろえ、髪の毛と同じ色の瞳を持つ女子生徒が穏やかな表情でこちらに歩み寄ってきていた。
「初めまして。ターシャ様。わたくしはサントル。サントル・ロワノールですわ。以後お見知りおきを」
「えっえぇ……」
突然の登場。いきなりの様呼び。そして、ターシャを敬うような恭しい態度。もはや意味が分からないが、彼女が味方であることは確かだといえるだろう。
「……わたくし、ターシャ様のあいさつを聞いて感銘を受けましたの。話に効けば、あのあいさつはターシャ様が自らお考えになられたのだとか。本当に簡潔で素晴らしいものでしたわ。そのようなターシャ様を田舎者呼ばわりなど無礼にもほどがありますわ」
私に惹かれた理由を述べつつ、サントルはローラの方をにらみつける。
「なっなんなのですか! 我々貴族が庶民に寄り添うなど!」
「あら、そういうのも大切ですわ。『庶民を治めるためには、庶民の生活を知るべきである』シャルロ領初代領主マミ・シャルロッテの言葉です。あなたには領主の一族であるという自覚が間違った方向に育ってしまっている。それはこの学園において矯正されるべきだと思います。その点において、ターシャ様は素晴らしい。我々庶民のことを思って、我々庶民が持つような物と同じものを手にしていらっしゃる。ターシャ様のご親友であられるメニー様もそうですが、このような姿勢は本当に素晴らしいと思いますわ」
味方の登場と一瞬喜んでいたのだが、登場した見方は思いのほか面倒な人物だったようだ。
別段、私からすれば、お金がないから無料の筆記具を選んだまでで別に庶民がどうとかそういう感覚はなかったのだが、その行動は彼女の中では間違った方向に捕らえられてしまったようだ。一応、現在は都合のいい方向へと動いているが、これはなかなか油断ならない状況である。
「……庶民の分際で私に説教をするつもりですか?」
「そのつもりですが何か?」
「……ちっ今回はもういいですわ。次は覚えておきなさい」
サントルが引くことはないと判断したのか、ローラは舌打ちをしてから踵を返して元の場所へと戻っていく。
その背中を私とメニーは茫然と見つめ、同じくそれを見届けたサントルは満足げな笑みを浮かべて私の横に座る。
「お見苦しいところをお見せいたしましたこと謝罪いたします。それでは改めまして自己紹介を……私はサントルです。気軽にサンちゃんとでもお呼びください」
「えっと……知っているみたいだけど、私はターシャ・アリゼラッテよ。よろしく」
「メニー・メロエッテです。よろしくお願いします」
「はい。よろしくお願いします……そうですね。いろいろとお話をしたいところですけれど、そろそろ授業が始まりそうですし、あとにしましょうか」
サントルは笑顔のまま会話を終えると、私の方に一礼してから元来た方向へと立ち去っていく。
私とメニーはその背中を笑顔で見送ってから、それぞれ筆記具を机の上に広げ、ノートを机の上に置いた。




