35.エミリーとの練習と入学式へのカウントダウン
本日二話目の投稿です。
夕方。
私はエミリーから呼び出しを受けて彼女の部屋へと向かっていた。
呼び出した理由はほぼ間違いなく入学式のことだろう。いや、もしくは昼間に話していたバイトのことかもしれない。
そんなことを考えつつ、私は一人で廊下を歩いている。
「おや、ターシャさんじゃないですか」
そんな中、背中から聞き覚えのある声が聞こえてくる。
その声からして、話しかけてきているのは知り合いだと判断して、私は振り向きながらあいさつをする。
「おや、メリーさん。こんにちわ」
「えぇこんにちわ。こんなところで会うなんて奇遇ですね」
「えぇそうね」
今、私たちがいる場所は生徒たちが行き交う女子寮の廊下ではなく、男子寮と女子寮の間にある職員寮に向かう渡り廊下だ。仮に男子寮にいる人に用事があるなら、別のルートで行ける共有エリアに行けばいいので、ここにいるということはほぼ間違いなく職員に用事がある、もしくはあったということだ。
なので、職員に用事があるということがないであろう現状を踏まえると、この場で知り合いに会うというのはかなり偶然だと言えるだろう。
「ターシャさんは台本の件ですか?」
「えぇ。たぶんそうね。私はエミリー先生に呼ばれただけだから……メリーさんは?」
「私はその……バイトを紹介してもらいに。残念ながら、喧嘩別れのような形で家を出てしまったので手元のお金がなくて……」
「あーそうなんだ……」
確かに彼女は最初にあったときにシスターになりたいのに反対されたというようなことを言っていた。その結果が喧嘩別れなのだろう。
「あの。なんと言っていいか……」
こうなると、どう言った言葉をかけるべきか難しくなってくる。
台本の件でといっている時点で、私も一緒なのというのもなんか違うような気がするし、そもそも、私はエミリーから呼び出しを受けただけでその用事が何なのかという肝心な点について話を聞いていない。
裏を返せば、バイトの話である可能性もあれば、台本の話である可能性もあるのだ。
もっとも、入学式直前というこの状況を考えると、台本の練習なり修正といった話の可能性が高いのだが……
「大丈夫ですよ。私には私の事情がありますので……ターシャさんが気にする話ではありません」
「あぁいや、そういうつもりじゃ……」
もしかしたら、彼女はターシャが押し黙った理由を別の方向でとらえてしまったらしい。
曲りなりにも私は領主の娘だ。普通に考えれば、十分すぎるぐらいの小遣いが与えられているだろうし、それゆえに小遣いを与えられていない子供という現実を目の当たりにしたときに言葉をかけられないでいると思ったのだろう。
「それでは私はここで。また会いましょう」
それだけ言うと、メリーは女子寮の方へと去っていく。
それにしてもだ。彼女はいったいどこから現れたのだろうか? 話しかけてきたのは明らかに後ろからだし、彼女が話しかけるまでこの廊下では人の気配を感じなかったような気がする。
そんな事象に首をかしげながらも、私は事前に聞いていたエミリーの部屋へと向かった。
*
「失礼します」
事前にノックはなしでいいと聞いていたので、私は大きめの声で一声かけてから扉を開ける。
「その声はターシャか。こっちに来てくれ」
すると、部屋の奥の方から声が聞こえる。
その声に従うままに部屋の中に入っていくと、最初にあった時とは違いローブを脱いだエミリーの姿があった。
まぶしいほどの色をした金色の髪を肩のあたりまで伸ばし、青い瞳と病的なまでに白い肌を持つ彼女の姿はまるで西洋人形のようだ。
もちろん、本物の西洋人形と違って彼女は生きていて、感情を持ち、自分の意志で動いているのだが……
そんな彼女の手元にはターシャが書いた台本の写しがあり、これから台本の読み上げの練習をしようといった雰囲気を感じ取ることができる。
「ターシャが書いた原稿を見させてもらった。見事なものだな。子供とは思えない出来だ」
最初に彼女の口から飛び出したのは台本に対するお褒めの言葉だった。子供とは思えないという点に少々引っ掛かりを覚えるが、夢中で書いていたから多少そのようなことがあるのは仕方がないといえるだろう。
「さて、私がお前を呼び出した理由だが……わかっているな?」
「台本の読み上げの練習ですか?」
「あぁそうだ。一応言っておくが、バイトの件は入学式が終わってからだ。一応、新入生代表のあいさつに集中してもらう必要があるからな」
「はい。わかっています」
エミリーの言うことは十分すぎるぐらいわかる。
もしも、ここでバイトの話など余分な情報を入れて、入学式当日に向けた練習がおろそかになるようなことがあってはならないからだ。
「とにかく、入学式まではその練習に集中するんだ。それでは、台本を読む練習を始める。まずは台本を見ながら読んでみろ」
エミリーに言われ、私は台本を読み始める。
エミリーからはメニーに見てもらった時とはまた違った目線からのアドバイスが多数あり、例えばどこを強調して読んだ方がいいだとか、どういった表情を浮かべた方がいいなどの演技指導に近いものを感じる。
極端な話、エミリーからすれば入学式のあいさつというものをただ単調に読み上げるだけのもととはとらえず、きっちりと感情を込めた演技をするようにということを求めているのだ。
私としては、演技を頭に叩き込むと同時に台本の内容のあん肝同時に進めなくてはならないので、かなりの苦労が強いられるわけだが、選ばれたからにはやりきるしかないという精神で何とか乗り越えていく。
窓の外から差し込む日が傾き、徐々に暗くなってくると私の演技の腕はそこそこ上がり、台本も完ぺきとはいかないが何とか暗記出来てきた。
「うむ。よくできたな。そろそろ、夕食の時間だから、君のルームメイトを誘って夕食を食べに行こうか」
「はい」
練習を始めてからどれだけの時間がたっているかなどは考えていなかったが、これは彼女との練習を始めてから初めての長い休憩であるといえるだろう。
別段、彼女との練習の間全く休憩がなかったというわけではない。一応、一通り読み上げて、エミリーからのアドバイスを受けた後に10分間ほどの小休止をはさみながら練習をしていたのだ。
私としてはもっとみっちりと練習をつけてもらってもよかったのだが、エミリーから見れば私はただの新入生なのでみっちりと練習を付けたところで集中力が持続することはないと思っていたのだろう。
もちろん、それは間違っていないのだが、中身が大人な私としてはもう少しぐらいなら集中力を持たせることができたはずだ。
「そうだ。せっかくだから、食堂のおばあちゃんにお願いして、スペシャルメニューを出してもらったらいいかもしれないな」
そんなことを考えている私の横でエミリーがそんなことを言い出す。
スペシャルメニューとやらが何かはわからないが、この状況で言い出すということはある種のご褒美のようなものなのかもしれない。
「スペシャルメニューですか。なんだかよくわかりませんけれど、響きだけでワクワクします」
「そうだろそうだろ。私も響きだけでワクワクしてくるんだ。君と君のルームメイトのメニー・メロエッテと私の三人でスペシャルな夕食を食べようじゃないか」
練習を重ねるうちにすっかりと仲良くなってしまったエミリーと和気あいあいと会話を交わしながら、私はメリーが待っているであろう自室へ向けて歩き始めた。




