プロローグ
瞼の裏に光を感じた僕は、ぼんやりとした意識の中でゆっくりと目を開いた。
目に映るのは見知らぬ2人の男女。
何か嬉しい事でもあったのだろうか?
男性は目の端に涙を溜めながら満面の笑みを向け。
女性は少し疲れを感じさせていたが、それでも優しい笑みを浮かべていた。
この人達は誰なんだろう?
2人とも凄い端正な顔立ちをしており、まるで映画で見る海外の役者さんみたいだ。
ぼんやりとそんな事を考えていると、瞼が重くなり。
その感覚に抵抗する事も無く、意識を手放した。
次に瞼を開けた時、目に映ったのは月の光を背負った2つの影。
月の光に照らされたその影は、意識が途切れる前に見た2人の男女の姿だった。
「ごめんなさい……アル。これしか、これしか方法が無いの」
そう言ったのは女性だった。
前に見た時は、優しい笑顔を向けてくれた女性だったのだが。
今はその時の見る影もなく、端整な顔を涙と鼻水でグチャグチャにしている。
「憎んでくれていい、だからどうか・・・この子に加護を」
そう言った男性は悔しそうな表情を浮かべている。
実際そうなのだろう、現に男性は唇を噛みしめ、唇の端からは血を滲ませていた。
その2人の変わり様が心配になり声をかけようとしたのだが。
何故だか「あー」とか「うー」と言った言葉しか出てこない。
それでも、どうにか言葉にしようとするのだが。
やはり、どれだけ頑張ってみてもちゃんとした言葉にはならず。
ぐずっている赤ん坊のような声しか出せなかった。
そして、そんな僕の様子をみた女性は、より一層、顔を歪ませる。
「私には無理よ! アルの事置いてなんかいけない!」
「私だって! 私だって置いて行きたくなんてない!
でも、今はこうするしか……」
嗚咽と共に聞こえる会話を聞きながら。
そして、僕の事を強く抱きしめる2人の体温を感じながら。
瞼と意識が落ちていく感覚に、ゆっくりと支配されていった。
何かが頬を撫でる感触。
そんな感触に無理やり意識を覚醒させられ、ぼんやりしながらも瞼を開くと。
その目に飛び込んできたのは、黒色の毛並みが美しい犬?
いや、狼だろうか?
実際に見た事がないので狼だと断言する事は出来ないが。
その狼のような動物は僕に近づくとフンフンと鼻を鳴らし、臭いを嗅いだ後、僕の頬を舐めた。
何故だろう?
本当なら恐怖を感じる場面だと思う。
だけど、不思議と恐怖は感じなかった。
ぼんやりとし、度々途切れる意識。
覚醒する度に切り替わる場面。
これが現実なのか夢なのか、理解できていない所為なのかも知れない。
そんなことを考えていると、女性の声が耳に届く。
「何か見つけたのか? ヴェルフ?」
やけに聞き心地の良い声だった。
「ん? 赤ん坊か?
……可哀想に、忌子と言うヤツか」
「ワォン」
「何? ……あぁ、確かにおかしなことになってるな」
「ワフッ」
「確かにな……これも何かの縁なのかもしれないな。
いや、縁などと言うのは自分に甘い言い方だな」
「……クゥーン」
「……これは私の罪なのだろうな」
聞こえてくる声はやけに聞き心地が良く。
それでいて酷く悲しみを帯びた声だった。
声の主はそっと僕の身体に手を添える。
すると、次の瞬間には浮遊感に襲われ、抱き抱えられたことが分かった。
簡単に抱きかかえられた事に驚き、戸惑ったものの。
それらの感情は一瞬で霧散する。
「ふむ、君の名前はアルディノと言うのか?
私の名前はメーティ―だ。これからよろしくな」
その言葉と共に僕の目に飛び込んだのは――
月明かりを反射しキラキラと光る銀色の髪。
まるで宝石をはめ込んだような紅い瞳。
思わず見惚れてしまうようなその端整な顔立ち。
そして、優しい笑顔を向ける一人の女性の姿だった。
これが『禍事を歌う魔女』と呼ばれ、人々から恐れられた魔女と。
畏怖の念から『幻月』と呼ばれた一匹の狼との出会い。
この物語は、そんな一人と一匹に育てられ、成長していく僕の姿を綴った成長の記録であり。
または家族との記憶でもある。
そして――
『禍事を歌う魔女』を――僕が殺すまでの物語だ――