15.出発の日
私の誕生日会から月日は流れ、ついに季節は春を迎えた。
結局、この数ヵ月の間でメニーの家を訪問するという約束は守れず、代わりといっては何だが、今はこうして家の玄関先に立ってメニーを乗せた馬車がやってくるのを今か今かと待っている。
久しぶりに見た玄関先からの風景は上は青空と新緑、正面は今まさに咲きほころうとしている花々、足元はきれいに整備された石畳とその間から顔を出す青々とした雑草といったいかにも春らしい風景だ。
「ついにご入学ですね」
そんな中、わざわざ見送りのために玄関先までついてきてくれるのはサニーと非常に不本意ではあるが、必死に涙をこらえているルナだ。正直な話、ルナにはすぐに退場願いたいところだが、どうせ出発してしまえば学校は全寮制であり、しばらく会うことはないのでそこまでする必要はないだろう。
そんな変態メイドのことよりも今はメニーだ。
私はこれでもかというほどに首を長くして、彼女が来るであろう方向を見続ける。
その状態が約一時間も続けば、いい加減彼女の到着が遅れていると悟り始めるわけだが、それでも私は屋敷の中に入らずに彼女の到着を待つ。
今回、学校への入学に際してはメニーの乗った馬車に相乗りさせてもらうという話になっており、その条項をスムーズに終わらせるためにこうして玄関先で待っているのだから、中に入ってしまっては意味がなくなってしまうのだ。もちろん、メニーに早く会いたいという気持ちもあるのだが……
「ターシャ様。見えてきましたよ」
そんな中、サニーから声がかかる。
「本当!?」
私はその言葉を待っていましたと言わんばかりに彼女が指を指した方へと視線を送る。
すると、遠くの方に微かに馬車の影が見えてきた。
「メロンちゃーん!」
私はその馬車に向けて大きくてを振る。
そうしていると、向こうの方から手を振り返されている……気がした。
そうして、しばらく手を振っていると、馬車の影は徐々に大きくなり、ハッキリとその形とその窓から手を振っている人影が見え始める。
「やっぱりメロンちゃんの馬車だ!」
その人影がメニーのものであるという確証を持った私はその馬車に向かって走り始める。
「ターシャ様!」
その行動に驚いたのか、ルナが声をあげるが気にしない。
私は馬車の近くまで行くと、道の端に避ける。すると、メニーを乗せた馬車は私のすぐ目の前で止まった。
「ターちゃん。久しぶりですね」
「そうだね」
「さぁ乗ってください。早速出発しますから」
メニーのその言葉とともに馬車の扉が開かれる。どうやら、メニーが内側から開けてくれたらしい。
その頃になると、玄関先にいたルナとサニーもやって来て、馬車のそばに立つ。
「いってらっしゃいませ。ターシャ様」
そう言い終わると、サニーは深々と頭を下げる。
「ターシャ様。どうぞご自愛ください。私たちはターシャ様がしっかりと学び、健康に帰ってくることを願っております」
続いて、ルナが頭を深々と下げる。
「うん。ありがとう」
私は見送りに来てくれた二人に感謝の言葉を述べてから馬車に乗り込む。
「それでは、行きますね。出してください」
それを確認すると、メニーは扉を閉めてから御者に馬車を出すようにと指示を出す。
「かしこまりました」
手綱を握る初老の御者は小さく笑みを浮かべてから馬車を出す。
私が住んでいるアリゼ領から帝都にあるという帝都魔法大学校までの旅程は約1年だそうだ。そのため、来年春の入学式に間に合うようにこうして、6歳の春に二人で出発したのである。
「さて、ターちゃん。久しぶりだね」
「うん。久しぶり」
馬車の中で二人は改めてあいさつを交わし、再開を喜び会う。
「本当はもう少し余裕をもって出て、一緒に各地の名所を見ながら向かいたかったのですが、どうしても馬車の都合がつかなくて……ギリギリになってしまってすみません」
どうやら、彼女は名所巡りをしようとしていたらしい。その事自体、今初めて知ったのだが、その事に関してメニーは申し訳なさそうな表情を浮かべている。
「いいよ。私はね。メロンちゃんとこうして学校に行けるだけでうれしいから。それに名所巡りは一緒に卒業して、その帰りにすればいいでしょ?」
私の言葉でメニーの表情がパッと明るくなる。
「そうですね。そうしましょう」
また、未来の約束が一つ増えた。私はそんなことを考えながらも、小さく笑みを浮かべて返答をする。
「そうだ。メロンちゃん。せっかくの再開だから一杯お話をしましょうか」
「はい。いいですね」
この世界にはゲームはないし、紙の本は貴重品だ。そんな中で道中の暇を潰せるのは彼女との楽しい話ぐらいだろう。
もちろん、始めて見る屋敷の周辺以外の風景も楽しみではあるのだが……
そんな中、ガタガタと揺れる馬車の中でメニーの話が始まる。
「そう言えば、ターちゃんの誕生日会のあとの話なんですけれどね……」
そこからは以前と同じようにメニーの独壇場であり、私はひたすら聞き役に徹する。
時々相づちを打ち、時に自分の意見を述べる。たったそれだけの出来事なのだが、私にとってはその時間がたまらないぐらいに愛おしくて、楽しい時間だ。
そうして話をしている間にも、馬車は東進し続け、最初の町に到達する。
「……これが町……」
町に入ると同時に私たちは一旦会話を中断し、窓の外に視線を送る。
「町を見るのは初めてなのですか?」
「うん。これまで屋敷からほとんどだしてもらったことがないから……」
「そうなんですね。でも、これからはたくさんの宿場町や小さな町村を経由していくので、飽きるほど町が見れると思いますよ」
「それは楽しみね」
メニーの言葉に対して、私は満面の笑みで返答をする。
「はぁすでに宿で泊まるのが楽しみね」
「うん。私も楽しみ」
私たちを乗せた馬車はそのまま町を抜けて、森の中に入る。
今、馬車が走っているのはアリゼシャルロ連絡大街道と呼ばれている街道だ。これは、アリゼ領の中心街からシャルロ領の西部に至る道で、私たちを一行はそこから、シャルロ西街道、北央大街道を経由して帝都へ至るのだ。
その道中で気になるスポットと言えば、翼下十六国と呼ばれるこの地域の中で一番大きく、歴史のある町であるシャルロシティだろう。
シャルロシティは統一国最後のフロンティアである翼下十六国の入り口にある町であると同時に翼下十六国で一番古い町だ。
その規模は周囲の領や州の中心街とは比べ物にならないらしく、帝都やそのほか一般的に大きいといわれる町ほどではないにしろ、かなりの規模を誇っているらしい。
そんなシャルロシティまでは約二か月で到達するそうだ。
それにしても、馬車の速度に限界があるとはいえ、帝都まで一年の所要時間があるあたり、帝国の領土は相当広大だとみて間違いない。具体的に地図を見たりということをしたことないのでわからないが、北の端の方を出発しているとはいえ、毎日移動をし続けて一年かかるのだから、みずからの想像を絶するほどにこの国は広いのだろう。
そもそも、この世界がどの程度広いのかすらわかっていないが、それはそれで世界についての想像が膨らむ。
学校への入学というイベントを機に始まった私の旅は希望に満ち溢れ、楽しいものであることに間違いはないだろう。
片道一年という所要時間の関係上、長期の休みに実家に帰るなんて言うことはできないが、それも卒業までの辛抱だし、向こうで友達を作ることができれば、きっとそれもさみしくはない。
私はそんな希望を胸に窓の外を流れる風景を見つめていた。