33.読み上げ練習と入学式へのカウントダウン
「ターちゃん。そろそろ起きてください。朝食の時間ですよ」
その声で私は重い瞼を上げる。
もう朝になったのか。
窓から差し込む朝日を見てそんなことを考える。
昨晩は疲れからか、すぐに熟睡してしまい夢すら見ずにあっという間に朝を迎えてしまった。
しかし、残念ながら私の役割は台本を書くことだけではない。入学式の時壇上に立って新入生代表としてあいさつをするのが私の役割だ。そういった意味ではこれからの練習が本来するべきことであり、これまでやってきたことは本来やらなくてもよかった余分な労働だったといえるだろう。
もっとも、読み上げの練習よりも前にやるべきことがあるというのもまた事実であるが……
頭の中で状況を整理しながら私はゆっくりと体を起こし、大きく伸びをする。
「おはよう。メロンちゃん」
「おはよう。ターちゃん」
お互いにあいさつを交わすと、私はベッドから出てメニーの前に立つ。
「それで、朝食の時間だっけ?」
「えぇ。食堂に向かいましょうか」
そう言いながら、メニーは曖昧な笑みを浮かべる。
その笑みに違和感を覚えて私は小さく首をかしげる。
「どうかしたの? メロンちゃん」
「……どうしたと言いますと?」
メニーが目をそらす。昨日のことを気にしているのだろうか? いや、それはない。昨日のことに関してはお互いにちゃんと納得しているはずだ。
そうなれば、次に考えられる可能性は私が寝ている間になにかがあったという可能性だ。
しかし、昨晩はメニーと一緒に寝たし、私が眠った後にメニーが起きた気配はない。別のベッドで寝ていたのならともかく、一人用のベッドで一緒に寝ていたのだから、彼女が起き上がってどこかに行ったりすればさすがに気づくはずだ。
「あのーターちゃん……そんなに見つめられても……」
じっとメニーの顔を見ながら考えていたせいか、メニーがそんなことを言って目をそらす。
絶対に何かおかしい。いつもと様子が違う。そう思うものの、私の中の何かがそう告げているだけで確証がない。
「ねぇメロンちゃん。本当に何もなかった? 例えば、私が寝ている間に何かをしたとか……」
メニーが夜中に何かをしたとして、それは何だろうか? それが気になってしょうがない。調べる方法があるにはあるのだが、あまり使いたい手ではない。
洗脳の魔法。
これを行使すれば、メニーの意思など関係なく昨晩の出来事を喋らせることができるだろう。“メニー。私が寝ている間の出来事を話して”そういうだけで彼女はうつろな目を浮かべて、嘘偽りなく昨晩の出来事を話してくれるだろう。ただ、洗脳されている間の記憶こそないものの、不自然に記憶が抜け落ちていればさすがに洗脳をされたと気づくだろうし、そのようなことをすれば、今後の友情に影響があるのは事実で、メニーの様子がちょっとおかしいという程度の話で使うべきではないだろう。
「……わかったわよ。これ以上は聞かないから、朝食を食べに行きましょう」
結局、私の出した答えは彼女と粘り強く話をして昨晩の出来事を聞き出すでも、洗脳の魔法を使うということでもなく、話をうやむやにして問題を先送りにするという選択だった。
私としてはメニーを心配していろいろと考えているのだが、メニーが何事もなかったかのようにふるまってどうしても人に話したくないのなら仕方がないだろう。それに彼女のことだ。私から無理に聞き出そうとしなくても、そのうち自ら話をしてくれるかもしれない。
そう結論付けて、今は彼女から話を聞かないことにする。
「はい。それでは食堂へ行きましょうか」
私が諦めたとわかった途端、メニーはいつも通りの笑顔を浮かべて、私の手を取る。
私がしっかりと彼女の手を握ると、私たちは手をつないだまま食堂へと向かった。
*
食堂で食事をとった後、私は台本をエミリーのところまで持っていった。
急いで書いた割には結果は上々でほとんど修正なく承認を得て、さっそく部屋で読み上げの練習に入っていた。
「……そうですね。ちょっと早口で聞き取りづらいですね」
しかし、一人で読んでいても意味がないので、メニーに一回一回評価をしてもらうという形で練習を重ねていた。
いきなりのお願いであったにもかかわらず、メニーは快諾してくれて、読み上げるたびに早口だの、読むのが遅いだの、ここが聞き取りづらいだのとアドバイスをくれる。
私はそれを受けて一回一回話し方を修正し、徐々に理想的なスピーチへと近づけていく。もちろん、ある程度練習をしたらエミリーにも見てもらってアドバイスをもらうつもりだ。
私はメニーからのアドバイスを踏まえてもう一度読み始める。
この過程において大切なのはただ単に読むだけではなく、台本の内容を確実に覚え、当日間違えずに読めるようにすることだ。
自分で書いた台本とはいえ、完全に覚えているということはないし、急いで書いたせいかところどころ記憶があやふやなところがある。
そんな記憶を補足するように私は必死で自分が書いた台本に食らいつく。
正直なところ、読んでいる中で一つや二つ直したいところが出てくるのだが、エミリーの承認は得ているし、何よりも時間がないのでこれ以上の修正による混乱は勘弁したいところだ。
そう考えて、私は目の前の台本に集中する。
すると、思いのほかスムーズに頭の中に情報が入ってくる。
どういう仕組みかはわからないが、いつもよりもはるかに集中力と記憶力が上がっているような気がするのだ。その理由まではわからないが、この状況を利用できる限りは全力で使い続けるべきだろう。
「……そうだ。そろそろ、息抜きも兼ねて入学前にそろえるものを買いに行きませんか?」
謎の集中力が発揮されてから約一時間。
突如として聞こえてきたメニーの声でその集中は途切れる。おそらく、食い入るように台本を見続けていたので心配されたのかもしれない。
「……そうね。確かにちゃんと入学準備も整えておかないと……何を買っておけばいいんだっけ?」
「それはこちらのリストにあります。えっと……教科書や魔道具は学校からの支給ですので、必要になってくるのは文具やノートといったもののようですね。これぐらいなら売店に売っているでしょうし、一緒に行ってみましょうか」
「えぇそれはいいけれど……」
簡単に入学に必要な道具をそろえるという話をしてしまっていたが、それには一つ問題がある。
そういったものを購入するための資金がないのだ。
家を出るとき、そのたぐいのお金は渡されなかったので、すっかりとお金を使わなくても生活できるのだろうと考えていたのだが、現にメニーは実家から渡されているお小遣いで果物の詰め合わせを買ってきたし、売店に行くという彼女の言葉からして文具やノートは買うものなのだろう。
「……実は私、お金持ってなくてさ……やっぱり、お金出さないと買えないよね?」
結局、私にできることといえば素直に現状を吐露することぐらいである。
台本の件といい、お小遣いの件といい、アリゼラッテ家は私をどういう風に教育したいのだろうか? どうせ、そういうことをするのならきっちりと目的を説明するなりなんなりしてほしいところである。
「大丈夫ですよ。お菓子や果物といったものに関しては値段がついていましたが、文具やノートといった勉学に必要なものはただでしたから。まぁでも、なんにしてもお金がないのは困りましたね。家に手紙を書いて送金をお願いしてみたらどうですか?」
「……はぁそうだね。やってみるよ」
おそらく望み薄だけど。
心の中でそう付け足して、私は小さく笑みを浮かべる。そもそも、旅立つときにお小遣いを持たせなかったのだ。要求したところでわざわざ送ってはくれないだろう。
私の頭の中ではそんな諦めに近い感情で支配されていた。
「さぁさ、売店に行きましょう」
「えぇ。そうね」
私はメニーと二人並んで部屋を出て、共有スペースにある売店へと向かった。




