修行と虐められっ子?
「ハッ!」
気合の一声と共に斬撃が繰り出される。風を凪ぐ「ひゅっ」という音を伴って放たれた一撃は上段から下段への振り下ろし、肩口から斬りこむ袈裟切りとなって撃ち放たれる。その一撃に対して剣の術者と相対する軍服に無精髭を生やした中年の男は一歩下がるだけでその一撃を躱す。
「おっとっと」
人を殺傷する武器を前にして何ともはや軽い動作である。空を斬った剣はそのまま地面に振り下ろされんとして―――返す剣で足元、膝を横切りに凪ぐ。しかしこの一撃も男はひょいっと呆気なく回避した。
「ふっ、はっ、せい!」
「あっと、おっと、うぉっと……殺意高くないですかね? 坊ちゃん?」
斬! 斬! 斬! と連撃。先ほどまで型に沿ったような剣術を繰り返してきた剣の使い手は何処か苛立ち気味に剣を連続して振るう。それらは最初こそ足や腕を狙った攻撃であったものの、徐々に胴体や首元と言う受ければ致命的となる部位を狙って攻撃しだす。しかし、相手の、軍服の男はそれら連撃すら飄々と回避して見せる。そのきっちり剣を見て攻撃を除ける動作は実に戦い慣れていることを素人目にも分からせる。というのも男は現役の軍人である。しかも成人して……フランドールの成人は十五歳……からおよそ今日、三十四歳となるまでずっと戦いの中に身を置いてきた。
対する相手は曰く七歳で剣を持ち、今の十二歳になるまでの五年間しか戦いを知らない。それも実戦ではなく訓練のである。無精髭の男―――アレクサンダー・ローガンからすれば正しく子供の相手をしているようなものだ。ゆえに繰り出される剣を呆気なく躱して見せることが出来る。経験が違うのだ。
相手方もそれは分かっているのだろうが―――それはそうと飄々と余裕にかまけて一応は五年間も鍛えている剣術を回避されるのは尺に触るし、後、何か「こんなモンですかい」とでも言いたげなその表情に目にモノを見せてやりたいといったところか。
「奔れ!」
「うぇい!?」
と、自棄になった感極まる剣の術者……フィートは遂に苛立ちの極地を迎えたのか、半ば八つ当たり気味に手に持った剣をぶん投げた。仮にも剣士が自ら武器を手放す、しかも戦術もヘッタくれもない適当さ加減。ここに一流の戦士が居たら失笑モノだろう……但し、この場面においてはその一流の戦士の度肝を抜くことに成功した。
先ほどまでキッチリ剣術という形態をとっていた少年がいきなり剣を投げ捨てたのだ。しかも今に至るまでローガンは余裕綽々の状態、要は所詮子供と慢心していたのだ。そこに投げ込まれた予想外の一撃。戦いとはある種音楽めいたリズムがモノをいうものであり、見事、その今まで刻まれてきた均衡と言うリズムをフィートは計らずして崩して見せた。
想定外の一撃に裏返った声でぶん投げられた剣を横っ飛びで躱すローガン。この瞬間、ローガンの意識は相手から飛んで来る剣に向いていた。そしてその隙を、仮にも五年の訓練をしてきたフィートが見逃すはずがない。五年前に比べ伸びたとはいえ、まだ小柄な体躯で即座にローガンの元まで駆け抜けると彼は飄々としたムカつく顔面を殴り……飛ばさず力の限り急所に正拳突きを叩き込んだ。―――ローガンは男である。即ち、彼にとっての一番の急所とは、
「ッオオオオオオオォォォォォォォォォォ、ッ、ッ!!?」
「ふう……」
やりきった感で額の汗を拭うフィート。急所を押さえて悶絶するローガン。技名、金的。……それが齎す結果は男性諸君ならば説明するまでもないだろう。這い寄る激痛にローガンは暫くの間地面に転がり悶絶するのであった。
☆
「俺に戦う術を教えてください!」
そう言って、剣術の修行を始めることとなったのは今から七年前。シックザールの森での怪魔出現事件から三日と経たない日であった。あの日、何も出来ずに死にかけた俺は助けに駆けつけた俺の父、ヨシュア・クラウゼル=シックザールのお蔭でクリストフ共々命を拾った。その後、本邸に帰るなり激怒するアリオスさんに怒られたり、母親に泣かれたり、それを傍目で見て苦笑する父が居たりととんでもない騒ぎになった。当然である。本家筋の一人息子と分家とはいえこちらの一人息子……しかも国防の要の……が共に命を落としていたかもしれない大事件である。こちら側に非があるとしてもそれを止められなかった大人側にも問題がある。ということで事件直後は俺もクリストフも見張りを付けられたりした。
それから間もない頃に俺は事件のせいで俺を暫く監督することになったヨシュア、つまり父さんに頭を下げて身を守る術の教授を願った。あの日何も出来なかったということもあったがそれ以上に、命の危険がそこら辺に転がっている事実を改めて認識して今のままじゃいけないということを深く実感したことが一番だった。後、一応は幼馴染で唯一の友人であったクリストフのこともある。次期当主の命を危険にさらしたこと、転生者とはいえ……いや、精神がある程度完成されている転生者だからこそ、自分より精神年齢的に遥か年下の子供を守れなかったことは俺に後悔を覚えさせた。
だからこそ、即急に。戦う術を……守る術を俺は父に願った。父は困ったような笑みを浮かべて少しばかり考え込んだ後、やはり困ったように了承した。とはいえ、その時はまだ五歳。肉体的に不完全な時期であり、下手に訓練を積めば返って悪影響になるとのことで戦闘術の教科書や戦術を教わるに留まった。肉体的訓練を課したのはその二年後。まともに剣を振るったのはさらに三年後だったか。
詰まる所、俺が実際に剣の修行を開始してから未だ二年と経過していないのだが……。
「ぼ、坊ちゃん。流血沙汰の訓練とはいえ、やってはならんことってもんがあるでしょうに……」
「隙あれば討て。ローガン師の言葉ですよ、ねえ」
「うわ、凄い嫌味……」
復活したローガンを見て笑みを浮かべながら丁寧口調で俺は言う。無論、中身は彼の言うように嫌味に満ちたそれであったが。因みに目の前のローガンという男は多忙で家に余り居付けない父が変わりに寄越した修行相手である。十歳から二年間。今までの修行は主にこの男との果し合いであった。
「いやあ、それにしても坊ちゃん相手に一撃貰うたぁ予想外でした。坊ちゃんも、成長してるってことなんでしょうかねえ?」
「どういう意味だ? それ?」
「そのまんまの意味ですよ。ほら、坊ちゃん。剣術は才能ないじゃないですか。まあ、剣術って言うより近距離戦闘術が、ですが」
「才能ないって少しはオブラートに包んだらどうなんだ……」
ローガンの包み隠さないその一言に俺は思わず苦虫を潰したような顔をする。そう、彼の言う通り、俺には剣術、近距離戦闘術の才能がなかった。本格的な修行が始まって間もない頃、俺は父に得物を定めておけと言われた。曰く、武器は複数の分野を極めるより一つを徹底して鍛えた方がよろしいとのこと。よく、前世の戦いモノアニメで見た全ての武器を使いこなすというのは言うは簡単だが、やってみると不可能に近いことがある。まず武器の基本的な動作や基礎自体が各々異なり、さらにそこから応用となると馬鹿にならない戦術幅になる。全て使いこなすというのは全ての武器に相応以上の才能があり、かつ恐ろしい年月の間実戦経験と訓練を積みかさねなければならないとのこと。
あくまで護身に限った術を身に付けたい俺はそこまでして全ての技を極めたいわけでも才能があるわけでもないので全て極めようとは思わないが……そしてその肝心の武器を選ぶ際に判明したことこそ、俺に近距離武器を扱った戦闘の才能はないということである。
剣、槍、斧、薙刀……色々試してきたがしっくりきた物はない。しかも、どれも基礎を覚えるところまでは訓練し、いざ実戦とやってみると全く上手く戦えない。素人だから、という話ではない。俺には近距離戦闘の才能がなかったのだ。実際、今回の試合も不意討ちでなければあのまま俺は呆気なく捌かれ続けて終わっただろう。あの父の息子だから剣を―――という思いがなかったわけではないが、俺はそうそうに諦めた。俺が欲しいのは戦う術であって、父の如き鬼神の強さになることではないのだから。
変わりに他に才能があった。投擲武器の才能は十分以上にあるらしい。弓が比較的得意な部類に入り、これがナイフ等の投擲武器になると才能ありの判定になる。納得できる部分はあった。確かに初めて投げナイフに触れた当日に百メートルの距離で的を狙って中心を射抜くことが出来たのだ。何となくキッチリ嵌ったような感覚もあったし、これが自分の武器だっていう感じもあった。
なので今は投擲武器を主武装に据えて訓練をしている……とはいえ、踏み込まれたら終わりで近距離では戦えないなんてことにならないように剣術の修行は毎日積んでいる。お蔭で三流の使い手は負けないレベルまでには上達した。これが一流や父クラスの超一流ともなると一方的にやられて終わるのだが。
「それにしても坊ちゃん。適当に投げて俺を捕える命中率とは、流石。剣はからっきしでも投擲となると恐ろしい腕前ですね。アレは凄い焦りましたぜ」
「の割りにはしっかり躱していただろう。適当とはいえ、当たる確信はあったんだけど?」
「そりゃあ戦場じゃあ不意討ち上等ですし、怪魔なんかも時たま予想外の攻撃をしてきます。不意討ちには慣れているんですよ。兵士は勝つ術より生き残る術に長けてますからねえ。あ、坊ちゃんの父君は例外ですよ。ありゃあ、英雄とかそういう人種ですからね。天が常に味方するって言うか天を無理矢理味方につけるっていうか」
「ああ、言わなくていい。俺も分かってるから」
遠い目をするローガンに俺も同調する。戦う術を身に付けて改めて実感したが、父は最早人間を止めていた。怪魔とは通常、兵士が十人がかりでようやく討伐できる敵である。それを一人で倒すところからして尋常ではないということは分かるが、訓練と言う形式を取って父と初めて試合をしたところ出鱈目さ加減を凄く実感するハメになった。
まず攻撃が当たっているのに当たらない。……のっけから矛盾したわけの分からないことであるが事実そうであるのだから性質が悪い。本人曰く「当たった攻撃に逆らうからこそ衝突が起き、結果として傷付くのだ。ならば攻撃に逆らわず柳の如くあれば、いかな攻撃も風の如くに流すことが出来る」とのこと。恐らく体捌きか何かの技法で受ける攻撃の全てを受け流しているのだろうが、あれほど勝てる気がしない戦いは知らない。何せ必死に当てる剣の悉くが確かに肉体を捕えているにも関わらず空気を切っているようにヨシュアの身体を滑り空振るのだ。初めて戦ったときは唖然とした。
つくづく乙女ゲームの登場人物とは思えないチーターである。流石、帝国最強の十傑と三体一で圧倒した男。レベルが違った。ていうか、生きる世界が違った。
「さてと、じゃあそろそろ切り上げるか」
「あれ? 坊ちゃん。珍しく早く止めるんですね。いつもは俺が止めっていっても止めないくせに」
「今日は母さんに使いを頼まれてるんだよ。何でも貴族の集いだかで買い物にいけないから変わりにってことで。勉強もあるし、早めに行っておきたい」
「なーるほど。じゃあ、今日は此処までにしましょうか」
俺の言葉にローガンは了解して片付けに入る。この俺の修行に付き合う面倒見の良い軍人は修行の切り上げを俺に一任している。曰く、軍人として国に使えようとも武術を極めようとしているわけでもなくただ守るために戦う術を身に付けているならば本人の自主性に任せるとのこと。俺がサボるかもしれないという考えがのっけからないところ、信頼されている。とはいえ、あれで戦いになると熟練者ゆえに飄々としていてムカつくので素直に敬意を向けることは出来ないが。
「と、俺も片付けないと……」
手に持つ剣を見て、俺もまた武器を片付けるため行動を開始する―――。
フランドールは近隣最大の国家であり、この領地も莫大だ。そのためフランドールはそれら全てを管理するため、首都に匹敵する大きな都を四つ作り上げた。そしてそれらの都を管理する貴族こそが四大貴族と呼ばれるフランドール建国から存在する四つの大貴族達である。
デヤンスタール、シックザール、ドライツェーン、アゼルツォークの四つから成るこの貴族達はそれぞれ西の都「エデン」、東の都「カナン」、北の都「ユートピア」、南の都「アルカディア」を統べている。この下にさらに各市町村を支配する貴族達がいて、その貴族の下で村長や市長が町々を取り仕切っている。そして今、俺はその四つの都の一つ、シックザールが統べる都カナンにいた。
「ふう、相変らずデカイな……」
立ち並ぶ石造りの街並みと大通りに並び立つ露店。それから街を取り囲む巨大な外壁と中央に座す城のような建物……シックザールの本邸。活気ある街を歩きながら俺はポツリと言った。因みに分家の俺が暮らすのはこの街から東にいった東の国境近くにある「グランナ」という城砦都市だ。父が東側の総司令官を勤めるということで勤め先の近くの街にシックザールの分家はあった。付け加えるならば有事の際、分家とはいえシックザールの者が先駆けて国境付近での諍い、あるいは争いに介入できるのは周囲を安心させる意味でも敵国に対する示威行為としても意味がある。外国でも四大貴族の威光は有名なのだ。
まあそういった諸々は弁えているのだが、とはいえグランナからここまでは些か遠すぎる。態々、馬を走らせなければ半日近く掛かるのだ。馬の騎乗術は修行開始と同時期から始めているため今じゃあ剣術以上に達者だが、だからといって構わないということにはならない。使う労力は少ないほうがいいのだ。
「さてと頼まれたものは……って量多くないか? これ」
渡されたメモを見るとそこには様々な商品の名前が記されている。その殆どは美用品や衣服、後は薬など、都以外では入手しにくいものばかり。持って帰るには大した量ではないが、買い集めるのは大変そうだ。特に美用品……母は意外と見た目を気にする人だ。何でも異国からの移住者だからこそ、父の妻として恥ずかしくないようにマナーや見た目には気を使っているとのこと。
「言っていても仕方がない。お金も貰っているし、余りは好きにして良いとのことだからさっさと目的を果たしますか」
金の入った袋を手で弄びながら俺は買い物を始める。ついでに散策もしてみよう。基本的に月に一回しかこない場所である。せっかくの機会だから頼道しながらでも午後の勉強までに間に合えば構うまい。俺は露店を見て回りながら目的の店へとふらふらと行く。
生前嗅いだ焼き鳥のような匂いに野菜や果物を売る店。後は異国の本などを取り扱う店など様々な店が立ち並んでいて柄にもなくワクワクする。こういう場所で店を見て回るのはお祭りみたいで悪くない。きっちり買い物もこなしながら俺は店を見て回る。その中でも特に本を取り扱う店は見ていて落ち着く。生前はインドア派、一日中家で読書しているような生活を送っていたのだ。本は見ているだけでも故郷に帰ってきたみたいに落ち着く。大貴族の分家筋ということで貴重な本や学術書は山ほどいえにあるが都ではそれ以外に小説や冒険譚などの本を見ることが出来る。こういうのは家にないから時たま欲しくなったりする。
「せっかくだから何冊か買っていくか」
選んだのはフランドールの首都、「アガルタ」で最近ブームを呼んでいる舞台の劇の原作。何でも東方由来のモノらしい。他にはどこぞの冒険家の冒険譚やそれから中央で起こったニュースを使える新聞も少々。こういうのはグランナでも入手できるが、ここまで来たついでである。それから、
「怪魔についてっと……」
手に取るは怪魔。ゲームにおいて世界の敵とされた存在らについてである。―――あの事件でクリスが手にした赤い宝玉とそれによって召喚されたと思わしき怪魔。原因は未だ持って不明であった。そもそもシックザール管理下の森の中にあんなものが存在すること事態、アリオスさんも御当主様も父も知らなかった。父はあの後独自に調査をしたりしたそうだが、それでも何故あんなものがシックザールの森にあったのは分かっていない。そして宝玉。謎といえば、あれも謎であった。
大気中のマナを独自に取り込み、内部に装填された精霊術を行使する……という大まかな仕組みこそ判明したもののどういう原理で、どういった技術でそうなっているのかは不明である。父曰く失われた術の一つかもしれないとのことだが。
「ダメか。まあ、こんなので分かってたら父さんだって分かるか」
何冊かの本を開けては閉じ、開けては閉じ、繰り返すこと三十分。それらしきものはない。まあ、軍部、貴族両方に伝を持ち、本人も優秀な父でも分からなかったことだ。こんな簡単に分かるとは思っていない。俺は本屋から離れ、買い物を再開する。頼まれたモノは集めること自体は街中歩き周らなくてはいけないため面倒ではあるが貴族が愛用するものとあってブランド物であったり、有名なモノであったりと見つけ出して買うのは簡単だ。
そうして歩き回っている内に目的の商品は買い集めた。―――さて、俺も帰るか。そう思い、馬を預けた検問に行こうと足を踏み出した瞬間である。丁度、通りがかった路地裏。そこから声が聞こえてきた。
「ん、なんだ?」
聞こえてきたのは子供の声。自分より少しばかり下ほどの年齢の子たちだろうか。聞こえてきた路地はそのまま進めば住宅街のような場所に出る路地。ともすればそこに住んでいる子供が騒いでいるだけだろう……ゆえにその日、何故行ってみようと思ったかと聞かれれば気分としか良いようがなかった。
それぐらいの気まぐれ。そういう意味ではその後の遭遇は正しく運命だったと言えなくもないだろう―――。
☆
路地を進むと、小さな広場出た。中央には噴水の跡地か、奇妙に埋め立てられた場所があり、上を見上げれば密集した住宅を繋ぐように洗濯紐に乗っけられた洗濯物がパタパタと風に煽られている。そんな街では珍しくない光景の元に彼らは居た。
「いやーい、オトコオンナ!」
「きもちわるいんだよー!!」
「オトコくせにすげーなきむしだなコイツ!」
「ぅぅぅぅ……」
六か、七。それぐらいの少年たちが一人の……
「あれ? 少年か?」
思わず俺も口に出してしまった。分かりやすい虐めの現場の被害者として立ち会う少年はそれほどに少女と見分けがつかないぐらい少女のように可愛らしかった。
母と似た顔つきは東方由来のものか。手入れも碌にされてないだろうに綺麗な黒い髪と焼けあと一つとない白磁の肌。それから印象的な赤いルビーのような瞳。髪こそ虐める側の少年達のように短く切り揃えているが元が少女の如き女顔であるからしてショートカットにしか見えない。何と言うか女の子っぽい男の子というより男の子っぽい女の子という風情だ。下手をすればその辺の少女より少女らしい。
「オトコオンナ……男女か、なるほどね」
思わず苦笑する。確かにあの年頃の少年達からすれば件の少年はさぞ異端に移るだろう。あの年頃の子供と言うのはみんな同じと言う平等論の元動いている。ゆえに自分達とはそぐわない存在に対して何処か排他的なのだが、この場合も例に漏れないらしい。
「子供のじゃれ合い……なんだろうが、流石に泣かすのはいかんし、一応貴族だし、年上だし……何より、か弱そうだもんな彼女……じゃなかった彼」
前世ではこの程度でも虐め虐めと騒がれるのだろうが、中世時代においてこの程度の騒ぎは日常茶飯事だ。とはいえ、可愛らしい少年が泣いて虐められているのを放置するのも後味が悪い。それに自分は年上であり、貴族だ。クリストフに万事、高貴なる者の義務の精神でいきたいわけではないのだが。
「さて―――おい、そこの少年少……年。虐めとはまた格好悪いな」
危うく少女と言い間違いそうになりながら俺は件の少年らに声をかけ近づく。
「なんだよオマエ」
「ここはぼくらのばしょだぞ」
「くるなよ、なかまになんかいれてやらないからな」
ギンと睨みつけながら追い払うように口々に罵倒を重ねる少年達。年下の、しかも子供の言葉で苛立つほど狭い器ではないが、こうして人数そろえた罵倒を聞くと幾ら子供とはいえ威圧感がある。声をかけたはいいが、果たしてどう治めたものか。ジェンダー精神を説こうにもここは中世。男女の価値観の相違だの、性別と心がかみ合わない存在もいるということを説いたところで意味はなさないだろう。その辺りが広く知られるのは前世において最近だし、今でも男装女性、女装男性、ゲイやバイに対する世間の目はキツイ。しかもここは日本のオタク文化が作り上げた贋作とはいえ、中世文化の世界。さぞ性別を取り違えた容姿、態度、性格は異端に移るだろう。―――まあ、取り敢えずは、
「何、目に付いたんでな。お前達男だろ? 弱いものを虐めてどうするんだ。男ならシャンとして弱い奴を守るぐらいやって見せろ。傷つけてどうするんだ? 傷つけて」
とりあえず正論で責めてみよう。男女差別うんぬんを除いて男なんてプライドに飼われる憐れな生命体。取り分け誰でも大小差があれ、ヒーロー願望を抱えているのだ。幼いとはいえ、彼らも男。その辺りを刺激してみよう。
「うるせえー!」
「こいつだっておとこだし!」
「おとこなのにおんなみたいなかっこうしてるんだ!」
「おとこおんなだ!」「おとこおんなだ!」「おとこおんなだ!」
「ひっく、えっぐ……うぅぅぅ……」
あ、やべ、対処ミスった。口には出さなかったがいきなり対応を間違えたらしい。苛烈になった少年たちと彼らの罵倒を聞いてさらに涙を流す少……年。思わず冷汗を流す程度には焦った。―――そうだ、彼は男なのに女みたいな姿格好をしているから虐められているのだった。そこに男なんだからは悪手だ!
(さーて、俺。考えろ、考えろ。てか、なんで修行以上に頭使うハメになってるんだ俺?)
力ずくで追い払うのは簡単だ。歳の差、経験、暴力慣れの差。だが、それに訴えて追っ払っても俺がいなくなれば彼はまた虐められるだろう。だからこそ、言葉で言い負かして彼らに自分たちが悪いということを自覚させなければならない。ふむ、弱いものに手を出すのは格好悪い……ダメだな。似たような内容だ。じゃあ虐めが悪いこと説くか? これも無理。子供にその手の論理は通用しない。これはいわば異端を排斥する正義の行動なのだ、彼らにとっては。であれば……。
「別に殴られた蹴られたというわけでもないんだろ? いいじゃんかちょっと容姿が女の子っぽくて、女の子みたいに性格が少し弱弱しいだけだろ? 寧ろ、弱い彼を俺たちが引っ張っていくぜぐらいの心で付き合えば―――」
「だってコイツのせいでカナちゃんがあそんでくれないんだ!」
「そうだそうだ、そういうのヒイキっていうんだろ」
「それにコイツいつもおんなのこにまもられてるんだぜ? ダッセーの!」
(そう来たか!!)
つまりなんだ。この虐めの原因は、件の女の子と仲が良くて、いつも守られている彼が気に食わないと? ……なるほど、ようはアレだ。彼のせいで構ってくれない子がいてだから彼に嫉妬したっと。
(めんどっくっせーなッ!)
理論はアレだ。可愛い女の子にちょっかいを出す幼年期男子のこじれたバージョン。引き金が嫉妬な分傍目から見たらダサくかっこ悪く馬鹿らしい。が、覚えのある男子諸君はこの光景を見た瞬間、黒歴史を掘り返されたレベルで悶絶するだろう。それぐらい、ありがちなこと。……途端に、なんか馬鹿らしくなってきた。これ、女の子に言うぞ、って脅せば一撃で終わるやん……。バカみたいに考えていた先の俺を殴りたい……。
「てかなんだよさっきからかんけいないのに!」
「ひょっとしてオマエこいつがすきなのか!」
「おとこがおとこをすきなんて、あーおまえもおとこおんなのなかまか!!」
やーいやーいと騒ぐ少年達。事情を知るともはや苛立ちより哀れみを誘う。何と言うか大きくなったとき、彼らはこの黒歴史を胸に明日を生きねばならぬのだ。せめて同じ男児として速やかに彼らの黒歴史を短い期間で幕引くべきだろう。そうして俺は一言、魔法の言葉を口にする。
「彼が虐められていること。カナちゃんにいちゃおっかなー」
途端。空気が凍った。
「なん、なんでだよ! あいつはかんけいないだろ!」
「だって、彼はカナちゃんと仲が良いんだろ? 仲良しの子が虐められてたらきっとカナちゃん助けにくるだろう? ……あ、もしかしたらカナちゃん。もっと君達の事を嫌いになるかもね」
「べ、べつにおれらだったあんなやつすきじゃねえし!」
「そうか。だったら言っても別に良いよな。俺の言葉はどうも聴いてくれないみたいだしここはカナちゃんを呼んで」
「まてよ! だ、だって、なんでカナちゃんをよぶことになってんだよ!」
「いやあ、お兄さん虐めとか見逃せないし。止められそうなのカナちゃんぐらいしか知らないし」
「……………お、おれはやめようっていったんだ! なのにマーくんが」
「なっ、お、お、オマエ! うらぎるきか!!」
「そうだ、ぜんぶマーくんがぼくはとめたんだ。なのにおんなみたいできもちわるいっておれたちであいつをどうにかしてやろうぜって!」
「ふ、ふざけんなオマエらだってな!!」
内輪揉めにてこれで終幕。ふっ、この歳の男児を操ることなど容易い。伊達に姉にこき使われて賢しくなったわけではないのだ! ……なんだろう。言ってみたら悲しくなってきた。
「さてと―――」
未だ言い合う三人の少年を避けて、俺は座り込んでいる美少年の下に行く。美少年はびくりと怯えるような反応を見せる……まあ、直前まで虐められていたのだから当然か。俺は美少年の前に歩み出た後、膝を曲げて座り込む美少年と同じ高さになるようにして視線を交す。
「立てるか―――あ、その前に怪我はあるか?」
「ぇ、あ、僕は……大丈夫……」
モゴモゴと聞き取りづらい声であったが、どうやら問題ないらしい。
「そう、なら早く行くと良い。あちらには一応お灸を据えたが、ここに居ればあの同士討ちに巻き込まれる可能性があるからね」
チラリと傍目で見るとギャーギャーと騒ぐ少年三人が居る。あの調子ならばこのまま内輪揉めで終わるだろうが万が一、目の前の美少年に飛び火すれば助けた意味がなくなる。
「あ、あの……!」
「ん?」
と、目の前の美青年はやや上ずった声で、
「あ、ありがとう……」
感謝の意を述べた……ふむ、悪くない。目の前の人物が少年ということは当然理解しているがそれでも傍目から見れば可愛い容姿の少女の如き姿だ。そんな人物にお礼をされただけでも態々、助けに入った甲斐があると言うもの、なので少し調子に乗って格好付けてみるか。
「礼には及びませよ、可愛い人。か弱き者を手を差し伸べ、民草であれば庇護する……貴族の末席として当然の義務を果たしたまで。さ、もう行きなさい。大丈夫、彼らの牙はもう貴方に向かないでしょうから」
右手を胸に当て、軽くお辞儀をしながら微笑んでみせる。うむ、我ながら様になっているんじゃないだろうか? 流石に乙女ゲーム攻略対象者よろしく乙女をきゅんきゅんさせるような気障な言い回しは出来ないが、これくらいならば……。
「……ッ! は、はぃ! ありがとうございます!!」
俺の言葉に美少年は一瞬固まった後、顔を真っ赤にしてまたも上ずった大きな声で礼を言いながら走り去っていった……可愛い人はからかい過ぎだったか。女みたいと虐められている男に言うべき言葉ではなかったか。俺もまだまだ修行不足だ。父さんのように格好良くはいかないか。
「じゃ、俺も帰るとしますか。あちらの喧嘩の巻き添えになりかねないのは俺も一緒だし」
遂に髪だの頬だのを抓る喧嘩に発展した三人組を見ながら俺は身を翻す。思わぬ時間を食ってしまったので急いで帰らなければ。足早に俺は検問目指して歩き出した―――。
☆
「はっはっはっ―――」
迷路のように入り組んだ路地を走り回って少年は先ほどの場所から距離を取る。虐めっ子が怖い……というのもあるが、それ以上にこの急激な運動とは異なる強く脈打つ心臓の鼓動が訳もなく彼をあの場から一刻でも早く逃げ出さなきゃとでも要求しているように高鳴っているためだ。
―――お母さん似の顔を馬鹿にされるのではなく褒められたのは初めてだった。
早く、早く、早く。息を切らしながら少年は駆ける。少年の家は元々、先の路地広場からそこまで遠くない場所にある。だが、少年は家に向うのではなくひたすらにただただあの場所から逃げ出すように距離を取り続け、やがて路地裏を抜け出し城壁周りの通りまで出てきてしまった。
―――童話で呼んだ姫を守る騎士のような人だった。
「あう!?」
無茶が過ぎたのだろう。走り抜けた先で少年は足を縺れさせて転んだ。膝に熱い痛みが宿るが、今はそれ以上にこの五月蝿い心臓の鼓動をどうにかしたかった。だって、彼は男の人だった。カナちゃんに似た金色の髪で綺麗な人ではあったが、男の人だったのだ。
「なんで………」
なのにどうして―――。
「……あ、そうだ。名前―――」
ふと―――あの少年の名を知らないことを思い出した。綺麗な人だった……貴族と名乗っていたから何処かの貴族の息子だろう。であればあの手入れの行き届いた衣服といい、髪や肌も納得がいく。そうだ、相手は貴族なのだ。平民であり、移民の血も混じる自分とは違う高貴な身分―――。
「そう、そうだよ。だからもうあうことはないんだ。ないん……だから」
そうだ。もう一度、きちんとお礼が言えないのは少し残念だが―――大丈夫、もう二度と会うことはない。だからこの、間違って抱いただろう錯覚だってきっと忘れるはず……。
「……………」
そうして衣服に付いた埃を払いながら美少年、ユウキ・フォルベルージュは落ち着いてきた心臓の鼓動にうんと一つ肯いて、家に帰るため再び路地へと歩いていった。
序章これにて完結
これでようやく本編を始められるぜ……!