幼馴染と四大貴族
「待ってくれよクリス!」
「おそいぞ! おまえはぼくのぶかなんだからちゃんとついてこーい!」
「いや、部下って……正しくは分家筋な」
「ぶんけ……よくわからないけどぶかってころだろ?」
「……もうそれで良いや」
広い森の中を金髪碧眼の将来の美男子になることを予感させる少年が駆け抜けていく。それに続くのは同じく金髪だがやや白いに近い髪色で瞳の色は赤。こちらも将来を期待させる少年である。両者共に顔立ちは異なり、前者は西方で見かけるような後者は東方で見かけるようなそれだ。実際、後者の少年には近年開拓交易が始まったばかりの東方国民族の血が流れている。両者の顔立ちの違いはそれによるものだろう。
「というか、何処に行く気なんだよ。私有地とはいえ、シックザールの森には時たま怪異も現れるから不用意に入るなって御当主様……サルバトーレ・アトラシア=シックザール様も言ってただろう」
「ふふん、きまっているだろ。そこにもりがあるならやることは一つ。たんけんさ! でんせつのぼうけんかユーピリア・オゲイローンさんだってそういってた!」
「それ伝説上の王様だし、その言葉を言ったのって確か東方にあるって言う「石神の杜」っていう未開拓の森を探索する時だし、そもそも王様その時十四歳だったし……」
「こまかいことはいいのさ! さあいくぞ! フィート!」
「後で絶対、アリオスさんに怒られるな、これ……」
あっという間に駆けて行く幼馴染を追いかけながら少年……五歳を迎えたフィート・クラウゼル=シックザールは本家の家老を務める恐ろしき男の顔を思い出し、憂鬱に一つため息を吐いた。
☆
赤子に転生して五年の年月が経つ頃、俺はようやくこの世界についてと自分についてを知ることになった。というのも二歳と半年で何とか言葉を発声させることが出来るようになり、その半年前にはハイハイぐらいは出来るようになっていたのだがその頃から今まで見かけもしなかった乳母……というより使用人に見張られるようになり好き勝手行動できなかったのである。
使用人はメイドさんだった。その時点で俺の身分って結構高い身分なのかと何となく考えていたが、そのメイドさんが現れて暫くした頃に俺に向けて言った姓……「シックザール様」と聞いて凄く聞き覚えのある単語に息が止まるかと思った。シックザール、俺が生前最後の瞬間を共にした乙女ゲーム「恋愛美麗譚」の攻略対象者の一人、第二ルートの主人公クリストフ・アトラシア=シックザールと同じ姓である。まさかと思い、この国について、家について、親についてと聞いていけば出て来る確信の単語たち。
この国の名はフランドール。近隣国内で帝国を抜けば最も巨大な国家であり、大陸有数の交易都市。家は四大貴族の通称で呼ばれることもある名門、シックザールの分家。父はヨシュア・クラウゼル=シックザール。フランドール軍部の東方面隊総司令官を務めるお偉いさんであり、母は東方国出身者であるシュエリー・クラウゼル。因みに母方は本来、雪麗と書くらしいがシックザールに嫁入りする際にこちらの流儀に合わせてシュエリーと読ませているとのこと。
―――殆ど決定的である。フランドールは『恋愛美麗譚』の舞台となるヴァナハイム学院がある国の名前であり、シックザールといえば攻略対象者の一人がいる家だ。加えて我が父、東方面隊総司令官ヨシュア・クラウゼル=シックザールといえば、第三ルートと第四ルートで少しだけ描写される当代最高峰の剣士の名だ。曰く「天眼」。未来予測染みた凄まじい直感と洞察力を持ち、その上卓越した剣の腕を持つ王国の懐刀とさえ言われた男。第三ルート、第四ルートでは帝国の十傑といわれる幹部ら三名を同時に相手取って尚、無双した作中一番のチート。
「……ここ、ゲームの世界かよ」
完全にとは言い切れないがもはや決定的だ。ここは『恋愛美麗譚』と同一、または極めて類似した世界であるということだ。俺は頭を抱えた。転生という埒外の事態だけでも既にアレなのに加えてこの世界が乙女ゲームの世界だと? 笑えん。
「てか、これ第五ルートの分岐をしたら世紀末な世界になるよな、この世界」
何せ第五ルートは怪魔との全面交戦ルートである。確かヒロインたるプレイヤーは実は『碑の巫女』なる特別な存在で黎明期に存在した大罪人カインを封印したジブリールという女性の血脈で第五ルートの中盤でその血を覚醒させた結果、トバルカインの中に眠っていたカインの血筋が共振を起こし、トバルカインが闇堕ち。その後彼は失楽園の術を起動させ世界に怪魔が溢れかえる……いや、乙女ゲームのシナリオじゃないだろこれ! とそう突っ込みされた世紀末ルート。
「第五ルートに分岐したらマジで終わる」
こちとら喧嘩の一つもしたことの無い一般人だ。世界中に怪魔が溢れかえる事態になれば真っ先に死んでしまうだろう。流石に二度目の死はゆったりと寿命で逝きたいのでご遠慮願いたい。死ぬといえば戦争になる第三と第四もそうか。どちらにせよ、ほのぼのとした第一、第二以外は割りと殺伐としているので戦う手段の一つもなければ殺される。
「今の段階じゃあ『恋愛美麗譚』の世界そのままだと思い込むには早すぎる、だけどよく似た世界である以上、争いごとに高確率で巻き添えを食らうか」
全五ルート中、三ルートで大規模な戦いがあるゲームである。ならば自衛手段を持つ他あるまい。最初の目標は取り合えず身体を鍛えることから始めよう。万が一ゲームの世界じゃない場合でも手に入れられる情報から察するに文明レベルは中世かそこら。まだ銃火器のようなお手頃な人殺し兵器の無い、剣と弓と馬の時代である。ならば生き残るためにも何らかの戦う術を身に付けておいて損は無い。
それに我が父は『恋愛美麗譚』の世界では戦国無双出身者のような人物。ゲームとは別人だとしても仮にも軍部の総司令官、護身術の一つや二つ、教われるかもしれない。
「第一の目標は身体を鍛えること。出来れば十六歳……俺とクリストフ・アトラシアの年齢が同じとした場合だが……までには一般兵士を相手にしても負けないくらいにはなりたいな……」
十六歳。つまり本編開始の学院へ入学する歳である。我が父や帝国の十傑、ラスボス系主人公トバルカインのような無双レベルでなくていいので一般兵士にあっさりやられないぐらいにはなりたい。
「ただこの世界……ゲーム通りだと魔法みたいなのを使えるのってヒロインとトバルカインだけなんだよな」
この世界に魔法は無い。変わりに古より伝わる秘術・精霊術なるものが存在する。何でも世界に満ちるマナに語りかけ力を行使する特殊な技だとか。『碑の巫女』やトバルカインのような大陸誕生黎明期に存在した存在の血を引くものでないと行使できない失われた能力。特別な怪魔も行使する術らしいがゲームをプレイしたわけではないのでそこら辺の事情は詳しく知らない。
「精霊術は鍛えて使える能力じゃないからな。順当に剣だの槍だのを使えるように鍛えるか。ヨシュアや十傑みたいに決闘術が使えればいいんだが……あっちはあっちで身に付けられるものじゃないし」
人の限界を超えることで身に付けられる超能力、決闘術。使えるのはこれまたヨシュアや帝国十傑の連中だけである。使用者は一騎当千の化物になれる代物で有名なのはヨシュアの能力「天眼通」か。曰く武器の軌道から軌道予測線を見て攻撃や回避を見切る技で、超遠方からの狙撃すらも予測線で感じ取ることが可能らしい。この能力のせいで第三ルートでヨシュアに対して行なわれた三千人もの弓兵の一斉掃射は全て失敗した。迎撃されたり回避されたりで一本も当たらなかったそうだ。軽く人間やめてる。
「となるとやっぱり普通に剣や槍を使いこなせるようになるしかないか。手っ取り早く強くなる方法なんて早々無いよな、はあ」
何事も楽な努力は出来ないということか。しょうがない。まあ、取り合えず当面の目標は自衛できるぐらいには強くなること。それから……
「取り合えず自由に動き回れるようになるということかな」
まだ二歳半ば。外どころか家の中すら自由に歩けない身の上。当面は大人しく大きくなるのを待つほか無いと言うことだ。とはいえ、一日中ボウっとしているのは存外に暇であり、ついでにいうなら、
「は~い、フィート。おっぱいの時間ですよー」
(どんな羞恥プレイだこれ!!)
切実に思う。早く大きくなりたいと―――。
「おーいどうしたんだよ」
「いや、なんでもない」
思い出しかけた黒歴史を首を振って忘れ、冒険すると抜かす幼馴染への説得を再び試みる。
「何度もいうけどシックザールの私有の森とはいえ、人の活気が無い所には怪魔が出没しやすい。危ないから帰ろうぜ、クリス」
「なんだよ、こわいのか? だいじょうぶ、フィートはおれがまもってやるからさ」
「気遣ってくれるならそのまま俺の言うこと聞いてくれ……」
「やだよ☆」
「子供め……あ、それは俺もか」
満面の笑みで拒否の意を示す幼馴染……幼き日のクリストフ・アトラシア=シックザールはそのまま森の奥へ奥へと進んでいく。俺もまた先へ行くクリストフの後へ続く。最早こうなっては最後まで付き合うしかあるまい。強く止められない自分の温和な性格が嫌になる。このせいで多分、姉にパリられていたんだろう。そして今生もパシリか。
「ふふ、舎弟根性が染みついて離れないとは」
諦観の乾いた笑みが口元に浮かぶ。そもそも、ことの発端は五歳を迎えるより少し前、何れ支えるべき存在だと言われ父さんに連れられて訪れたシックザールの本邸での出来事。幼き日のクリストフは後の攻略対象者となる日の穏やかで落ち着いた性格など予想させないほどに活発で興味対象を見つければ突っ走るような性格の持ち主であった。出会ったときも俺の身分を説明するなり一言目が「つまりおまえはおれのぶかってことだろ、よし! おれがこのいえをあんないしてやるよ!」といきなりあちこち連れまわされた。挙句の果てに街を案内するといわれて勝手に待ちに出て家老のアリオスさんにめちゃくちゃ怒られた。俺も巻き添えで怒られた。
以降、俺が月に一回ある親類縁者の集いで本邸を訪れる際には探検と評して色々な場所へと連れて行かれてアリオスさんに怒られるということを繰り返している。そして今回も例に漏れず、探検と評してシックザールが持つ広大な森の中をこうして歩かされている。
私有地とはいえ、街や本邸のある城壁内から出たところにある森である。兵士達が哨戒しているとはいえ怪魔も稀に現れる完全に安全とは言えない森。自衛手段の一つもまだ持ち合わせていない五歳時としてはさっさと帰りたいのだが……。
「というかこんな森の中で何を探すんだよ。フラーゴラの果実でも見つける気か?」
フラーゴラの果実はフランドール名産品の一つである赤い木の実、早い話、元の世界で言うところのイチゴである。ジャムにすると元の世界同様美味しい。
「ふふん、これをみろ!」
俺の言葉にクリストフは得意げな笑みを浮かべながら振り向き古びた地図を一つ、俺の前に翳す。見ると、大変読みにくく所々日焼けで見えなくなっているがこのシックザールの森の地図であるらしい。その中からクリストフは地図の罰印の部分を指差していった。
「きっとここにおたからがあるんだ。おなじようなちずをユーピリア・オゲイローンのほんでみたからまちがいない!」
「……なるほど、それで森の探検か」
ユーピリア・オゲイローンは大陸誕生の黎明期からおよそ三百年ほど経過した時代にいたとされる伝説の王様の名だ。若き日は様々な冒険を繰り返し、その冒険の日は今日において子供達の絶大な人気を集める「風の冒険譚」として物語にされている。そういえばその物語の第二部に同じような地図が登場していたか。多分、それを見て宝の地図だと思ったのだろう。
「でもその地図が本物かどうかなんて分かんないだろ」
「そんなのいってみればわかるさ!」
「また後先考えないで。それに勝手に森を歩き回るなんて、アリオスさんに怒られるぞ」
「だいじょうぶだいじょうぶ、きづかれないようにきたからな!」
「いや、一番ダメだろそれ」
何度も止めるがクリストフは聞く耳持たない。こうなっては付き合う他あるまい。そうして歩き続けること約十分、気付くと森の中にポッカリと空いた広場のような場所に辿り着く。
「ここだ!」
そういって喜び勇んで駆けて行くクリストフ。どうやらここが目的地らしい。森の中に空いた円状の空所。辺りは木が密集しているのにこの場所だけ何故か雑草が多少生えているのみで妙に植物が少ない。それに遮るものが無いのに不思議と薄暗い。
「何だ此処……嫌な感じだ」
シックザールの森は管理された森だが、この場所だけ何と言うか……不気味だ。如何にもな雰囲気の場所。そもそもシックザールの森にこんな場所があるなんて父や御当主様、アリオスさんからも聞いていない。ストッパーとして大人たちから危険な場所に付いてはたまに聞きに言ったり、教わったりしてクリストフより色々知っているが、ここは来て初めて知った。
「おお!」
と、不気味な場所であるため辺りの様子を窺っていると不意にクリストフが歓声の一声を上げる。見ると赤い宝玉のようなものを天高く掲げ、お宝お宝騒いでいる。だが俺は……。
「アレは……何処かで……」
何時ぞや食事の時間になっても現れない姉を部屋に言って呼び出す際にチラっと姉のパソコン画面に映っていた描写に丁度似たような物体があって、
「嫌な予感がするな……おいクリス、それ元の場所に戻して直ぐに―――」
離せ、そう言い切る前に嫌な予感は的中する。
「うわあああああああ!?」
「ッ! おい、クリス!?」
クリストフがぶんぶんと手に持った赤い宝玉を振り回して、いや振り回されている。宝玉は光輝きクリストフから離れようと右へ左へ動き回り、やがてクリストフを吹き飛ばしてその手から解放される。
「あ、わぶう!」
「クリス!」
吹き飛ばされ、地面に仰向けで倒れたクリストフの元に急いで駆け寄る。幸い雑草がそこそこ地面を覆ってたためそれらがクッションとなりクリストフに目立った怪我を負わせることは無かった。俺はそれを見てほっと息を吐くが、問題は……。
「何なんだあの宝玉」
ふよふよと空中浮遊する不気味な光の宝玉。俺は宝玉の様子を窺いながら倒れた衝撃で半泣きになっているクリストフの脇に手を入れ、ゆっくりと宝玉から目を離さないようにクリストフと共に後ずさる。丁度、十五歩目を踏みしめた頃だろうか。突然、浮遊するだけに留まっていた宝玉が光り輝いて……幾重にも紋様や記号が書き込まれた円形の陣を展開する。
「これは……精霊術!」
ヒロイン、『碑の巫女』の血筋や第五ルートの主人公トバルカインの血筋が使う黎明期に消失した失われた力の一つ。巨大な魔法陣は赤い宝玉を中心に、この空き地全体を覆い隠すようにして展開する。そうしてさらに一際光が輝いたと思った次の瞬間、魔法陣は消失し、変わりに、
―――オオオオオオオオオオオオオ!!
「怪魔……」
影をそのまま実体化させたような真っ黒な全身と赤い眼が不気味に輝く怪物。世界の敵、怪魔がここに出現していた。造形は犬のようで四足歩行。耳も目も鼻もあり、生物としての形態を取っているが、影のようにゆらゆらと全身の造形が揺れていて詳しく姿形を見て取ることはできない。
(マズイ、マズイマズイマズイマズイ!)
鍛えられた一般の兵士ですら十人がかりで討伐がやっとの化物。それが力無い子供二人の目の前に出現した。とすれば次の瞬間にどういう事態が起きるのか。俺は即座に行動を起こしていた。
「クリストフ、逃げるぞ!!」
駆ける。クリストフを力任せに引っ張り、そのまま背に乗せ俺は疾走する。もはや、先ほどの宝玉やこの事態の原因など頭に無い。今やるべきことは生き残ること。
「うわ、うわあああ!?」
「チッ! 言わんこっちゃない!! だから森は危険だと言っただろうに!!」
止められなかった俺も同罪か。自分も含めて罵倒しながら俺は走るが何分、子供。全力で走って尚、距離は殆ど取れていない。加えて、背には自分と同い年の少年一人。子供の肉体ではそれを抱えたまま逃げるなどとどだい、不可能な話。そしてその必死の逃走を嘲笑うように怪異は僅か五歩の疾走で作り上げた逃走距離を踏み潰した。そしてそのまま大顎を広げ、俺たちを飲み込もうとし、
「ええい! ままよ!!」
刹那、俺は身を翻し、怪異の方に向き直って跳んだ。怪異のサイズはおよそ十メートル。俺たちとは大きな体格差があり、小さい獲物である俺たちを至近で害ためには距離が必要だ。巨体ゆえに帰って小さい獲物は狙いにくいのである。俺はそこに賭けた。地面と犬の怪異の間に空く隙間。そこに向って跳んだのだ。下手をすればあの爪で裂かれ、足で蹴っ飛ばされかねないがもう考えている暇も躊躇っている暇もない。一か八かの賭けは果たして、何とか成功する、が。
「ぐうッ!」
まともに姿勢も整えられなかったせいで右腕が下敷きになる。そのためか右腕に鋭い痛みが奔った。腕も動かない。多分、脱骨でもしたのだろう。それはいい、良くはないが今はいい問題は、
「クソ、あっちいけっつうの」
こちらを見て舌なめずりする怪魔。初撃は何とか凌いだが、危機は全く脱していない。さて、ここからどうすると考え、ふと―――背に背負っていたクリストフに目をやる。俺が下敷きになったお蔭でまたも無傷に等しい幼馴染。落下の衝撃で少し離れたところで倒れている。その目には涙と恐怖が浮かんでいた。まあ当然だ。命の危機に五つと間もない子供が晒されているのだ。そりゃあ泣くだろう。
「だから森は危ないって言ったんだ」
吐き捨てるように怯える幼馴染に言った後、俺は痛む右肩を抑えながら、
「おい、クリストフ。俺が何とかするからお前はアリオスさんかお父さんを呼んでこい」
「え?」
―――そんな戯言を口にしていた。全く、何を馬鹿なことを言っているんだが。何とかする? アレを? 不可能である。肉体は子供、武術の心得もなければ特殊な能力も持ち合わせない。ただ逃げるだけで貴重な四肢の一つを台無しにして、しかも危機から脱せられない俺がアレを何とかするなんて全く以って不可能だ。俺もそう思う。享年、五歳。まあ中世では珍しくないが、
「だから、行けって。ここは何とかするから」
だが、このまま幼馴染をも享年五歳で終わらせるのは、何と言うか、目覚めが悪い。幸いここには死に損なった享年十六歳、現在五歳と生まれたばかりの五歳児がいる。そして怪魔が今睨みつけているのは一度は仕留め損なった俺だ。このまま引き付ければ何とか片方は、幼馴染だけは逃がせるだろう。一度死んだ人間と生まれたばかりの人間。どちらが生き残るべきかなど……
「本編開始前に死にイベントとは。斬新なシナリオもあったもんだな」
全く軽口でも叩いてないとやってらんない。
「早く行けって、父さん達連れてこないと本当にマズイ。俺は何とかコイツから逃げ回っているからお前は本邸に戻って呼んできてくれ。今の出来事を話せば後で絶対怒られるだろうが―――」
残念ながらそうはならないだろう。怪魔は巨大な見た目に反して俊敏だ。それはさっきの一幕から分かる。持って数十秒。場合によっては一秒と掛からず殺されかねない。クリストフが逃げるまでは何とか稼いで見る心算だが、父さん達が来るまで生き残ることは……。
「クリストフ、合図をしたら―――」
「いやだ!」
「はっ?」
まさか人生序盤で死ぬとはと呆れ返りながら決死の覚悟を決めている最中、そんな子供の我が侭のような声が森の中に響き渡る。思わず俺は呆然とする。
「いやだ、いやだいやだいやだいやだ!」
「いやだって、おいおい、いいから早く行かないと本当に、」
「おまえはおれのぶかだ! おれがまもるっていったんだ! だから、おまえをおいてにげるなんてできるか!!」
「―――――」
言葉もない。思わず俺は呆けてしまう。全くまだ五歳児だろうに、どんな責任感だお前は。それに俺が部下だとすると普通はお前を命を賭けて守るのが当たり前なのに守るべきお前が命を張ってどうする。というか……。
「その台詞……」
確かヒロインに言う奴じゃあ……。
「にげるならフィートがにげろ! ここはぼくがなんとかする!」
「おい、クリス何言ってる! お前がアレを何とかできるわけないだろ!」
俺も無理だが。そんな一言を胸の内に秘めながら凄いブーメランをクリストフに言う。だがそれに対してクリストフはいやだとかダメだとか子供の戯言みたいなことを言うのみ。全くこれだから子供は! ……俺もだが!
「ふざけろ! だいたいオマエな―――」
言葉をさらに重ねようとしたその瞬間、遂にこちらを睥睨するのみだった怪魔が飛び掛ってくる。マズイ! 反応が遅れた! 狙いは……俺!
「クソ! 間に合わないか!」
何が時間稼ぎをするだ情けない。クリストフを逃がす時間すら稼げないとは……。
「……畜生、格好つかないな……」
「―――いや、そうでもないだろう」
跳び掛る怪魔。次に訪れる死に、思わず今生の後悔を呟いた瞬間、死地に似合わない涼やかな、何処か賞賛するような色を伴った言葉が俺の耳に届く、そしてそれと同時に跳び掛かる怪魔と俺たちとの間に身を滑り込ませながら一人の人物が颯爽と現れていた。
さらに流れる動作で大口を開けて突撃する怪魔の顎を蹴り上げ、続けざまに身を身を回して遠心力を生かした肘撃ちを胴体に叩き込む。流れる暴行に怪魔が一瞬、怯むや否や一歩後退して腰に帯刀する剣に手を添えて、
「ふっ―――!」
居合い一線。壮絶な速度で繰り出された剣は呆気なく怪魔の身を通り、そのまま斬り捨てる。凄まじい速度で斬られたせいか、斬撃だったにも関わらずまるで巨人に殴られたように怪魔は数十メートル吹き飛ばされた。―――人間業じゃない。
「さて―――勝手に森に立ち入ったことについては追々叱るとして、まずは無事か? フィートにクリストフ」
「父さん!」
乱雑に切り揃えられた金の髪に、俺に似た赤い瞳。フランドールの軍服を着こなす何処か気品のようなものを感じる男……当代最強の剣士であり、俺の今生の父。ヨシュア・クラウゼル=シックザールは涼やかな笑みを浮かべて立っていた。
展開が少し唐突かな? と思いつつ戦闘をば。
危険いっぱいの世界だということは伝わればいいかな?