31.台本作りと入学式へのカウントダウン(前編)
台本作りをはじめてから約2時間。
私はメニーの膝の上で至福のひとときを過ごしていた。
「ターちゃん。台本は?」
「今考えてるの。もうちょっとこうしてたい」
あーでもない。こーでもないと台本を考え続けた結果、ついに私の集中力は底をつき、正座をする(なぜか教えなくてもやってくれた。そういう文化がどこかにあるのだろうか?)メニーの膝に頭をのせて、柔らかく、小さな手でひたすら頭を撫でてもらっている。せっかくだから、耳掻きぐらいしてもらいたいところだが、道具がない上に人にやってもらうというのは何となく怖いのでやめておく。
「ターちゃん」
「なに?」
「そろそろ足が……」
しかしながら、足のしびれという割りと深刻な問題を訴えられては仕方がない。私は渋々顔をあげる。
しかし、それをしたからには机に向かわなくてはならない。一応、そういう約束で先程までの行動が許されていたのだ。
私は少しふらつきながら机に向かう。
“今日この日、この学校に入学するに当たってあいさつをいたします”
これが、今書けている全文である。二時間だけしか考えていないだとか、旅の疲れからか集中力が全然持たなくて、メニーの膝の上で半分寝てただとかいろいろ要因があるのだが、簡単にいってしまえば、状況は最悪である。
そもそも、こちらの世界においてこういうときにどんなあいさつをするのか知らないし、文章を書くならちゃんと子供らしくする必要がある。さらに言えば、アリゼラッテ家の人間として恥になるような行動をして、それが本家に伝われば、私の立場が危うくなる。そもそも、私の立場がよくわかっていないものの、中身がどうであれ今の私は領主の娘であり、それ以前にこの世界の住民である。
そうなれば、そういった立場らしく振る舞うのは常識であり、この世界に溶け込むということはまさしく必然である。
「ターちゃん。頑張ってくださいね」
そんな台本とは全く関係のないことを考えている私に対しての応援がぐさりと刺さる。
「うん。ありがとう」
しかし、それを悟られるわけには行かないので、私はいかにも健気な感じの笑顔をつくって返事をする。
「そうだ。なにかほしいものはありますか? 確か、女子寮の中に売店があるはずですから、そこで買えるものなら買ってきますよ」
「えっ? あぁじゃあ、なにか甘いものがいいかな」
「わかりました。行ってくるので書いててくださいね。台本」
まるでなにも考えてなかったことを見抜いていたかのようにそう言うと、メニーは小さく笑みを浮かべたまま部屋から出ていく。
私は笑顔でそれを見送ったあと、改めて机に向かう。
「さて、どういうあいさつをしようかな……」
いっそのこと、無知な子供という免罪符を使って日本的なあいさつをしてしまおうか? いや、それはそれでどこでそれを学び、そのような発想に至ったのかという疑念を持たれかねない。ともなれば、不自然ではない程度に子供らしさを重視した元気一杯なあいさつをするべきなのだろうか? それはそれでなにか違うような気がする。
そんなことを考えている中、背後で扉が開く音がして、パタパタという足音が聞こえてくる。
それが本の少しだけ続いたあと、机の上に色とりどりの果物が入ったバスケットが置かれた。
「ターちゃん。季節の果物の盛り合わせを買ってきました。食べてくださいね」
「ありがとう」
甘いもの。そう言ったからにはお菓子を買ってくるかと思ったのだが、これはこれでありがたい。
私はバスケットの中からリンゴぐらいの大きさがある赤い果物を取り出すと、そのままかぶりついた。
「……うん。甘くて、みずみずしい。それでいてしつこくない感じがあって、口当たりもなめらか……」
「……あの、普通に美味しいって言うだけじゃダメなんですか?」
台本疲れからか、思わず食レポのようなことをしてしまったのだが、メニーには受けなかったらしい。こういう形で表現力を高めるというのは大切なことだと思うのだが……
そんなことはさておいて、この食べ方は正しかったのだろうか? お腹が空いていたこともあって、なにも考えずに皮すら剥かずに食べてしまったわけだが、もしかしたら丁寧に皮を剥いたりするのが正解だったのだろうか?
メニーがなにも言わない辺り、間違ってはいないと信じたいが、内心ではしたないだとか、そんな食べ方するんだ何て思われていたらなどと考えると、心中穏やかではない。
「……あの。本当に美味しいと思ってますか?」
果物を見つめたまま固まってしまった私を見て不安になったのか、メニーから声がかかる。
「えっあぁ美味しいよ」
「本当ですか? もし、口に合わないなら別のものを買ってきますけど」
「本当に美味しいから。大丈夫」
まさか、この果物の食べ方を考えたいた何て言うわけには行かない。知らないことは知らないというべきなのはわかっているのだが、食べてしまってからどうやって食べるの? などと質問をするのはあまりにも滑稽だ。
私はそのままのスタイルで果物を食べ続ける。
「それにしても、ターちゃんは豪快ですね。普通は皮を剥いてから食べると思うのですけれど」
どうやら、私の食べ方は不正解だったらしい。もっとも、メニーから出た見解は皮ごと食べるのは豪快だという程度なので食べてはいけないということはないのだろう。
「それにしても、台本を考えるというのも大変ですね。なにかお手伝いができればいいのですけれど……」
「そこは大丈夫。台本ができたら練習に付き合ってくれればいいだけだから」
「そうですか……」
私の言葉に彼女は少し残念そうな表情を浮かべる。おそらく、力になれなくて落ち込んでいるのだろう。
実際問題、メニーに台本から手伝ってもらうのはやぶさかではないのだが、それでは“私が書いた台本”ではなくなってしまう。普通に考えればそれでも構わないのだが、それをしてしまうとなにかに負けた気になるので出来れば避けたいところだ。ある種の最終手段だと言ってもいい。
さて、そんなことはさておいて私は果物を食べきったあとに改めてペンを手にとり、台本の中身を考え始める。とりあえず、書くだけ書いてみて変なところは修正すればいいだろう。考えとしてはそんなところだ。
そんな方向に考えを切り替えた私は、ゆっくりではあるが、確実に台本を書き進めていった。
*
台本を書きはじめてから約5時間。
私はベッドの上で寝転んでいた。まだ陽は高いところにあるのだが、昼食をとったばかりということもあり、少し眠くなってしまったのだ。
少し昼寝をしたら続きをしよう。半ば強引にベッドに引き込んだメニーを抱き枕がわりにしながら私は考える。
いつもされていることへの仕返しという意味も込めてこういった行動に出てみたが、真正面から行くのは少し恥ずかしかったので、私は彼女の背中にピッタリと張り付き、腕と足でしっかりとホールドしている。メニーと一緒に学校へ向けて出発した当初の自分であれば、これすらも出来なかったと思うのだが、メニーとの数々の接触を経て、女の子とのスキンシップにも随分と慣れてきたような気がする。
「ターちゃん? 寝ちゃいましたか?」
「……まだ起きてるよ」
「……そうですか。わかりました」
なんの確認だろうか? そんな疑問を持ちながらも、私は心地のよい眠気に負けてそのまま意識をそれに委ねていく。
意識が眠りの中に落ちていく過程でメニーが何か言っているような気がしたのだが、それを聞き取ることなく、私の意識は深く沈んでいった。




