3.魔法についての勉強(前編)
私が洗脳の魔法について教えてもらった次の日。
大きな窓から漏れる朝日で目覚めた私は真っ先に鏡を確認する。
そこに写っているのはピンクのネグリジェに身を包んだ、長い緑髪に白い肌、右が赤、左が青のオッドアイといった特徴をもつ5才児だ。やはり、朝になったらもとの男子高校生に戻っているなどという都合のいいことはないらしい。
「……どうして、こうなったんだろうな」
今の時間はルナも別室で休んでいることから、口調を記憶に合わせることもせずにつぶやいてみせる。
よくあるラノベのように神様に会ったわけでもないし、誰かに手違いで死んでしまったのだと告げられたわけでもない。起こっている現象は、5才児に前世の記憶がよみがえったというだけのことだ。
おそらく、この状況がいかにして起こったのかということに関しての説明は一生してもらえないだろう。なぜなら、これが誰かに仕組まれたなどという壮大な話でもない限り、説明できる人間がいないからだ。
「……おはようごさいます。ターシャ様。失礼してもよろしいでしょうか?」
今の状況に関して考えている間にルナが来る時間になってしまったようだ。私は頭の中を幼女モードに切り替える。
「おはよう。ル……メイドさん。入っていいよ」
「はい。失礼いたします」
ルナはゆっくりと扉を開けて部屋の中に入り、深々と一礼をする。
その顔には満面の笑みを浮かべていて、その事実が私を安心される。昨日、名前を聞いてしまったせいでうっかりと名前を言いそうになってしまったからだ。この魔法が、完全にその個人の名前を呼ばないと成立しないものだという事実にまず安心する。
うっかり名前を呼びそうになったときにいちいち何かしらの洗脳が働いていてはきりがないからだ。
「あらあら、ターシャ様。私は気にしませんので、私でどんどん魔法の練習をしてもいいのですよ」
私が名前を呼びそうになったのを、魔法を使おうとして躊躇したのだととらえたのか、ルナは笑顔でとんでもない提案をしてくる。
「ううん。大丈夫」
私としては、昨日みたく虚ろな目のルナに接するのは嫌なのでそれを断るが、ルナは残念そうな表情を浮かべて目を伏せる。
「……そうですか」
「……えっと、ほら。勉強に付き合ってくれるって昨日約束してくれたでしょ。だから、そのあとの方がいいかなって思ったの」
ルナをがっかりさせるわけには行かない。そんな思いから、思わずあとから洗脳の魔法を使うと口走ってしまう。
「いや、やっぱり……」
「本当ですか! ありがとうございます!」
その事実に気づいて撤回しようとしたが、満面の笑みを浮かべて詰め寄ってくるルナを前に私は後ずさりをする。いったい、どんな教育を受けたら、このようなメイドに育つのだろうか。普通、洗脳されて、自分の意思を奪われたら恐怖を覚え、術者を避けたくなるのが普通だ。
しかし、目の前にいるメイドはどうだろうか。仕事として、自らの体を実験台として差し出すというところまではともかく、その行為に喜びすら感じているように見える。それ自体が私に魔法を使わせるための演技である可能性は否定しないが、仮に本当に喜んでいるのだとしたら……いや、それはない。絶対にない。自分の意思を奪われて喜ぶ人間などいない。だからこそ、これは私に積極的に魔法を使わせるための演技なのだろう。そうだ。そうに決まってる。
「魔法の勉強が終わるまでにちゃんと考えておくね」
そこまで汲み取った上で私はルナに満面の笑みを浮かべる。
それに対して、ルナは目をうるうるとさせながら、深く頭を下げる。
「ありがたき幸せでございます」
演技にしても、ちょっと大袈裟すぎるのではないだろうかとも思ったが、気にしたら負けてしまう気がしたので、私は考えることを放棄する。
「それでは、お着替えが終わったら魔法についての勉強をしましょうね」
必死で作っている笑顔の裏に隠れた私の心情など知るはずもないルナは笑顔を浮かべていつも通りに私の着替えの準備を始めた。
*
「さて、魔法の勉強を始めますよ。詳しい話については将来、学校で習うので、簡単な基礎だけお勉強しましょうね」
いつも通りの着替えが終わり、昨日と同じように個室に誘導された私はさっそく、ルナから魔法についての勉強を受けることにした。できれば、これをなるべく先延ばしにして魔法を使うのをできる限り遅らせようと画策していたのだが、どういうわけかいつもよりも迅速に準備が済まされてしまったため、不服ながらかなり早いタイミングで魔法の勉強が始まってしまった。こうなったら、次なる手は質問攻めだろう。なんとか、彼女を困らせるような質問をぶつけて時間を稼ごう。
「まず、魔法を使うためには魔力が必要になります」
そんな、私の心情など知る由もないルナは意気揚々とした様子で魔法についての説明を始める。
「この世界において魔法というのはすべての人間が持つ魔力を何かしらの形で外へ放出することを言います。この外へ魔力を放出する方法や形というのは様々でターシャ様の洗脳の魔法のように口に出すだけでいいモノから儀式が必要なモノ、特定の道具を使うモノなど様々です」
「言葉の場合は何か呪文がいるの?」
「はい。中にはそういうものもありますね。そういったものは、おそらく学校で習うことになるでしょう」
「学校って?」
「7歳以上が入れるところで、みんなでお勉強をするところです。主に魔法が中心で、ほかにも計算や文字の読み書きなども勉強しますね」
質問攻め作戦は今のところ順調だ。
無邪気な幼女を装いながら知りたい情報を引き出しつつ、魔法を使うまでの時間を先延ばしにする。我ながら最高の作戦である。
「学校には誰でも通えるの?」
「いいえ、学校に通えるのは領主や貴族の関係者をはじめとした入学金と呼ばれるお金を払える人たちだけがいけます。中には無料で子供に勉強を教えている人もいるそうですが、そのようなものは学校とは呼べませんね」
「そうなんだ」
どうやら、この世界には義務教育というものはないらしい。もっとも、この世界にはこの世界の事情があるだろうから、なぜ貧しい子供は学べないのかと言い張るつもりはないが、もしも、機会があるのなら、そういった学舎のようなものを作るというのもありかもしれない。もちろん、作れるほどの財力と権力、人材を手に入れられたらであるが……
「その学校っていうのはどこにあるの?」
「そうですね。ターシャ様の場合は帝都にある帝都魔法大学校にご入学ということになるかと思います。帝都魔法大学校はこの国の帝都という町にありまして、この世の中にある学校で一番優れている学校ですね」
彼女が言う言葉をそのままうのみにすれば、私は帝都魔法大学校という名前の最高峰の学校に通わせてもらえるらしい。帝都というのがどの程度遠い場所にあるのかわからないが、移動手段が馬車ぐらいしかないので、もしかしたら寮に入って学校生活を送るなどということもあるかも知れない。
私は、その学校での生活を聞いてみようと思ったが、喉元まで出かかったところで思いとどまる。
「ふーん。そういうのよくわからない」
「そのうちわかりますよ」
「ねぇねぇ次は? 次は?」
あまりこのことばかり聞いても不自然だろう。そう判断して、私は幼子のような態度を意識しながら、次の話を促した。